社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

発覚相次ぐ大聖堂落書き、処分に格差はないか --岐女短、京産大、高校野球部監督--

2008-06-29 21:35:49 | Weblog

 イタリア・フィレンツェの大聖堂壁への落書きが岐女短の学生以外でも行われていたことが相次いで発覚している。今年3月には、京都産業大の男子学生3人が、そして水戸市の私立常磐大高の硬式野球部監督が新婚旅行で同所を訪れた際にも落書きをしたとされている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080629-00000053-san-soci

伊の大聖堂落書き 高校野球部監督も? 茨城県高野連が調査(産経新聞) - goo ニュース

 野球部監督については高野連が調査中としているが、京産大の男子学生については本人も認めており、3人は2週間の停学処分を受けた。因みに問題の火付け役となった岐女短の女子学生は注意のみで特に処分は受けていない。

 しかし、大学によって処分の重さが違うのも腑に落ちない。特にフェミニズムの女性権力が横たわる昨今においては、敢えて男子を女子より重い処分にするように男女共同参画局などの政府系機関から指令が出ているのではないかと推測してしまう。

 更に、メディアの報道もさりげなく女子学生を擁護するような雰囲気がある。TBS系のブロードキャスターでは、この事件を「ワイドショー講座」で紹介していたが、最初に岐女短の女子学生による落書きを報道し、続いて京産大の男子学生も同様に落書きをしていたことが判明して停学処分になったことを報道した。見ていて何か両大学の学生が共に停学処分になったかのような錯覚を起こさせる報道に感じた。何も知らない人があの報道を見ればかなりの人が誤解したのではないだろうか。

 また、ネット上でも話題を京産大の男子学生に摩り替えようという作為が感じられる。ヤフーニュースのコメント一覧でもランキングにリストされているのは京産大のニュースのみで、岐女短に関連するニュースは既にランキング対象から外され、ニュース検索でもしない限り出てこない。

 そもそも、大聖堂壁への落書きは何も日本人のものだけではなく、他に外国人のものと思われるものもあるようだ。だが、最初にこの落書きの件を報告した人によると、岐女短のものが最も大きく目立っていたのだという。(*1)

・(*1)京産大生も大聖堂で落書き? 壁に日本人名が続々見つかる 2008/6/25
http://www.j-cast.com/2008/06/25022440.html

  発覚したのは、現地を訪れた日本人観光客が3月12日、同大学に写真付きのメールを送ったことからだった。大聖堂の壁には、各国の言葉で数多くの落書きがされているが、6人のは、特に目立っていたらしい。
(部分引用)

 一口に落書きとは言っても、その大きさや書いた場所など、状況によりその深刻性というのは違いがあるだろう。それなのに、問題の発端となった女子学生は何の処分も受けずに後から発覚する者達が重い処分になっていくのは不条理を感じる。特に女子学生の場合は今年短大の2年生、就職活動の年である。そうした重要な時だからこそけじめはきちんとつけた方が良いのではないかと思うのだが。

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落書きやネット犯行予告をする者の意識 --女子大生落書、ネット犯行予告書込--

2008-06-25 10:26:31 | 事件、事故

 岐阜市立女子短大生6人がフィレンツェの大聖堂壁に日付や自分の名前、短大名などを油性ペンで落書きしていたことが発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているというが。何かと甘やかされる若い女性の暴走といったところだろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci&kz=soci

 同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。更に同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。

 一応、形式上は解決したことにはなるが、大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられているというから、彼女らの罪は決して小さいものではない。

 しかも、国内での出来事ならまだしも、世界中の観光客が訪れる場所で個人が特定可能な情報を意図も簡単に書いてしまう神経は理解し難いものがある。もしこれが雨風などで間もなく自然に消えていくと想定して書いたとでもいうならともかく、油性ペンで日付や名前入りで書いたところを見るとこれは明らかに「記録」として半永久的に残そうと思って書いたということだろう。これでは日本人としてのマナーが問われ、場合によっては日本全体の国際的な評価が損なわれることにもなりかねない。

 一方、秋葉原通り魔事件後、インターネットの掲示板に何らかの犯罪の予告を書き込む事件が23日現在、全国で17件あり、17人が摘発・補導されていたことが24日、警察庁のまとめで分かった。

