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つれづれの記

日々の生活での印象

高田松原の一本松

2011年12月06日 12時58分47秒 | 日記

2011年12月6日(火)  高田松原の一本松

 

 

この3月の巨大地震と大津波で、岩手県の陸前高田市海岸にある、景勝地だった高田松原の、7万本とも言われた松の木々が、一瞬にして壊滅してしまったのだが、奇跡的に、たった一本だけ、生き残ったようだ。「奇跡の一本松」とも言われる、この松の木は、震災に打ちひしがれた、被災地や全国の多くの人達に、どれほどの、生きる希望と勇気を、与えてくれたことだろうか。

高田松原と一本松については、当ブログの下記記事でも触れている。

鎮魂の夏 その1 高田松原  (2011/8/17)

 

下の写真は、朝日のネットニュースから借用させて貰ったものだが、9月の中秋の名月で、この一本松の上に懸かる、月の輝きが見事である。

    

 

先月の、NHKのテレビ情報によれば、奇跡が起こって助かった理由として、

① この木の海側すぐ近くに、結構頑丈な、コンクリートの建物(宿泊施設)があり、これが、大津波の力を、左右に分散させる、防波堤の役目を果たした。

下の写真に、この建物の残骸が見える。

② この木の陸側に運河があり、その法面(のりめん)が、堤防の役割を果たし、津波の引き波の影響を緩和した。

③ 周囲よりも、ひときわ高い樹高のため、津波で倒され流されてくる周囲の木がぶつかっても、倒されなかった。

    震災前の写真をみると、確かに、ひと際、のっぽである!

などが、挙げられる、と言う。

ひょっとしたら、生きながらえてくれるのでは、との微かな期待と願望もあった。

     (ネットから借用)

 

当初から、専門家の間では、80cmもの地盤沈下で、地下水の水位が上がり、根が、常時、塩分を含んだ海水に浸かっている状態のため、根腐れが心配されていて、関係者による、必死の、色んな手立てが行われて来た。 

しかし、その努力も空しく、根腐れが原因で、葉が枯れ、茶色になってきて、11月頃には、蘇生を、断念せざるを得なくなった、ようだ。

震災と復興のシンボルとして、枯れても、立ち木のまま、保存することが検討されているようだが、根が死んでいるため、難しいという。

 

でも、希望はある! 震災後、岩手県内にある、材木育種センター東北育種場が、この松から、100本程の接ぎ穂を採取し、台木に接ぎ木していたのだが、6月になって、その中の何本かが、接ぎ木に成功し、新芽が伸びていることが、確認出来たようだ。

希望を繋ぐこの新芽が、大きく成長するのには、数年かかると言われている。

昨年春の強風で倒壊した、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏の、子孫の継承についても、同様の状況にある。

 

被災した陸前高田の町並みが復活・復興し、賑わいを取り戻すとともに、奇跡の一本松のDNAを受け継いだ子孫達が、再び、松原海岸に蘇り、新たな景勝地となる日が来ることを、忍耐強く、待ちたいものである。

 


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