WONDER IS ALL I NEED 

思いをカタチに。気づきを大切に。

   ~ 信じて進もう ~

心の底。

2010年01月31日 23時52分16秒 | WONDER

自身に向き合わなければ

何も生み出せない。







人が言うほど

僕はポジティブな人間ではない。



どちらかといえば

ネガティブな人間だろう。




ふさぎ込もうとしたら

どんどん奥深くまで

落ち込むことなんて簡単である。





でもふさぎこんでいたら

観たいものまで逃してしまい

得たい結果まで

手放してしまうから




そーゆーものは

心の底にしまっておくことにした。






最近、改めてその感情を

心の底から出してみた。



あらゆる行動に対して

不安や疑念、わだかまりや嫉妬心を

それは前面に出そうとする。






たぶん、出ている。







でもそーすることで

1つ、心の底にスペースが空いた。





しっかりと向き合うことで

自身に正直になれた。





いままでではできなかった決断を

自然とできるようになった。






心の底にある

その空間のおかげで

僕はまた1つ

前に進むことができた。








ありがたい。




















今日もどこかで…。

2010年01月29日 21時16分43秒 | WONDER


いまがあるから

何かが起きるんだ。





夢のような日々に

ふと、終わりを告げる。



告げられた訳じゃない。

自らがそう決断しただけのこと。





ただ、ふと思った。







「別に終わった訳じゃない」って。





必ず、何かが始まる。

あたかも終わったのが布石のように

「次」がやってくる。




それは予期せぬものなのか

当然、やってくるものなのか

それは定かではない。





必ず、やってくる。






こんなことを思う人がいるのかなぁ。



今日もどこかで…。


そんな風が吹く。













後悔する気がない。

2010年01月26日 00時24分19秒 | WONDER

実はいちばん

現実的な生き方をしている。

そんな気がする。








ここのところ

いろんなことが加速している。

いままではあり得ないことが

あたかも当然のことだったように

自然と起きている。




苦しかったことや

考えたくなかったことですら

わかるようになってきた。






行動していた意味を

自身に落とし込むことで

「わかる」ことが増えてきたのだろう。










よくいわれるのは

「わかるということはできるということ」

という格言がある。







僕はわからなくても

なぜか「できる」という

確信はある。







しかしその説明はできない。

というよりしない。








一生懸命伝えようとしたところで

「それは理由にならないよ」と

一蹴されてしまう。



そのパターンがあまりにも多い。






そこで僕は

1つの答えを出した。








できるのは

「後悔する気がない」からだ。








一方的な感覚で

そー思い込んでいるのか



どこか直感的に

そー感じているのか



細かく説明はしないが

言ってしまえば

そーゆーことになる。












自然と生きていれば

流れは生まれる。













向き合うこと。

2010年01月24日 22時42分49秒 | WONDER

何かを決めたら

また何かが動き出す。








目に見える結果よりも

目に見えないものに目を向けたい。







いつしかそー思うようになった。







しかしそーするだけじゃ

この世の中では何もすることはできない。








具体的な行動と

それに伴う結果があって

初めてわかる。






だからまずは

目に見えるものに向き合って

結果を出していきたい。








その積み重ねが

ゆくゆくの自身の

また「何か」につながる。









すべてはわかるようで

わからないものの中にある。















1つのこと。

2010年01月23日 00時41分04秒 | WONDER

誰かが言った。

「お前にできることはたいしたことじゃないんだよ」って。








1つ言えることがあるとすれば

「だから何なんだ?」と

僕は伝えたい。




何かを判断してもらうことは

僕に対しての価値につながることなので

その評価は受け止める必要がある。




そしてそれは

人によってニュアンスが違い

伝えたい真意が違い

僕の受け止め方も違う。





だからその「何か」を

しっかりと読み取らなければならない。













起きる出来事は

どんどん加速していく。









もう一度

自身の信念を見つめ直し







何のために生きるのか。








その問いの答えを

しっかりと導き出したい。

















そのための「いま」がある。














それだけのことだ。





