・秋葉原通り魔事件後、17人を摘発補導 7割は定職つかず 警察庁 06/24 20:13更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/155723/
・殺人予告急増、逮捕12人 秋葉原事件で負の連鎖 2008年6月25日 09時31分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008062590093138.html

 これら17人のうち7割は定職に就いていないという。このうち男子中学生1人と、16歳と17歳の少女2人を除いても、やはり定職に就いてない者の比率は高い。これも昨今の格差社会の影響だろうし、通り魔事件そのものが格差社会に端を発する事件と言ってもいい。

 ところで、これらの落書きやネット上の犯行予告に関して、彼らはどれだけ罪の意識を持っているかが気になるところだ。通り魔事件を実際に起こした容疑者は当然罪と認識した上での犯行だろうが、落書きやネット上の書込みだけなら別に構わないと思っている者が結構いるのではないかと推測する。

 しかし、それらが実際の犯罪誘発に加担してしまうこともある。先日も大阪駅で女性3人が切りつけられる秋葉原の模倣的な事件があった。この事件では38歳の無職の女が逮捕されている。

 たかが書込みくらいで、という安易な気持ちは少なくとも正さなければならない。だがそれ以上に社会そのものが余りにも混沌として説明のつかないくらいに混乱していることは確かだ。この程度ならやっても大丈夫、他に悪いことしてる奴は幾らでもいるといった発想をさせてしまう社会責任というものにも目を向けることは常に考えなくてはならない。

 一方で、フェミニズムのお得意である価値観の多様化、自由、権利などと言って道徳違反でも罪にさえ問われなければいいと正当化する者も後を絶たない。しかも連中は自分達が新しい道徳を作り上げているのだなどと言って過去の伝統的価値観を時代遅れの一言で切り捨て、常識そのものを覆してしまう。そんな社会では、善悪の区別をする物差しそのものが曖昧になってしまう。そんな社会が様々な混乱を引き起こしているのだろう。

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死刑賛美の世論が更なる犯罪の起爆剤となる(その2) --宮崎勤死刑執行、秋葉原通り魔--

2008-06-22 21:41:39 | 事件、事故

 もしもそんな世論が多数派であったとすれば、今後も事件が起き続ければいいと言っているのと同じだ。フェミニズムの悪政により女性から人の心は失われ、人間愛が世の中から消滅してしまえば、人は生きる意義を失ってしまう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080622-00000923-san-soci

 加えて、非正規雇用の増加など労働環境の悪化に加え、ガソリン価格の値上げに伴う物価高など国民生活に追い討ちをかけるような事態がますます深刻になれば、自暴自棄になる者は益々増加するだろう。結果として犯罪は増え、犠牲者も発生する。今や国民の誰もが犠牲者になる危険があるのだ。

 犯罪には、必ず人を犯罪者に駆り立てた社会責任というものが必ず存在する。誰しも犯罪者を目指して産まれてきた者などいないし、育てられた者もいない。人の成長過程において、そして成人以後の生活環境や体験過程において、人は様々な影響を受け、尋常ではない影響を受けた一部の者が道を踏み外してしまうのだ。つまり誰でも環境次第で悪人にも善人にもなり得るのだ。

 宮崎勤死刑執行の件では、評論家の間でも意見が分かれている。宮崎勤を描いた「M 世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端」の著書がある作家、吉岡忍さんは「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」、と短絡的な厳罰主義に警鐘を鳴らしている。(*1)

・(*1)宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま
6月17日15時48分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000100-san-soci
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080617003.html

 また、死刑判決後に宮崎と面会した長谷川博一・東海学院大教授も、「裁判は終わって確定しても、宮崎の犯行の動機や犯行当時の精神状態が分かっていない。事件が解明されたわけではなく、執行には違和感を覚える。裁判は量刑判断とともに、犯行への経緯を明らかにする場とすべきではないか。そうでなければ凶悪事件も減っていかないと思う。」と現状の司法制度に疑問を投げかけている。(*2)

・(*2)「事件未解明。死刑執行に違和感」
東海学院大人間関係学部、長谷川博一教授 宮崎勤事件 06/17 16:59更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153845/

 更に、宮崎からの手紙を掲載した雑誌「創(つくる)」編集長、篠田博之氏は、「罪と向き合っておらず、最後まで反省と贖罪(しょくざい)の意思表明はなかった。死刑の意味を十分に理解していなかった可能性がある。罪と向き合わせて反省させる必要があった。」と驚きを隠せない。(*3)

