森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖の詰め将棋ノート

2010-11-01 05:03:13 | 村山聖
 これは村山聖が私の所に来たときにみせてもらって、それからそのままま預かった「詰将棋ノート」である。返すの忘れたままになっていたのだが、多分私にみせて気恥ずかしくなって?お互いに忘れてしまっていたのだろう。亡くなったときにご両親に返そうとも思ったが、大事に持っておこうと決めさせてもらった・・
 そのときも内容よりも、字の力強さと将棋への熱っぽさを感じた。私が村山聖を好きなのは、将棋が強くなったことでなくて、将棋を強くなろうとした生きる熱みたいなものに共鳴したことのように思う。それが自分にはないものだったと、漠然と感じていたのかもしれない。
 今もグチや泣き言をいっぱい言いたくなるが、そういうものをはるか遠くに投げ捨てて、純なものを追いかける気持ちを持ちたい・・
 そういう心にさせてくれるものが、このノートにはあるのだろう。
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6 コメント

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この師匠にしてこの弟子あり。 (今川弥吉)
2010-11-01 09:00:47
誠に、この師匠にしてこの弟子あり。この弟子にしてこの師匠あり。以前、「村山君との出会いは偶然ですが、必然でもあったような気がしています」とコメントされていましたが、水魚の交わりは気持ちの上で今も続いているのでしょうか。森先生の味わい深い文章に朝から涙がでました。 弥吉 拝
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遺されたモノ (あり)
2010-11-01 12:37:19
美しく力強い文字に、改めて村山さんの
生きた姿が、いまだに森先生をはじめと
する棋士の皆さんの記憶に、鮮烈に焼き
付いている理由がまたひとつ、感じられ
た気が致します。
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ノートの向こう側 (めざめ)
2010-11-01 22:06:20
2度目の投稿になります。
人物画を見るとき、その人物が見つめているものを思います。
このノートを見て、村山さんが何を見つめていたのか想像します。
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今川弥吉様 (モリノブ)
2010-11-08 21:17:36
 気持ちの上でも心の中でも、ずっと続いている気がします。
 懐かしさと切実さですね。
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あり様 (モリノブ)
2010-11-18 08:36:05
 子どもの字にしては力強いと思いました。ひたむきさが伝わってきますね。将棋に向き合う大切なものが刻まれているようです。
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めざめ様 (モリノブ)
2010-11-18 08:37:39
 何を見つめていたか・・少年のまっしぐらな心持ちを感じます。
 
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