新宿区原町の「法身寺」の小菅大徹師の肝いりで、
「虚無僧研究会」が発足して以来30年余、機関誌の
『一音成仏』は41号をとなった。
発会当初、「虚無僧に関する史料など集まるのか」と
危惧されたが、機関誌の内容はますます充実してきた。
各地の研究家によって、貴重な史料が続々と発掘され
発表されているのだ。
宇土藩主「細川月翁」の克明な記録をはじめ、江戸時代の
虚無僧の記録や絵、本則(免許状)など。そして明治、大正、
昭和の名人たちの写真や手紙など、よくぞ保管されて
いたものと感心する。
先日「平成23年10月現在」の「会員名簿」が届いた。
会員数628である。10年前と変わらない。10年前は
高齢者が多く、この10年で何人かの方が亡くなられて
いるが、新規会員も同数入ったということだ。
私が尺八を始めた50年前、昭和30年代は、「虚無僧
尺八」など絶滅の危機にあった。それが今 不思議と
甦ってきているのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「虚無僧研究会」が発足して以来30年余、機関誌の
『一音成仏』は41号をとなった。
発会当初、「虚無僧に関する史料など集まるのか」と
危惧されたが、機関誌の内容はますます充実してきた。
各地の研究家によって、貴重な史料が続々と発掘され
発表されているのだ。
宇土藩主「細川月翁」の克明な記録をはじめ、江戸時代の
虚無僧の記録や絵、本則(免許状)など。そして明治、大正、
昭和の名人たちの写真や手紙など、よくぞ保管されて
いたものと感心する。
先日「平成23年10月現在」の「会員名簿」が届いた。
会員数628である。10年前と変わらない。10年前は
高齢者が多く、この10年で何人かの方が亡くなられて
いるが、新規会員も同数入ったということだ。
私が尺八を始めた50年前、昭和30年代は、「虚無僧
尺八」など絶滅の危機にあった。それが今 不思議と
甦ってきているのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
かねてから弘前の誓願寺に私の祖先の墓があると聞いておりました。父は田舎舘の出、母は弘前の出です。亡き叔母が誓願寺の近くに住んでおり、大学生の時に訪ねたたことがありましたが堂内を見ませんでした。2012年にお寺を訪ねた時に奥様から伴勇蔵氏の話を聞き扁額を見せていただき驚きました。また、2012年10月の追善供養尺八大会の新聞記事も送っていただきました。
私の父、故伴史郎は声楽と作曲、私自身は作曲を専攻しともに音楽教育の仕事をしました。父母は若くして青森を出奔したため子供たちに先祖の話をしたがりませんでしたので、伴勇蔵氏のことを知ったのはその時が初めてで大変驚きました。私も邦楽に関心を持ち始めておりますので、以後はこちらのブログを通じて多少なりとも勉強させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いします。