WONDER IS ALL I NEED 

思いをカタチに。気づきを大切に。

   ~ 信じて進もう ~

あけおめ。

2020年01月01日 01時18分23秒 | WONDER

どうでも良いと思っていたわけではないけど

いまは、必要ないかななんて

思っていたのだと思います。



いつからか

真面目なことしか考えないようになり

いつからか

どう見られるかを気にするようになり

いつからか

本音ってやつを忘れていました。





それで別に不自由をするわけではないのだけど

たぶん、自身のどこかに嘘をついているから

それを誰かに突っ込まれてしまうと

弱さを露呈する。





そんな循環が

あったような気がします。





この「気がする」って感覚が

けっこう大切で

そこを深堀することで

自身の世間との大きなズレを確認し

次にどうすれば良いかを

検討するきっかけをくれたりします。





たぶん、いま

そんなタイミングです。


















この先、どうするか

2017年08月11日 01時06分25秒 | 自伝

岐路。




前を向いているのだから、

悩むことも多くなる。

別にそこまで見なくて良いものまで

見えてくるから

前を向かなくなる人もいる。





このまま、前を向いていて良いのか?






ただ、今ある道を進めばよいのか?






どのステージに自分を置いて

どこを目指すのかを

改めて考えるフェーズにあると

いま、感じている。



いま手にしているモノも

大切にしているモノも

手放してしまっても良いかもしれない。



そう思ってしまうくらい

今回の「この先、どうするか」は

大きなモノな気がする。












大事なのは何か。













そこは慎重に判断すべきか

思いっきりいくか

いまのままいくか。







この先、どうするか。




本気で悩んでるや。w

またちょっと違うカタチへ

2017年06月27日 23時51分29秒 | WONDER


相変わらず

なんとなーーーく

綴るのは好き。




最近、やたらまじめに働いているもんだから

自身の想いってのを発信したり

ホントのところを表現しなかったり

したいことをしなかったりと

いろーーんなわだかまりの中にいて

それはそれでストレスがたまる。



当たり前かもしれないけど

そういう経験を通して

またちょっとだけ

大人になっていくのかなと。



そんなことを思う。







別にいまの自分も

当時の自分も

根本的な部分はそんなに変わっていない。

それが、自分の好きなところ。

ブレずに当たり前のように

ただひたすらに

描きたいと思う道を

歩んでいく。






でもなんとなく

「またちょっと違うカタチへ」と

想ったりもする。







そこが不思議だったりするね。




気づけば2016年末。

2016年12月27日 01時45分08秒 | WONDER

久しぶりに。

すごーーーーく、久しぶりに。

なんとなく、書きたくなったから、書く。

そんな感じです。












ありがたいことに

進化と深化の過程をたどる毎日で

どことなくだけど

自身の成長を感じられるようになったことが

とてもうれしい。

この頃。









それとは反対に

自身の未熟さだったり

予想と反することへの執着だったり

意図せぬことへの

妙なまとわりつきが

露呈する今日この頃である。






ただただ満足するだけの日々でないことが

至極「自分らしい」とは感じるが

いつもその先にある何かに対してだけは

目を光らせていたりもする。






「いま」という時間に

何の価値があるかなんていうのは

遠い昔の問いで





ただ起きていく事象に

当たり前のように

上積みで成果を求めていく。





それでこそ、自分。

そこだけが、自分。

それ以上が、自分。





いろーーーんな問いを持って

生き続けるのが

自分。














これからが

本当に勝負だ。













2015年。

2015年01月03日 23時33分01秒 | WONDER

信念とか目的とかって

いったいどこにあるのだろうか。





当たり前のことを当たり前に

常識的なことを常識的に。




その感覚を持ってして

その「当たり前」を突き詰め

その「常識的」を追求する。




たぶん、僕にできるのは

そーゆーことなんじゃないかと

最近、思うようになった。




特に変わったことをやることはできない。

特段、大きな目標を持っているわけでもない。

でも、どこか身体が感じているモノを

どうにかして体現したい。





ここ何年かを振り返ると

あまりにも適当に生きているような気がして

この現状を超えるような

「行動」と「結果」を起こすような

ことをしてみようかと思う。




だいたいこーゆー時に立てる目標が

僕にはあるので

たまにはここに書いておこう。




  ・小さな成功体験を作る
  ・それを継続する



たぶん、この2つが

人生をより良い方向に向けるために

必要なことだと思う。



それ以上に何かを望むのではなく

それ以下で甘んじるのではなく



「そこ」を追求する。



実に当たり前で、常識的だ。w








さぁ2015年。

走り出そう~。

やりたいこと。

2014年12月03日 00時56分36秒 | WONDER

すごくシンプルに考えれば

人は皆、やりたいことをやっている。








まわりくどいかもしれないけど

「あぁやだなぁ」と思っていることも

やらなければならないと思っているから

やっているのだろう。






やらなければならないと思うということは

どこかにある自身の「思い」ってやつが

自身をそうさせているのだろう。







思いってやつは

やりたいことから生れて

人を動かすだろう。








