枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

シンプルなこと

2009年01月31日 | Weblog
 小学生、中学生の時は、自分の体型がひどく厭であった。今も少しはあるが、サイボーグにでもならない限り、無理とわかっている。

 何が辛かった、かと言えば、ズボンの丈が、いつもつんつくりんで、冬場に足首が、スースーして寒くてたまらなかったことである。何をそれ位、と思われる向きもあろうが、本人にとって、寒いのが厭なのだからしょうがないよ。

 当時のズボンはゴムだったから、腰に合わすと丈が短くなる。どうにも腹が立ってしかたなかった。母も、兄も妹も、それが不思議らしく、丈を詰めることが重要であったのだ。

 祖母は、黙って端切れを出してくれ、裏から丈を出して、長くしてくれた。父と私だけが丈が足らなかった。当時は、なんだか情けなく、父が嫌いで、事あるごとに減らず口をたたいた。

 倹約と節約で、もう20年来同じものを着ている。クリーニングも、できる限り出さないで洗濯機で済ましている。セーターの穴は繕い、シミは漂白するか、ビーズをつけてリホームする。

 品質がいいので捨てるに忍びない。そして一番もったいない理由は、ウエストが変わらないから履けちゃうこと。ズボンよりスカートの方が多いのもあるが、流行をいかず、シンプルなデザインや、色を選んで買っているからか、飽きがこない。

 今は、父に感謝している。体型が変わらないのもいいかな?と思えています。カラー判定をする前から、自分の似合う色は、知ってはいたが、思わぬ色もあって以外でした。黒と、マゼンダにはびっくり。ショッキングピンクにも驚いちゃったよ。時々はこういう色を楽しむ時もありますね。

 男女を問わず、掃除が苦手な方がいますが、これは指導のし甲斐があります。でも嫌だって言う人には、むかっとします。顔や、着ている物が、いくらきれいであったり、似合っていても、そういう理由で掃除をサボる性格がたまりません。

 食べたら必ず、排泄をしなければ生きていられません。使用はするが、掃除は専門の人が居る、とお考えの方。せめて汚さないで使ってください。後に入る人のことも考えてしてくださいね。

 公衆の物は特にみんなできれいに使いましょうって、言いたくなるような使用方法の方もおいでです。憤怒の気持ちを抑えつつ、大量の紙で掃除をしまくるあたしって、馬鹿なのかなぁ・・・。

 でもさ。足の持って行き場がないのよ。ましてこれが同姓かと思うと、ひどく情けない。親の躾がなっとらんよ!怒鳴りたくなるんです。

 お掃除をしてくれる人に、ほんとうに感謝してしまいます。こういう仕事をされる方は、人間の鏡だと思います。きれいにお化粧をしていても、ファッションの先端の服を身につけていても、決して美人ではないと思えます。

 真の美しさは、影でしていることが現れますからね。でも、そういう美しい方になかなかお目にかかれません。心の芯に宝石を持っている人は輝きが違います。私には視えますが、普通はわからないでしょうね。

 台所の排水場所の、滑りや臭いを、枇杷で取れる工夫です。きれいに掃除して、枇杷茶で飲んだ後をもう一度乾かせて、排水の篭にパックを入れ、ネットを被せます。

 何回か繰り返す内に臭いは徐々に消え、滑りもなくなります。こまめなお手入れが大切です。
 枇杷茶パックが消臭効果をもたらし、シロアリの来ない環境も作ります。
 是非一度お試しください。
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こころの行方

2009年01月30日 | Weblog
 研修の講義偏が終了し、来月からは実技に入ります。今度は、場所が違うのでJR利用になります。朝はさほど違わないのですが、帰宅時間が少々ずれ込みます。

 期間は5日間なので、なんとかできそうです。荷物の重いのを、毎日運搬はちょっとしんどいものがあります。前回、腎盂炎になりかけましたから、注意に越したことはありません。下半身のガードを怠らないよう、腹巻までしているのです。冷えは足元からしますから、使い捨てカイロのお世話になっています。

 枇杷葉も、焼酎浸けのを、湿布押さえで固定して貼って、カイロをつけています。わざわざ見せることでもないので、言わない限りわかりません。

 然し、難儀なのがトイレですね。枚数が多いために、直ぐには出られない。つい行列を作ってしまいます。枇杷酒と、ローションを持ってきて、Sさんにあげました。というのは、彼女は、ブラジルからお出でなので、ファイルの理解度が困難かな?と思ったからです。

