枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦にみる

2012年11月30日 | Weblog

 新暦が悪い、と言うのではないが、馴染めないことが多い。その一つが、年間の行事で、慌しさだけが先行する。どうもね、そんなに急がなくてもいいような気がします。その癖、ちゃっかり外国のいいところを取り入れて使う。クリスマスにバレンタインもそう。

 日本に、古来からあった様々な暮らしが、消えていくばかり。お正月も迎えるためには、色々と準備があり、家族総出で大掃除をし、清々しさを飾って、お出で願っていた。それが、掃除からして、専門業者に頼み、お節料理は注文である。

 ああ、お金がなくてよかった。たくさんは作らないが、材料は安い物。保存も効く。そういった工夫を怠らないことが、何かあった時、役に立つ。震災の時には、あらゆる物が遮断される。極限の状態の中で、熱いお茶は飲めないだの、待てないでは・・・。

 大潮の時には、充分に気をつけよう。満干潮にも用心しよう。油断をすると、事故につながる事も出てくる。太公望には、旧暦は味方する。月と潮の関係を熟知することで、獲物が釣り上がる。小物から大物まで自由自在。文庫で読み直そう。

 通勤の足元が冷たいので、ブーツを買う。防水機能もあって、履き心地がいい。塩で体を揉んでいるから、薄着でも寒くはないが、足元は雨で濡れるのが厭である。長靴もいいが、気に入ったのがなかった。ネットの注文は早いし便利。

 洗濯物を取り込んでいると、枇杷葉の花芽が香ってくる。未だ咲き初めで、たくさんではないのに、とても佳い匂いだ。枇杷葉と知らなければ、きっと気づかない。柊もそうだが、小さな白い花のどこから、匂ってくるのか。と想うほど。

 白いヒヤシンス。七瀬のイメージ。七瀬・ふたたび。というからには、あれがそうだったのだろう。NHKであった『少年ドラマシリーズ』、DVDを買った。

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泳げない・・・

2012年11月29日 | Weblog

 海が苦手で、人魚姫を読む度に、こういう世界のあることに、疑問を抱く。ベルヌの海底二万里は別。地上も然程のことはなく、汚染されているから、単に海の汚れは言えない。昔、昔には、浦島太郎が訪れた、竜宮城があったらしい。

 平家の滅亡時に、幼い帝を抱いて、波の下にも都はありましょうぞ。と、入水したのは有名。果たしてその都には、辿り着けたのだろうか。環境的に、汚れは自然のままだろう。まあ、真実を突き詰めなくても、行ってみたいとは思わない。

 宇宙も同じ。然るに、見上げれば観えるから。これが、防護服を着たり、宇宙服を被ったりでは窮屈だ。酸素があってこそ、外での観察が可能になるのだ。要は、貧乏人には、お金がかからぬからできることだ。枇杷葉も同じです。

 金銭的に恵まれていたり、医者の友達がいれば違っていた。幸いにも、一人も居ない。枇杷葉は、お釈迦さまのお導きだと思える。赤ひげのように、庶民に親身になる医者なら、信頼できるのだが。パソコンを見つつ、患者の顔をきちんと見ないで、症状がわかるのか。

 医は二術。と言うではないか。精神的に参っていたり、どことなく浮かない顔であれば、心に病を抱えていることがある。性格もあるかも知れぬが、笑顔が出ない訳は根深い。確かに、他人のことなどお構い無しにしなければ、業績は上がらないだろう。

 負け惜しみではなく、金のないのを幸せに思う。貧乏で卑屈になることはないが、時に腹立たしい思いもある。然し、我が家のポストには、誰も投げ込んではくれぬ。宝くじを買うよりは、今日の生活を大切にしようと想う。夜空に、十六夜の月と木星が輝く。

 ちょうど、午前0時を周って撮った。月を眺めていれば厭きないが、首が痛くなった。今日日、外で寝転ぶには寒い。寝袋がないのだ。

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落ち込む・・・

2012年11月28日 | Weblog

 昨夜、やっとリエさんと連絡がつく。リエさんのブログに書き込んでおいたが、父上さま、無事に退院されたらしい。でも、在宅での介護は、介護人が倒れることもあるから、できる限りは、本人にしてもらうのがいい。時間はかかるが、リハビリも兼ねて。

