持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

ポイント⑦ 「生態系(自然)の劣化」

2010年02月24日 | 理念とビジョン
⑦生態系(自然)の劣化

生物ピラミッドの頂点にいる人間の生存は、全生態系に支えられています。
したがって動植物が姿を消していくことは私たち人間自身の生存が危機にあることを示しています。




 ●現代生活では忘れてしまいがちですが、私たち人間が生物であり
  その生存が植物を基礎とした全生態系に支えられている、
  という事実に今後とも変わりはありません。
  私たちが生態系の頂点にあるという立場を享受する一方で
  その立場に必然的に伴っているはずの責任を果たさなければ、
  結局自身の足元を突き崩す結果となってしまいます。



当会ビジョン試案のご紹介も中盤となりました。
前回から経済と環境のバランスについて論じた個所に入っていますが、今回はそのバランスが不可欠であることを論じた項目、

 ①生態系(自然)の劣化
 ②人間の生存条件の劣化
 ③企業の生産条件の劣化

の①をご紹介します。


私たちは現代社会において(とくに都市生活をしていると)忘れがちですが、次の事実は人類の存続する限り変わることのない普遍的な事実と言って間違いないでしょう。


たとえどんなに科学・技術が進歩しても、人間が生物であることに変わりはなく、太陽と植物を基礎にしたエネルギー・システムの中で生きていることにも変わりありません。
確かに人間は「生物ピラミッド」の頂点にいるともいえますが、決して忘れてはならないことは…人間はそうした食物連鎖に支えられているということです。(15頁)


一般に「生物ピラミッド」と聞いてすぐに連想される「弱肉強食」「優勝劣敗」というような言葉から、あたかもその頂点にいる高等な生物は下の層にいる存在たちの上にあぐらをかいて「支配」しているようにイメージされてしまいますが、考えてみればそれはあまりにも一面的な認識なのでした。

この生物ピラミッドの一見支配的な上下関係とは、他方で「上」から「下」へのほぼ一方的な依存関係でもあります。
それは「下」がなければ当然「上」は存在できず、逆に「下」の存在が「上」にほとんど依存することがないという事実から明らかです。
ですから、「弱肉強食」というような認識は、本当には勝ちも負けもないという意味で一面的と言わざるをえないわけです。
しかも「生態系を支える食物連鎖の出発点は植物」なのですから、頂点も含めた全生態系は植物がなければ存在しません。

私たちが今生きていることが生態系の実に多くの存在に支えられていること、日常単にそれを忘れたふりをして過ごしているにすぎないことに気づかされます。

ともかく、生態系の頂点に近い生物ほどより多くの他のものの存在に支えられていることは事実といって間違いないでしょう。
それは言い換えれば、高等な生物ほどその存在は依存的・脆弱ということになるのではないでしょうか。
たとえるなら、ピラミッドの土台や下の層が崩れると頂点も簡単に崩落してしまうのと同じです。

そして、このように生態系の外に立ってそれを客観的に認識しているつもりの私たち人間自身が、じつはまさにその「脆弱な頂点にある生物」にほかならない、ということがここでのポイントになると思われます。
詳しくは環境問題スペシャリスト・小澤徳太郎氏の次のブログ記事をぜひご参照ください。

●私の環境論5 動物的な次元から逃れられない人間


ところで、日常的に「環境」とほぼ同じように使われている「エコ」という言葉自体が、「生態学(エコロジー)」からきているのは皆さんご存じのとおりです。
これは一般に環境問題イコール生態系の危機として認識されていることを示していると思われます。

それでは具体的には生態系は一体どの程度危機にあるのでしょうか?
そう問われてみると意外にはっきりとしていないことに気付きます。
皆さんはいかがでしょうか。

このことについては冊子掲載の「図3・生態系の劣化」をご覧いただくとほとんど疑問の余地なくはっきりすると思われます。



●図3・生態系の劣化(作図は小澤徳太郎氏)



文字通り私たちの足元が崩れていくような恐ろしいデータの数々です。
しかもこれらは最新のデータではなく、いずれも15年前後前のものです。
現在までの間にこれらの生態系の劣化がさらに加速度的になっているのはおそらく確実です。
いったい現在ではどのような事態になっているのでしょうか?

