倖田來未は女性を敵に回してしまったのか、或いは世論の過剰反応なのか、彼女の「羊水が腐る」発言は、彼女の芸能活動の自粛という展開にまで発展し、波紋を広げている。
一連の騒動は、歌手の倖田來未さんがあるラジオ番組で、「35歳を過ぎると羊水が腐る」という発言をしたことに端を発する。これを受けて、ネット上では、品性が無い、高齢出産の女性に対して失礼、など非難の声が相次ぎ、この場面を放送したラジオ局にも抗議の声が相次いだという。
一方の倖田側は、自身のネットサイトに謝罪文を掲載、以後の芸能活動も自粛する方針を固めたが、非難の声は現在も収まりそうも無い。
ただ、今回の倖田発言に関しては、批判側も一枚岩ではなく、むしろ普段は意見対立する勢力がいわば呉越同舟状態で共存している状態だ。
例えば、倖田は今回の発言の数日前にも、別れた彼の名前をデスノートに書くなどと言って一部で批判を浴びた。批判の多くは男性のものと考えられるが、今回の発言で更に批判に拍車がかかった格好となった。また以前から倖田の言動を快く思っていない者が男女を問わずいて、彼らも今回の発言には不満を爆発させているようだ。
次に、高齢出産の人や妊娠中の人、不妊治療を行なっている人、そして高齢の未婚女性など、一部フェミニズムの勢力も批判勢力に加担しているようだ。
更に、歌手の浜崎あゆみさんのファンが倖田人気を下降させる目的で、高齢出産に関わる女性になりすましてネット投稿しているなどといった憶測も飛び交い、批判意見も実に複雑という状況だ。
ネット上では誰にでもなりすましが可能なので、以上の勢力が現実に混在しているのか断定は出来ないが、可能性としては十分あり得るだろう。
ところで、今回の倖田発言について、もう一度分析してみよう。発言は、倖田のマネージャーが結婚したという話題から始まり、子供の話に移った時、「やっぱ、35(歳)回るとお母さんの羊水が腐ってくるんですね。(マネジャーに)できれば35歳位までに子供を作って欲しいな」というものだ。
確かに、「羊水が腐ってくる」という表現には違和感があるし、医学的にも根拠性は乏しい。しかし、倖田の伝えたかった趣旨というのは、一般に高齢出産と言われる35歳過ぎの出産になるよりは、早めに元気な赤ちゃんを産んで良いお母さんになって欲しいという素朴な願いを込めたもので、決して悪意があったわけではないと考えられるのではないだろうか。
それなのに、批判的な世論の反応というのは、「羊水が腐る」という表現の違和感だけを捉えて叩きまくっている。この反応の仕方は、以前沢尻エリカが舞台挨拶の時に「別に」など不機嫌な態度を取った時の世論の反応と似ていると私は思う。あの時も沢尻に対する直接な批判に加え、現代女性の身勝手傾向に対する日頃の世間の鬱憤も同時にぶつけられている部分があるのではと私は分析した。今回の倖田に対する批判も同様で、同時に現代女性に対する警告でもあると考えられないだろうか。
しかし、今回の倖田発言が沢尻と違うところは、女性の出産に関することに言及している点だ。しかも「35歳位までに子供を作って欲しい」という部分は仕事中心のフェミニズムが引き起こした晩婚や高齢出産傾向に対して一石を投じたとも言える。従ってフェミニズム系世論の反応は「羊水が腐る」よりむしろ「35歳位までに子供を」という部分に対する反発が大きいと感じられる。ここに関しては、柳沢元厚労大臣の「産む機械」発言と通じるところがありそうだ。
だが、結婚適齢期があるように出産にも適齢期はある。個人差はあれど35歳以上の初産を高齢出産と区分している以上、その基準は決して無視できない。倖田発言の中でも「35歳位までに子供を」というのは至極真っ当な意見のはずだ。従ってここを批判するのは本質的におかしいと思う。従って「羊水が腐る」批判に便乗して「35歳位までの出産奨励」にまで批判を拡張するのは筋違いではないだろうか。つまり、今回の倖田発言は批判部分と評価部分が混在していると解釈すべきなのだ。
ところが、マスコミの報道などでも、「高齢出産が珍しくない時代に」などとあたかも高齢出産を肯定的に捉えた上で倖田発言を批判している実態がある。あまりにも「羊水が腐る」という言葉のインパクトが強過ぎるために影に隠れてしまうのだが、不適切な発言に関する批判はまさしく適切なものでなければならない。不適切な批判の仕方は不適切な発言と同じになってしまう。
このように、一つの批判ネタに便乗して、あれもこれもどさくさに紛れて一緒に批判してしまうというのはフェミニズムのような姑息な連中が良く使う手だ。連中の便乗批判には決して乗せられてはいけない。しかも、フェミニズムが引き起こした高齢出産の蔓延がなければ、そもそも倖田もあんな発言はしなかっただろう。倖田発言を誘発したのも本を正せばフェミニズムと言えるのだ。
この程度の発言まで目くじら立てるとは日本のマスコミが如何に暇で
本来最も必要な取材活動をしていないって事の証ですね。
警察の裏金の追及は?国・都道府県・市町村の裏金はまだまだありますが
何故追及しない?