飽くなき向上心。

2010年01月18日 23時58分40秒 | わかったこと。

2010年になって

いろんなことが動き出す。





いままでわからなかったことが

わかるようになってきた。



正確には

「わからないけどできた」ことが

「そーなる理由を説明できるようになった」と

いったほうがい良いかもしれない。






やっとスタートライン。



そー言われれば

そーかもしれない。






人を突き動かす何か。

それが飽くなき向上心であると

僕はそのことに気づいた。





いままで理由なく

「行動する」という行為をしていた。




何かを「する」ということが

結果を生み出すためには必要だから

まぁとりあえずはやってみよう。





まぁそんな感じだった。

そこに目立った理由があるわけじゃなく

そこに裏づけされる「結果」を

追い求めていたわけでもない。






そー思っていた。







しかし結局のところ

僕は「自分を探したい」という

傍から見るとありえない

矛盾と疑問を解決するために

その行為をおこなっていたに過ぎない。




それだけのことだった。




僕なりの「飽くなき向上心」である。












あるようでない

「自分」というくくりの

目に見える存在。








何かに対する向上心が自然と人を突き動かすだけである。





だったらその「何か」を具体的にしたら

いままで以上の行動力を得ることができるだろう。

そしていままで以上の成果を手にすることができるだろう。






「相手のために」「誰かのために」という

思考の一部分をとっぱらったとき



僕は僕になり

僕の「何か」は

より明確になる。







そーゆーことなのだろう。










加速する方法。

2010年01月15日 18時30分55秒 | WONDER

1つの世界観を

創り上げることだと思うんだ。







空想といわれるモノは

それだけでは価値にならない。



しかしそれをカタチにしたら

とんでもない価値を生み出すことになる。



そー簡単にはいかないモノだから

人はその恐怖に飲まれて

打ち勝つ勇気を失っている。












この現実を

誰かが認めなければ

変化は起きない。








「何かを良くしたい」

「強くなりたい」

「夢を現実にしたい」











人の思いなんて

ほんのちっぽけなモノかもしれない。









けど思いが

その人を加速させる。









勢いを持って

前に突き進むんだ。












行けっ!!!














信念を見つける。

2010年01月14日 22時48分06秒 | WONDER

新たな挑戦をするためには

その恐怖に打ち勝たなければならない。






恐怖に打ち勝つためには

揺るがない何かが必要だと思う。







それが信念だと

僕は思う。








そして信念は

なかなか見つからない。




必ずあるものだから

なんとなくのくくりにしてしまい

見ようとしない。






見ようとしないと

それが習慣になって

見えなくなる。






なんとなくをなくすのではなく

見つけようとする週間をつけること。







そーすればある時

「あっ。これがそーなんだ」と

気づくものだと思う。

















頭のモヤモヤ。

2010年01月13日 16時58分17秒 | WONDER

心のどこかで

「こーありたい」と願う

自身に出会った。






ウソかホントか

見分けることなどできない。



その答えを知っているのは

自身だけである。




何かに向き合って進んでいるが

それが正しいかなんて

誰にもわからない。





わかるのは

すべてを終えた自身だけ。








こうモヤモヤしていることに気づくのも

結局のところは自身である。



まわりがいくら心配をしようと

僕が気づかなければ

何も感じることはない。

まぁ違和感くらいのものだろう。






いままで思っていた

「自身に向き合う」という感覚は

どこかしら「他者」との比較を前提において

それを自身の成長につなげていた。





それは僕のステップであり

それが僕のやり方だと思っていた。






どーしたものだろう。






いままでと違い

まわりから入ってくる情報が

僕に「自分を見ろ」といってきている。

まるで僕は自身を見ていなかったかのように

情報が飛び込んでくる。








なぜ人は

そこまで自分を貫くのか

僕にはわからない。






僕は自分を貫いていると思っていた。







しかしそれは

「対他者」の中の比較でしかなく

本来の自身の思いとは

かけ離れているのかもしれない。








そー感じたから

そーなのかもしれないが

実際はわからない。








ゆえに、モヤモヤがあるのだろう。


































































人の心ってのは

深いなぁ。