遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

楯築遺跡(たてつきいせき)

2013-02-09 21:22:12 | 日記
今回は岡山県の楯築墳丘墓をご紹介です。
楯築墳丘墓といえば、弥生時代の巨大墳丘墓です。中心の円形の墳丘の両側に円形または方形の突出部がつきだしており、現存全長は約72メートル、中心の主墳の径約50メートルです。後の古墳時代の古墳に全く引けを取らない大きさです。

今までにも何度か来たことがありますが、久しぶりですね。今回は、岡山への出張があり、そのついでに寄ってきました。スーツ着たままで(^_^;)

途中、地図を見ると楯築の周りにもいくつか古墳があるようです。

しかし、今回はそれを回っている余裕がありません。
この地図を見ていただければおわかりかと思いますが、丘陵の中央にある点線が楯築遺跡の輪郭です。しかし、突出部が思いっきり削られてしまっています。非常に残念です(T_T)

気を取り直して、丘陵の頂上に着くと、いきなり列石発見!

楯築は、周囲を取り囲むように石が並べられていたようです。
墳頂には、有名な巨石が立て並べられています。

楯築遺跡は、これまで岡山大学文学部考古学研究室を中心に6回の発掘調査が行われ、破壊された突出部には、石列があり、丹塗り(赤色の顔料。酸化鉄?)の壺形土器が多数設置されていたようです。
主墳の墳頂にはこの墳丘墓の主のものと思われる埋葬施設が存在し、木棺とその周りの木槨が存在したようです。
木棺の長さ約2メートル、幅約70センチメートル、棺底には朱(赤色硫化第二水銀というそうな。)が30キログラム以上も敷き詰められていたようです。木槨の長さ約3.5メートル、幅約1.5メートル、槨の横には溝を掘って石を詰めた排水施設が存在したようです。
これが発掘当時の写真です。

埋葬主体の中から、鉄剣1本、首飾り×2、管玉、ガラス玉多数が副葬されていたようです。
後の古墳時代の副葬品に比べると貧相に感じられるかもしれませんが、盗掘されたのかもしれないし、副葬品がやたらと豪華な古墳時代と比べて考え方も違うのかもしれません。

この遺跡には昔楯築神社がたっており、そこに伝世されていたのが「亀石」と呼ばれる弧帯文を線刻した石でして、これがこの収蔵庫にあります。

何とか見たかったですね。
亀石にはちょうど毛糸の束をねじったような模様が連続していく不思議な線刻が全面に彫られております。これが何時のものか分かっていなかったようですが、埋葬主体の周囲から、多数の石片が発見され、それをくっつけると亀石と同じ模様を線刻した石になったとのこと。
したがって、亀石は弥生時代から伝世されてきたと言うことになりました。
すっごい!!

約1800年もの間、同じ場所を動くことなく、その場所で祀られていたわけですな。

破壊されていたのは、弧帯石だけではなくて、吉備特有の特殊器台(壺を据えるための器台が巨大化装飾化して、実用品としての実質を失ったもの)や高坏、人形土製品、土製勾玉、管玉などだそうです。墳頂で首長をおくるための祭祀が行われたようですね。亀石もそういった呪術的な意味を持ったのでしょう。

弧帯文は後に纒向石塚の周濠から発掘される弧文円板として引き継がれ、特殊器台は箸墓などで特殊器台形円筒埴輪として引き継がれていくわけです。

私は、弧文円板の模様や特殊器台に描かれた不思議な模様が結構好きです。弥生の皆さん方はこれを見て何を思ったのでしょうか?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。