 一番困るのが、傍に居ること。付きっ切りにはなれないが、不安から心の安定を欠き、介護人の姿を追う。結果、転倒することに。ここに居てね、動いちゃだめよ。座っていてね等、それらが守られない。姿が見えなくなると、不安から動いてしまう。

 元気な時には、身体への指令は、多少時間はかかっても出来ていた。その差異がわからなくなる。躊躇することも転倒に繋がる。何もない所で転ぶ。暗に高齢者でなくて、三半規管が弱かったりすると、転倒が多い。先日、尻餅をついた。

 或いは、1対1の在宅の方が、安全なことも多い。施設だと、大勢を勤務者が見ることになる。時間的に動くか、他のことはしないでおくか。ところがそれは至難の業。食べることしか、愉しみがない。従って食事はどうあっても摂る。然るに介助が必要。

 生きているという事は、お互いが援けあい、協力しあってできること。自然に年を重ねていくことだが、認知症は、新しいことを認識できないのだ。根気負けする。その人のあるがままを、受け入れていくことしかない。我儘を聴くこととは違う。

 介護って、何だろう。と、考えてしまう。今も昔も、耐えることに繋がっていくのか。高齢者への尊厳も、威張り散らす相手に、あやまることとは違うような気がする。白を黒、と言われて、そうですね。と答えればいいのだろうか。難しい。

 アネモネ。赤と青のトライアングル。夏の大三角を咲かせたよう。天に星、地上に花、人に愛

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花芽が咲き始めたよ

2012年11月27日 | Weblog

 長崎茂木の花芽が開花した。今朝、庭に出たら、芳香が漂ってきた。寒さが厳しくなる、この時期には、風も出るので、夜間の時には、匂いに魅了される。昨日までは、薄茶色の苞の中に収まっていたのに。雨が降って晴れ、月がかかったのがよかったのか。

 心がうきうきし、洗濯物と布団干しをする。のんびりとはできないのだが、休みのモードになっている。観葉植物の水遣り、枇杷葉の様子も見る。白枇杷葉は、流石に北向きなので、硬い苞のまま。東側の長崎茂木も咲かない。

 時雨があるかと思ってはいたが、どうやら雲が広がっただけ。布団を仕舞い、青空市に行く。椎茸のでかいのがあった。ほうれん草、大根を買う。燃料を入れて、近くのスーパーで蒲鉾と竹輪、揚げ、生鮩を買い帰宅。ご飯が炊けている。

 生鮩は酒を入れ、塩糀を混ぜる。炊き立てのご飯に乗せて食す。おいしい!清酒がたくさんあれば、これで生鮩を洗うのだが、少なかったので止めた。寿しをしようとの買い物であったが、この時点で散らし寿しに決める。

 椎茸を刻み、出し昆布と三温糖、醤油で味をつける。今日の材料は、竹輪、蒲鉾、沢庵、揚げである。来月になったら、県境の温泉に行くので、その準備である。友人は、味がしっかりついたのがいい、と御託を並べる。注文が多いのだ。

 コンビニ弁当も厭だが、レストランのメニューも少なく、あまり頂けない。前回に行った時、規模が半減しており、食事も幅がなかった。儲かっていないとは言え、がっかりしたのだ。弁当持参の方が、気分も好いというもの。早朝起きだが。

 知人に、枇杷苗を鉢ごと上げます。と連絡する。風邪を引かれていた。手洗い・嗽を、塩でされるよう伝える。その塩の効用には驚く。寒いのであるが、然程感じない。今頃の私には、信じられない現象である。パソコンしながらも毛布だけだ。

 特に、足の裏を、根気良く擦るのが好い。両手は、この時期、洗剤負けして、指先から血が出る。炸裂するのであるから、触るものが血だらけ。ところが今年はない。背中の痒みは、ピタッと止まり、ぽかぽかしているのも不思議だ。