・(*3)「反省させる必要あった」創編集長、篠田博之氏 宮崎勤事件 06/17 17:20更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153868/

 これに対し、宮崎の公判を1審から最高裁判決まで傍聴し続け、著書「宮崎勤裁判」を出版した作家、佐木隆三氏は、宮崎が拘置所で哲学書などを読んでいたことや法廷での様子などから、精神疾患を装った「詐病」であると指摘する。(*4)

 だが佐木氏は、この事件を「幼い女の子を狙った卑劣で凶悪な性犯罪」と強調し、更に報道ステーションでのインタビューでも、子供の頃の宮崎の家庭環境について言及し、「宮崎の父親がPTAの役員をしていて、同じ役員の女性と浮気していると妻に疑われたために父親が母親に暴力をふるった」とDVの存在を指摘するなど、いかにもフェミニズムに直結しそうな要素を羅列した分析をしている点が気にかかる。

・(*4)「ようやくかという印象」作家、佐木隆三氏 宮崎勤事件 06/17 14:04更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153807/

 どんな社会環境でも必ず犯罪は発生する。従ってその刑罰に死刑が存在することに異論はない。しかし、刑罰を課すと同時に社会環境の改善にも目を向け、それらが将来国民の幸福に繋がるものでなければ意味がない。山口母子殺人事件の遺族本村洋さんは被告人の死刑判決を受け、自分が被告人の死も背負うことになると話していた。そして今後こうした悲惨な事件が起きないような社会の仕組みづくりをしていかなければ妻子も被告人も犬死にだと話していたはずだ。それだけ死刑という刑罰には重みがあるということだ。

 しかし、安易な厳罰世論がそれだけの重みを認識しているとは到底思えない。ただ自分の気に入らない者を手当たり次第に排除すればいいという安易な発想で主張するだけの死刑には私は断固反対する。何故なら、それは決して国民に幸福をもたらすことはないと思うからだ。


(お知らせ)
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死刑賛美の世論が更なる犯罪の起爆剤となる(その1) --宮崎勤死刑執行、秋葉原通り魔--

2008-06-20 20:00:45 | 事件、事故

 20年前の連続幼女殺害事件で死刑判決が確定していた宮崎勤死刑囚の死刑執行が17日に行われた。8日に起きた秋葉原の通り魔事件の直後というこのタイミングに見せしめ的な政治的思惑を指摘する声もあるようだが。

宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま(産経新聞) - goo ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080620-00000951-san-soci

 この死刑執行のニュースを受けて、ネット上でも様々な意見が飛び交っている。中でも、今まで生かしておくのが不思議なくらいだといった、死刑支持のみならずその執行時期が遅いことを指摘する声が多く、100名を超える死刑確定者のうち何故宮崎を選んだのか、或いは贖罪の気持ちを宮崎に認識させた上で執行すべきだといった様々な異論をかき消す勢力が強く横たわっているように感じる。

 今や世論は思考停止の状態に陥っているといってもいい。秋葉原の事件でもそうだが、裁判などする必要なく即刻死刑でいいといった単純意見に多くの支持が集まる有様だ。事件が起きる背景には必ず現状の社会の歪みというものが関係している。しかし少しでもそうした社会責任を指摘しようものなら、社会が悪いなどという奴は責任転嫁だといった、犯人個人だけの責任にして社会的な問題には一切言及させない圧力がネット上には蔓延している。

 これに対し、テレビや新聞などの表のマスコミは、犯罪行為は許されないとした上で、これらの不可解な事件が起きる社会背景にも言及すべきであるという意見も少なからずある。これまで、表のマスコミは信用出来ず、ネット上などの裏の世論の方が信用出来るケースが多かったのだが、最近ではネット上の工作員勢力が強くなり、ネット上からも社会正義が失われつつあり、むしろ表のマスコミ報道の方がまだまともであるといった逆転現象も起きている。

 だが、ネット上の世論というのは、騒音少数派(ノイジーマイノリティー)によるものがほとんどで、彼らの意見が世論の総意であると考えるのは明らかな錯覚である。彼らはネット上の至る所で同種の投稿を組織的に行うことにより、あたかもそれが標準的な世論であるかのように思わせる工作活動をしているに過ぎないのだ。これは例えば街宣車などを用いて駅前など人の集まる所で演説活動をしているのと同じであって、彼らの意見は決して多数派ではなく、むしろ少数派なのだ。そして少数派だからこそ工作活動が必要になるとも言えるだろう。