 実物を見ればわかることでもあり、持参したのです。使ってみなければ、合うかどうかは不明です。日本に来られて数年は経っているけど、かなりなストレスがみられる。案の定、精神安定剤を処方してもらって、服用しているとのこと。

 枇杷は、そういうのにも効き目があるんですが、安易に切り替えは難しい。彼女の場合、絶えずピリピリした精神波が伝わってくるの。私には、外国暮らしができない理由に、言葉の壁はむろん、気候や、食べ物等、きっと馴染めない。って感じてしまう。彼女を知る事はできないけれど、相談をされたら、出来る範囲でしてあげよう。そんな風に思えたの。

 まあ、自分勝手な解釈だからね。迷惑な部分もあったかもね。無理強いは却って、悪化しちゃうもの。慌てない、急がない。研修のメンバーもつかず、離れずで、感じのいい人が居ますね。

 このブログをのぞいてくれてるEさんは、背丈や体型がとてもすてきな方です。若い男性に頭の良い秀才君と、穏やかな話し方をされる方が居ます。お二人とも、熱心な聴講生で、まじめそのもの。きっと素敵なライフスタイルのできることでしょう。

 一人、金のあるのを自慢したり、講義中居眠りをしたり、聞いてなかったりで何しに来てんだか・・・。というおぼっちゃまが居られます。あ・あたくし。この方がどんなに資格を取れたとしても、絶対にお世話になりたくはないです。性格の悪さは、修正できないのでしょうか?えぇ。いや、あたくしの性格ですからね。

 明日のことはわからないので、こどもたちにその旨伝えておかねば。おお。伝えることと言えば、事故に遭って、死に掛けていたら、救急車は呼ばないでもらいたい。生きて辛い思いをするよりも、死なせてほしいの。生きて迷惑になるより、事故現場で死なせてください。

 そうだ。献体も申し込んでおかなきゃ。使える物は提供します。今後の研究に役立ててくださいね。死んでいく時くらい、本人の自由にさせてほしい、と思うのね。肉体は滅びても、心は永遠に残っていると思うよ。

 でも、一体に何処にいくのかしら?天国でも地獄でもない、永遠の場所ってあるのでしょうか?神が宇宙であり、宇宙が神そのものだとしたら、大気圏を通過する時、どうなるのかしらって。

 宇宙に逝けるのか疑問です。う~ん、でもなあ・・。1回、ちょっくら行ってきます。と言う訳にはいかんでよ。調べようがないようですね。

 昨年、採った枇杷の花芽です。枇杷は、バラ科なので、香りはダントツにいいのです。最近は、香水の匂いが嫌いになっています。

 自然に香ってくるのが、一番心地よく感じれます。心のアンテナを無理のない方向に向けたら、相手の心に添えられそうです。

 とても大切なことなのですね。
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冬の野鳥

2009年01月29日 | Weblog
 昔ほど野鳥を見なくなったが、それでも渡り鳥はやって来ている。メジロやホオジロが見え、餌が満足にないのか、さえずりがけたたましい。雀も、ちらほらと見えている。

 もう、20数年も前になるが、上京した時に、屋台の焼き鳥を食べませんか?と言われるので、のこのこ付いて路地裏に行った・・・。でも、著しく話が食い違う。どうも、わからん。

 都会は不慣れでと言ったものの、落ち着いてよく考えてみれば、雀のことではなく、鶏のことであったのだ。然しあの時は、本気で、一体どうやって雀を捕まえてくるのか?と頭を傾げたもの。わかってしまえばなんだぁ~、とひどくがっかりもしましたね。

 子どもの頃には、こぼつ、といって、竹の根縁を切って曲げ、山に行って、細工して雀や、ホオジロを捕っていたっけな。すばらしいハンターは飼い猫のミケで、雉や山鳩をなんなく捕って来た。

 何日も帰らなくて心配するものの恋の季節以外は、狩人家業に忙しいミケであった。それにしても、天然の味に優るものはありません。今日ではとうてい考えられません。

 研修日数も、半分が過ぎました。時間待ちの会話くらいはできるようになりましたが、いかんせん。ほとんどが本を読まない人間らしい。新聞さえ見ないそうですね。とても不思議な種族だと思えます。