 ゆすら梅である。小さな花弁の白い花だ。実が生るが、よく熟れた頃を見計らって、野鳥にやられる。気をつけないと、一撃をくらう。

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十三夜

2012年11月26日 | Weblog

 昨夜からの雨に、疲れを布団での寝溜めと決めていた。突如として、携帯が鳴る。悪友だ。朝の徒歩会が、雨で流れたから、これから行くと言う。寝かせてくれ。と言ったが、そんなに手間は取らせない。やれやれ・・・できるだけゆくっりの来宅を。

 ケーキを手土産に来た友人。珈琲を飲み、さっさと帰る。何、注文品を取りに来ただけだが、頭がしゃんとしない。その後、インスタント(無農薬)の珈琲を淹れ直して、朝食を摂る。雨が下止みになったので、葱の根を植える。枇杷葉の傷んだ葉を外す。

 枝々の間を見遣ると、花芽があった。ここ2日間に、苞から覗いたようだ。3つばかり見つけた。携帯での撮影をする。サンタさん枇杷葉には、何と7枝も花芽が見える。少なくとも7個は実が生るだろう。うふふ・・愉しみだ。長崎茂木は、例年鈴なり。

 白枇杷葉は、これまたたくさんの花芽だが、さて、どうなるかなぁ。苗も、白枇杷らしいのと、白茂木かな?というのがある。違いは、葉の色だけだが、中々育たない。紆余屈折である。年数が経てば、花芽はつくのだが、結実時に寒かったりすると支障が出る。

 今年は、実の出来がよくなかった。従って、枇杷酒が少ない。梅酒もそうだが、1年ではなく2~3年は寝かせてほしい。使った時、滑らかでサラサラです。ジャム瓶での保管だが、使用時には数十倍に薄める。効力には違いがない。

 山女のエキスが、濃厚に出来た。昨年のも併せて、充分な蓄えだ。山には行けないが、青空市での購入を発見した。生活の面から言うと、お互いの為であろう。商売の邪魔をしてはいけない。枇杷葉も、種から育てれば、愉しみという絆に結びつく。

 十五夜の月。新暦と旧暦では、旧暦の方が、数倍も光が違う。同じ月ではあるが、その輝きに魅了される。

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忙しい・・・

2012年11月25日 | Weblog

 忙しい・・・。能率的に動かないからだろうか。手際が悪いからか。要領も悪いのだ。自分でやれる範囲を超えてしまうと、人間はストレスを抱える。力が発揮できない。それでもできている他人を見ると、ため息が出る始末。

 最近は、忙しいことを口実にしている。真摯にすればするほど、ジレンマが襲う。何故なのだろうか。勤務を終え、帰宅しても解放されない。自問自答するが、答えは出ない。テキストを広げて、問題をこなすのが精一杯だ。余計に混線する。

 生涯、学ぶことは大切であり、教えを乞うことも多い。共感や納得も含めて、自分なりに取り入れたく思う。だが、世間の荒波は強い。流浪の旅に出そうになる。いや、人生とは。流浪の旅、そのものかもしれない。別れの方が増えてきた。

  某サイトのキリ番を逃した。惜しい・・・。キャラクターのストラップがほしかったのだが。今度上京したら、買いに行くかな。明日は、雨かなぁ。月の周りがぼやけていた。十三夜であるのに。落語に行こうかと思い悩んでしまう。出かけて、体調が悪くなるのもどうかなぁ。

 リエさん、お元気でしょうか。電話をかけるが、呼び出し音だけだ。介護の日々は、厳しいから、きっと忙しくされてだろう。風邪を引いてはいないかな。ちゃんと睡眠をとっているかな。食事はきちんと食べているかな。塩でのマッサージが効くよ。

 友人と、温泉に行こうかと話す。県境に、静かで眺めの良い場所がある。片道2時間だが、いい所です。特に、冬の雪景色は最高です。車も走り難いが。露天風呂がいいのです。贅沢と言えばこれくらいですが、我が家の枇杷湯も、中々好いのです。

 初夏の頃に咲く、海棠だ。桜よりも、風に揺れる花弁が、優雅です。然し、虫は好みなのか、毎年捕獲に躍起になる。

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見上げた宇宙に・・・

2012年11月24日 | Weblog

 冬であるが、夏の大三角を西に観る。東には、木星がある。南に向いて、月が渡っていく。北半球だけであるが星々の輝きの美しさだ。この美しい宇宙を、一体何人の人々が眺めているのだろう。大半は、寒いと部屋から出ることなどないような気がする。

