ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

邪馬台国

2007年03月17日 | Weblog
14日のNHK番組「その時歴史が動いた」の特集が「邪馬台国はどこか 九州説・近畿説」だった。
小生、若い頃は古代史が好きで、奈良の明日香村に泊りがけで2度行ったことがある。この番組を楽しみにして録画した。45分間によくまとめられていて興味深くみた。1960年代に邪馬台国論争が盛り上がったことがあったが、その後、下火になり、18年前に佐賀の吉野ヶ里遺跡は発掘されてから、再び注目された、でも最近はテレビで特集されることも少なくなっていた。
邪馬台国がどこにあったかを最初に論じた人は新井白石で近畿説をとった。その後、本居宣長が九州説をとった。邪馬台国論争は、せいぜい300年の歴史である。邪馬台国について記述されたオリジナル文献は、三国志魏志倭人伝だけである。その位置については、方位、陸行水行、日数で表示されているのだが、記述のとおりに推定すると海にあったことになるそうだ。

九州説が有力とされる理由は、九州で3世紀の遺跡から鉄製武器が多数発掘されていること、近畿説のそれは、三角縁神獣鏡という銅鏡が近畿を中心に多数発掘されていることだった。その後、各地で発掘が進み、遺構や遺物などの情報が蓄積されてきたが、未だ、どちらの説が有力であるとは言えない。
吉野ヶ里遺跡は大規模集落遺跡でその面積は40万㎡にも及ぶ。魏志倭人伝に記述された宮室(卑弥呼宮殿)、楼櫓(物見やぐら)、城柵(城壁)らしい遺構が発見されているのだ。
奈良の桜井市で2km四方の集落遺跡が発掘された。2世紀ないし4世紀の纏向(まきむき)遺跡と呼ばれる。そこから、日本各地の特徴ある形の土器が発掘されている。また住居は遺構から高床式の掘立柱建物であることが分かっている。それに幅5㍍の運河のような溝が見つかっている。これらから、各地から有力者が集まって連合国家を形成していたのではないかと推測される。

今後も発掘により情報が蓄積されていくだろうが、何か画期的なものが発見されなければ定説になるのは難しいだろう。
5世紀にヤマト王権が確立されるのであるが、3世紀にあった邪馬台国との関連はいかなるものだろうか。
久しぶりに古代史に関心を持たされる番組だった。松本清張の「古代史疑」でも読んでみようか。

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1 コメント

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古田説を、ぜひ! (Unknown)
2007-03-17 16:25:25
わたしもNHKを見ようと張り切っていましたが、気持ちよく酒を飲んでいるうちに眠くなって…。ご紹介ありがとうございます。
貴兄におかれては古代史がお好きのようですが、ぜひ古田武彦氏の大いなる仮説「多元史観――古田説」に接して見られたらいかがでしょうか。
三世紀卑弥呼の時代「邪馬台国」でいいのかどうか、九州説と近畿説のどちらともいえない…のか、本当に魏志倭人伝によれは倭国は海の中…となるのか、三角縁神獣鏡は本当に舶来なのか、五世紀には本当に「ヤマト王権」が確立されたのか…等々、貴兄が持たれている隔靴掻痒感をすっきりと払ってくれること、請合いますよ。
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