遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

寺崎白壁塚古墳(奈良県高取町)

2014-03-23 20:30:45 | 日記
今回は、前回ご紹介した与楽鑵子塚(かんすづか)古墳から北に向かって行くと現れる寺崎白壁塚古墳をご紹介します。
この古墳の場所は、道案内もなくちょっとわかりにくかったものですからずいぶん迷ってしまいました。
与楽鑵子塚の西側を通っている細い道を上っていけば簡単に見つかったのですが、当初東側にあるわかりやすい道を歩いたものですから、いくら行っても見つかりませんでした(^_^;)
迷ったあげくに藪の中まで探して回ると、突然藪がとぎれて目の前に古墳が現れました。こんな感じです。

結構整備されているのにびっくり。
こんなに手入れをするのなら、もっと道案内を作るべきでしょう。
この古墳は、山の斜面に作られており、見かけの高さ約9メートル、一辺約30メートルの方墳と考えられています。
墳丘裾には、幅6メートル、深さ2メートルの掘り割りがコの字型に巡っています。
これのことかな?

この背景は風水思想を表しているとのこと。
やっぱり渡来人のお墓でしょうか?
ななめ後ろから見るとこんな感じです。

結構急な斜面に作られていることが分かりますね。
墳丘の下に平になっているところがありますね。これは、長さ約30メートル、幅約9メートルの台状の施設です。

いよいよ埋葬施設です。

まっ、いつものとおり中には入れません。テンション下がるな~。
管理が行き届いていると言うべきか・・・・
しかし、中を見ると・・

おおっ!!
すばらしい!横口式石槨!
閃緑岩の切石でできています。白くてきれいですね!
「白壁塚」の名前もここから来ているのでしょうか?

おおっ!?
漆喰をふんだんに使っていますね。
天井石を側石にはめ込むための彫り込みがありますよ!

反対側は、天井石の彫り込みがもっとよくわかります。
きれいですね~。
あ~ありがたや~(笑)

石槨部の長さは約2.8メートル、幅約1.1メートル、高さ約0.9メートル。
前面に長さ約8.2メートル、幅約1.6メートル~1.9メートルの前室と羨道部があります。
築造時期は、遺物などから7世紀前半と考えられています。

帰り道、古墳から僅かな距離に道しるべが・・

と思ったら、そこから30メートルくらいの所にまたまた道しるべが・・・
どうしてもっとわかりやすいところにないの?

この日は、天気が良くて他にも古墳を見て回りました。良い一日でした。
でもやっぱり石室には入りたいですね。

乾城(カンジョ)古墳と与楽鑵子塚古墳(奈良県高取町)

2014-03-19 20:13:09 | 日記
先日、高取町の与楽というところにある乾城古墳と与楽鑵子塚古墳、寺崎白壁塚古墳に行ってきました。
今回は、その中から乾城古墳と与楽鑵子塚古墳をご紹介します。
この古墳は、飛鳥病院の100メートルほど東にあります。
こういう道しるべがあります。

それから、墳丘すぐ近くのお地蔵さん。


この古墳は、群集墳の一つであり、直径約20メートルの円墳であったと推測されていますが、現在では大きく削られており、原形はよくわかりません。埴輪などの外部施設はなかったようです。

墳丘崩落のため危険で立ち入り禁止なのだそうです。残念。

渡来系の方々が葬られているもので、内部は、横穴式石室は両袖式ですが、玄室内はドーム形に天井が狭くなっています。

これは奥壁。上に行くほど狭くなっていますね。

これは天井。両脇からぐぐーっと持ち送られている様子が大変よく分かります。見てのとおり天井石は一個です。
大変高いです。

左側壁。

右側壁。

入り口にごろごろしている閉塞石。
玄室長約5.7メートル、幅約3.6メートル、現状の高さ約4.6メートル、羨道部長約3メートル、幅約1.5メートル、高さは、玄室より約3.5メートル低いです。
玄室の床面積に比べて天井の高さが際立っています。




ここからは、与楽鑵子塚古墳のご紹介です。
乾城古墳から山の方に少し歩くとすぐに与楽鑵子塚古墳が見えてきます。


この日もよく晴れていて、古墳と青空がきれいでした。
事前に仕入れた情報だと、この古墳の入り口は大変狭くなっており、匍匐前進で進入することになりそうだと思っていました。

しかし、このとおり、現在入り口が完全に崩落してしまっています。
石室に侵入された先人達がうらやましい。。。。

この古墳は、直径約24メートル高さ約7メートルの円墳で、墳丘北側(山側)に幅約6メートルの掘り割りを設けています。
両袖式の横穴式石室で、玄室長4.15メートル、幅3.15メートル、高さ4.5メートル以上、羨道部長2メートル以上、幅約1.4メートル、高さ1メートル以上とのこと。
石室は花崗岩を使い、側壁は自然石、奥壁は主に割石によって構築されています。
6世紀後半でも早い時期の古墳であろうと考えられています。

中が見られず、文字ばっかりで大変申し訳ありません。
この日はよく晴れていて、暖かかったので梅も良い感じに咲いていました。


沼山古墳(橿原市)

2014-03-09 22:47:33 | 日記
本日も橿原市からご紹介です。
前々回の益田岩船や小谷古墳に近く、市立白橿中学校と小学校に隣接する白橿近隣公園内にあります。
前記の古墳とセットで回ってきました。
渡来系の古墳と言われております。ドーム方の横穴式石室は非常に天井が高く、上に行くほど狭くなっているとのこと。
楽しみにして行ったのですが・・・・


あ~~~やっぱりはいれません(T_T)

しかたなく例によって格子の間から手を差し入れてめいっぱいのばします。

片袖ですね。


左側が広くなっていますが、平面が正方形とまではいかないようです。

そして天井

これはすごい!!上に黒っぽく見えるのが天井石でしょうか?
天井に行くほど狭くなっています。まさにドーム形です。

この古墳は、昭和の時代に発掘されました。
直径約18メートル、高さ約5.5メートルの円墳だそうです。
玄室長約4.9メートル、幅2.95メートルでそれほど大きくないのですが、高さが4.25メートルもあります。
羨道は、長さ約4.5メートル、幅約1.8メートル、高さ約1.8メートルです。
素材は花崗岩で、高さ2メートルまでは垂直に積み、そこから上に行くほど内側に持ち送っています。天井石は2枚のみです。

銀製空玉、ガラス製小玉・トンボ玉・金環などの装飾製品、杏葉・辻金具・絞具・革帯金具・鞍金具などの馬具、鉄鏃・かすがい、釘、須惠器、土師器なども出土しています。
特に玄室中央部から甕・甑・竈のミニチュア土器がセットで出土しています。これは確か、渡来人の皆さんが使っていたんだったかな。
この辺りは東漢(やまとのあや)氏が定住していた場所らしいです。