枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

百舌が鳴いて

2009年11月30日 | Weblog
 青天の霹靂。いやいや違うわ。澄んだ青空に百舌が鳴いている、長閑な風景なのです。風もなく、暖かで、きらめく陽射しが降り注ぐ。何という有難さであろう。空から爆弾が落ちてくることもなければ、身の危険を感じることもない。地球の何処かでは、生きていることが不安な人たちもいる、というのに。日本に生まれたことを感謝します。

 でも。沖縄では、未だ戦争は終わっていない。アメリカ軍が、というよりも、アメリカが日本に関与している限りは、真の平和は訪れてこないのだ。今の状況に慣れてしまって、そんなものだと思っている。長崎や広島で、原爆を落とされたことを、いくら言っても、沖縄から米軍が撤退しない限りは、日本の戦争も終わってはいない。そのことをもっと真剣に考えなければ、平和は絵空事になってしまう。

 私が、沖縄に行けない訳には、そう云った理由がある。なまじ観光だけでは、同じ人間として恥ずかしい。と、同時に。其処に眠る霊魂に震撼してしまう。魂が残っているのだと思うよ。無念の想いというのは、感じる人には強いから。足が竦むし、心が凍りつく。私には、そういった想いを鎮められる能力はない。自分にできない事には、近寄らないほうがいい。

 枇杷葉の効能も、大抵が半信半疑で、高を括っている。けれども医者に見離されたり、余命幾許となると、藁にも縋りたくなってくる。今日も、そういう身近な人を知っていて、枇杷葉の力に驚いた。と教えてくれたのだ。何人もの人が、枇杷茶を飲むことによって、助けてあげられるのに。根も葉もない中傷をしてくるんだ。愚かというか、情けないというのか、厭きれてしまう。

 リエさん。父上さまが、枇杷茶を飲んでくださるようになって、正直にうれしいです。人間の身体の毒素は、体外に出していかなければなりません。その手っ取り早い方法が、お茶を飲む。ということになります。特に、枇杷茶は血液を浄化し、細胞を活性化させます。同時に、体内にある悪い箇所を修復していきます。時間はかかるかもしれませんが、手抜き工事をしない分、確実に治していくのです。

 初めから、花芽茶よりも、枇杷葉茶の方がいいかもしれません。先日採ったのでよろしければ、明日にでもお送りしますよ。まだ、枇杷茶がありますか?そういうことには、どうか遠慮しないでください。わざわざ買ってではありません。我が家にある無農薬の枇杷葉です。飲んでくださることが、私にはうれしいのですから。

 東側のフェンスの所の枇杷葉です。これは、淡路田中だったかな?種は1個植えたんだけど、芽は2つ出たのです。カストルとポルックスです。現在の高さは、1m20cm位でしょうか?ここの東側には、茂木もあります。実はこの茂木は、最初に植えていたのです。昨年、1個実を熟れさせただけで、木だけが高くなってます。
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何事も程々に

2009年11月29日 | Weblog
 今日は、陽射しも弱く、気温も低いが寒いと言うほどでもない。暖冬なのです。暖かい日がこのところ続いています。年末が訪れているようには思えない。子どもの頃とは、生活が豊かになったせいで、衣服が断熱性に優れ、また何回洗っても縮まない。耐久性もあって、破れることがないのがいい。然し解れはある。丁寧なミシン掛けができていない外国製に間々ある。

 まあ、価格が安いのだから、我慢するしかない。私は、ちょちょっと手縫いをする。気に入った物には愛着があって、わりと着ていたい方だから、捨てられない。特に、食べ零しや、穴が開いたりしたのには、ビーズを縫い付ける。リホームするのだが、結構着られるものですね。普段着でいいし、偶には職場にも着て行く。洗濯をしているのだから、一向に構わない。

 それでも外出ともなれば、一応はそれなりの恰好をするが、寒さには薄着は禁物とばかり、たくさん着込むと、却ってひどい目に遭う。交通手段が民間の乗り物だと、暖房の利かせ過ぎで、汗まで出る始末。体温調整が直ぐにはできない。何せ、足と腰には使い捨てカイロを貼り、腹巻と厚着のパンツを履いている。自分への防御策だが、JRさんには通じない。家からの移動手段で、寒さを防ぐ工夫なのですがね。南極や北極にあわせなくてもいい。暖房はほどほどがいいですね。