(ビジョンを検討した特別委員会でこの図のデータの更新を検討したのですが、時間の関係もあって試案段階ということから今回は見送りました。
しかし、一方で調べるのが怖いというような半ばためらいの気持ちがはたらいたのも事実です。
お気持ちのある方はぜひご自身でお調べいただき、情報をご提供いただければ幸いです。)

その「生態系の劣化はさらに加速度的になっている」であろうということは、たとえば大井玄氏(元国立環境研究所所長・当会名誉顧問)による次の記事などによって確認できます。
少し長くなりますが引用させていただきます。


富の分極化に伴う環境破壊

 いうまでもなく現在の大気中二酸化炭素濃度は、産業革命以来、主として先進国の化石燃料消費がもたらしました。今でもアメリカは地球人口の5%以下であるにもかかわらず、二酸化炭素の4分の1を排出しています。一人当りの排出量では、途上国の10倍から30倍、EUや日本に比べても2倍近く大きい「浪費型環境破壊」です。…

 …その一方、貧困であるための環境破壊は、人口増加率の高い地域で深刻でした。

 1994年、50~100万人といわれる大殺戮が起こったルワンダは、1940年代にはアフリカのスイスと呼ばれたほど緑豊かで風光明媚な土地で、主産業は農牧でした。
さて、産児制限に反対するカトリック教会の影響もあり、人口増加率3%以上の年が続き、人口爆発が起こります。1956年、200万だった人口は1994年には800万に達したと伝えられ、農地面積も急激に増えます。1970年に53万ヘクタールだったのが1990年には84万ヘクタールに達し、文字通り山頂まで耕されます。

当然森林面積は減り、1965年に13,000平方キロメートルだったのが1993年には5,500平方キロと、わずか30年足らずで半分以下に減りました。
かつてこの森林にはゴリラやチンパンジーなどのヒトの親戚が沢山棲息していましたが、その絶滅さえ危惧されています。

 低所得地域の環境破壊は、森林減少、牧草地の砂漠化など土壌や水資源の悪化に現れています。これは人間の必死の生存努力、やむを得ないあがきの結果ともいえます。
しかしそれぞれの事例を調べると、草原の家畜収容能力を超える過放牧をしたりする場合も多いのです。…(中略)…彼らはわずかなお金を得るためによろこんで「環境」を破壊するでしょう。…

 …つまり新古典派理論は、強者にとって圧倒的に有利な経済理論であるように思います。そして地球規模で見ますと、グローバル経済競争の「勝者」はエネルギー消費を増やすことにより、「敗者」は生存のあがきによって、地球環境を劣化させているように見えます。

(『いのちをもてなす――環境と医療の現場から』大井玄、みすず書房、2005年、108頁。引用者による改行等あり)


紹介されているのは一部の国・地域とはいえ、人間のグローバルな経済の拡大競争とそれに伴う「富の分極化」が、「貧」と「富」のどちらの場合をとっても生態系に壊滅的な打撃をもたらしていることがわかる事例です。

野生の動植物が徐々に姿を消していくことは、同じ生物界の一員である人間にもその危機が忍び寄っていること」というのを、いまや実感せざるをえない時代になっています。

それでは私たちはいったいどうしたらよいのか、というのがこの新しい国づくりのビジョン試案の眼目ですが、その前に危機の認識の箇所のご紹介がもうすこし続きます。


(つづく)


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ところで今回ご紹介の個所を離れますが、このような生態系とそれに支えられた私たちの存在とは、生物40億年・地球46億年・宇宙137億年という気の遠くなるような時間にわたる営々たる進化の積み重ねが生み出したものにほかならないという、現代科学が明らかにした事実には真に驚くべきものがあります。

本ビジョンの最後のほうで示されているように、今後私たちがエコロジカルに持続可能な社会を本気で目指す心――言い換えれば積極的な環境倫理――を身につけるには、このような人間の根源的な生存条件への、深く正確な事実認識が不可欠となるとのことです。

このことについては、20世紀後半以降あきらかにされてきた現代科学的世界像に基づく「コスモロジー教育」を提唱している、先にご紹介した岡野守也氏のブログの記事をご参照ください。
そのポイントが、科学的にひじょうに納得のいきやすいかたちで説明されています。


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※ 当会の新しいパンフレットができました!(再掲)(下の画像をクリック・PDF679KB)
裏面はビジョンの各ポイントを絵入りで一枚にしたものです。上の連載の元になっているものであるため、そちらは後日公開いたします。表裏面合わせ、当会の理念とビジョンをダイジェスト的にご理解いただくべく、事務局一同で考えて作りました。
ご意見いただければ幸いです。


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3 コメント

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COP10で、現状の一端が明らかに (B/F)
2010-03-03 07:28:24
<しかもこれらは最新のデータではなく、いずれも15年前後前のものです。現在までの間にこれらの生態系の劣化がさらに加速度的になっているのはおそらく確実です。いったい現在ではどのような事態になっているのでしょうか?


