あまりにも事件が多すぎて情報が混乱してしまうここ数日だが、こうした悲惨な社会にしてしまった真犯人は何食わぬ顔をして、犯人を糾弾するだけの論調で高見の見物をしていると言えるのではないだろうか。
茨城県土浦市の8人殺傷事件、JR岡山駅でのホーム突き落とし事件、東京都文京区の製本工場兼経営者宅での家族6人殺傷事件、何れも昨今の社会の歪みが人を凶行に走らせたと言えるのではないだろうか。
しかし、これらの事件についてマスコミやネット世論などは決まって犯人の猟奇性だけを強調し断罪する論調が大半を占めている。
それでも、まだマスコミの中には事件の背景に言及する報道もある。土浦殺傷事件では男の家庭の問題やゲームやアニメの影響を指摘したり、ホーム突き落とし事件では少年が阪神大震災に被災し、その後の転居先でいじめにあっていたことに言及したり、そして文京区家族殺傷事件では父親が製本工場の経営が苦しくなることや、付近に近年マンションが建設されその住民からの騒音苦情が増えていることなどについて悩んでいたことなど、が報道されている。
だが、そうした背景があろうと罪を犯して良いわけではなく、犯人に対する非難の論調で締めくくるという報道パターンが多い。特に文京区家族殺傷事件に関して報道ステーションでは、如何なる事情があれど子供を巻き添えにする親のエゴであると結論付けていた。
しかし、私はこの結論付けには非常に違和感を感じる。例えば母親が幼児虐待死させる事件などは親のエゴにはならないのか。育児ストレスや託児所の整備など社会での育児環境の問題ばかりに終始しているではないか。過去には母親が生後五ヶ月の男児の睾丸の一部を切除してしまうという事件が発生した。この事件の母親は男性不信に陥っていたようだが、この事件報道の時には、母親も被害者と言えるのではないだろうか、と全面的に母親を擁護する報道だった。
・男性人権擁護団体「落武者」 男児の睾丸をカミソリで切り取った鬼畜母!
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5799/kitiku01.htm
男なら断罪し、女なら擁護する、テレ朝らしい報道だと言えばそれまでだが、そうした偏向報道にどこまで国民が気付いているだろうか、心配である。
一方、ネット世論では犯人断罪の論調が最近特に著しくなっているように思う。
「社会や親のせい、環境が悪い、といった理由で加害者もある意味被害者のような言い方は違うと思う」、「加害者にどんな苦しい事情があろうが、他人の命を奪う奴は許せない」、「加害者は自己愛が強く自己中で性格が悪い奴」、「死を以って償うしかない」、(以上、土浦殺傷事件)
「犯罪を犯した時点で凶悪、親の育て方にも問題あり」、「少年でも厳罰にすべき」、「他人の人生を奪っておいて、更正して人生楽しもうなど虫が良すぎる」、「殺人者は人間としての理性を失ったのだから人間ではなく、従って人権など保障する必要はない」、(以上、ホーム突き落とし事件)
「真面目さゆえの犯行だったかもしれないが、本来守らなければならない家族を最悪の状態で崩壊させてしまった」、「子供を殺す権利は無い、死ぬなら一人で」、「心中なんていうな、立派な殺人だ」(以上、文京区家族殺傷事件)
もっとも、文京区家族殺傷事件に関しては、子を持つ親として複雑な心境を綴っていたコメントや、「悪党がのうのうと安泰な生活を送ってる一方で、こういう真面目な生活を送ってた人が悲惨な結末を迎えてしまう今の日本は狂っている」といった政治への不満、更には「後から出来たマンションの入居者に、うるさいだのと言われる理由はない」など事件の背景の複雑さを物語るコメントも見受けられた。
事件の犯人に全ての責任を転嫁するのは権力者側を益々有利にしてしまう。法律というのはそもそも権力者が決めるもの。自分達が不利になる法律など作らない。庶民に不利な法律を作って、それに耐え切れなくなった者を次々と法の網にかけて処罰する。それは北朝鮮などの独裁国家と何ら変わりはない。
勿論、殺人などの犯罪を正当化することは出来ない。しかしそこへ追い詰められるまでの過程には、増税や物価高、非正規雇用の増加などといった庶民の生活を脅かす理不尽な制度が国民を苦しめているのだ。
しかし一方で、託児所の増設など別に経済的に困窮していない家庭の母親の就労支援や離婚女性の就労支援だけは一生懸命税金を投入する。更には子供に対する手当ても拡充する。一見すると生活支援が沢山あるように感じられるが、それ以上に税負担の方が大きいのは明らかだ。
こうした、増税による官僚や議員達の利権拡大とフェミニズムによる女性優先政策が相乗りで国民を苦しめている。まだネットを覗く余裕のある我々はそれだけでもましなのかも知れない。しかし危機はいつやってくるかわからない。今のうちに何を主張していくべきか真剣にそして慎重に考えなければならない。少なくとも犯人を断罪してストレス解消をしているだけのゴミ論客はネットから追放すべきだ。
(追記)
これらの事件が次々と起きているのをよそに、フェミニズムは着々と政策を進めている。札幌のある市立中学で、女子の制服をズボンに変更するという。防寒対策というのが理由ではあるが、生徒や父兄の側からスボンを求める要望があったわけでもなし、むしろ女子生徒の間からは、「寒くてもスカートをはきたい」という声があるにもかかわらず、今回の制服変更を強行するようだ。
・札幌の市立中、女子も1年中ズボン…ナマ足は寒い、「はにわルック」は消滅?
3月30日8時1分配信 スポーツ報知
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080330-00000050-sph-soci
これまでにも女子制服でズボンを採用してきた学校はあるようだが、スボンに統一というのは明らかにフェミニズムのスカート撲滅目的を匂わせる。しかも学校側から具体的な健康被害についての説明はなく、効果も怪しい。
しかしこのニュースを受けて、ネット上では早くもフェミ連中と思われる投稿が相次いでいる。寒い格好では不妊になり易いとか、氷点下10度の寒さを体験したことがあるのかとか、あくまで防寒対策を強調しようと必死だ。では今まで北海道で育った女性は多くの人が不妊になっていたのだろうか。いかにも強引な理由付けとしか思えない。
また、痴漢対策にもなるとか、自分はスカートが嫌いだとか、体操着がブルマだった頃も嫌だったとか、そもそも制服をスカートにしているのがおかしいなど、防寒対策とは無関係の投稿も目立つ。
特に、この件の特徴としては、スボンとスカートどちらも選べるようにすれば良いのではという意見も封殺しようとしているところに、フェミニズムのスカート撲滅の意識がうかがえる。選択肢は多いほうがいいというフェミの口癖は一体どこへ行ってしまったのか。
更に、フェミニズムの関与を指摘するような投稿に対しては必死に反論するところがかえって、スカート廃止のためのフェミニズムの圧力をより一層疑わせてしまっている。
こうした策略は、女性専用車両などと同様、既成事実を一つ作ってしまえばあとは右へならへでどんどん拡大していこうというものだ。そこに反論は一切許さない。何れはスカートを着用したら犯罪という時代も来るのかも知れない。