 午後までの勤務だったので、帰宅して枇杷葉を採った。枇杷エキスを抽出するためと、腰痛予防の葉を漬けておくため。枇杷葉の葉先と軸は、鋏で切ってお茶にした。寒中に作る枇杷葉茶は、リエさんや、サンタさん、りささん等に送ってあげる分です。私のは、こういう時の切れ端で充分作れ、保存をしています。花芽だけは旬のものですので、来月辺りに採るのです。

 若い時には、気がついていても、そのことだけに集中できませんでしたが、今はそうする事によって、月日が経つことがわかります。旧暦にも、学んでいくことが多く書かれていました。これらはその土地によったり、気候や住んで居る人間に微妙に関わってくることですね。年を重ねると、殊更にそういう想いが増えていきます。迷信ということだけで片付けるのではなく、何故そう言われているかを、考えてみるのも楽しいことです。

 生活に彩が増え、心が豊かになり、気分が爽やかになってきます。自分から扉を閉ざすのでなく、また誰かに開けてもらうのを待っているだけでもなく、アンテナを張っておくのもいいかもしれません。強引に主張するのではなく、知っていれば使えるということではないのでしょうか?祖母は、いつも工夫をすることを惜しまず、手先が器用なことを勗けていたようにも思えるのです。

 とてもうれしいことがあったよ。とあるサイトでは、切り番というのがあるのだが、本命こそ外しちゃったんだけど、プレゼントがあったの。ワクドキ♥作者の大きな懐に感謝です。
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感謝の心で・・・

2009年11月28日 | Weblog
 自分勝手というか、我儘と云うべきか。自分を卑下しているつもりが、引いては、相手の気分を損なうことにもなる。美人とか、ブスと言う言い方も嫌だが、自分の足らない物を、補うべく学ぼうとしている人は、内面が輝いていて、とてもきれいだ。心の中を磨くという作業は、黙ってしなければならず、またわかるようにするものでもない。立ち居振る舞いが自然で、然も相手の呼吸に合わせての行動ができなければ、目立っていやらしい。

 男女、関係なく、人間としての心が、いつも情感に流されないでいることも大切。正しいことが全て間違っていないということはない。正義は正しいが、それが通じなければ、間違っていることになる。ややこしいが致し方ない。悪もまた善成り。阿吽の呼吸と言うが、その通りで、同じ事をしたのでは意味がない。違うことを同時にやりながら、同じでなくてはならない。

 ああ言えば、こう云う。とも例えられるが、的を得た動きこそ、求められていることではないか?自分が動きたい時には、相手がどうしたら思うように動いてくれるかやってみれば、その動き方で決まるというもの。奢らず、卑下せず、自然の流れに逆らわず。実際にやってみれば簡単だが、其処に至るまでが、困難を極める。自分のやり方を押し付けたりすると、思うようには動いてくれない。年季が必要とも思えます♥ 主任さんの信頼に応えられるよう、日々精進してまいります。

 でもこれは、決して私一人にではない。スタッフの心が一つにならなければ、できないことだと思えます。自分の持っている力を最大限に生かせるよう、取り組んでいけたら、と強く感じました。まだまだ未知なる事柄が多くあると思います。学んでいかなければならないことも山積みです。図書館にせっせと通うことにしましょう。

 今日のお天気の汗ばむような暑さに、体温調整が難儀でした。これで風邪を引いたら元も子もない。着たり脱いだり、脱いだり着たりを繰り返しました。帰宅時間が区々なので、手袋とマフラーは忘れないよう、気をつけています。時雨があるので、置き傘もしています。嗽、手洗いには、枇杷茶に塩を入れたのを持参。経費節減で元手がいらない。何より喉にやさしいのがいい。

 イタリアに移住してしまったMさんに、赤ちゃんが生まれて3ヶ月くらいかな?母乳を飲んで育っているようです。可愛いねぇ。彼女に頬の辺りが似ているの。目も似てるかな?うふふ・・・大きくなってみなければわからないよね。元気で育ってくれることを祈っています。沖縄や北海道でも遠い、と思うのに、外国ですから尚更です。でも、彼女の顔がふっくらしているように思えます。

 枇杷の花芽に蜜蜂が寄せている。すごいや!!枇杷蜜はおいしいんだよ。って、本物の蜂蜜は、味と風味が違うのです。パンの生地がすっと吸収します。口当たりが円やかですよ。風邪を引いて、喉が痛い時には、大根の蜂蜜漬けがいい。でも、なまじ安物の蜂蜜だと、水っぽくなって不味いです。