 それなのに、平気で教えてもらおうと、聞いてくる方も居るのです。自分で勉強しようとは思わんかの?苦労して理解しないと、右から左に抜けちゃうよ。頭がつるぴかだよ。

 まあいいけどさ。あたしゃねぇ。好きで始めたこともあるけど、大概が、苦手な事が多いんだよ。パソコンだって、若い兄ちゃんに、すっごいばっかにされて、めっちゃ悔しかったの。

 そんで、最後まで教えてくれるって、言った台詞をどっかに置いたまま、とんずらこかれてね。なにお、見ておれ。とブログ開設まで漕ぎ着けた訳よ。って、ブログは、Mさんに、最初の段階を送ってもらったけどさ。まぁなんとか書けるようになったの。

 人間はね、少しは苦労をするもんです。外面の美しさを手に入れることは、ちょっと無理があるでしょぷが、心の美しさは、誰でも磨けますよ。

 顔だけは、配置と凹凸が違っているだけでしょう?見ようによっては、きれいに見えます。気にしないことです。それよりも、心を切り替えて、相手のことを思いやれるようにしてみませんか?

 自分が困らないように、誰かが手助けを訴えていれば、助けてあげませんか?パラレルワールドの自分だって思って、してみませんか。表情はクールに、温かな心で、接してみませんか。って、講義で学習しました。

 同時に、構ってほしくない方もおいでですね。そういう方には、心のアンテナを立てて、見守ってあげませんかね。どんな小さなことでも、一つでもいいから、してみませんか。そうね。冷静に頭で考えて、行動できるよう訓練しますね。

 淡路枇杷です。南西方向に、鉢植えにしています。2年目ですが、葉がやっぱり大きいですね。淡路田中の特徴なのでしょうか。この仲間が、5本ばかし、屋敷内に植えてあります。路地植が3本、鉢植えが2本です。それにしても、方位の日当たりで、成長に大差が現れて、びっくりしています。

 今日帰宅したら、千葉のRさんから、無農薬の珈琲が届いていた。うっきゃあぁ!!うれしいよお!サンタさんのコメントもあって、挽き立ての珈琲の香りが漂ってきました。Rさんありがとう♪いつも気にかけてくださってうれしいです。

 サンタさん、お手数おかけしました。じゅるじゅる・・チーン。さっそく飲ませていただきますね。

 花芽、焼酎に浸けてますよ。研修が終わり次第、贈ります。
 
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春を待つ心

2009年01月28日 | Weblog
 暖かで、青空が広がり、曇一つ見えない天気に、布団を干す。仕事は、午後からです。昨夜は、パソコンの中の、枇杷のファイルを出して、幾つかを印刷する。研修者から、枇杷の問い合わせがあって、説明するのも、メモを取ってもらうのも、肝心な箇所が抜けていては、と思ったからです。なんだかんだとしていて、眠るのが遅くなった。

 研修が休みでも、仕事が遅出なので久々に寝坊しました。春が近づいている気配が、日に日に感じれますね。寒さも心なしか和らぐ温度です。冷たさがなんとなく違うのですね。陽射しも、光りが溢れてくるように想えて、微笑んでみたくなります。水の音も弾んでいるように聴こえます。それでもまだまだ、先のことになりそうですね。

 早春賦に歌われているように、春はなのみです。せかるるる想いは募れども、訪れてくれるのはまだ日数がありますね。夜半の宇宙のさまは、しばらくは、冬の大三角が楽しめますよ。充分な見応えの夜空です。

 健康管理も当分は気を抜かず、うがいと手洗いの施行です。油断が怖いですよ。ほっとした気の緩みが、風邪を引かせます。今冬は、枇杷茶はむろんのこと。

 枇杷酒と大根葉(塩茹で)、金柑の焼酎浸けや大根エキス(大根の采の目切りを蜂蜜に漬け、エキスを取り出した物)、柚子の種の焼酎浸け、梅干や青梅漬けなどを効果的に使いました。

 風邪の初期には、センブリを煎じ、きらん草や、鉈豆茶等、体の中から、健康で居られるよう、気をつけました。体力が落ちても何等心配はなくて、充分な睡眠を取ることで乗り切りました。

 病院には、できる限り行かないようにして、野菜物をたくさん摂って、たっくさんの分量を食べました。自分の体をよく知っておく、というのも当たり前のようで、できないことなんですね。

