遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

自己紹介

2023-09-07 18:04:04 | 日記
射場守夫
昭和40年生、大分県出身、岡山県、島根県、鳥取県と転々とし、希望の地奈良県にたどり着く。
タクシー運転手をしながら受験勉強をし、現在弁護士である。
一 法律事務所
事務所名の「一」は、日本の歴史時代が始まった地が奈良盆地中・南部であることになぞらえたものである。

 いつものお話は次の記事からです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

島の山古墳研究講座に行ってきました

2016-04-24 17:49:08 | 日記
このところ、橿原考古学研究所で開催される講座に全く行けてなかったのですが、久しぶりに行ってきました。
奈良盆地中央部にある島の山古墳(川西町)の発掘から20年を記念した講座です。

講座は二部構成で、第一部が「やまとの大開発時代と島の山古墳」、第二部が「オオツタノハから車輪石へ〜島の山古墳の不思議」の予定だったのですが、第二部の講師が熊本大学の教授で、今回の熊本大分地震で急遽来られなくなったとのこと・・・(´д`)
震災の影響はこのようなところにも・・・・

自分は来週大分の実家に見舞いに行くのですが、多分交通機関は大丈夫でしょう。

というわけで、聞きたかった車輪石の話はお預けとなりました。しかし、代わりに島の山古墳の第一次調査の際の経験を交えた古墳の主体部や葺石、埴輪等の現存状況についてお話がありました。



墳丘は後世激しく開墾されており、墳頂近くは2メートルも削られているようです。したがって、後円部にあるはずの主体部は全く現存せず、竪穴式石室の石材と思われるものが、近くの比売久波神社境内や川西町ふれあいセンターにあります。
開墾の際、墳頂付近の土砂を下に落として平坦面を増やそうとしたみたいです。そのせいか、墳丘の裾の方は埴輪の保存状態が大変良いようです。

もっとも、前方部頂からは粘土槨が発見されました。
粘土槨外面におびただしい車輪石等の石製腕輪が貼付けられており、装身具の状況や反面武具などはほとんど見つかっていないことから、被葬者は女性であろうと推測されています。


次に、「やまとの大開発時代と島の山古墳」は、島の山古墳を纒向や柳本付近の初期の政権担当勢力との関係で捉えようとするお話でした。

古墳時代を作った纒向遺跡の勢力が他の地域から来たものではないかとの説が有力ですが、纒向や柳本付近から大和川の支流が合流する奈良盆地中央部は3世紀当時から肥沃な穀倉地帯であり、近年京奈和道の建設に伴う発掘調査等から多数の遺跡が発見され、その中に多くの東海系土器が多数発見されていることもそれを裏付けているとのことです。

当時の纒向や柳本付近の政権は、自らの政権基盤を強固にするため土地開発を推進していき、箸墓、西殿塚、行燈山、渋谷向山の各古墳に引き続いて島の山古墳が築造されたのではないかとのことです。

位置的には、島の山古墳は、馬見古墳群を築造した勢力とのつながりをイメージしやすいのですが、島の山古墳が大和川の重要性を意識した位置取りとなっているため、むしろ初期の政権担当勢力との関係で捉えようとするもののようです。

ちなみに島の山古墳は4世紀末から5世紀初頭とのこと。

その後、政権担当者は政治の中心を河内に置き、さらに後には奈良盆地南部に置き、奈良盆地南東部には政権の中心を担ったとは思えない小規模な古墳が継続して築かれることとなります。
しかし、それは、纒向や柳本付近から奈良盆地中央部にかけた地域の重要性が低下したのではなく、政権基盤を支える地位を保ち続けたとのことでした。

最初に古墳時代を作った勢力は、地元の奈良盆地の勢力のみではなく、吉備や出雲、北部九州、東海地方から来た勢力が中心だったという説よりも、おそらく奈良盆地の勢力が中心だったとの見方なのだと思います。

私はどちらというほどの知識を持ち合わせていませんが、奈良盆地は古くから継続して開発されてきた地域であり、遺跡がその後の様々な営みによって破壊され安く、本当は豊富な弥生後期の遺跡が存在した可能性はあるのかなと思います。