 枇杷種酒を、少しばかりあげようと、瓶の封を切りました。途端に芳香が漂ってきて、思わず深呼吸をしました。飲みたい気持ちをぐっと抑えて、ジャム瓶に入れておきました。これを飲んで、何ていうかしらん。それを考えるとうれしくなってきます。
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蒼いしずく

2009年11月27日 | Weblog
 枇杷の葉を透かして、空を見上げたら、蒼いしずくのような雨粒が落ちてきた。何のことはない。朝露だった。まぶしい朝の光に照らされて、うれしそうに背伸びをしている。花芽の中に蜜蜂が群がっている。蝿も五月蝿いほどいる。蜜蜂は、日本蜜蜂で、ちょっと小型です。なんとも言えない匂いに、惹かれるように集まってきたようです。昨年は、あんまり飛んでいなかったのです。

 孫の学習発表会が、仕事でおじゃんになった。でもなあ、わざわざこの日を休みにしてもらっていたのに。理由もちゃんと説明してたのにね。すっかり忘れているんだもの、がっかりしたよ。馬鹿々しくて嫌になった。基本的には自分都合では変更は失礼だと思うのです。孫に電話すると、泣き声だった。楽しみにしてたんだものね。ばあばの家で、いっぱい練習して、行くのを約束したんだよね。

 宇宙の月が美しい。新月は、何処から昇ってくるか知ってる?今年は、国際天文年ですが、宇宙の星を堪能できましたか?(来年は、国際読書年です)後1ヶ月ほどになりましたが、四季の星座の位置がおわかりになりましたか?夏と冬の大三角の星座の名前が言えますか?って、興味の無い方には、馬の耳に念仏でしょう。最近は、馬の方が念仏をよく聴いているかもしれませんが・・・。

 通勤途上にある枇杷葉を眺めているが、まだまだ花芽は見えません。我が家のは比較的早くに、苞が膨らんできたようです。日当たりがいいのか?水脈だろうか?それともやはり天への路なのかしら?蜜蜂も何処からかやってくる。一体この数は何処に隠れていたのか?ほんとうに不思議なことです。

 花芽が、茶色の苞を破って、白い花弁の花を広げる。やがて白い花弁が散って、茶色の鍔だけになる。この中の幾つかが実になるのだが、我が家の場合は、1枝に10粒はつく。そうなると重たくて枝が撓る。最初の年、慌てて支えをしたよ。今年は予め、花芽を少し落とす。もうちょっと先になるのだが、花弁のあるのを摘むことにする。1月になると、蜜蜂は飛ばなくなるから、あっても用がない。それは花芽茶にしておく心算です。

 リエさん。移植した枇杷苗は、間隔をどの位離してますか?未だプランターの中でしたら、地植では2mは離してください。住まいが2階建てなら、伸ばしておけばいいですよ。2階でも収穫できますから。枇杷葉専用のと、食用とがあればいいのです。3本もあれば、生り始めたら、食べ切れません。(一人では・・・)焼酎に漬けたり、塩に入れたり、種を粉にしたりして、保存してください。

 枇杷葉を知って、仲間が増えていくのがとても心強いです。専門でされている方には、随分と生意気なことを書いているかも。私の場合は、民間療法で、祖母の直伝です。子どもの頃に、見たり聴いたりしていたことが、基本になっています。今更ながら、祖母の知恵に感謝しています。
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歌声は国境を越える

2009年11月26日 | Weblog
 CDを替えた。パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス。その歌声のどれもが、心にずしんと響く。おっとCDに聴き惚れてしまって、運転に注意です。『諸人こぞりて』『アベ・マリア』『神の御子は』しびれるなぁ。フィギア・スケートで、荒川静香さんが、プッチーニ『トゥーランドット』の『誰も寝てはならぬ』を華麗に舞ったことに甚く感銘したからだ。

 NHKの教育で、歌劇を放送していた頃は、『トスカ』『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『椿姫』『蝶々夫人』など、ほとんどを観ていた。三大テノール競演も観ているのに、『トゥーランドット』は知らなかった。観落としていた。『フィガロ・・』は舞台を観に行った。西洋版の喜劇も、言葉がわからないままに、楽しめるものだと思った。