 古人は、宇宙を見遣り、風の向きを、温度や湿度を思い、明日の農耕へと励んできた。今は、手を汚さずに、行おうとする。農薬浸けの野菜も、作物もいらない。放射線も必要ない。安心で安全な食べ物を、今こそ作らなければ。人間の破壊である。

 高齢者の人格の破壊が起きるのも、昨今の手軽な食べ物によるのではないのか。そこには、防腐剤も、添加物も、着色料も、付加しなければ、超時期持たないし、大量には作れない。家畜を飼っていた時には、残り物は平らげてくれた。

 現在は、ゴミである。捨てないで、腐らせないで食べ切ることが、少なくなった。犬や猫でさえ、贅沢な餌になった。神さまは、人類を驕らせ、傲慢にして、破滅への道に誘っているのだろうか。原発の行方には、未来はない気がする。

 栄養を摂り過ぎては、肥満になるし、病気にもなる。清貧の暮らしで、一日が生きられればいい。生きることこそ、最大の贅沢ではないか。人間の欲望には限度がなくなり、お金さえ出せば、何でも買える。だが真実も、真心も、買えるのだろうか。

 介護の資格はなくても、看取ることは当たり前であった。否応無しに嫁の立場がさせた。どんなに尽くしても、金銭的には何もなく、文句だけを言われた。昭和の時代までは、耐えることで生きてきた。ビジネスと言うが、罪悪感が片隅に残る。

 昨年の開花状態。咲いた後、枝が枯れた。今年は、半分くらいが蕾をつけている。

 

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勤労感謝の日

2012年11月23日 | Weblog

 働くことを、働けることを、感謝する日。感染症の疑いを持たれ、仕事ができなかったことは、とてもよい教訓です。たまにはいいが、長いと疲れる。働いても、働けど、金は貯まらないが、ため息とストレスは溜まる。ジレンマの連続に陥る。

 朝から、しょぼしょぼと濡れしょぼる雨。寒いと言うほどでもないが、暖かくはない。アレルギーやアトピーの人は、塩が良く効くのに、痛さにのっけから拒絶する。でも肌が滑々になるのに惜しい。鼻炎にも、塩水を吸い込んで吐けばいい。

 まあ、痛いだろうなぁ。毎晩、塩で体を洗っているけど、あの、湯をかける瞬間は、可なりのものである。然し、その後の体の温もりと、肌の艶やかさには勝てない。塩には、殺菌作用もある。体の免疫も抵抗力も増やす。それでかな?感染しなかったの。

 尤も、この数年間、風邪らしきことはあっても、寝込んだこともなく、熱も37℃台である。梅酒も効いている。自然の恩恵を受けた、様々な物であれば、人間の自然治癒能力を高める。加えて、二度と、酷くならないように、抵抗力を増やしていく。

 何かと言うと、直ぐ病院に走ると、もらわなくてもいい病菌を持ち帰る。家の中で増殖しているようなもの。新機種のものになったのが、更に強くなって体内に侵入するのだ。だが、そういった細菌の動きは、ミクロの大きさで見えないのである。

 あまり気にするのも、反対にしないのも、多いに問題があろう。こういった微生物に立ち向かうには、やはり底辺の力が求められる。それが枇杷葉であり、塩でもある。糀菌もそうであろう。毎朝の味噌汁が、体にいいのには、そういった理由がある。

 実際は、10年経っている。30cmくらいで枯れた。その後、切ってしまおうと見たら、何と芽吹いていたのだ。それから3年である。リラの木を切った。

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花芽の咲く頃

2012年11月22日 | Weblog

 そろそろだなぁ。と、枇杷葉を見上げれば、葉の混みあった枝の場所が、硬い苞を破っている。白い花弁が覗く。芳香もしている。新暦では下旬、旧暦では神無月の中旬頃に咲き始める。毎年ごとに、余り狂うこともなく咲く。自然とは宇宙の基本である。