 今回のブログの図3に関連して、上のような記述がありました。私も15年前よりも現在のほうが生態系は劣化しているだろうと思います。現在の状況がどうなっているかは、今年10月に名古屋で開催されるCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)でその一端が明らかになるでしょう。

 この件で一つ追加しておきたいことは、生態系は他の多くのもののように、一方的に劣化が進むというわけではなく、適切な人間活動が加わることによって、再生可能あるいは修復可能
、もっと言えば、劣化が転じてこれまでより豊かになるという可能性さえ秘めているということです。いずれにしても、現状を知ることが一番大切です。
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コメントありがとうございました ()
2010-03-04 02:21:57
B/F様
コメントありがとうございました。
(B/F様が先生とは意外でした。それにしても「B/F」とは? バックキャスト/フォアキャスト?)
さて、ご教示感謝申し上げます。
名古屋での会議の結果、注視したいと思います。そういう会議でのデータをフォローすれば生態系の危機のデータが更新できますね。
考えてみると単に「知る」ということにも、とくにこういう先行きの暗い(=気が進まない)ことがらについてはエネルギーがいるのだなと感じました。「環境の危機」とは事実として「我がこと」なのですから、実際にそのように感じて行動できるようになりたいものだと思いました。
ところで一方的に劣化しているわけではない、というのは盲点のご指摘でした。どうも自分自身が物事のネガティブな側面に注意がいきがちということもあるとは思いますが、一般にマスコミ等で流されている情報もそういうことになっていると思います。そう言われて考えてみれば、自然はまさに自然と回復するものですし、それに加えて人間が回復を促進できることも確かにその通りです。
それにしても「劣化が転じてより豊かに」というのはなんとも勇気の出る言葉です。たしかあらゆるピンチはチャンスでもあるのと言われますし、そもそもそういう事態として現状を捉えなければ、いたずらに絶望に陥ってしまいそうですね。
現状を知ることが最も大切とのこと、了解いたしました。
更新ままならず残念ですが、続けたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
返信する
人類が消えた世界 (B/F)
2010-03-04 15:08:10
2008年、早川書房から、アラン・ワイズマン著・鬼澤忍訳『人類が消えた世界』という本が出版されました。この本の「訳者あとがき」に
次のような記述があります。

・・・・・問題なのは、こうした環境の悪化は自然に起こっているわけではなく、人間活動の影響で引き起こされていると考えられることだ。地球温暖化の場合でいえば、主に産業活動を通じて排出される二酸化炭素が原因とされている。とはいえ、人間の影響がどの程度なのかを見積もることは容易ではないらしい。地球が今後どうなっていくのかも、はっきりとはわからない。私たちは、人間が地球に悪影響を及ぼしているのではないかと感じつつも、事態を正確に把握できずに漠然と不安に駆られているのだ。

 そこで、こんなふうに仮定してみてはどうだろう。現時点で、人間が地球上から忽然と姿を消したとしたら、世界はどう変わっていくだろうか、と。この問題を考えることによって、人間が地球に対してどれだけ負荷をかけているのか、地球は今後どんな運命をたどるのかについて、多くのヒントが得られるのではないだろうか。本書の著者であるアラン・ワイズマンは、そう語りかける。

 こうして彼は、世界各地を飛び回り、様々な分野の専門家に意見を聞きながら、人類が消えた世界はどうなるかを描いていく。・・・・・

 この本の口絵に次のようなものがあります。

■人類が消滅から数日後
 排水機能が麻痺し、ニューヨークの地下鉄は水没する。
■2~3年後
 下水管やガス管などが次々破裂し、亀裂が入った舗装道路から草木が芽をだす。
■5~20年後
 木造住宅、つづいてオフィスビルが崩れ始める。もし雷が落ちて溜まった枯れ葉や枯れ枝に引火すれば、街は瞬く間に炎に包まれる。
■200~300年後
 激しい寒暖の影響とさびでボルトが緩んだブルックリン橋のような吊り橋は完全に崩落する。
■500年後
 ニューヨークはオークやブナの森に覆われ、コヨーテ、ヘラジカ、ハヤブサといった野生動物たちが帰ってくる。
■1万5000年後
 ニューヨーク氷河に飲み込まれる。
■30億年後
 環境変化に適応した新たな生命体が誕生する。思いも寄らないような姿で・・・・・
■50億年後
 膨張した太陽に飲みもまれて地球は蒸発してなくなる。

200~300年後までは、これまでの体験から容易に実感として感じることができるでしょう。

現実に戻れば、「私の環境論」が想定しているのは2050年頃までです。この期間なら、現在生きている私たちが対応出来るはずだからです。
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