 フィガロ・・を観たかった理由は、ケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が聴きたかったからだ。その昔、週刊マーガレットに連載されていた、水野英子の『白いトロイカ』の中で、ロザリンダが歌う件がある。このコマから歌声が洩れるようであった。素晴しい歌声だった。

 その後、『トゥーランドット』は有名になりすぎた。猫や杓子まで反り返って見せた。こうなると興味が失せる。また前後して、佐藤しのぶさんのコンサートで、『アベ・マリア』を聴く機会があった。体中の震えが止まらなかった。涙さえ出てきた。心を揺さぶられた一瞬でした。

 子どもであろうと、大人であろうと、いいものは佳い。心の襞に寄せては返してくる。自然のもたらしてくれる、真実を聞き分ける心でいたい。月の光を浴びて、凛とした姿でいたいもの。小さくても、新しき宇宙を創りたいものだ。自分の心に持っていたいと願う。

 孫の学習発表会があるが、インフルエンザで怪しい。今は、学年閉鎖である。今年は、全校でしないので、安心と思っていたが、どうなることかしら?風邪は万病の元と言いますから。風邪の初期には、胃薬で治るのです。まあ、理由は一目瞭然です。抗生物質の薬を服用するより、胃腸を元気にする方が、治りが速い。風邪を治すには、食べて体力をつけないことには、元気が出ませんでしょう。

 枇杷茶を、夏場から飲んでいれば、ここまでひどくはならなかった。ようにも思いますが・・・・・。私の言ったことが、当たる確率が高いので、言わないことにしたよ。まあ、人間の繋がりは、そこそこでいいのです。

 携帯に、枇杷葉の写真をたくさん撮った。いろいろ替えてにんまりしてます。りささんの友人さんは、枇杷種酒と、花芽茶をすんごく喜んでくださった。人間が丸くなれていいね。
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おまじないの呪文

2009年11月25日 | Weblog
 風邪のお呪いを唱える。『ナンタラカンタラ、イイカゲンヲイウテモ、風邪は膳の下にてタイサンスル・・・』と言うが如し、風邪を引かないようにするには、早寝早起き、野菜たっぷりの味噌汁にご飯。お茶をしっかり飲む。嗽、手洗いをすることで、予防するしかない。季節性のものも同じ。体調が思わしくない、と言う時には、大抵が暴飲暴食で、胃腸を酷使していることが多い。

 肉や魚より、温かでシンプルな料理がいいの。私は、手抜き料理で、雑炊やお粥にする。これに味噌汁1品を添える。あっつ!でもお腹が温まって、気分的にもリラックスする。雑炊には、野菜たっぷりです。青いものなら、なんでも入れる。この時期には、大根葉が豊富なので、湯がいて於いて冷凍にする。ラップに小分けにして包む。必要なだけ取り出して使える。

 小さな子どもが熱を出した時、キャベツや白菜の葉が、氷嚢代わりになる。自然の冷たさで、やんわりと熱を下げる。大根葉も同じですよ。私は、枇杷葉があるので、直ぐ採って使えますが、真夜中だったりしたら、野菜類が手っ取り早い。それから医者に行くかどうかを判断すればいい。救急車で慌てて行かなくても、じっと休ませておく方が、子どものためにはいいのです。親も、一晩ついていれば安心。

 病院で心細い思いをするより、家で傍に居る方がいいようにも。断っておきますが、但し、症状が初期的なもので、普段から平熱や、子どもの健康状態を知っておくことが一番です。慌てず騒がず冷静に。何よりも絶えず気にかけておく、心構えが大切です。子どもの声の調子、動作、眼差し、動作の調子等、健康な時を知っておけば、ちょっとした変化でわかると思いますよ。

 自分の最愛の者が、体調を崩せば、たちどころにわかる。能力の或る者は、怪我をすれば同じ箇所が痛む。病気になれば、瞬時に知らせてくれる。でも、助けられる命と、助けてはいけない命とある。また、助けられない命もあるのです。Sさんは、自分の命の余命を知っていた。誰にも告げずに逝った。その無念さが今も心で渦巻く。Sさんの夫と、娘は知らされていたが、それより先にわかっていたのだ。

 自分の死を覚悟するには、まだ早すぎたのに・・・。私の遭いたい気持ちを察知して、姿を見せてくれた。自分がこの世にはいないこと。宇宙に還ったことを告げにきてくれた。何故そんなものが視えたのか、解せないことだが、鮮明に眼に焼きついている。疑う余地はない。

