
一昨日、以前から行きたいと思っていた鎌倉へ主人と行ってきました
鎌倉といっても名所旧跡を訪ねるのではなく、古道を歩くために出かけました。一年ほど前から書いている長編児童小説に鎌倉への道を歩くシーンがあって、想像だけでは書けないので実際に行って歩いてみたいと思っていたのです。
わたしはものすごく方向音痴なので、主人につきあってもらいました。主人はウオーキングナビを持って行ったのですが、肝心なときに作動しなくて活躍の場なしでした。携帯のナビ機能はあるのですが、2人とも使い方がわかりません……。
土浦駅を朝8時43分に出発して鎌倉に着いたのは11時半でした。やはり連休中とあって、ものすごい人でした。バスに乗ると、バスの横を人がぞろぞろ歩いているのが見えます。道路も混んでおり、バスの早さは歩く人並みです。車窓から見えるツツジが満開できれいでした。
十二所入口でバスを降り、朝比奈切通しに入りました。駅付近ではあれだけの人がいたのに、人影もまばらになってきました。

最初は緩やかな上り坂で、楽勝! と思って歩いていましたが、だんだん坂がきつくなって息があがってきます。

地下水が地面の浅いところを流れているそうで、地下水がしみだして道はぬかるんでいました。
すべらないように気を使いながら歩くのはけっこう疲れます。展望台があるという十二所果樹園に行くつもりでしたが、回り道をしたら歩けなくなるかもしれないと思い、道なりに進みました。
新緑がまぶしいぐらいでした。鶯の声のほかは自分の足音しか聞こえません。しばらくは誰とも出会わず、ここで日が暮れたら怖いなあと思いました。
朝比奈切通しは、伝説では和田義盛の三男で強力無双といわれた朝比奈三郎が一夜で切り開いたことになっています。でも、実際は、北条泰時が自ら陣頭指揮に当たり工事を行ったそうです。鎌倉幕府は、軍事的・経済的にこの道を重要視したそうです。よくその時代に作ったものだと感心します。


道の両側は岩壁になっていて、岩壁に開けられた四角い穴に「道造供養塔」と刻まれた石碑が納められていました。道の脇にも石碑が並び、この朝比奈切通を作るのに多くの犠牲者があったのだなあと思いました。

源頼朝に命ぜられた梶原景時が千葉上総介広常を討った際、刀を洗ったという川だそうです。

写真は岩壁に刻まれたレリーフのような磨崖仏。
800年ほど前にタイムスリップしたような気になっていると突然上の方から車の音が聞こえてきて現実に引き戻されました。見ると前方に高速道路が走っていました。
一時間半ぐらい歩いて、次は海を臨む景色を見るために衣笠山に行こうとしました。ところが、バスを乗り間違えて金沢八景まで行ってしまい、再び鎌倉に戻ってバスに乗ると、今度は降り間違えてしまいました。
4時半をまわってしまったので、あきらめて帰途につきました。やはり一日では無理があったようです。また、近いうちに行きたいなあと思っています。主人は「つまらなかった。もう行きたくない」ですって。でも、文句一つ言わずつきあってくれて感謝!
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鎌倉といっても名所旧跡を訪ねるのではなく、古道を歩くために出かけました。一年ほど前から書いている長編児童小説に鎌倉への道を歩くシーンがあって、想像だけでは書けないので実際に行って歩いてみたいと思っていたのです。
わたしはものすごく方向音痴なので、主人につきあってもらいました。主人はウオーキングナビを持って行ったのですが、肝心なときに作動しなくて活躍の場なしでした。携帯のナビ機能はあるのですが、2人とも使い方がわかりません……。
土浦駅を朝8時43分に出発して鎌倉に着いたのは11時半でした。やはり連休中とあって、ものすごい人でした。バスに乗ると、バスの横を人がぞろぞろ歩いているのが見えます。道路も混んでおり、バスの早さは歩く人並みです。車窓から見えるツツジが満開できれいでした。
十二所入口でバスを降り、朝比奈切通しに入りました。駅付近ではあれだけの人がいたのに、人影もまばらになってきました。

最初は緩やかな上り坂で、楽勝! と思って歩いていましたが、だんだん坂がきつくなって息があがってきます。

地下水が地面の浅いところを流れているそうで、地下水がしみだして道はぬかるんでいました。
すべらないように気を使いながら歩くのはけっこう疲れます。展望台があるという十二所果樹園に行くつもりでしたが、回り道をしたら歩けなくなるかもしれないと思い、道なりに進みました。
新緑がまぶしいぐらいでした。鶯の声のほかは自分の足音しか聞こえません。しばらくは誰とも出会わず、ここで日が暮れたら怖いなあと思いました。
朝比奈切通しは、伝説では和田義盛の三男で強力無双といわれた朝比奈三郎が一夜で切り開いたことになっています。でも、実際は、北条泰時が自ら陣頭指揮に当たり工事を行ったそうです。鎌倉幕府は、軍事的・経済的にこの道を重要視したそうです。よくその時代に作ったものだと感心します。


道の両側は岩壁になっていて、岩壁に開けられた四角い穴に「道造供養塔」と刻まれた石碑が納められていました。道の脇にも石碑が並び、この朝比奈切通を作るのに多くの犠牲者があったのだなあと思いました。

源頼朝に命ぜられた梶原景時が千葉上総介広常を討った際、刀を洗ったという川だそうです。

写真は岩壁に刻まれたレリーフのような磨崖仏。
800年ほど前にタイムスリップしたような気になっていると突然上の方から車の音が聞こえてきて現実に引き戻されました。見ると前方に高速道路が走っていました。
一時間半ぐらい歩いて、次は海を臨む景色を見るために衣笠山に行こうとしました。ところが、バスを乗り間違えて金沢八景まで行ってしまい、再び鎌倉に戻ってバスに乗ると、今度は降り間違えてしまいました。
4時半をまわってしまったので、あきらめて帰途につきました。やはり一日では無理があったようです。また、近いうちに行きたいなあと思っています。主人は「つまらなかった。もう行きたくない」ですって。でも、文句一つ言わずつきあってくれて感謝!

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朝比奈切通は、青天続きの後でないと、ぬかるみに難儀します。でも、お元気に歩けてよかったですね。
道がこんなにぬかるんでいるとは思いませんでした。すべりにくい靴を履いて行ったおかげで助かりました。
何より、山道を歩く元気が与えられたことを感謝しなくては……。