枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

七草、勤務大荒れ

2018年01月07日 | Weblog

 インフルエンザで、職員の家族や本人に症状が出て、勤務には来られない。然し、施設を閉鎖する訳にはいかずであり、人数の調整が出来なければ最悪。どっちかと言うと、病院に行って移されている気がしないでもない。枇杷葉茶を飲み、通草酒で嗽を。

 小学校時代の恩師に会い、新年の挨拶をすれば、顔を見てくれと差し出す。腫れも痛みもすっかり消え、却って顔色が良くなった。ありがとうと涙ながらのお礼である。信じる者は救われる、とも言うがよかったこと。枇杷葉の威力を身を以って知ったようだ。

  Aさん家に、水を分けてもらいに寄る。寒中の水でもあり、ペットボトルに汲ませてもらう。1年間、どうにもならずで、美味しさが格別であるよ。実験をしているのではないが、何故に寒中の水はいいのだろうか?不思議な想いがするものの、自然の恩恵。

 自然を壊し、人間の勝手都合で行うことには、何も齎されないが、感謝し祈り、ありがたく想えることは、少しの恵を分けてもらえるのだ。幸せには多くを望まず、どんな小さなことにも、ありがとうと言えること。口先だけでの言葉では、見破られてしまうのだ。

 我が家の枇杷葉には、実に不思議なことが起きる。暁子さんのお元気だった頃、お隣の枇杷葉が繁って、その恩恵を分けてもらっていたとか。ところが、病気になられてしまい、その枇杷葉も伐られたそうだ。飛び梅ではないが、我が家に飛んで来ている。

 昨年の初花芽もだが、今年の鈴なり状態の花芽にびっくりした。この枇杷葉を、暁子さんのにと決めたのも直で、その結果、結実したんだよ。伐らないでほしかったが、東京まで受け取りには行けず、管理される方も居ないでは、現実には厳しいらしかった。

 でも。我が家に来てくれたんだ、ということはよく分かる。人間の魂も、想う人には添っているので、視えるのだ。幻視や幻聴ではない。直に頭に伝わってくる。テレパシーとも言うが、これは体験した者でないと、説明が難しい。超常現象と言うのは突然起きる。

 昨日、ニューイヤー・コンサートがあって、再放送だが職場で聴いた。マリス・ヤンソンさんの指揮ではなかったが、この番組は充実感のある素晴しさだ。自宅では観ないので、偶然のご褒美だった。中継の中であるバレエも素敵で、その衣装にため息が出る。

 楽器の名前も多少は言えて、未だ認知症にはなっていないことを確認する。年賀状も略届いて来、返信も済ませた。明日は、寒中見舞いを書こう。今年は、プリンターが壊れたので、手書きにしている。以前には、全部手描きでしていたのを、横着になった。

 クリスマスローズの色が、薄桃で八重である。一重の方が好みだが、注文したのが単に八重だっただけ。

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