 人間は、死ぬために生きている。命をもらった証に、何をすべきかを約束する。生まれてきて、すっかり忘れてしまうこともある。また、その使命のためにだけ、生きている人も居る。全てが神の御心のまま。自分の命であって、自分のものではない。命は、自分のためにではなく、誰かのためにあるのかもしれない。『輪廻転生』ともいうが、そうすることこそ生きていく証ではないのか?宇宙の無限の彼方には、一体どのような世界があるのだろう・・・。

 今年の祝島の枇杷の種が発芽した。無農薬で自然栽培なので、実が小さかった。我が家のと、ほとんど換わらない大きさでした。味は、我が家の方が、濃厚で艶やかでした。出荷状態はわかりませんが、痛みが激しかったのは、取りまとめて送ってきた為と思えます。苗の大きさは、丈が5cmで、葉が3枚。現在では葉は5枚になっています。

 
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温暖化の影響

2009年11月24日 | Weblog
 朝曇りで、何やら不穏な空模様。肌寒くも感じられ、生温かさもある。ちょっと頼りない天気。布団は干せないので、のんびりと新聞を読む。ドクダミ茶と珈琲を飲んで、身支度をして出かける。何時もの如く、水を頂きに行く。ついでに、足の裏を蒟蒻で温めてあげた。枇杷葉をあてがって数十分後、黒い箇所が現れてきた。いつものことながら、枇杷葉の効力に感心する。

 捻挫の足首や、足の甲には、小麦粉と酢を混ぜた物がいい。詳しい事はわからないが、これを痛みのある箇所に貼り付けておき、酢が抜けてカラカラに乾けば、熱が取れて気分がすっきりする。医者に行っても湿布をくれるだけなら、痛いのをおしてまで出かける必要もないのだ。却って動かないのがいい。枇杷葉を貼っておくのもいいが、取り替えること。小まめにしないと熱が引かない。

 腰痛にもいい。無論、熱を下げるためにする。その後は、決して冷やさないように、温圧療法をする。枇杷葉のエキスをたっぷり塗って、その上から温めた蒟蒻を当てるようにする。また、蒟蒻の常温での湿布で、熱を取るのもいい。湿布を貼るくらいなら、同じ効果がみられる。但し、蒟蒻に八つ当たりする人には向かない。

 帰宅しようと、外に出たら雨粒が落ちだした。この時期、雪花が散るのだが、温かいので雨なのだ。ざんざん降りになる。最近は水遣りを見合わせているが、自然の恵みは受けておこう。棚においてある鉢の下まで、雨が下りてくれるといいのだけれど。時々は、朝の水遣りで補っているよ。

 里絵さん。枇杷苗を移植させたんだね。窮屈そうだって言ってたから、深呼吸をしてるかな?我が家の枇杷苗は、5本しか出なかったんだ。昨年のは、移植してたんだけど、3本ほど枯れてしまった。まだ鉢に置いたままだから、新たに芽が出るかどうかわからないの。寒中には移動できないので、春先に様子見でします。地植がいいんだけども、鉢でないと移動が困難だし、誰かにあげるには、この方がいいからね。それにしても、随分と苗が増えた。毎年、種を植えていこうって思うよ。

 インフルエンザが猛威を奮っているようです。嗽や手洗いをすることと、食生活の見直しがあるようにも感じます。手軽な物には、やはりそれなりの害があり、食材を吟味したり、旬の物での素朴な料理は、季節にあった体を、培っていくのだと認識します。バランスのよい食事、というのも、四季折々にある素材を、充分に生かせなくては、体の中には吸収されません。

 また作っている者が、相手に対して、食べてもらいたいと思っての料理でなくては、食べる意欲に繋がらないようにも思えます。料理の出来は、作る立場の上手、下手も否めませんが、心がこもっていることも避けられないように思えるのです。味がついていればいい、というものでもなく、素朴な味こそ、素材の味を引き出させて、体の中に入っていくのではないのでしょうか?