 枇杷茶を飲むことから、健康でいられる幸せを痛感しました。同時に、枇杷茶を薦めて、飲んでもらえる喜びも感じることができました。枇杷を知っていながら、活用方法を知らないのでは、宝の持ち腐れです。

 嫌いな方にはお薦めできませんが、病気が気になる方には、根気よく話していきます。枇杷葉は、これでないと治らない、というのではないからです。

 個人差もあれば症状も違っていますから、それらにあったやり方があるのです。自分にあった方法を見つけられるよう、お手伝いしたり、探したりができればいいな、と思っています。

 昨年に芽が出た枇杷の苗です。12月の状態ですが、丈は5cm~10cmで、芽の出た場所により、発育が異なりました。春先から、夏場にかけて、大きく差が出ます。

 それの根本は、寒肥でしょうか?糠と塩と、鶏糞の割合を、間違えないことですかね?4・2・4の割合を、立春までに少なくとも3回、できれば5回は入れましょう。

 きっちり計らなくてもいいですから、よく混ぜてやります。手袋はしてでいいですから、塊がないように細かく混ぜてくださいね。鉢に植え替えたり、芽が出たままだったりします。

 春先までに、鉢に移動する予定です。
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朝霧たちこめて

2009年01月27日 | Weblog
 早朝、研修に出かけるため、玄関をでてみてぎょっとした。霧で、一寸先も見えない有様。車のライトを点けても、1m四方しか、視界が利かない。ちょっと困りながら進んで行くと、突然、霧が晴れる。それも完璧な青空の広がる世界である。え??どうなってんの?一体何なのよ。と呆気にとられた。まあ、気をつけるに越したことはない。安全運転で行こう。

 で、制限速度を守って行った。それにしても、後から来ていながら、割り込みのずうずうしさはどうだろう。車線変更になっているのがわかっていながら、ずんずん進入してきて、平気で入って来る。道徳観の欠片もない。度厚かましさにうんざり。

 これで事故が起きないなんて、我慢したり、相当に広い心を持っている人がいるからでしょうね。おっさん。ちょっとは早く起きろよな!にいちゃん。ゲームで徹夜か?飯、食ってきたのか?コンビニ食じゃ、高齢者に成る前に、アルツだよ。こんなで、子どもがまともに育つ環境が創れるわけないじゃん!とくそっ腹が立った。

 しかしそういう気振りは見せず、黙って入れてあげました。事故に遭わなかっただけ、儲けもんです。怖いやっちゃんだったら、短歌の一つも詠みたくなるってよ。

 研修の講議が終盤になってくると、なんとなく人柄もわかってくるようです。こちらは期間中限定の気分ですから、あまり親しくはなりたくないので、ほどほどがいいかな、と場外を決め込んでいます。

 でも、枇杷で惹き寄せられてくるのは拒めない。今朝。研修開始前に、Eさんが、ご自分のお祖母さんが、枇杷の種を擂って飲んでいるのよ。と話された。お昼の休み時間に、分量やきっかけを尋ねると、お祖父さんが癌を治したくてだったと言われた。で、治ったのだそうです。

 枇杷の活用方法も、聴かれてのことらしいが、Eさんのお祖母さんの、お祖父さんを思う気持ちが、神に通じたのでしょうね。治りたい気持ち、治してあげたい想いが、同時に働いてこそ、病は治せるのですね。

 決して一方通行では、治せないのです。そのことを再認識し、心に刻みました。もう一人の方は、家に枇杷の木があるそうです。どうすればいいのか教えてほしい、と話しかけられました。

 この方は、日本語が会話程度しか、理解できないので、漢字にふりがなを附ってあげるように約束しました。こちらの言い方が意地悪に聴こえたかもしれないけど、自分で作ってみましょうね、中国産は怖いよ、無農薬・安心、と言うとにっこりされました。

 これを介護にどんどん使ってくれれば、看取りがし易くなるんです。今後の医療行為に、漢方を入れていってもらいたいのです。人間は、老いて死んでいくのが、当たり前ですが、嫌われず、厄介者にならず、邪魔にしないで、死なせてあげたいものです。

 私自身が、そういう死に方をしたい、と願っています。人工の器具をできるだけ使わないで、なるべく静かに終えたいのです。枇杷で治癒能力を助けてもらい、人様のお役にたって後、宇宙に旅立ちたい、と思う今日この頃です。

