遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

最高裁判所

2012-11-29 16:38:58 | 日記
先日最高裁判所に行ってきました。
遊びでも見学でもありません。仕事です。

私たちは、仕事柄裁判所に行く機会が多いのですけれども、それは地方裁判所や家庭裁判所、せいぜい高等裁判所までであって、最高裁判所で仕事をする機会は滅多にありません。

それは、最高裁判所に上告するような事件自体が少ないということもありますが、法律上上告できる場合が直前に出された判決に憲法違反や最高裁判例違反などがあって不服があるときに限られていることが最大の原因です。

そんなわけで、最高裁に行ってきたのですが、門には警備員さんがいまして自由には入れませんね。
その日出頭する事件の確認と私の名前を確認してから、ようやく建物の中に案内されました。
というか、裁判所で案内されるということ自体初めてです。多分警備目的なんでしょう。

建物自体も多分大理石で覆われており、中に入るとどこかの映画で見たような幅の広い通路と階段を上って代理人控室まで案内されました。控室のドアもやたらと重厚で、ひたすら荘厳さを演出していました。

私の事件の直前に何かの事件の判決言渡しがされていて、何とマスコミの方々がたくさん。カメラも来ているじゃないですか!
「何の事件だろう?」と思って後で探したら多分これです。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121127/trl12112720030009-n1.htm
銀行が協調融資した際、取り纏め役の銀行に、他の銀行に対する融資先の信用状態に関する説明義務を認めた判決のようです。
何だか私の事件にも使える部分がありそうな話です。あとで調べてみよう。
そんな、話題の事件だったわけですが、法廷で起きた出来事は「本件上告を棄却する。訴訟費用は上告人の負担とする。」であっさり終わりです。

私の事件もこんな感じです。
裁判官「上告の趣旨については上告状、上告理由に関しては上告理由書のとおり陳述しますか?」
「はい、陳述します」
裁判官「答弁については、上告答弁書記載の通り陳述しますか」
「はい陳述します」
裁判官「他に付け加えることはありますか?」
「ありません。」
で終わりです。
後は判決期日が指定されて閉廷。

さあ、奈良までトンボ帰りです。これ1件のためだけに東京まで来ました。やれやれ・・・(⌒-⌒; )
事務所に帰ったら、夜8時30分。それから書面作り。
大変だな~。

神原神社古墳(雲南市)

2012-11-24 15:34:29 | 日記
最近全く時間に余裕なしです。遺跡にも行けないし、ブログの更新も出来ません(T_T)
せっかく奈良県で開業できたって言うのに、もったいないです。

さて、前々回に引き続き、出雲地方の古墳をご紹介します。
今回は神原神社古墳です。
神原神社古墳は、松江市から国道54号線を南に向かい、赤川の南側を西に走っていくとあります。

道路沿いにこんな感じの覆い屋根が見えます。

まるで土俵のようですが、神原神社古墳の竪穴式石室が下に見えます。

もともと、神社よりも赤川沿いにあったようですが、赤川の拡幅工事により、発掘調査がなされた後移築されたようです。

長大な石室ですが、長辺約5.8メートル、短辺約1メートル、深さ約1.4メートル。床には粘土が敷かれており、割竹形木棺が置かれていたようです。

おや、この穴から中に入れそうですよ。
早速中に入ってみましょう。

内部から奥を写したもの。なかなか立派ですね。

側壁。

床です。
解説板によると、この床の下には朱と土器が大量に保管された穴があり、また、排水設備も備えていたそうです。

神原神社古墳は、もともとは29メートル×25メートル、高さ5メートルの大型方墳だったと推定されています。島根県では最古の古墳らしく、中から「景初三年」銘がされた三角縁神獣鏡が出土して有名になっています。これは、魏志倭人伝にある魏の皇帝が卑弥呼に下賜した鏡ではないかとされているものです。しかし、今は国産説の方が優勢なのかな?