 これに対し、沈黙多数派(サイレントマジョリティー)という人達、実は彼らは比較的保守的で伝統的価値観を持っている人が多く、彼らこそ世論の総意に近いのだが、彼らはなかなか口を開くことがないので、彼らの意見は多数意見として扱われないことが多い。しかも彼らの多くは争いごとを嫌うので、自分と違う意見であっても表向きは同意してしまうこともある。これは対面式の世論調査などの場合など結果に大きく影響を及ぼす。従って世論の総意とはかけ離れた意見が世論の総意とされてしまうこともある。

 尚、表のマスコミに関してはそのほとんどが騒音少数派によるものと考えて差し支えない。特にフェミニズムの要素を含む報道は全て騒音少数派によるものだ。

 では、巷に飛び交う情報は全て信用出来ないのかというと決してそうではない。全て信用出来ないなら、このブログの論考も信用出来ないし、他の反フェミ系のサイトなども信用出来なくなってしまう。ならば何を信じれば良いのか。その見分け方は様々あろうが、一つには、その意見に私利私欲などが混入し、特定の層だけに有益となり、別の層に対しては有害となる主張になっていないかどうかを検証してみると良いだろう。

 こうした検証法に基づき、例えば今回の主題である宮崎事件や秋葉原事件でのネット世論を分析してみる。支配的な論調は、死刑当然、裁判不要、本人責任、社会責任なし、こんなところだろう。これらの意見に共通しているのは、何れも自分が被害者にも加害者にもなり得ないという前提で他人事のように考えていることだ。しかも社会責任もなしとなれば、社会はこのままで良いということになる。だがそれは明らかに矛盾していないだろうか。宮崎事件以来、年少の少女が狙われる事件は後を絶たずむしろ増加傾向にあるし、秋葉原事件のような通り魔も今回が初めてではなく、記憶に新しい土浦通り魔はじめ、豊田や舞鶴の女子高生殺害など類似の事件は幾らでも起きている。そんな状況にもかかわらず社会責任はないなどというのはまさに無責任、知らぬ振りもいいとこで、まるで小学校で喧嘩をした子について学級会を開き、みんなで悪い悪いと囃し立てているだけで何も考えてないのと同じようなものだ。
(続く)

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自然災害の中にも、人災的要素が含まれていないか --岩手・宮城内陸地震--

2008-06-16 11:43:19 | 事件、事故

 14日の発生した岩手・宮城内陸地震では住宅など建造物の全半壊は少なかった。これが人的被害を最小限に食い止めたことにもつながったと言えるようだ。

岩手・宮城内陸地震 住宅被害少ない理由は 弱かったキラーパルス 6/16 08:43更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/153407/

 しかし、土砂災害は深刻で、各所で大規模な地滑りが発生した。テレビのニュースなどで上空からの現場の様子を見て、山の大部分が崩壊していると感じた人は多かったのではないだろうか。まるで砂場で子供達が作った砂山を一気に破壊したような状況である。

 この土砂災害により北上川の支流に発生した11か所の土砂崩れダム(せき止め湖)が決壊する恐れがあり、下流で行われている安否不明者の捜索が中断するなど深刻な影響が出ているという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080616-00000005-yom-soci

 何故これだけの土砂災害が発生したのか。専門家によれば、火山灰が固まりきっていない特有の軟らかい地盤が、こうした大規模の土砂災害をもたらしたと分析している。人的被害に関しても、住宅が地震の揺れで倒壊したからではなく、大量の土砂によって住宅が押し流されて倒壊したために起きたものがほとんどだ。

 では、このような軟弱な地盤では地震などで土砂災害が起き易いということは予め判っていたのではないかということにもなる。そんな危険な場所に、住宅を建設することが元々間違いではなかったのか。幾ら自然災害とは言えど、危険と判っていて住宅の建設許可を出してしまったことは人災の要素が含まれると言えるのではないか。今後はそうしたことも教訓にする必要があるだろう。またそれは何も地震だけに限ったことではない。台風や大雨など、全ての気象現象に言えることだと思う。

