枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鏡開き・・・

2018年01月11日 | Weblog

 早朝、祖母は七日で外し集めていたお飾りを、庭で燃やし煙を付ける。その後は、書初めや鏡餅を川端まで持って行って、地域の人等が集まっている所で火にくべ、竹の先に餅をはめて翳す。これを齧れば、雷除けになると言い食べさせた。

 毎年、学校に行く前にするので、寒いのを我慢して連れていかれる。何がうれしくて早起きをしなければならないのか。文句たらたらである。今のように、衣類が温かい訳でもなく、コートもジャンバーもなかった。然も川端であるので空っ風が吹。

 書初めの半紙が高く上がれば、上達するとも言われ、手がかじかんで冷たいのを、厭々書いていた。暖房器具などない、畳に正座で書いた。あの頃には、正月・元旦には、学校まで行く。校長先生の訓示と、蜜柑を配ってくれるが酸っぱい。

 子どもは風の児だと、大人は炬燵で花札をしていた。尤も、寒いのが当たり前であったから、雪だるまや雪兎を作り、祖母が竹で作ってくれたスキーで、山の頂上から滑って降り、雪まみれになった。雪国ではないので、何度も途中で止まった。

 霜焼けをこさえ、服をびしょびしょにして母親に怒られ、炬燵に潜りこんで震えていた。反面、夜の外は、星が降るように観えた。冬の大三角と知らずだったが、オリオン座やプレアデス星団・昴は殊更に眼を惹いた。明かりは街灯さえなかった。

 沢田研二さんの作詞に、覚 和歌子とあり、妙に気になっていた。人はなぜ 星を見上げるのか 文中に詞を見つけて納得した。星は、人を繋ぎ、様々な愛を生む。タイガースを解散した、当時のジュリーは、あまり好きではなかったが円熟して。

 歳を重ねて来たからこそ、歌の巧さが加わり、人間としての魅力も増してきたのだろう。特別なファンではないが、CDを聴き、DVDを観ていて伝わってくる。銀の骨 歌詞に心が惹かれるのは、人間であることの実感が、具間視えるからかな。

 久々にリエさんに電話する。kazu君は、ロシアに行くらしい。マイア・プリセッカヤの白鳥の湖。チャイコフスキーの作曲だが、バレエ三大音楽の一つ。彼女の踊る、瀕死の白鳥は誰も真似のできない傑作だ。映画のチョコフスキーも素晴しい。

 寒いのは厭だが、宇宙を観る愉しさは、冬が最適だ。大気が澄んでいるので、星の光も眩しいばかり。何というきらめきだろう。星を眺められることは、至福の幸せだろう。星の美しさに気づけることのありがたさに感謝する。時を超えて瞬く洸に。

 サンタさんのに決めてある枇杷葉。これは、淡路に枇杷狩りに行った時、買って帰った種が発芽した。

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