現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大倉喜八郎と喜七郎父子

2012-04-09 16:32:13 | 尺八・一節切

大倉 喜七郎(1882年 - 1963年)は、大倉財閥の2代目総帥。
東京生まれ。父は大倉財閥創始者の大倉喜八郎。

まず、父の「喜八郎」は、
新潟県新発田市出身。安政元年(1854)江戸に出て、銃砲の
販売で名を馳せた。新政府の御用商人として軍需品の調達・
輸送、土木建設工事などに従事し、蓄財していった。
東京電灯(現・東電)、帝国ホテルその他数多くの企業の
設立に参画し役員に就任した。
大正6年(1917)、大倉商事、大倉土木(現・大成建設)、
大倉鉱業を直系3社とするコンツェルンを形成し、戦前の
5大財閥(三井・三菱・住友・安田・大倉)のひとつに
数えられた。


その御曹司で男爵になったのが「大倉喜七郎」。
慶應幼稚舎、慶應普通部を経て慶應義塾大学を卒業。
その後1900年、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。

「喜七郎」は、父の跡を継ぎ実業家で趣味人であった。
戦後の公職追放、財閥解体で 帝国ホテルを手放すこととなり、
自らの邸宅後にホテルオークラを建てたほか、伊豆の「川奈
ホテル」など、高級ホテル業に専念する。

私も“ご幼少の頃”伊豆の「川奈ホテル」で遊んだ記憶が
ある。「フレッシュジュース」が一杯400円。今の 2,000円
ほどしたのを覚えている。普通の喫茶店だと、コーヒー50円
(昭和30年)~60円(昭和35年)の時代だった。

千代田生命の中島社長もダンディで「正月は毎年、川奈
ホテルに泊まり、財界人とゴルフ」と言っておった。

千代田生命・千代田火災の創業者「門野幾之進」の弟が
「大倉財閥」の重鎮であったことから、千代田と大倉との
結びつきは強かった。戦後、千代田火災と大倉火災が合併
しており、千代田の社長は代々「大成建設」の社外役員に
なっていた。

その関係で千代田生命本社ビルはじめ、多くの建物は
「大成建設」が請け負っていた。そして、私も1年
「大成建設」に出向させてもらったことがあった。



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