 枇杷酒。寒中の枇杷の葉を、30~50枚採ります。鋏で葉先と軸は少し切ります。果実瓶(2ℓ)と焼酎の35℃(1800cc)を用意して、漬け込みます。3ヶ月でエキスが出てきますから、飲酒してかまいません。(ペットボトルのキャップに1杯が毎日飲む目安)エキスは、多種の用途に使えます。

 また、漬かった葉は、腰痛を始めとする湿布に応用できます。この時期に漬けて置くことをお薦めします。枇杷葉は年中、使えますが、春先から秋口までは、葉が育っている最中です。硬くごわごわした葉だけを採りましょう。これは、3年物です。

 夏場の出回り時期には、種だけを漬けることが可能です。これが本来の枇杷酒です。
 私のやり方は、花芽を漬けるので、敢えて寒中にしています。
 
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旧正月

2009年01月26日 | Weblog
 朝はお天気で、昼頃までは穏やかな感じだったのが、次第に雲行きが怪しくなって、雨に変わった。細い霧雨のように流れている。

 夕方、仕事場まで行き、新人研修を受ける。頭がパンクしそう・・・。一度に覚え切れないよ。かと言って、後日ではもっと覚えられない。494981・・・。結論は、絶対に自分独りでは、行わないこと。知識として持っていても、資格がないからできません。

 それにしても、近年の科学、医療関係は、大変な進歩があるのですねぇ。すごいや、と感心してしまいましたです。

 今日は、旧暦のお正月です。初詣に参りました。思ったより、人混みが少なくてよかったです。屋台がたくさん出ていました。お賽銭をあげてきました。行った先は、農業に関する神社で、蛇を祭っております。

 百姓をするには、いろんな生き物と出会います。中には毒を持ったのに遭遇することもある。できる限り、殺生をしないで、共生するための、昔の人の知恵です。

 お札と厄除けを買ってきました。これで1年を無事に過ごせるよう、祈ってきました。ありがたやぁ。

 枇杷の花が満開で、早めに咲いたのは、散った後が、小さな実の形に変わろうとしています。まだ、蕾の状態のもありますが、これは落としてもいい。結実が遅れては、自然落下でしょう。苗木が、かなり大きくなっていますよ。

 淡路田中が新芽を出すのを待っているように、中心を膨らませています。お天気続きだと、糠はいいけど、塩が効かないので、雨が降ってくれると助かるね。バケツに、風呂の残り湯を取って、溜めておいたりして、小まめに水をかけてやる。

 冬場に水分が足らないと、春先に花が咲かなかったりする。室内に取り入れた鉢物は結構手間がかかる。言葉で伝わってこない分、いいかげんなあしらいをすると、枯れてしまうことがあるね。

 花や木には、人間のように心臓や、考える頭はないけど、ぞんざいな扱いをすると、直ぐに枯れちゃう。ところが枇杷は、枯れてしまったようでも、復活するよ。根さえあれば、脇から芽が出てくるんですね。

 剪定をすると、必ず横から芽が出てきます。これが育って何年か経つと、花が咲き出します。研修に行く道路脇に大きく成り過ぎた枇杷の木があって、伐った後がありますが、たくさんの若い芽が出てきて、茂っています。おまけに花も見えます。これは枇杷の持つ、自然治癒能力でしょうね。

 淡路田中の3年目です。鉢が小さいので、窮屈な感じです。東側のフェンスの所に、置いていますから、日当たりはいいようですが、背丈は、20cm位です。

 あまり大きくなってはいません。鉢の大きさは、育っていくことを考えて、30cm直径がいいようです。もちろん地植がいいのですが、移動には難儀です。
 
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相手に添わせて

2009年01月25日 | Weblog
 古今東西を問わず、人間として、得て不得手はあると思う。それを嫌々していると、鬱傾向に陥る。しなければならないと思い込んで、自分自身に暗示をかけていく。

 心のコントロールができなくなるのだ。感情の起伏が激しくなり、内面と外面の差が著しく違ってくる。人を信じられなくなる。反対に、信じてしまうのが、度を越して収拾つかない。