 全国の神さまが、居なくなる月なので、神無月と言うが、島根県だけは、神在月と言われる。何しろ、そこに約浦々神々が集まるからで、出雲地方は賑やかになると伝えられる。八雲立つ、と言われた地方に、なぜ神々が集まるのだろう。

 歴史的な見解は避け、個人的な考えで言えば、朝鮮半島の百済・新羅・高句麗といった国の成り立ちが、日本民族への影響を左右し、古来先住民としていた沖縄の人々、北海道のアイヌの一族への追放にあったのではないか。

 戦争・討伐とは名を借りた侵略で、自分達の政権争いに、其処に居た人々が邪魔になった気がしないでもない。平和で安全な、戦うことを嫌っていた者には、敵愾心もなく、友好的な試みを持っていたように思える。卑怯かつ残酷な手段を使った。

 その頃から、強い者が生きていくために、虐げられ、意志の尊重などなく、殺戮が行われてきた。今は、民主主義の世の中で、そういった傍若無人はできないが、闇でのことはわからない。法律で守られているとはいえ、その網を潜ることもある。

 下痢もなく、熱も下がったのに、仕事に行けない。理由は、〇の検査ができないからだ。仕方なく再度上司に連絡を入れ、受診する。今日は、若いDrである。事情を説明すると、何か食べましたか。と、聞かれる。あっ、牛乳をコップに1杯飲みました。

 日頃、便秘気味なので、休みとて体調維持のためと、1杯飲んだのだ。ところが折悪しく、夕方からの上映会。腹の痛みに、トイレに駆け込んだのが拙かった。でも、我慢できる状態でもないし。唯、帰宅した時点で、熱が出たり、体のだるさも伴っていたのよ。

 やれやれ。すっかりのんびりとしてしまった。家に居られるのはいいが、外出を制限されると、図書館にも行けない。ひたすら試験勉強のみである。何れにせよ、病院には余程のことがない限り、行くものか。と思うのであった。教訓である。

 冬になって尚、咲き続けるセージ。枇杷葉の緑と、セージの赤が対照的で鮮やか。晩秋のセージです。

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曇ると寒い・・・

2012年11月21日 | Weblog

 太陽のお蔭という、ありがたい自然の恵み。昨日の暖かさと変わって、肌寒い日だ。試験勉強をやっているが、あまり温かくなると眠くなる。然し、冷えは困る。ここが我慢のしどころである。まだ出勤停止が解除されていないので、家に居るしかない。

 熱も平常に戻ったし、何処も悪くはない。頭と性格以外なら。これくらいのことで、大騒ぎをすること自体が理解不可能だ。高々、お腹を壊したくらいで、仕事を休んでいたら、どんな病気になっても即、入院だよ。だから医者は好かんのよ。病院も。

 却って病院に行って、事態が悪化したような気がする。人間、自分のことは付き合いが長い分知ってます。悪霊退散したから、復帰したい。何だか、菱沼聖子の心境。ま、いっか。勉強に専念できる、というものだ。何かと忙しいので、薬を飲むのを忘れた。

 今晩は雨だ。林檎の苗を植えたので、湿りがあってもいい。山茶花が開花して、冬らしい趣。今年は、湯たんぽを出していないので、ちょっと錯覚するが、枇杷葉の花芽も、薄茶色の苞を破って来ている。心地よい匂いも、程なくするだろう。

 プランターの球根を植えたのに、野良猫が糞をしていた。球根がほじくってある。猫の性質上、土が軟らかければ掘るのだ。仕方ない、高い所に置く。油断していた。塩と、大蒜も追加した。夜間だけでもなさそう、こちらの居ない時を狙って来る。

 銀河が居なくなって、こういった現象に悩まされる。生前なら、厚かましさがなかった。幾ら屋敷内で飼っていても、一目置かれていたのだ。猫の人形では拙いだろうか。等と、思わないでもないが諦める。銀河に似たのを拾って来よう。

 今秋の、あけびだ。青空市で買った。昨年のも、一昨年のも、とてもいいエキスができている。喉の痰が絡むのが取れる。ジャム瓶を2ℓに足して、1匙で嗽をする。

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