そーゆーもんだと思う。











ここのところ

仕事のこの先を考えるようになった。





どのような立ち位置で

どのような結果を得るために

何を用意して

何に力を入れて

生み出した価値ってやつを

誰に伝えて

誰に売って

どれくらいお金をもらい

どれくらい働くのか





1つ1つ、おぼろげながら

見えてきたこの先の道。








もう1つ先に進むために。







やりたいことを、そこに向けて

基準をちょっとだけ上げて

懐かしい自身を思い出してみたいなぁ。











その一歩はもう踏み出したから

次はカタチにするために

力強く進もうかな。



















さぁ、行こう!












良し悪し。

2014年10月11日 01時04分39秒 | WONDER

いま。





誰が何を言っても

この瞬間だけは

変えることができない。




ここから先に

僕は「変わる」という

決断を下すことは

できるだろう。




でも、いまこの瞬間を

どのように生きているかだけは

変えることができない。



















変えられるようで

変えられない。





変えられないようで

変えられる。




















そんな微妙なラインを

みんな生きている。




良いか悪かなんて

誰もわからない。







いま、自身がどう思うか。







そこだけに集約された何かがあって

そこから何かが変わっていく。





































世の中ってのはそんなもんだね。



出生の瞬間。

2014年06月25日 15時07分08秒 | 自伝

6月22日。

第2子の「想大」が生まれた。

午前2時45分。3150グラム。






予定日は7月5日だったが

6月21日の朝から

嫁は「お腹が張る」と言っていて

そろそろ出てくるのではないかという

淡い期待が家にあった。



夜の22時頃になり

「お腹が痛い」ということで

助産院に向かった。







準備もしていたし

そこから明け方くらいに

生まれるだろう。


まぁ軽く考えていた。





しかし到着すると

「これは陣痛ではない」という

助産師さんの判断があり

一度家に帰って

寝てから様子をうかがうことになった。




0時30分。

家に着いた僕ら家族は

寝室で寝る準備をして

寝ようと思った。




嫁にマッサージをしながら

息子を寝かしながら

僕も寝そうになりながら

時は過ぎて






「やっぱりお腹が痛い」と

嫁は1時30分くらいから言い出し

眠ることのできない自分に

苛立ちを覚えながら

葛藤していた。






2時10分。

「おしっこがしたい」と

告げる嫁。



だが立ち上がらず

苛立ちと蟠りをぶつけながら

トイレに行こうとするも





2時15分。

突然の破水。







「何か出た」という声と共に

お腹が痛いということで

助産院に電話をかけ

これから向かう旨を伝えた。






何とか準備をして

痛みの感覚に耐える嫁を抱え

玄関までたどり着き

ドアを開けると














そこは雨。















車がない。

車を取りにいかなければならない。









その間、目を離して良いものか

いろんなことが頭をかけ巡り

行動に出ることができなかった。








が、意を決して

「行こう」と言った瞬間








「もうダメ、ここで出る」と

僕に伝える嫁。

























そういうことか。

























1人目の時も

助産院で出産に立ち会ったが

自分で取り上げたことは全くない。

でもここで

あーだこーだという

時間はそもそもない。















覚悟を決めた。












なんとなくの感覚を頼りに

息子と嫁と赤ちゃんを取り出すことを決意。

その旨を助産師さんに伝え

家まで来てもらうことになった。














2時45分。

無事に出産成功。















2時55分。

助産師さん到着。














こんな奇跡が

実はすごく身近なところで

起きた。



















現実を生きること。


悪くない。
















迷い。

2014年06月12日 17時22分57秒 | WONDER

「これで良いんだ!」って

言えたら楽なのに。












何かを認めたら

何かを失い



行き先を決めたら

他には進めない。








そんなこんなの連続が

たぶん人生なんだと思う。








常に余裕を持つ生き方。

2014年05月05日 01時10分04秒 | WONDER

30歳。

みな、新たな道を行く。







別に争う必要はない。

が、「負けてられない」という

思いがどこからか

湧き出てくるのがわかる。







社会人になり

すぐに独立した友人もいれば

長いサラリーマン生活を終えて

独立した人もいる。



その人に共通していることと言ったら

「行動に余裕があること」だと

僕は思っている。



「目標があるから」「夢があるから」

それらが具体的だからなど

いくつかの共通点はあるだろうけど

それはそれで

僕は別にそれが重要だとは思っていない。








「常に余裕を持つ」








これほど難しいことは

他にないのではないかと

僕が思っているからだと思う。





余裕があるから

次にやるべきことが見える。



余裕があるから

導線を広く持っていられる。




余裕があるから

他人から学ぶことができる。










まだまだあるだろうけど

その「余裕」があるからこそ

夢や希望も見えてくる。










まぁそんなところだろうか。