この古墳の規模は以前ご紹介した西谷墳墓群の四隅突出形墳丘墓とおおよそ同じサイズといってよいと思います。
四隅突出形墳丘墓を築造した技術がこの古墳の築造にも活かされているのでしょうか?

そのほかにも豊富な遺物がありました。素環頭太刀1本、剣1本、鏃36個等の武器や、やりがんな1個、斧2本、錐といった鉄製工具も出土しています。
古代から鉄生産が盛んであったこの地にふさわしい遺物です。

この古墳は、この地域で有名な西谷墳墓群や荒神谷、加茂岩倉などの弥生遺跡や築山古墳、大念寺古墳よりも中国山地に入った斐伊川の支流沿いにあり、農業生産力よりも鉄製品の生産力を背景に台頭した勢力の遺跡であることをうかがわせます。

古墳の名称の元となった神原神社です。

これも、昭和47年に現在の場所に移されたようですが、以前は神原神社古墳の上に立っていたそうです。
この神社も大変古く、出雲国風土記にはすでに「神原社」という名称で現れています。


訪問者

2012-11-23 01:38:34 | 日記
今日事務所にある方が訪問してこられました。私の変わった経歴に関心があるとのことで、お話をしたいとわざわざ遠方からいらっしゃったのです。
確かに変わった経歴ではありますが、私なんてまだまだ未熟なんですけどね。

以前私の記事が日経新聞に掲載されたことがあり、一時的に有名になったようです。
しかし、決して「有名人」=「全人格的に優れた人」というわけではないので、その辺勘違いしてしまうと後でがっかりするのではないかと少し心配していました。

しかし、その方はずいぶん熱心で、司法試験を目指すことになった経緯や、なぜ弁護士になろうと思ったのかなど質問されました。
とても熱心かつ楽しげにいろいろ聞かれたものですから、私も昔のことをいろいろ思い出して、つい時間を忘れて長々とお話してしまいました。
私のことをずいぶん肯定的に捉えてくださっているようで、何とも恥ずかしい限りですが、悪い気はしないものです。

私のしょうもない人生が他人に多少なりとも刺激を与えていることは素直に喜びたいと思います。
もっとも、刺激を受けて自らの生を貫けるかどうかは、その人次第です。
答えの半分は他人にあり、もう半分は自分にありですね。

中村1号墳(出雲市)

2012-11-16 20:38:16 | 日記
今回も出雲市からご紹介です。
中村1号墳は、前回の上島古墳と同じ地域にあります。国道431号線を国富小学校の方向に曲がり、康国寺の方向に進むと道沿いに小さな案内看板があります。
この古墳は、平成14年に工事中に重機が天井石を壊したことによって発見された古墳です。そういう意味では非常に新しい古墳です。
最近まで発掘調査が行われてきたのですが、なんと、この古墳は未盗掘古墳であることが分かりました。
そんなわけで、わくわくして古墳に向かいました。評判になった古墳だけあって現地には駐車場もありました。
車を駐めて、さあ到着。
古墳はどこかな?
えっ? これ?

遺跡保護のために古墳の上にプレハブをのっけていました。
当然、プレハブには鍵がかかっていて中に入ることはできませんでした・・・orz
なんたって未盗掘古墳ですから仕方ないのかもしれません。

仕方ないから案内板の写真をご紹介。

真ん中の絵にありますが、部屋が二つに分かれています。左側に丸っこい石をたくさん積み上げているのが閉塞石です。
これが入り口なんですね。
それから、左側の部屋が前室、右側の部屋が玄室です。それぞれの部屋に石棺が1つずつ安置されていますね。

これは玄室から前室を写したものです。
写真の手前側右に石棺の残骸が見えます。その残骸の左側に円柱の石造物が見えますね。どうやら灯明石のようです。
おしゃれですね~~~(^o^)
未盗掘古墳だけあって、副葬品も金環、銀環、太刀、武具、馬具等およそ250点と非常に豊富です。

