その④のつづき・・・オレゴンに留学し、ゴスペルのクラスを受講することになる。ちょうどそのころ、日本でもアメリカでも、Sister Act とういう映画が話題になり、ゴスペルを歌ってみたい人が増えた時期。私もその一人であった。
先生は、Juliaという白人女性。小さい頃から教会で歌っていたという彼女。現在、彼女はゴスペルシンガーであり、牧師でもある。当時の私の正直な感想は、「白人もゴスペルを歌うんだ・・・」だった。そう、はじめの頃の私のように、ゴスペルと聞けば、黒人の音楽というイメージを持っている方々もいるのではないだろうか。
そもそもゴスペルとは、God+Spel(神の言葉)からできた言葉、キリスト教の聖書における「福音(good news=良い知らせ)」という意味である。知っている方もいるけど、実際はまだまだ本当の意味を知らない方もいる。私も、そんな知らない一人だった。
オレゴンでゴスペルを歌っていたとき、音楽(sound)としては楽しんでいたが、その意味(words)については、自分とは無関係なものであると思っていた。あの歌詞は、「クリスチャンという方々のもの」という認識であった。
ただ・・・彼ら(クリスチャンたち)が歌う姿や祈る姿から、彼らの中にゴスペルの歌詞が生きたものとして存在していることがじわじわ伝わってきた。他の音楽を聴いてかっこいいと思う時と異なるかっこよさ、説得力とでもいうのだろうか・・・があった。
はじめてJuliaに会ったとき、ゴスペルの経験がない私に、「ゴスペルを様々な人に歌ってほしい。とくに留学生は是非参加してください。このクラスは誰にでも開かれている」と言ってくれた。今、私はわかる。Juliaはゴスペル音楽を通して、学生たちやその周りの人々に、ゴスペルの本当のかっこよさ、本当の意味を味わってもらいたかったのだろうな。
本場のゴスペルシンガーたち(例えば、黒人の方々)の、あんな声質は出せないかもしれないが、ゴスペルを歌うことは、その歌い方を外面だけ真似るのではなく、その生き様を自分のもの(内面)にしていく、していきたいと願うことなのだと、私は思う。もちろん、彼らの歌唱から学ぶ点はたくさんあるのでそれも続けよう。でも、私は神さまが与えてくださった私の声をより知って、深める旅を続けていく。そしてその声でゴスペルを歌い続けたいと思う。
先生は、Juliaという白人女性。小さい頃から教会で歌っていたという彼女。現在、彼女はゴスペルシンガーであり、牧師でもある。当時の私の正直な感想は、「白人もゴスペルを歌うんだ・・・」だった。そう、はじめの頃の私のように、ゴスペルと聞けば、黒人の音楽というイメージを持っている方々もいるのではないだろうか。
そもそもゴスペルとは、God+Spel(神の言葉)からできた言葉、キリスト教の聖書における「福音(good news=良い知らせ)」という意味である。知っている方もいるけど、実際はまだまだ本当の意味を知らない方もいる。私も、そんな知らない一人だった。
オレゴンでゴスペルを歌っていたとき、音楽(sound)としては楽しんでいたが、その意味(words)については、自分とは無関係なものであると思っていた。あの歌詞は、「クリスチャンという方々のもの」という認識であった。
ただ・・・彼ら(クリスチャンたち)が歌う姿や祈る姿から、彼らの中にゴスペルの歌詞が生きたものとして存在していることがじわじわ伝わってきた。他の音楽を聴いてかっこいいと思う時と異なるかっこよさ、説得力とでもいうのだろうか・・・があった。
はじめてJuliaに会ったとき、ゴスペルの経験がない私に、「ゴスペルを様々な人に歌ってほしい。とくに留学生は是非参加してください。このクラスは誰にでも開かれている」と言ってくれた。今、私はわかる。Juliaはゴスペル音楽を通して、学生たちやその周りの人々に、ゴスペルの本当のかっこよさ、本当の意味を味わってもらいたかったのだろうな。
本場のゴスペルシンガーたち(例えば、黒人の方々)の、あんな声質は出せないかもしれないが、ゴスペルを歌うことは、その歌い方を外面だけ真似るのではなく、その生き様を自分のもの(内面)にしていく、していきたいと願うことなのだと、私は思う。もちろん、彼らの歌唱から学ぶ点はたくさんあるのでそれも続けよう。でも、私は神さまが与えてくださった私の声をより知って、深める旅を続けていく。そしてその声でゴスペルを歌い続けたいと思う。