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ネット依存の生活に潜む心の闇 --秋葉原通り魔事件、児童ポルノ法改正--

2008-06-12 16:21:59 | 結婚、恋愛

 秋葉原の通り魔事件の話題がまだ冷めない。加藤智大容疑者は一日に200回もネット掲示板に書き込んでいたと言う。そこから彼の心の闇を探ることは出来るだろうか。

・加藤容疑者「携帯依存」、孤立感深め1日200回書き込み 6月12日14時56分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080612-00000032-yom-soci

 加藤容疑者は掲示板に派遣労働の辛さの他に、自分が女性にもてないことに対する嘆きも訴えていた。今の自分ではとても彼女など出来っこない。そこには現代女性の理想の高さを彼は知っているからこそ自分はもてないという発想になったのだろう。実際、もし容疑者に彼女さえいれば彼はあんな凶行には及ばなかっただろうという意見はネット上でも散見される。

 そんな折、児童ポルノ禁止法の改正案が民主党でも検討されている。

・児童ポルノ禁止法:民主も改正案 与野党協議が焦点に
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080612k0000m010110000c.html

 民主党案では、児童ポルノを有償で入手したり、また無償でも反復して常習的に入手した場合を罪に問うということ、更に児童買春や販売目的所持など現行でも違法とされる項目も含めた全体的な罰則強化が与党案と違うところだ。

 例えば、今回焦点になっている単純所持に関しては、与党案では1年以下の懲役または100万円以下の罰金だが、民主党案では3年以下の懲役または300万円以下の罰金としている。

 こうなると、与党案も民主党案も似たり寄ったりという印象だ。与党案は逮捕権の乱用が懸念される点、一方民主党案は全体的に厳罰化するという点でどちらも納得出来ない。

 また、児童買春に関しては、何故売る側である女性に罪を問わないのかという疑問は以前から指摘されている。しかしそこには与野党共に触れていない。そこにフェミニズムの強権力の介入がうかがえる。

 もともと、金銭授受を伴う性行為は売春禁止法によって制限されていた。しかしいつの間にか買春という逆転言葉をフェミニズムが発明し、加害者を男性に摩り替えてしまった。フェミ陣営は売春禁止法をそのまま買春禁止法に転換することも模索しているという。

 そもそも、近年何故児童など少女に興味が向くようになったのか。そこについては以前の本論考でも何度も指摘しているが、フェミニズムの影響により女性から人の心が失われ、ひたすら贅沢と我侭だけを求めるようになってしまったからである。大人の女性を飛び越えて、少女に興味が向いてしまう男性の心理について大人の女性はよく考えるべきではないか。

 こうしたフェミニズムの悪影響で女性心理が蝕まれ、昨今の恋愛や結婚事情が男性にとってより困難になった実情は、児童ポルノだけでなく様々な形となって表れている。特に秋葉原の通り魔などもその一例と言ってもいいだろう。幾ら派遣労働が辛くとも、異性愛に恵まれていれば人はそう簡単に自暴自棄になったりはしない。

 刃物を使った連続殺人が起きれば銃刀法の改正の話になる。児童ポルノが広まれば規制する話になる。しかしどちらも対症療法に過ぎない。根本の問題は異性愛を育む社会が失われてきたからではないだろうか。フェミニズムが最も破壊したいのはそこなのだ。だからこそ異性愛を育む社会を熟成し、家庭中心の社会を築き上げることが、凶悪犯罪にせよ児童ポルノにせよ、最大の抑止力となるのではないだろうか。

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嫌気が差す世の中を形成した人達は誰か --秋葉原通り魔事件--

2008-06-09 12:10:06 | 事件、事故

 東京秋葉原の通り魔事件は日本列島に衝撃を与えた。捕まった加藤智大容疑者は、「世の中が嫌になった、人を殺しに来た、誰でも良かった」などと供述していると言う。この彼の供述を世間はどう捉えるだろうか。

 容疑者は派遣会社に勤務していたという。派遣労働の実態については何度となくマスコミでも問題視されてきたが、この容疑者も派遣労働に嫌気が差していたのだろうか。しかしそれだけが理由であのような凶行に走ってしまうだろうか。やはり容疑者の環境を取り巻く様々な社会要因が影響していたと考えるべきではないだろうか。

