横尾美穂と声

シンガソングライター、ボイストレーナー、ゴスペルシンガー

横尾美穂の声と生活

9月をふりかえり

2018-09-26 22:31:39 | 日記・その他

9月は台風と地震の影響で、エネルギ―や流通などがストップするとどうなるか、という経験を目の当たりにした。
そのすぐ2週間後に娘が心臓のペースメーカー電池交換手術。今日、無事、退院し家へ戻ってきた。
たくさんの方が心配し、祈り、応援してくれた。感謝。

娘は、3歳の時に拡張型心筋症とわかり、その後完全房室ブロックも併発。これから成長する子供にとって、自脈だけでは生活が難しいと、ペースメーカーを植え込んだ。(心筋症の助けにもなっている)

当時はまだ判断のできない娘の身体にペースメーカーを入れるという決断が私たち親にあった。娘のお腹にペースメーカーが植え込みされたエコーを見て、「この子はずっとこのお友達と一緒なんだ」と思った。「このお友達のおかげで娘は楽になる。」と頭ではわかっていても、私の細胞から生まれてきた赤子の娘の身体に、別のものが植え込まれる、なんとも複雑な心境だったのを覚えている。

実は、同じ年に、埋め込んだはずの電池が滑り落ちて、また開腹し、電池をつけなおすという手術もした。2ヶ月で2度もお腹を切った。
代わってあげたくてもできない、辛い経験だった。でも一番頑張ったのは娘。痛さのゆえに、足を上げたり、抗生剤の副作用で全身に蕁麻疹が出た。それでも彼女は笑顔の子だった。彼女の笑顔に励まされた。

それから幼稚園、小学校へ。筋肉がないので運動は苦手。鉄棒もダメ。できないことはあったけど、踊ることは好きだった。
小3の時に3度目の手術。この時も痛さで泣いていた。しかも冬休みの真っただ中。当時まだ幼稚園児の息子がいたので、病院通いしていたが、吹雪で2日病院へ行けないというハプニング。病院に電話して、本人と話す。「ごめんね。。。いけないくて」本人は「わかった。大丈夫。」
看護師さんがやさしくて、24時間体制で診てくれる病院だけど、それでも親がいない夜を2日も病院の個室で過ごさせてしまった。夜にひとりでこっそり涙を拭っていたらしい。

その後、片頭痛がひどくて、食事もとれず、嘔吐、便秘で心身が弱り、心臓と同じ救急車で病院へ搬送された。

いろいろあった・・・。そして、中学、高校へと成長し、今は大好きなダンスを踊りながら人を励ますチアダンスを踊れるようになった。

今回の入院で、小さな娘はもういなかった。オーストラリアへ一人で短期留学もしたせいもあり、寂しさの免疫もついていたし、手術の朝もリラックスして、病室から歩いていきながら、「行ってきます」と笑顔で手術室へ入っていった。

採血されても、何をされても、涙は一回もださなかったよ、と彼女。手術のとき、麻酔がかかる前に、手術台に寝かされながら、周りで動き回る医師や看護婦の手際のよさに感銘を受けたこと、麻酔がかかっても目を開けていられないだろうかと最後まで目を開け続けようとしていたが、どんどん波のように意識が遠のく体験をしたことを話してくれた。(←おもろい子!)

術後、麻酔から目覚めるのも早く、目覚めたとたん、「友達が心配してるから、生きてるよ、ってラインする。」(←今の子!)
そして安心したら、「お腹すいた」と言い、私もほっとした。

切り傷はまだ引っ張られていて痛いようで、長時間椅子などには座れないが、傷口がふさがって、抗生剤の点滴も必要なくなり、今日退院できた。家のベッドで入院前と変わらなく、ゴロゴロしている(笑)。

3歳の頃、肺炎にかかったときに、心音に雑音があると言われ、前の日には想像していなかったことが起こった。
病院に搬送され、検査の毎日。検査中に起きた脈の伝達部分のブロック。最悪の事も頭をよぎりながら、ICUで横たわる娘のそばにいれないで一夜を過ごした。

そんな体験をしてきた娘は、今はチアダンスを踊り、コアラを抱っこしていたり、将来の夢を語る。

彼女を見ていると、生きているのではなく、生かされていると実感する。
神と人の愛の中で守られ、とてもやさしく、強く、頼もしく成長している。
次回の電池交換は10年後になる予定。彼女はもうすっかり成人しているのだ。次からは親ではなく、彼女が判断していくのだなぁ。(できるかぎり親としても、シブがき隊でもなく、応援隊でいます!)


9月は、いろいろあったけど、自分の力で生きているのではなく、神に「生かされている」こと、普通の生活が普通ではなく、ありがたいことであることを改めて思わされている。

10月はライブやゴスペルワークショップもある。ひとつひとつ丁寧にしたいものです。
その後の自分の導きも祈りつつ、歩もう。

感謝。


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