しかし、この古墳の話題性は、発掘調査の結果葬送儀礼の一環として「再生阻止儀礼」が行われたらしいということです。
これは、死者の復活を阻止する儀礼で、古代社会では一般的にみられるものらしいです。
知らなかった Σ(・◇・;)

上の写真を見てほしいのですが、未盗掘古墳なのに、石棺の蓋が壊れて棺の中に落ち込んでいますよね。これは、人為的に壊されたものだとのこと。
遺体を安置した後、十年以上経ってから再び石室に侵入して土器や装飾品を壊して、石室内にばらまいたり、遺体の骨を石棺から出したり、石棺を壊したりしたようです。
死体の復活を恐れたのでしょう。

大変な労力を費やして古墳を作って先祖を敬いながら、それと同時に遺体や副葬品を破壊するというのも不思議なものですね。
いかに身近な人であっても、死体となれば別物になるのでしょう。
死と死者へのおそれの感情は、今も昔もそれほど変わっていないのかもしれません。

次回は雲南市の神原神社古墳です。

上島古墳(出雲市)

2012-11-10 19:35:13 | 日記
前回の予告のとおり、今回は出雲市の上島古墳をご紹介します。
上島古墳は、出雲市国富町、国道431号線を国富小学校に向かって北に曲がり、山沿いの集落に沿って西に折れると小さな看板が出てきます。古墳は山腹にあり、その下には駐車できる空き地があります。
途中、地元のオジサンに聞いたところ親切に教えてくれました。

冒頭の写真のとおり、石棺が覆屋根で保護されています。
後ろから写したら墳丘がこんな感じです。


隣に白い小屋があるのですが、これは?

なんと出土品の保管庫でした!?簡単に盗まれそう!
しかし、今は何も入っていないようです。
石棺をアップ

くりぬき式の石棺です。山陰地方ではむしろ珍しいようです。
家形石棺の稜線がきれいに残っています。よく見ると右手前付近が少しふくらんで見えます。多分縄掛け突起でしょう。
この石棺は土中に直接埋められていたそうで、横穴式石室に安置されていたわけではないようです。
ここからは、成人男性の人骨1体と耳環1、ガラス製丸玉22、ガラス製小玉152、五鈴鏡、鈴釧、小刀、太刀などが出土しています。さっきの小屋の看板にも「石棺内 直刀、刀子、土器」なんて書いていましたしね。

隣に小さな石室が見えました。

小さすぎてとても入れません。

中も狭いです。
これは竪穴式石室で、あまりに小さいため副葬品用の石室と考えられています。
ここからは、鉄鏃40~50、馬具類(鞍金具、轡、雲珠(うず)、杏葉(ぎょうよう))が出土しています。

上島古墳は、6世紀中頃の円墳で直径約15メートル、高さ約2メートルだそうです。墳丘からは葺石や埴輪は発見されていないようです。

6世紀後半といえば、古墳時代後期にあたると思います。このころは、群集墳がたくさんできて、首長墳も横穴式石室になっています。このころに、遺体の埋葬施設の他に副葬品専用の副室を持つほどの豊富な副葬品がありながら、葺石や埴輪もなく、石棺は土中に直葬というのは何となくアンバランスでおもしろいですね。

次回も出雲市で中村1号墳をご紹介します。

山陰出張

2012-11-04 23:49:16 | 日記
ぐぬぬ・・・
もう長いこと更新していません。
このところ全く時間が取れません。困ったものです。
「弁護士が忙しい」=「儲かっている」とお思いの方が多いと思うのですが、必ずしもそういう関係にはありません。

今週末からまたまた山陰出張しています。
せっかく出雲に来たのですから、古墳を撮らねばと出雲市国富町の中村1号墳と上島古墳に行って来ました。

それから、最近リニューアルした出雲大社に行って綺麗になった本殿を撮影したかったのですが、できませんでした。
実は島根県では「出雲神話博」開催中で出雲大社はその主会場。ずいぶんな人だかりだったので、諦めてしまいました。
今回写真はアップできないので、また次回にアップします。