 こうした事件が起きる背景には、前々回の論考で指摘した男女共同参画政策が引き起こす社会病理に通じるところがあると思う。

・男女共同参画は女性を危険にしている --女性を狙う犯罪増加の背景--
http://blog.goo.ne.jp/grk39587/e/c6ccf7a589847389e74781236e7ca784

 もっとも、あの論考ではフェミニズムの女性優遇策により男性を挑発し、攻撃の矛先が女性に向けられるという趣旨なので、圧倒的に男性被害者が多かった今回の事件とは余り関係がないのではと思えるかも知れない。それにこの容疑者がそもそもフェミニズムを知っていたかという疑問もある。

 しかし、そもそもフェミニズムの全貌を知っている人がどのくらいいるだろうか。いたとしても全体のほんの一握りでしかないし、フェミ陣営も状況に応じて作戦を変えてくるのだから、全貌を知り尽くすのは不可能だろう。

 だが、女性の出産、育児休暇、更に保育施設の充実化など、女性労働の環境整備だけは行われるものの、男性労働者に対しては何の対策もないばかりか、女性の環境整備のしわ寄せが男性に回されるような状況などは、別にフェミニズムを知らなくても、実感として感じることは出来る。特に容疑者のような派遣労働者にとっては、負担はより大きくなるだろう。そうした状況に嫌気が差していたという推測は出来る。

 加えて、容疑者はネット掲示板にも犯行予告を書いていたとされている。つまり彼はネット掲示板の常連だったということだ。ネット上ではフェミニズムの話は結構頻繁に出て来るから、フェミ権力社会に関して薄々知っていた可能性もある。

 因みに、事件があった秋葉原を起点とするつくばエクスプレスには女性専用車両がある。これも容疑者の心に悪影響を及ぼしていたのだろうか。

 まだ詳しい捜査が進んでいないので明確なことは言えないが、「世の中が嫌になった」という容疑者の言葉を社会は、そして政治は重く受け止める必要があるのではないだろうか。たかが凶悪犯の言い分など無視すればいいなどという姿勢では、社会病理は広がるばかりだろう。

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フェミニズムこそ性犯罪誘発の真犯人ではないか --フィギュア指導員性的暴行--

2008-06-06 22:07:32 | 事件、事故

 フィギュアスケートの指導員が教え子に性的暴行を行ったとして逮捕された。指導員は容疑を認めているというが、事件の起きた状況を見るとどうも不審な点が拭い切れない。

 この事件は、指導員の自宅で教え子が宿泊している時に起きたという。当時家には指導員とその妻など家族と、たまたま教え子の妹と母親も宿泊していた。2人だけの密室ならともかく、他に家族がいる状況でこうした行動を普通考えるだろうか。

 フィギュアスケートといえば、世界一の実力と言われる浅田真央はじめ、安藤美姫、それに中野友加里など有名選手が名を連ねる女子競技の華である。また近年では男子も実力派の選手が台頭し、特に高橋大輔の実力は世界でも一、二を争うほどだ。そうした華やかな世界にも今回のような闇の部分があったとしたら、寂しい限りである。

 だがスケート界は、トリノ五輪終了後に幹部クラスの汚職などが発覚し、会長や女性強化部長など幹部を一新し、再出発をして間もない。もし今回の事件にもそうした政治的な関与があったとしたら、ますます国民の信頼は薄らいでしまうだろう。

 だが、こうした組織体質の低下というのは何もスケート界に限らず、全ての分野に及んでいるといえるだろう。政治、経済、社会全体のモラルが低下していることが今回はじめ様々な出来事の背景になっているのだろう。今回の事件も真相を究明し、その発生源について真剣に対策を練るべきである。

 しかし、こうした状況にも、相変わらずフェミニズム勢力は性犯罪厳罰化キャンペーンに必死である。連中にとっては事件の真相などどうでも良く、性的な要素が少しでも含まれているニュースには集中的に犯人非難と犯罪の重大性を強調し厳罰化を求める内容の意見を投稿する。

 特に、前回でも指摘したヤフーニュースのコメント欄はその表示仕様から順位操作が比較的容易に行えるので、上位はフェミニズムに迎合するような内容で占められる場合が多い。またそうしたニュースはヤフーのトップページに掲載される時間も長い。ヤフーとフェミニズムが連携しながら世論操作を狙っているようだ。

