遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

平成27年度権利擁護講演会

2015-09-27 20:24:45 | 日記
お恥ずかしながら・・・・・CMです(^_^;)
10月1日午後2:00~3:30、大和高田市さざんかホール3階小ホールにて、
事務所の所在地である大和高田市地域包括支援センター主催で

あなたの財産を守るために・・・~悪徳商法や経済的虐待について~

というテーマで講演会が開催され、そこに講師として呼ばれることになりました。

これまでも講師として呼ばれることは何度かありましたが、これまではブログにアップしたりはしていませんでした。
というか、講演をつつがなく終えることばかり考えて、こういう風に宣伝することが発想になかったのですね。

こうやって改めて宣伝するとなんだか恥ずかしいですが、来場者の方に損だけはさせないようにというのが私の講演に関するモットーです(^_^)

このブログをご覧になる方が、大和高田市近辺に住んでいらっしゃるかどうか分かりませんが、もし、機会がございましたらお立ち寄り下さい。

艸墓古墳(くさはかこふん)

2015-09-26 16:35:27 | 日記
ネットでよく見る古墳です。
この「艸」という文字がインパクト強くて印象に残りますね。

なんかこんな感じ (^艸^) で絵文字で使われていますね。

以前ご紹介しましたが、「コロコロ山古墳」も比較的近くにあるのです。
同じ桜井市のホケノ山もそうですが、変わった名前の古墳は割と多いですね。

しかし、この古墳はこんなつまらない前置きとは無関係に大変大変立派な古墳です。

艸墓古墳は、安倍文殊院の北側に位置する住宅地内にひっそりとたたずんでおります。

こうやって見ますと円墳のようですが、実際は平面図形としては長方形の方墳です。
長辺が約27メートル、短辺が約21メートルです。

横穴式石室が南東方面に開口しています。それでは中に入ってみましょう。

羨道部の側壁が入り口側で二段、玄門側で一段になっているのが分かります。

正面に大きな家形石棺が見えますが、どうも羨道部と同じかそれ以上のサイズです。羨道部を通して玄室に安置するのは難しそうですね。実際かなり大きく、石棺の高さは私の身長(179センチメートル)と同じくらいかそれ以上です。
解説によると、石棺を安置した後、石室を構築して墳丘を築いたと考えられています。

石棺の両脇です。



結構玄室ぎりぎりのサイズとなっています。


天井石です。


石棺の屋根です。誠に美しい稜線です。
わずかしか見えませんが、奥壁は一枚岩です。しかも、奥壁と天井石ははめ込み式になっていますね!


縄掛突起も美しい・・・・


奥壁側には盗掘抗が・・・罰当たりなことです(-_-)

しかし、おかげで(?)石棺内部を覗けます。

床に小礫が敷き詰められていますね。
例によって石棺内部も家形に整形されていて、実に見事です。

奥壁側から縄掛突起を改めて確認。

美しい・・・

うーんやっぱり美しい・・・

石室は、全長13.16メートル、玄室幅2.71メートル、玄室長4.44メートル、玄室高2.0メートル、羨道長8.72メートル、玄門部付近幅1.9メートル、同高さ1.5メートルの堂々としたサイズです。
側壁、天井石の隙間には漆喰を充填しています。
盗掘のため、遺物は発見されていないようです。
残念ですな~
築造時期は、7世紀中頃とのこと。
いずれにせよ終末期古墳の大変きれいな例ですね。

艸墓古墳は、自動車で来ても安倍文殊院の駐車場に駐めれば、安倍文殊院古墳や谷首古墳とセットで見れてとっても便利です。

運慶寺裏古墳と石棺仏

2015-09-23 18:39:26 | 日記
今回は茅原狐塚や茅原大墓より北に戻りまして、運慶寺古墳をご紹介します。
運慶寺古墳は、ホケノ山古墳の東100メートルくらいのところにある運慶寺の境内にあります。

正面の門から入って左を見ますといきなり石棺が・・・

どうも石棺の身を利用した弥勒菩薩像のようです。

近くで見て気付いたのですが、全体にうっすらと薄赤くなっていました。
ひょっとして阿蘇凝灰岩? ピンク石?

こんなところにも九州とのつながりがあるのでしょうか・・・・

目当ての古墳はお寺の建物の裏庭(?)にありました。
お寺の方に一言断って見学させて頂きました。親切な方で良かった(^_^)

看板古っ!?
読めない(^^;)

入り口はこんな感じ。

内部に侵入します。

さらに

左見て

右見て

天井

まぐさ石

スキマだらけ!!
バランスがやばい状況になっている・・・
今この一瞬ですら気が抜けない感じ・・・
左袖

右袖

上の写真でも分かりますが、羨道部が破壊されていていきなり玄室から始まっています。
石棺の横にあった解説によりますと、全長約3メートル、幅約1.8メートル、高さ約2メートルとのこと。全長に関しては多分残存部分のみと思います。

もともとこのあたりには6基前後の古墳があったとのこと。現在はほとんど消失しているのでしょう。
石棺の近くにあったこの高まりも古墳だったのでしょうか?

近くに寄ってみましたが、古墳だったのかよくわかりませんでした。

他の方のブログを見ますとどうも古墳だったようです。
もう少し確認してみれば良かった・・・

茅原狐塚古墳

2015-09-21 21:22:10 | 日記
茅原狐塚古墳は、前回ご紹介した弁天社古墳から真西に位置しています。
JR桜井線沿いの田んぼの中の柿畑の中にぽつんと存在します。

古墳の解説はおろか古墳名を示した看板すら存在せず、立派な古墳の割には放置され感が著しい古墳です。

見てのとおり巨大な石室です。

羨道部は側壁の上部と天井石がなくなっています。

入り口付近には多分人物埴輪を意識したような植木鉢(?)が置かれています。

それでは、中を見てみましょう。
しかし、羨道部の地面が水たまりになっており、中に入れません。
石室内も泥でぬかるんでいる様子です。

奥壁にくっついたように石棺の床(?)が見えますが、実測図がネット状にありましたので、これを確認したところ、石棺の身とふたの破片ですね。確かによく見ると、家形石棺の屋根らしいものが見えますね。
さらに、石室の中央にも破片があり、入り口付近にもあるようですが見えません。

手前に見える巨石は右袖の石です。


少し右を見ると左にも袖石があります。

奥壁の上から中をのぞいて見ました。


解説板が存在しないので、全てウィキ情報ですが、奈良県内屈指の巨大石室で、全長約17メートル、玄室長約6メートル、玄室幅約2.6メートル、高さ約3.2メートル、羨道部長約11.3メートル、幅約2.1メートルです。
須恵器や直刀が出土した模様。
築造時期は7世紀初頭らしいです。

ご覧のとおり封土が失われて石室がむき出しになっています。

ここは、私有地でこの古墳も文化財として指定を受けていないようですね。玄室の入り口は有刺鉄線で立ち入り禁止になっていました。
ウィキによると、農機具置き場として使用されていたようです。
たしかに、倉庫として使ってもいいのかもしれませんが・・・・
立派な古墳ですから、何とかして保存できないものですかね。