虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

メデイアの壁 時代の壁 龍馬

2010-05-11 | 新聞・テレビから
昨日の素粒子。

「今こそ考えよう。鳩山さんはズッコケたけど県外移設は正論だ。ー略ー 今こそ分かち合おう。戦後65年本土復帰38年。ずっと変わらぬ基地の島。耐え続けた人たちの苦しみ、ともに担う連帯を。ー略-」

こんなこと書いていたけど、基地や訓練を沖縄県外に移して、沖縄の苦しみ、負担を日本国民みんなで分担しよう、といっているのか?たぶん、そうだろう。それにしても、苦しさを担う連帯を、とはよくいうよ。

ここには、基地の国外移転、いや、在日米軍基地はいらない、という発送、思考はありえないようだ。

日米軍事同盟は必要で、在日米軍基地は当然という発想の枠、大前提がある。それ以外の発想は遮断し、壁を作る。

同じようなことは、法人税減税もそうだ。消費税を上げることはたびたびメデイアで話題になるが、法人税についてはほとんどふれない。いや、法人税減税は当然。企業がもうからなくては、雇用も生活安定もすべてダメ。まずは、企業の利益、それが国の利益と当然のごとく発想する。それ以外の発想はこれまたありえないと考えているようだ。思考停止。法人税を下げて企業の利益があがっても、それが労働者の利益にはつながらないことはわかりきっているのだが。

今はまだフランス革命後のブルジョア国家だから、政府が、他のなによりも企業、資本の論理に従属するのはわかる。しかし、実にあからさまで、えげつないくらいの発想の壁だ。企業が滅んだら、国が滅ぶと国民をおどかしている。

まるで、江戸時代、幕藩体制の思考から抜けられなかった人々のようだ。幕府がなかったら、藩がなかったら、国が滅ぶ、人々の生活はない、といっているのと同じだ、そんなことはなかった。

「龍馬伝」のおかげで今、再び、龍馬が人気だが、龍馬から学ぶとしたら、国を守るために海軍に志した、なんてことではなく、その発想が幕藩体制の壁を無視したことだろう。龍馬は、当時、当然とされた藩士としての発想を捨てていた。幕藩体制の思考の壁をこわしていた。

今のメデイアは、日米同盟、景気回復(企業の収益回復)を当然の論理として、思考の枠として、国民におしつけているが、他の道はいくらでもある。龍馬なら壁をこわして、ちがう発想をするのにな。