 もっとも、これはほとんど全てのマスコミに言えることだ。先日NHKのニュースでも性犯罪者への更正プログラムの特集が報道されていたが、そこでは「魂の殺人と言われる性犯罪」という言葉が使われていたように、フェミニズム主導の報道に間違いない。最近ネット上でも魂の殺人、精神的殺人、そして心の殺人などやたら殺人という言葉と性犯罪とを組み合わせるコメントが散見される。これは殺人という言葉を多用することにより性犯罪に対するより深刻な印象を世論に定着させ、厳罰化の追い風とし、更に性欲そのものに対する偏見を強化させ、男性の性欲制限をより厳しくして男性への苦痛を強化しようという狙いがフェミ陣営にあるからではないだろうか。

 何れにせよ、こうした政治的思惑だけが先行していたのでは、実際に被害に遭った人達が置いてきぼりにされていると思う。現在では被害者に対する心のケアも行われているそうだが、そこにもDV被害者同様フェミニストカウンセリングが入り込み、事実上はフェミニズム洗脳作戦と化している。これで本当に被害者は立ち直れるのか疑わしい。

 大切なのは、いかにして性犯罪が起きない社会を作るかということである。そのためには温かい健全な家庭を増やしていくより方法はないのではないだろうか。少なくとも、男性の性欲を制限するだけのフェミニズム政策では性犯罪は増えるばかりだ。確かにフェミニズムの蔓延が著しい欧米諸国では性犯罪の発生率が高いのも頷ける。日本はそうした社会を目指すつもりなのだろうか。

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男女共同参画は女性を危険にしている --女性を狙う犯罪増加の背景--

2008-06-03 21:54:08 | 事件、事故

 舞鶴市や豊田市の女子高生殺害など相次ぐ殺人事件等で、社会不安が増大しているところへ、ガソリンの値上げ、そしてそれに伴う物価高など、国民の暮らしは多方面から脅かされている。

 何れの女子高生殺害事件も現時点で新たな動きはない。今や女子生徒や児童は防犯ベルやGPS携帯など防犯グッズが手放せない状態だという。それが防犯業界の活況につながり、日本経済を支えるのに一役買っているとしたら、何とも皮肉な話ではないだろうか。しかも大事な娘を1人で登下校させられないとばかりに、毎日親が車で送迎するケースも増えるだろう。ガソリンの値段が幾ら高くても、娘の命の値段には変えられないというのが親心だから、それも消費拡大につながるというのか。

 ところで、統計上は凶悪犯罪は戦後から下降線を辿っていると言う。だから犯罪が増えたように見えるのはマスコミなどの報道の影響のためであって、実際は治安は悪くなってないという意見がある。しかしこれは嘘だと私は思う。たとえ数字的に減ったとしても、事件の種類が違う。過去の事件は強盗殺人や誘拐といった金目的の犯罪が多く、国家全体の経済事情が悪かったことを物語っている。

 これに対し、昨今の事件は女子高生など少女が狙われる事件が目立つ。殺人には至らなくとも、背後から切り付けられたり、或いは痴漢などの性的な事件も後を絶たない。少女が狙われる事例は近年明らかに増加傾向にあると言って差し支えないだろう。

 これら少女被害の増加傾向は、男女共同参画社会が積極的に進められるのに伴って比例的に増加していると言える。実際この男女共同参画社会基本法が成立したのが平成11年(1999年)、しかし実質的に動き出したのはその2年後の平成13年あたりからだ。この当時は小泉内閣が誕生した頃で、就任直後の大相撲夏場所の千秋楽では、脚を痛めながらも優勝決定戦で見事優勝を決めた横綱貴乃花の表彰式で「痛みに耐えて、良く頑張った、感動した、おめでとう」と見事な雄弁を披露したのを記憶している人は多いだろう。

 あの頃は、低迷する景気と失業率の増加など、国民の経済的な暮らしの不安を立て直すために小泉内閣に託した人も多かったはずだ。当時の最高内閣支持率は確か80%を超えたのではなかったか。彼は構造改革とそれに伴う国民の痛みを同時に訴えて未来の日本を創造する構想だった。

 同時に、男女共同参画関連も積極的に進められた。管理職や専門職、国会議員など高地位の女性比率を向上させるべくアファーマティブアクションが本格化したのもこの時期だ。特に公務員試験の面接試験での女性合格率が非常に高いことが後に指摘されるが、今でもその傾向は変わらないようだ。