社会保険庁のデータ損失は通常普通の国では絶対に有り得ない事なのに
マスコミは真の原因の追究を故意にしていない。
データぶっ飛びなど子供ですら言わない嘘なのに・・・
今回の発言も女性は産む機械発言程度でお祭り騒ぎして何なるのか?
まぁ~日本のマスコミの質を露呈しただけですね。
この女性歌手の件は、あまりにも騒ぎすぎだと感じます。
一度失敗した人が、反省すれば立ち直る社会であるべきだと思います。
男女共同参画社会に関しては、社会のあらゆる分野に影響を及ぼしていると感じております。その弊害を少しでも皆さんにお伝えできればと思っています。今後とも宜しくお願いします。
バルログ様、いつもありがとうございます。
ついて謝罪会見になりましたね。
フェミの権力を見せ付けられたというところでしょうか。
赤ちゃんを産んでもらいたいという意味の
発言をしたのになんで、批判されてるのかが
わかりません。
幸田さんがマネージャーにエールを送ったことで誰が傷ついたのか全然わからない。
仮に傷ついた人がいるなら、自分の名前を明かして、公の場で「私が傷つきました」と正々堂々と発言してほしいと思います。そして、
幸田さんを訴えて慰謝料を請求するなり
裁判で争ってほしいと思います。そうすれば、幸田さんか、その人どちらが正しいか法の判断がくだると思います。
でも、そんなことしなくても答えは出ています。
傷ついたと言ってる人は、ただ幸田さんを
批判することが目的で、自分が無責任かつ
間違ったことをいってることがわかっている
から、そうした法的手段をとれば負けること
がわかっているから、表にはでてこないのです。
18年間生きてきて、いろんな人と
出会ったけど、僕はそのたびに、
人を傷つけてきたような気がします。
そういう人たちに送った曲です」
尾崎豊はライブでこう言って、
「傷つけた人々へ」という歌を歌いました。
言葉であったり、行動であったりで、
態度であったりで、知らず知らずのうちに
人を傷つけてしまうことは、誰にでもある
ことと思います。
人を傷つけたどうのこうのっていうのは、
自分自身が反省するべきことで、
幸田さんのことを他人である私たちが
言うべきではないと思います。
幸田さんの発言が誰かを傷つけたと
批判している人、その人自身は今まで
生きてきて誰も傷つけたことはないと
断言できるのでしょうか。
”誰もが人を傷つけることはある。”
それがわかっていれば、幸田さんひとりを
ここぞとばかりに、祭り上げにし、
批判することはなかったのではないだろうか。
人を傷つけてはいけないということは、
言わなくても幸田さんはわかってることだ
と思います。
暖かく見守ってあげてるだけ、それだけで
充分だと思う。
野島伸司原作の”愛という名のもとに”
というドラマで主役の一人がこう言っていま。
「他人傷つけたり、人を蹴落としたりする
ことでしか自分の存在見つけられない。
そんな世の中で信じられるのって仲間とか
そういうものしかないんじゃないのか。」
幸田さんを批判している人たちは、自分自身が
”他人傷つけたり、人を蹴落としたりする
ことでか自分の存在見つけられない。”
そういう人間に自分がなっていないか、
見つめなおしてほしいと思います。
私もですが・・・。
まさにそうなんですよね。
「マネジャー夫妻に対する善意で言ったこと」と本人が釈明したように、言葉に適切でない部分があったにせよここまでたたく必要はないはずです。
マスコミの報道などでも高齢出産を肯定的にとらえて彼女を批判する論調があるようですが、医学的にも「35歳以上での初産は高齢出産」として区分しているなら、逆説的に考えて妊娠・出産という女性の体に負担の大きい行為は、35歳を過ぎるまでに経験していたほうが、「母胎を健康を損なわずに出産をする」という意味においても良いというわけで、このことを承知しているからこそフェミニズム推進派(あるいは容認派)は悪い言葉で言えば、彼女をスケープゴートにして執拗にたたくことで、自分たちに有利な空気を作っている訳ですね。