運営委員長の岡野です。以下、最近思っていることを率直に書きました(今回はそのほうが表現しやすかったので「である」調で)。ぜひ、コメントを。
最近、もともとの意味とは別の意味で、親鸞の出家の時のものといわれる和歌が心の中を去来している。
「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」
明日があると思う心はあさはかだ(あだ)、はかない(あだ)桜は夜の嵐が吹いて散ってしまうことがないとはいえないのに。
残念ながら日本人の多くが、これまでどおりの明日がある・あってほしい・あるはずだ、と思い込んでいるように見える。
しかし、地震の活発期に入った地震列島日本にはすでに事故を起こした福島原発を含め54基もの原発があり、いつもう一度、地震―津波―原発事故―放射能汚染が起こってもおかしくない、と思える。
そうなったら、東日本の被災地以外にいて「自分だけは」と思っていた多くの日本人にも、確実にこれまでどおりの明日はなくなるだろう。
そうした状況にもかかわらず、
今日の『朝日新聞』デジタル版によれば、野田政権は大飯原発の再稼動を進めようとしている。
もし実行したとすれば、それは信じがたい愚行であり、後の世代に大変な負の遺産を残すきわめて悪しきカルマになるだろう。
しかし、それに対して、『東京新聞』Web版 3月16日朝刊にあったように、幸い民主党内部でも強い反対があるようだ。
「関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に関し、民主党の原発事故収束対策プロジェクトチーム(原発PT)……原発PTは十五日の総会で、提言内容を大筋で了承した。「福島第一原発の事故原因の解明を待たずに再稼働すれば、同様の事故を繰り返すおそれがある」と指摘。政府が再稼働の前提にしている地元同意についても「地元」の範囲が不明確だとして、再稼働の判断は「時期尚早」と結論づけた。
ただ、この提言は党の正式な見解ではない。PTは政策調査会の傘下にある一組織にすぎないからだ。……
再稼働の是非を判断するのは首相と藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相の四人。経産省原子力安全・保安院と原子力安全委員会による安全評価(ストレステスト)の一次評価の審査書を踏まえ、政治判断する。
ただ、四人で決めるといっても、非公式な場でしかない。政府には「エネルギー・環境会議」などの会議体があるが、藤村氏は十五日の記者会見で「(再稼働の判断とは)目的が違う」と指摘。自ら公式な場がないことを認めているのだ。
このままでは政府・民主党の意見集約が途上のまま、首相らが政治判断に踏み切ることになる。法案と違って党の事前承認は必要ないが、原発PTメンバーは「首相らの判断は『原子力ムラ』の丸のみになりかねない」と懸念する。
四人の議論は議事録にも残らない。意思決定過程を検証することも、ほぼ不可能だ。」
こういう状況の中で、
3月22日の社説「原発の再稼働 安全の根拠はどこに」は、なかなかの正論だと思う。
「四月に迫った“原発ゼロ”を前に政府が再稼働を急いでいる。だが肝心の安全について科学的根拠は十分示されてはいない。国民には安全安心が優先だ。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の安全評価(ストレステスト)は、経済産業省原子力安全・保安院の審査を通過した。内閣府原子力安全委員会は週内にも、保安院の評価を検証する。再稼働への焦点は首相や関係閣僚による政治判断と地元自治体の同意である。
◆政治判断できるのか
政治判断とは、一体どういうことなのか。
再稼働の可否は当初、定期検査などで停止中の原発については、ストレステストの一次評価の結果を踏まえ、地元同意を得た上で、首相、官房長官、経済産業相、そして原発事故担当相の協議で最終的に判断するとされてきた。
ところが、評価作業が大詰めに来て、地元同意を求める前に四人の閣僚が一度判断を表明し、地元合意はその次、そして再び首相らが最終判断という手順に改めた。慎重というよりも、立地自治体が「国の判断だから」と同意しやすくするためなのか。