 枇杷葉の花芽を取りたいのですが、12月に入ってからにしましょう。ちょうど満月になるのです。
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穏やかな日に

2009年11月23日 | Weblog
 勤労感謝の日。子どもの頃には、この日は籾摺りである。例年前日が雨で、早朝からたたき起こされて、手伝いを余儀なくされる。また当日に雨であったりする。青いシートを軒下に張ったりして、機械を覆うのだ。人間は二の次。スクモかきの祖母は、蓑笠で奮闘していた。赤い山茶花がスクモに埋もれていった。

 籾摺り機を持っている人が、1軒ずつ廻って来るので、我が家は順番からこの日と決まっていた。母は、炊事場と米俵を縫うのとでてんてこ舞い。私達兄妹は、玄米をせっせと米缶に移す。父が大きな米缶に運んでいく。お腹がキュルキュル鳴っても、限のいいところでなくては、機械は止められないから、ため息をつきつつ我慢していた。ご飯に、大根の膾、朝の味噌汁の残り。籾摺り屋さんと父には、お頭つきの魚が皿に乗っていた。骨を食べる猫が妙に羨ましかった。

 米俵は、予め祖母が織っていた。木の枠に藁を渡していき、縦と横とをきっちり組み合わせて、藁を編んでいく。米が零れて落ちないよう、編み上げるのだ。祖母の編む米俵には、蟻さえ忍び込めない。今もくっきりと眼に浮かぶ。祖母の真剣な眼差しが、丸くなっていた背中が、思い出されてくる。私は、見てはいても、米俵は作れない。母でさえ、まともには編めなかった。

 新米を食べさせてもらえるのは、小正月であった。後は、一昨年の米で賄う。小米は石臼で挽いて、団子汁を作るか、お湯で溶いてちょこっと砂糖を入れてかく。祖母の傍に居て、一口入れてもらうのがとても美味しかった。饅頭というか、蒸かしたのには、塩が少々入っているだけの物。小豆の餡など、入れてもらったことがない。それでもお八つであり、作ってもらえるだけ幸せであった。

 一条ふみさんという、お婆さんが書いている本を読んでいたら、しきりに祖母のことが甦ってきた。それは祖母のしていたことでもあり、その頃には、当たり前の備えであった。子ども心に気になって、覚えていたのには違いない。祖母の生きた時代には、本の類はとても少なかったであろうに、何故様々なことを知っていたのだろう。鳥や獣の言葉が通じていたのだろうか。とても不思議に思う。

 祖母のことを書こうと、思い立って、四季折々の出来事を並べてみた。私が小学校の頃の想いを、こうも鮮やかに覚えていたとは・・・。でも、書き進んでいく内に、たまらなく祖母に逢いたくなった。祖母の肉体は消滅したが、その思いは、私の心の中に確かにあるのだ。祖母は心の中に生きている。

 枇杷葉の花芽が、既に咲いて終わったのや、満開のや、未だ蕾なのがある。先日は、蜜蜂が飛んでいたが、めっきり少なくなった。やっぱり今年もだめかなぁ?明日は、午前中に花芽をかいでおこう。実が生るにしても、枝が折れてしまう。
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月の魅力

2009年11月22日 | Weblog
 月には、嫦娥姫が住んで居る。月宮殿の住まいには、兎の姿の女官達が居て、甲斐甲斐しく働いている。月は、女人しか住めない。嫦娥姫は天帝の想い人である。かぐやは、嫦娥姫の大切な天帝からの戴き物を、不調法から壊してしまい、地球に下ろされて修行をする。基から人間ではなく、月の兎なれば、期間限定で還らねばならぬ。しかし人間の姿で居れば、翁、媼の情愛が心に沁みる。

 月を観れば泣けてくる。還らねばならぬが、心が引き止めるのだ。終に、月からの迎えが下りて、かぐやは嫦娥姫の下に帰還する。満月の月の光は眩く、人々の心を包み込み、幻の如く見せてしまう。かぐやの心根を哀れに想って、嫦娥姫は、1年に1度、かぐやが月で餅つきをしている姿を、翁と媼に映し出して見せた。

 祖母は、夕涼みや、雨の日に、自分の思いも取り混ぜて、いろんな話をしてくれた。今となっては、根拠を聴くこともできないが、その時のわくわくした感情は忘れない。祖母の声が耳元に残っている。寡黙な祖母であった。働く以外には、生きる術を知らない人であった。祖母の想いの僅かも実践できないけれど、何かしら心を揺さぶられる。祖母の生きてきたことを話しに書いておこう。

 月と、祖母との関係は、農作業をするに当たって、なくてはならない基礎であったのだろう。月の姿を仰ぎ見ては、いろんなことを決めていた。祖母の言うことはそのまま、日々の暮らしであったのだ。天気模様もぴったり当たる。旧暦を知り尽くしていて、間違うことがなかった。その習慣は、母で廃れた。私がしていることは、まだまだおぼつかない。

