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つれづれの記

日々の生活での印象

鎮魂の夏 その1  高田松原

2011年08月17日 21時58分21秒 | 日記
2011年8月17日(水) 鎮魂の夏 その1 高田松原


 岩手県の陸前高田市の海岸には、江戸時代から、防潮林として整備さてきた、2kmにも及ぶ、「高田松原」という数万本の松林があった。リアス式海岸の多い三陸には珍しい、いわゆる、白砂青松の景勝地だったようだ。(残念ながら、訪れたことは無いがーーー。) 
 この松原が、先だっての東日本大震災の大津波で、壊滅状態になり、なんと、たった一本だけが残ったと言う。
以下の写真は、ネットから借用させてもらったものである。
    
被災前の高田松原                   一本だけ残った松 
  
 陸前高田では、勿論、松原だけでなく、多くの人が亡くなり、建物も被災したが、これを支援しようと、京都五山の送り火で、陸前高田の皆さんの思いを書き込んだ、松の木を燃やして供養する、との素晴らしい話が持ち上がり、準備が進められた、という。 以前、関西で仕事していた時に、五山の送り火を、京都市内の建物の屋上から見物した、忘れられない思い出がある。
 ところが、その陸前高田から届けられた松の木から、放射性セシウムが検出されて、二転三転のドタバタ騒動が始まり、結局、昨夜の送り火では、京都産の檜の木に、元の文言を書き写したものを燃やした、と言う。
 放射性セシウムが検出された木を燃やすことで、周辺に、死の灰が飛散することを、恐れたのだ。

 このニュースに心を痛めた、成田山新勝寺から、この9月の「おたき上げ」の時に、高田松原の松の木を燃やしましょう、と提案されたようだ。陸前高田の人達にとっては、著名な成田山で炊いて貰える、との歓びは、いかばかりだろうか。
 でも、その、新勝寺にも、“おたき上げで、放射性物質が飛散するのは、止めて欲しい”という抗議の電話が、多数、来ていると言う。
 新勝寺では、樹皮を剥いて燃やすので安全、としているようだが、それでも、万一、放射性セシウムが検出された場合は、燃やさないで、祭壇に飾るだけにするようだ。
 京都五山と成田山新勝寺とを、比較する訳では無いが、被災地に大幅に近く、自身も被災者とも言える新勝寺の気持ちは、伝わってくるようだ。
 福島第一原発から陸前高田市までの距離は、およそ、180kmも離れているので、心配する程の量の放射性物質は、飛散していないと思われる。かりに、検出されても、稲藁の時と同様に、表面に付着しているだけなので、樹皮を剥けば大丈夫だろう。

 スタンドから眺めている第三者の目には、京都五山周辺や、新勝寺周辺の住民が、余りにも神経質に写るのだが、いざ、自分が当事者になってみれば、その不安も当然だろう。
 放射線や放射性物質が、どの程度を越えたら危険なのか、誰にでも分る、明確な数字が示されていないだけに、不安だけが、膨れ上がるようだ。
 福島県だけでなく、東京都等、あちこちの自治体で、ごみの焼却で出来た灰に、放射性物質が含まれ、その処分に困っているのも事実であり、下水処理場では、放射性物質を含んでいる、汚泥の処理に困っている、現実もある。

 日本人には、お盆の季節では、「火」が大きな意味を持つのだが、燃やすだけが、鎮魂ではあるまい。被災者に対する、折角の、精神的な大きな支援なのだが、周辺住民の不安を無視しては成り立たない、ことも当然である。
 今回のニュースは、静かに、人と人との繋がりを見つめながら、放射線や放射性物質について、考え、知識を深める、契機の一つ、にしたいものだ。






















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