もしそうなら、たった四人の密室協議が地元の意向を決定付けてしまうことになる。「再稼働ありき」と見られても仕方ない。
確かな科学的根拠に基づくべき判断が、政治判断とは一体何なのか。それで国民が納得すると考えているなら間違いだ。
そもそも、ストレステスト自体に疑問はつきまとう。
一次評価では、地震や津波などの衝撃に原発がどれだけ耐えうるか、その余裕度を当の電力会社がコンピューターで解析し、その結果を保安院、原子力安全委、政府の順でチェックする。すべて福島第一原発事故で信頼性が地に落ちた機関である。事故の原因究明も収束もできていない段階で、その判断を信じろというのが無理だ。
四国電力は、伊方原発3号機の一次評価で、耐震性を想定の一・八六倍としたが、審査の結果一・五倍に修正した。それでも保安院は「妥当」と評価した。
落第なし。安全性にお墨付きを与えるだけのテストならテストの名に値しない。
原子力安全委の班目春樹委員長は「一次評価だけでは不十分。事故後の総合的な対策なども含めた二次評価が必要だ」と述べている。ところが、二次評価に応じた電力会社はいまだない。不信と不安の種は尽きない。
◆地元とはどの範囲か
次に“地元”とは、何だろう。
政府は事前合意の対象を、原則原発から半径十キロ内に絞るという。原子力安全委が原発防災指針で定める防災対策重点地域(EPZ)の中である。これに対して、近隣の滋賀県知事や大阪市長が反発を強めている。滋賀県は関西圏の水がめであり、県民のよりどころでもある琵琶湖の汚染を恐れている。大阪府の予測では、福井県内の原発事故による放射線の影響は、府内二十五市町村に及ぶ。
原子力安全委は、EPZに代えて半径三十キロ圏内を新たに緊急防護措置区域(UPZ)とし、圏内の自治体に防災指針の策定を求める方針だ。同じ政府の方針なのに、両者は明らかに矛盾する。
現状では四月中に国内五十四基の原発がすべて停止する。その前に再稼働への道筋を付けておきたい政府の焦りが見て取れる。
政府は原子力規制の役割を原発推進役の経産省の保安院から、環境省の原子力規制庁へと移す方針だ。発足が遅れる見込みとはいえ、そのすきを突くような保安院への駆け込み審査が、大飯から次へと続くのは逆に不信を広げはしまいか。
もし再稼働の可否を審査するのなら、国会の事故調査委員会の報告を待ち、新たに発足する規制機関が、調査結果と明白な科学的根拠に基づいて判断するのを待てばいい。その経過は国民と在野の研究者に公開もすべきである。
日本世論調査会の調査では、脱原発支持が八割に上っている。本紙と静岡大の調査では、政治判断で全面停止中の中部電力浜岡原発の地元、静岡県民の八割以上が、全面停止を支持した。
何より優先されるべきは国民の生命と安全だ。世論調査の結果は、多くの国民にも相応の覚悟と決意のあることを示している。
◆地域の亀裂は避けよ
この国は今、大きな転換点に立っている。風力や太陽光、地熱など、代替エネルギーの可能性と普及の方策を、国民にわかりやすく示しつつ、その不信と不安を解きほぐすこと。そして、原発推進か反対か、再稼働は是か非かで地域に亀裂を生むような、対立を避けることこそ、政治の仕事である。そこをどうか忘れないでほしい。」
しかし、新聞としてはそう書くしかないだろうし、私も強くそう願うが、率直に言えば、「世論調査の結果は、多くの国民にも相応の覚悟と決意のあることを示している」かどうか、深い危惧の念を抱いている。
今回、再稼動反対の8割の国民は、かつて1954年3月1日アメリカのビキニ水爆実験で被曝した第五福竜丸事件の後に盛り上がった原水爆禁止署名運動の3000万人以上、60年安保反対の560万人デモ以上の、4人の閣僚に密室の「政治的判断」ができなくさせるほどの効果・影響力のある行動を起こす必要があると思われるが、そこまでの「覚悟と決意」があるだろうか。
54基の原発を載せた地震列島に住む国民とその代表であることを真に自覚している政治家(何党であるかにかかわらず)には、もちろんそれだけの覚悟と決意と行動が必要であることは言うまでもない。
(これも言うまでもないが、私は傍観者的・評論家的に言っているわけではなく、これまでも微力ながらできることはしてきたし、これからもしていくつもりである。)
*以上の記事、拡散希望します。