 こういう時に、ちょっとしたやさしい言葉をかけてくれたり、親身に話を聴いてくれたりしたら、異性間であれば成り行きとして、深みに嵌り易い。

 第三者がどんなに言っても無駄である。そうなる前ならいざ知らず、事態が悪化してでは、周りを巻き込んで、よけいに混乱を極めていく。

 当人達は理性を失って、二人だけの世界を創り上げているから、馬の耳に念仏。言えば云うだけ頑なになってしまう。関知しないでおけば、時間と日数とで、修復できていくこともある。

 但し、待つという究極の選択肢は困難を要する。さらに言えば、小さい者が居る場合、様々な弊害が出るでしょう。

 でも、そこまで考えていたらば、そうはならないのだけれど、思考が止まっているものね。友達ができないからって、拗ねたところで、友達は離れていくよ。

 友達なんて、うわべだけだって思っている方がいい。まして親友なんて、存在していない。と考えたのが正しい。だって無理だと思うよ。人格も環境も、思考も違っているのに、似てはいても、同じではないんだよ。

 自慢じゃないけども、出会いは別れだと思っているし、どんなに仲良くしてても、何かで存在しなくなったら、どうすんだい?後を追って死にますか?悲しみはあっても、生きようとしませんか。

 なぜなら、死ぬ事を望んではいないと思えるから。人間の心にある、愛は、そんじょそこらのスーパーに売っているような安物ではありません。普遍で、強く穢れのなきものですよ。

 人間の本質は、土壇場でどうするかによって、自分を知ることになっていく、とも思えます。悲しいときには泣いてもいいの。でも、時が来たらば、自分の足で歩くことをしていくことでしょう。

 その時に、さりげなく見守っていてくれるのが親友です。自分のことは、細胞組織を持った、生命体だって思っています。

 話したり、考えたり、他のこともすることのできる生き物。それも、神さまの創った世界の中で生かされている。って思っています。

 死ぬのが怖いのは、なんで死ぬかがわからないからです。けれども、恐れる心がある限り、生きていられるのです。生まれた瞬間から、死に向かって生きていることだけははっきりしてる。

 それを最近は、とても強く感じています。どうあがいたって、無駄なんだ。だからこそ、毎日を精一杯に生きています。

 台所の出窓に置いてあるシクラメン。もう10年ばかり、ずっと咲き続けていますよ。今年は殊の外、たくさんの蕾をつけています。4月頃まで、次々と咲きます。

 夏場には、一滴も水を遣らず、秋口になったら、毎日適量を与えます。球根は、土の埋めてしまわず、三分の一位を出しているのがいいようです。白より、赤の方がもつようですね。

 昨年は、枇杷茶を遣っていましたら、たくさんの蕾が見えてきましたよ。
 ガーデンシクラメンは、寒い地域には合わないようです。
 
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あるがままに

2009年01月24日 | Weblog
 今晩。午後8時時点の、宇宙を見上げると、雨に洗われて大気が澄んだ、一段と輝く星々が眼に飛び込んできた。背筋が伸びる寒さではあるが、きれいですねぇ。

 今週は、曇りや雨もよいの天気でしたから、星が思ったより観えなかった。土日休みなしですが、月曜日は休み。夕方、勤務先で講習があります。

 このところ、朝5時起で眠い。でも、暖房が効いてる割には、勤務中は居眠りどころか、気が抜けないので、家に帰って来ると瞼がくっつく。

 睡眠不足から風邪をひいてはならぬ、と帰宅の都度、うがい・手洗いをしています。2月の研修には、駐車場がない場所なので、JRで行くしかありません。マスクをします。通うのが手ぶらならまだしも、水筒と弁当があります。買えばいいようなものですが、添加物が怖い。便利さよりも安全性優先です。

 最近は、栄養面より、拘りの方ですね。お茶は、枇杷茶でないと飲めません。なぜって?井戸水使用だからです。喫茶店で、1杯が¥500も払って不味い珈琲を飲もう、という気が起きない。¥1,000あれば、200g入りのが買えるんです。自宅で、井戸水で淹れて飲む方がおいしい!

