台風が接近していたが、真夏の空は青々として空気が澄んでいた。宝塚市の西谷方面にドライブする。
今日は村山聖九段の命日である。平成10年8月8月だった。私は鳥取県倉吉に高校将棋全国大会に出席していて、帰阪するため駅に向かおうとしたときだった。 広島の村山家から携帯電話が鳴って、危篤の連絡を受けた。急遽その足で広島に向かう。その日も空は青く澄み渡っていた。
この世で何か大きな出来事が起きたとき、空を見てしまう。平和な抜けるような青空なのに、運命は大きないたずらをする。
あれから8年経つが、やはり心にぽっかり空いた穴は埋まっていないのだろうか。青空は悲しいほど澄み切った青さである。
今日は村山聖九段の命日である。平成10年8月8月だった。私は鳥取県倉吉に高校将棋全国大会に出席していて、帰阪するため駅に向かおうとしたときだった。 広島の村山家から携帯電話が鳴って、危篤の連絡を受けた。急遽その足で広島に向かう。その日も空は青く澄み渡っていた。
この世で何か大きな出来事が起きたとき、空を見てしまう。平和な抜けるような青空なのに、運命は大きないたずらをする。
あれから8年経つが、やはり心にぽっかり空いた穴は埋まっていないのだろうか。青空は悲しいほど澄み切った青さである。
村山先生が死去された年度のA級順位戦最終日のNHK中継で、森先生が「今日で村山君の名前がリーグ表から消えてしまう」「もう一度指させてあげたかった」とおっしゃっているシーンがありますが、見るたびに泣けてしまいます。
小三の息子が急に、20日の怪童戦に行きたいと言ったので、申し込みをしました。まだ将棋習いたてなので級位戦ですが、とてもうれしい出来事です。
家族にとって、初めての広島なのでほとんど旅行気分で、19日から宮島観光と、ガイドブック片手で参加します。原爆資料館にも行きたいと思います。
しかし、将棋から平和を考えるきっかけの道筋になっているとは、、、改めて感じました。
息子は繰り返し繰り返しビックコミックス「聖」を読んでいます。親としては、健康で写真のような青空のもとで生き生かされている有難味を感じとって欲しいのですが。
もう8年たつのですか。生きていれば37歳ですね。命日が澄み切った青空の見える日で良かった。村山君が「森先生、元気にしてますか」と言っているような気がします。
順位戦の表から村山聖の名前が消える、可哀想だなあと思いました。
8年経った今、忘れられていく中で、忘れてはいけないことの大切さをしみじみと思います。
広島に行くと、必ず原爆ドームに寄ります。毎回風景が違って見えるのは、自分の心の移ろいでしょうか。
いい広島の旅を願っております。
よろしければ、村山聖のお墓にお参りに行ってあげて下さい。
至らないけれど、しっかり生きていかないと、そんな気分になります。
村山先生という棋士がいた事を
一生忘れることはないと思います。
特別な景色ではないのだけれど、なにか不思議な雰囲気を感じます。
石碑(?)の左前辺りで、子どものように笑う村山さんが、
本当に見えてきました。
そうですね。自問しました。
自分が死するときに、悔いのない人生をまっとうできているか? このままでは人生を棒に振ってしまう。村山さんの死に様は、自分の人生の転機に影響を与えたと思っています。