 月を観てばかりだと、狂ってしまうらしい。いやいや、月の魔力に想いが往き過ぎて、自分のことを考えなくなるのだ。自分が住んで居るのが、地球でなく、月ではないか?と想い始め、そうすると月が見えなくなる。と哀しんで魂がなくなる。月にいけばこの想いが通じるかも、と逝ってしまう。悲願成就。

 月は、嫦娥姫の住まい。男子禁制である。そのため、月の番人となって、月宮殿を見えないように取り囲んでいる。ほんとかいな?いやいや満更嘘でもない。月は不思議な世界です。月を眺めながら、1杯やりますかね。

 枇杷苗。3年物です。北側なので、成長がイマイチです。路地植でしているのですが、日当たりが悪いため、著しい育ちかたはしません。南側の背丈とは、三分の一くらい違います。まあ、ゆっくり、じっくりでいいのです。
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身近な薬草

2009年11月21日 | Weblog
 風邪を引いた方が、鼻汁をかんでいる。ニュル~っと出てくる。ティッシュが何枚あっても足らないし、肌の弱い私などは、鼻の頭が剥けてしまう。そこでドクダミ茶を飲む。これが効きます。できれば生葉が良く、ちょっと揉んで鼻に詰めればいいのですが、冬場ではなかなかありません。ドクダミは夏の花を刈って、陰干しして、お茶で飲むのですが、意外と地中の根は知られていません。

 ものすごい繁殖力で増えます。従って、少々掘り下げたって、春になればどんどん伸びていきます。寒中の根がいいのですが、鼻水が壊れた水道のようでは、仕事になりません。この際です。掘ってみましょう。水道の水で洗って、笊で水を切りまして、新聞紙の上に広げて乾燥させます。1日経った根は、鋏で小さく切りましょう。これを1摘み薬缶に入れて煎じます。臭いに抵抗があるかもしれません。まあ、しんどさを取るか、ドクダミの効果を採るかは、あなた次第です。

 柿の種は、認知症の予防に効果があるようですね。また、ピーマンの種を食べれば、ダイエットできます。南瓜の種には、高血圧予防効果があるようですね。西瓜の種には、解熱効果があるって。きらん草にもあるよ。でも種ではありません。薬草と言っても、一昔前には、屋敷の何処かに植えてあって、季節がくれば花が咲いて、時期が来たら、実が生っていたんだ。それを、人間の都合で切り倒し、病気を増やしてしまったんだよ。

 私の記憶の中には、祖母が鼻風邪を治すのに、鼻の中に突っ込んでいた葉を覚えている。何でそんなことをしているのか、聞いていたのも思い出す。貧乏でもあったが、医者にかかるなど、とても贅沢なことで、概ね、身近な薬草を活用していたのだった。今も、雪平を七輪にかけて、お粥を作ってくれ、梅干を乗せて、寝床に運んで来てくれた、祖母の畳を軋ませる足音が耳に残っている。少し、雪平の底が焦げていたのも懐かしい。

 北国でも、枇杷葉は育つらしい。唯、結実には難儀でしょう。鉢仕立てで、移動できる大きさであればいい。冬場には必ず家内に取り込みましょう。雪のとける頃に、屋外に出しておけばよい。そうして、剪定をするのも忘れないで。毎年、繰り返してやっておけば、枇杷葉は新鮮なのが採れますよ。

 我が家の枇杷葉も、花芽が満開の枝が2~3あります。また、これから咲くのもあって、枝の花芽は区々です。日当たりや、風の吹き具合にもよるようです。茂木の赤枇杷の木が咲いていて、淡路田中枇杷は、まだ1mくらいのが根元で育っています。また、茂木の赤枇杷の実が生って、食べた実の種を植えたのが芽を出し、15cmくらいで葉が6枚ほどついているのが発育中。

 鉢で育っているのが15本ほど。路地植のが4本ある。鉢だったのが根が伸びて路地植状態のが5本です。その全体の中の数本が白枇杷です。でも、未だ実が生らないから、証明するのは難しい。葉の色が薄い、と言うしかありません。

 フリージア、ラナンキュラス、アネモネ、水仙等が、すくすくと芽を出して、育っています。うふふ・・・春が楽しみ♪宿根草も植えたよ。
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