 都会では、そういう専門店があるらしい。そういう所があれば、飲んでもいいです。因みに珈琲豆持参で、飲む場合はあります。無農薬の珈琲を知るまでは、かなり遠くまで出掛けて行った。豆も販売していれば買って帰った。それが、井戸水と無農薬とをし始めて、ことの重大さに気づいた。

 今まで信じていたことが、音をたてて崩れ去った。ほんとうに驚いちゃったよ!千葉のRさん。いつもありがとうです。

 久々の夜空のきれいさに、思わず見とれる。今週は雨で不安定なお天気続き。いいかげん、嫌になっていたんです。それだけに宇宙の美しさは、例えようもありません。

 地球に住めて、生きていられることに感謝です。枇杷の花はこの時期、咲き誇っているのが眼に留まります。洗濯して、糊付けをして、アイロンかけをした服のようですね。

 我が家の枇杷の木は、糠と塩を入れたのが効いたのか、青々とした葉が寒風に耐えています。春が密やかに近づきつつある気配がする。梅の蕾が膨らんで、初めての一輪を何時、咲かせようかとしているよ。

 句の『春や春、梅一輪の暖かさ』小林一茶だったかな?春のやわらかさは、冬の厳しさがなければ、思えないこと。そうしてみれば、四季折々の花々も、季節があればこそですね。

 星座も、季節の移り変わりで変化して、眺めることの楽しみを教えてくれるよ。あるがままの自分を受け入れてくれる、自然の肝要さを少しでも持ちたいものですね。

 我が家の南側の、茂木の赤枇杷の全景です。全長は、3m弱です。大きさもさほどなく、これに250個以上、枇杷の実が成るようとは、思えない木です。袋かけに際しては、一番高い箇所は脚立が要ります。枝は、車の邪魔にならないよう、道側は剪定しています。木の根元には、淡路枇杷の3年目が、3本植わっていて、茂木の子ども苗も成長しています。

 冗談から、芽が出て、花が咲き、実が生るようになりました。合わせて、枇杷を知って、そこから出会いが生じ、つながっていくことに少なからず、驚きと喜びを感謝する日々です。

 Aさん、千葉のRさん、サンタさん、イタリアに移住されたMさん、私の友人、知人達。なんと多くの人に支えられていることでしょう。この場を通じて厚く御礼を申します。
 
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あたりまえのこと

2009年01月23日 | Weblog
 人間という生き物は、ほんとうに複雑で我儘。また、感情の浮き沈みのある動物か、と思うよ。誰かに何かをする、ってことは『ありがとう』を言ってもらいたくてすることなのか?

 他人から見れば、大変そうに見えても、本人はどうってことがない。と感じていることは多いように思うよ。いつもいつも手が必要な訳でなく、困っている時だけに、当たり前に貸してほしい。

 でもそれは、強制でもなく、自然に行なうことだって気づかない。お礼を言われないと、ひどく不機嫌になったりする。そのくせ、できないことをさせようと、頑張れ、って言うよ。

 当人の気持ちは絶対にわかるはずがない。あり得ないとも思うよ。励ますの?すごいね!って言うの?偉いって誉めてあげるの?

 心に添うことってのは、安易には出来ないよ。常に一定の距離を置いて、付かず離れずの状態で居れることは、なかなかどうしてできることではないのです。

 自分の体験があるから、といっても、その人のことではないし、似たようなことはあっても、同じではないもの。日本の社会は、健常者が中心であり、学歴や資格の蔓延するお役所頭が多い。

 自分中心の考えで満足してるよ。まあ、いちいち人の意見に左右されるのも困るが、生きている自分を、五体満足な体を感謝できなくて、人の命には携われないでしょう?

 自分の住んでる地球。生命が誕生するにあたっての、月の役割。太陽の恵み。あらゆることの全てに、神の意思を感じて、感謝することから始まるように思えるね。

 当たり前って、全てに対して、平等にあるものじゃない?障害を持っていようが、肌の色が違っていようが、生き物には違いないよ。あたりまえに生きる。なんて自然で本来の姿なのでしょう。

 だから誰かが困っていたら、その人のしてほしいことだけを、助けてあげれば、いっしょだってことがわかるよ。小さな事でも、ちょっと考えて工夫したり、手間暇を惜しまないことだよ。

 やれないとか、できないとかを言う前に、どうしたらできるかを、共にしてみることなんだって思う。人間であるばかりに難しい。けれども、できることでもあるんだよ。

 人間は、自分の足で立ち、手を使い、頭で考えて生きている。それって、当然、当たり前にあるからでしょう?人間の形が、手は片方だったり、目や耳の1つが当たり前であれば、違うのが異常になるね。

 神さまは、人間の試練に耐えられる範囲を与える、といわれるけど、ほんとうですね。挫けそうになりながらも、今日まで生きていることは、試練を越えて来たのだ。と感じています。