そのうち、島の山古墳の見学のご報告もしたいと思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

こまちゃん

2016-04-23 23:03:31 | 日記
久しく更新していませんでした。
熊本大分地震で九州は大変なんですが、私の実家も大分県の熊本県境近くで、大きな揺れが何日も収まらず大変です。

しかし、今回は自身の話ではなく、事務所の話です。

奈良弁護士会にはマスコットのこまちゃんというのがいるのですが、最近ぬいぐるみを入手しました。

コマドリをイメージしたもので、漫画家の森下裕美さんの制作によるものです。
かわいい外見で、さえないおっさんである私には似つかわしくありません。。。

まぁ、いいや。

事務所に訪問された方に、少しでも和んで頂けたらありがたいです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

赤土山古墳(天理市)

2016-01-30 18:04:35 | 日記
今回は、再度天理市に戻りまして赤土山古墳です。

赤土山古墳は、全長約106.5メートルの前方後円墳で4世紀後半の築造とみられています。
この古墳の特徴は、後円部の側面に家形埴輪を配した祭祀遺構が発見されたことです。


後円部の先にある造出の上から見ますとこんな感じです。
なかなかに壮観です。


これが後円部で、

これが後円部先端にある造出です。
ちょうど櫛山古墳と似た感じで、前方部と対称となるように作り付けられています。

祭祀遺構の配置です。


これは発掘時の写真。


これは埴輪の写真

右上の写真は、囲形埴輪という家形の廻りを塀で囲った埴輪です。
宗教的権威が秘技を行った場所ではないかと考えられます。ネットで見ると、浄水祭祀の場とみるか、産屋と見るか考えが別れているようです。

もともとこの古墳は前方後方墳と考えられていたようでしたが、発掘の結果前方後円墳と判明しました。
その状況を示すのがくびれ部の図面です。

下が前方部ですが、埴輪列が前方部から斜め左に開いていますし、墳丘の形状も直線から円形に切り替わっています。

前方部には地山と切断した後である堀割遺構があります。

左側に段築に沿った葺石があり、その右側に溝が通っていますがこれが堀割でしょうか。


前方部の先に赤土山2号墳があります。
墳丘は既に失われておりますが、直径約20メートルの円墳が存在し、周囲を円筒埴輪が巡っていたようです。
石釧の破片が出土しています。
赤土山古墳と同様の時期に築造されたものと考えられています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

別所城山1号、2号墳(奈良県香芝市)

2016-01-24 23:04:57 | 日記
大変寒いですね〜〜
ここ大和高田市は現在−2℃です。
外の様子を見ると雪は積もりそうにはありませんから、明日の業務には影響はないかな。

天理市から香芝市に移り、別所城山古墳です。
冒頭の写真は、1号墳です。
帆立貝形の前方後円墳で、全長約42メートル、後円部径約40メートル、前方部幅約18メートル、高さ約3.5メートルの二段築成です。

小規模な古墳ですが、管玉が発見されているとのことです。
多分盗掘されているのでしょう。


前方部から後円部を撮ったところ。


後円部頂です。若干墳頂がへこんでおり、もしかすると盗掘によるものかもしれません。


下から前方部を撮影しました。左側の見切れている部分が後円部です。


引き続き2号墳です。
東西約19メートル、南北約21メートルで現状では若干楕円形となっている円墳です。
高さ約4.5メートルです。

発掘調査が行われており、長さ約4.6メートル幅60〜65センチメートルの割竹形木棺をくるんでいた粘土槨から札甲(さねよろい。小札という短冊形の小さな鉄板を綴った鎧。)、鉄剣、鉄刀、鉄鏃、鉄槍、筒型銅器などの武器・武具の副葬品が出土しました。


これは墳頂です。
へこんだところは粘土槨の跡でしょうか?

札甲は、列島内で類例がなく、中国北朝系のものと推定されています。

両古墳とも4世紀末ころの築造と考えられ、香芝市内で最古の古墳です。

これを撮影したときは暑かったけどな〜。
明日、交通機関がマヒしなければ良いですがね・・・
コメント
この記事をはてなブックマークに追加