現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

名古屋都ホテルも「村野藤吾」だった。

2018-06-30 19:40:29 | 村野藤吾

名古屋には「村野藤吾」の作品が少ない。それゆえ、
「村野藤吾」の名を知る人も少ないのはザンネン。

代表建築は「名古屋都ホテル」だったが、2000年
(平成12年)3月に営業を終了し、取り壊されてしまった。

開業は、高度成長期の走り、新幹線が開通する前年の
1963年(昭和38年)。

私は平成5年に名古屋に来た。グリーンのタイルの外壁、
アルミ枠の窓、縦横の接点にすべてアールをつけた
ディテールで、ひと目で「村野藤吾」の作品とわかった。

翌年に知り合った「鈴花」が、ここで結婚式を行ったと
聞いて、縁を感じた。それからよく ここで “お茶”した。

バブルがはじけて経済が低迷する中、駅前にはツインタワー
ビルに「ホテル・アソシエ」がはいり、その他、次々と
ホテルが林立して、都ホテルは閉鎖に追い込まれた。
取り壊された時は、まさに「断腸の思い」だった。

名古屋駅からホテルに通じる地下道は「みやこ地下街」と
名づけられ、その名称は今でも残っている。「みやこ
地下街」を通るたびに 「都ホテル」の面影を忍ぶ。


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