ある旅人の〇〇な日々

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沖縄の作家

2011年02月02日 | Weblog
沖縄の作家として思い浮かぶのは、大城立裕、東峰夫、又吉栄喜、目取真俊、池上永一だろうか。
「沖縄 孤高への招待」(伊高浩昭、海風書房)から大城立裕と又吉栄喜の興味深い属性やエピソードをまとめたものが下記である。
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「沖縄文学の大御所・大城立裕」:
沖縄が明治の時代から抱いていたコンプレックスは、文化差別だと考えていたが、じつは生活格差に基づくものだと述べる。
近年、生活状況が日本化して格差がなくなり、コンプレックスがなくなり、沖縄文化のもつ個性に自信をもつようになったのだ。

芥川賞受賞者が沖縄から続出したのは沖縄文学の成長ではなく、沖縄の土俗的テーマが認められるようになったからだとする。その土俗的なものから普遍的な価値を見いだしてもらうことを望んでいる。

政治的な発言もしている。大田昌秀氏が知事三選されなかった理由は、人使いが荒いことにより県庁職員に造反されたこと、そして稲嶺側が電通を使い演出したことだと分析する。

文学の方法論で、文章の中にやたらに方言を入れる傾向を批判する。彼によると方言の使い方が適切でないものが多いからだ。
「私を超えたと思っているのは、目取真俊くらいでしょうか」と目取真の才能を評価する。目取真の「水滴」はマジックリアリズムではなく、シュールレアリズムだとする。比喩自体も土着的であるべきだとする。例えばガジュマルの髭の表現で「つららのように」はヤマトの比喩だと批判する。

大城の「カクテルパーティ」が芥川賞を受賞できたエピソード。大岡昇平がフィリピンからの帰国の途中、那覇に立ち寄り、朝日の文芸時評に取り上げてくれたそうだ。
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「ユートピア世界の語り部・又吉栄喜」:
琉大を卒業してアルバイト生活をしていたら肺結核になった。療養所に入院し、退屈を紛らわすために日記・雑記・感想を書いていた。書くのが楽しくなり、作品を「新沖縄文学」に応募し佳作になったのが作家になった動機である。

芥川賞受賞作品の「豚の報い」は、子どもの頃、観覧車に乗った少年がマブイを落としたことと、その頃、豚を運ぶトラックの事故で豚が逃げ出したのを目撃したことの体験がもとになっている。小説を書くときは、経験を核にしてあとは想像で書くのである。「豚の報い」の文庫本が11万5千部も売れたという。

沖縄のユタやノロなどの民俗的なものは文学のバックボーンにはしないが、物語を横から支える材料、人間模様として登場させる。

大河小説への関心では、沖縄は小さいが縦の深み、歴史があるので、歴史の流れを機軸にした三冊本くらいの小説を書く夢があるという。
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