 それにしても、人間の内面はわかりにくいこと甚だしい。これもまた、当たり前のことですが・・・。

 昨年の我が家の、枇杷の実です。1回目には、5房ばかり採り、2回目には孫たちと、枇杷狩りをしたの。6月の下旬でしたが、1週間ばかり早すぎました。

 甘くてとてもおいしかったのですが、もう少し、木で熟すほうがよかったみたいです。大きさはチャボの卵大。花芽は自然落下にしているので、あまり大きくはなりません。

 種は、乾燥して、お茶にしました。
 
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細胞の活性化

2009年01月22日 | Weblog
 濃霧の中を運転していると、とてつもない宇宙の摂理が感じられるって、信号で止まってたらバイクにぶつけられたよ。幸いにかすり傷(車)だったので、警察には届けなかった。

 研修の待ち時間に、何やら事故があったような話を耳にした。やれやれ無事でよかった。午前中の講議が、午後1時前に終わった。

 人間の精神力の限度を感じる。自分のしたいことなら、どうってことないのに、聴く、という行為は、聴いて頭に入れて、自分なりにまとめなければならないから、結構気力がいるの。話す方も大変とは思います。

 何せ、専門用語と、関連事項ですからね。こういうのって、肝心な話を、主力にもってきて、20分くらい要点を言い、5分位は、余分というか、例えていうとしごくわかり易い。堅苦しいお決まりのパターンで話し、且つ、試験に出るとなるとおちおち息もつけない。

 やっぱり、講師なら、退屈させないで、むつかしいことをやさしく解説するのが仕事だと思うね。欠伸と居眠りでは、暗~いイメージ。真冬の階段なんて、寒すぎるよ。

 昼食をはさんで、午後の講議。これは知らないことばかりで、寝ている暇がなかった。人工呼吸も、いざって時には、出来そうにないよ。

 高齢者も、多すぎるから、そうなった場合に遭遇したら、救急車を呼ぶ前に、死んでもらっちゃおうか?などと不届きな考えが頭を過ったよ。これからの高齢化社会には、うんと増えるんだろうなぁ。

 葬儀屋も、その前の段階から、予約の受付をやったのがいいように思うな。生前契約を結んでおけば、本人も何かと安心して、旅立てるのではないのでしょうか?人間は、必ず死ぬ生き物ですから。

 講議の講師は、現役のDrで、専門的な知識に圧倒された。人間の体がなんで出来ているか?あらゆる仕組みはわかるけど、血液なんですって。血が汚れると、血管が細くなって、病気になる。のだそうです。

 また、皮下細胞は、衰えることはあっても、若返らないのだそうです。ふ~ん、そうなのかぁ・・・。でも枇杷茶を飲み続けると、細胞が若返るよ。血液がきれいになるから、血管が太くなって、きれいになるのよ。

 腎機能の働きが悪かったのだけれども、枇杷酒を呑むことによって、改良されてきました。細胞の呟きが、聴こえてくるように思えるの。それもすごく喜んでいるような感じがするよ。心が共鳴してる。

 これが宇宙と一体化することだと思う。ほら!こうやって、心をとばして、広げていけばわかってくるよ。従って、枇杷の持つ治癒能力に、改めて震撼しました。

 研修仲間から、いろんなことをよく知ってますね。と言われ、年の功と返事をしたが、なんで知ろうとしないのかな?わからなきゃ調べてね。そんでもって、知ることの努力を惜しまないでね。あたしゃねぇ、金と時間がもらえたら、大学に行って、勉強したいの。心理学や、日本史・世界史も物理も、貪欲に学びたい。

 先週のこと。講師の方に神の存在について、お聴きしたかったのですが、できなくて。ところが、家の近くに帰ってきた空の一角に、見る見る広がった雲の様。太陽を掴みかかる巨大な手が現れた。

 携帯で撮ったものの、衝撃は大きかった。帰り際、講師の方が、手に触れてこられたのが、思い出された。近くの知人は、この時龍を視たらしい。

 こういうのを視ると、時空が曲がってたり、異世界に逝けたりしちゃうんだけどもな。なんだか光瀬龍師に遭いたくなった。未だに東キャナル市に居てるような想いになるよ。

 金星が、-4.6等星だって知ってる?きれいだねぇ。
 
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