 更に、京王線で初の女性専用車両が導入されたのもこの頃だ(*1)。当時の扇千景国土交通大臣が専用車両に試乗するシーンが報道され話題となったが、まだこの頃は女性専用車両の謀略に気付いていた人はほとんどいなかっただろう。

 当時の記憶が走馬灯のように甦ってくるようだが、ではその頃に、女子高生が殺害されたり、或いは江東区のOL殺害のような事件が多発していたという印象はあっただろうか。少なくともそんな印象はなかったはずだ。それがいつの間にか、事件が起きて当たり前のような怖い時代になってしまっている。

 このように、日々の変化では植物の伸び方と同じでなかなか判りにくいが、過去の5年前や10年前など比較的記憶に新しい過去と現在を比較することによって違いがわかることもある。こうしてみると、現代は改めて物騒な時代になったということになる。

 では女性被害と男女共同参画との因果関係は果たしてあるのか。私は声を大にしてあると主張したい。むしろ男女共同参画が原因の全てと言っても過言ではないと思う。

 その理屈はこうだ。男女共同参画の政策は全てフェミニズムに基づく女性優遇政策だ。女性の積極雇用、セクハラ、パワハラ、昇格昇給など労働環境の優先的措置、DV政策や年金分割などによる離婚推進など家庭崩壊の助長、性の自己決定権など女性の性的価値の過剰保護、それに伴う女性専用車両の導入拡大、性犯罪の厳罰化推進、そして学校教育におけるフェミニズム教育の影響など、徹底した女性優遇があらゆる分野で行なわれている。

 更に、民間企業でもこうした傾向を女性客の獲得を狙うためと称して数々の女性優遇を行い始めた。レディース割引などはその代表格、他にも男女各々のトイレが設置されていたものをわざわざ改装して、女子トイレのみとして男子トイレを廃止したりなど、社会の至る所で女性優遇化が起きている。

 しかも、これらはそのほとんどが男性に対しては不利益となる形で行なわれているところに着目したい。女性専用車両にしても車両の編成を増やしたり増発した路線は聞いたことがない。女性の積極雇用にしてもその分男性をリストラしているケースがほとんどだろう。更に性の自己決定権に関しては、性的接触は全て女性に優先権があるとするものだ。これは夫婦間だろうが恋人間だろうが女性にその気がなければ断固として性を拒否せよという意識を女性に植え付けている。

 つまり、ただ女性優遇をするだけでなく、意識的に男性に不都合を感じさせる形で行っているのだ。そこには、男性に対する不満意識をわざと煽ろうという策略が見え隠れする。

 そしてこうした男性の不満は、女性に対する敵対心となって表れる。その結果が今起きている女性が狙われる事件の多発につながっているということではないだろうか。他にも離婚の増加や、男女交際を阻害して交際が困難になったりなど、男女の溝はますます深まるばかりである。

 しかし、こうした悪循環がありながら、報道では全く触れようとしない。勿論当局やフェミ女性団体からの圧力もあるのだろうが、マスコミも反日的なところは一部便乗している感がある。

 また、ネット世論もフェミニズムに染まりつつある。最近特に醜いのはヤフーニュースのコメント欄で、性的な要素を少しでも含む事件では必ず性犯罪の厳罰化の話が出てくるし、中には古代に行なわれていた虐待刑や、痴漢など比較的軽微なものでも死刑が当然だなどという極論が横行し始めている。

 マスコミもネット世論も、事件などでは犯人の凶悪性などを前面に出し、厳罰化を世間に煽るような戦略になっている。これはフェミニズムがもたらす悪循環が国民に気付かれないようにするため、世論の非難の目を犯人の方に向かせてそれ以外のことは考えさせないようにしているのだと思う。最近では世論が厳罰化になってきているなどとよく言われるが、これも印象操作に過ぎず、実際の狙いは国民の思考停止による世論の単純化なのだ。

 実に悪知恵だけは天下一品のフェミニズムということだろうか。


(*1)
昭和40年代後半に、婦人専用車というものが一時期存在していたが、女性団体などの反対で廃止され、また設置趣旨も現在の女性専用車両とは意味が違うので、本論考では別物として扱った。

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