枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

産地と云えども・・・

2010年07月31日 | Weblog
 各地の生産物の品質も、生産農家によっては味が異なる。早く言えば、土と水と空気でしょう。土は微生物が活発に働き、水は成長を育み、空気は風と湿度、温度の調整を行なう。同じ品物であっても、産地や農家の人の手で、微妙に変化を起こすのだ。実に、摩訶不思議な?と、思うかもしれないが、強ち違ってはいない。どんな物も、土がよくないと育たないのだ。自然の中でこそ、育っていくように思える。

 自然とは、奥深い山を云うのではなく、農薬をかけずに育てることを指す。あるがままにしておいてこそ、命を伝えているのだから。枇杷葉を学校の敷地で見かけるのには、給食で出た実を食べ、何気なく捨てた種が、いつの間にか育ったのが多い。だが、その殆どは、活用法も知られないで、放置去れているのに過ぎない。近くの学校にも、体育館の裏手に巨木があるが、誰も採らない。もったいないことだ。

 我が家の枇杷葉も、育つに任せておけばいいのだが、何分隣の敷地と被さってしまう。狭いのである。生き物の命など、何とも思わず、蜂だ、毛虫だと煩いのが、枇杷といえども、育ち過ぎれば結果は悲惨。そうなるくらいなら剪定をしておく。今に枇杷屋敷になるよ。その日は遠からずだろう。リエさんや、りささん。サンタさんにも充分に送ってあげたいな。某サイトの作家さんやお仲間(すたすた坊主さん。yamamotoさん)にも。

 枇杷葉茶は、飲めば痩せます。条件として、自分で病気を追い出し、元気を取り入れることを目標にすることです。自然治癒能力を高めてくださいね。太る原因には、体の浮腫があります。肝臓、腎臓、脾臓、心臓、リンパ線の血液の浮腫みです。これを徹底的にきれいにすることが一番ですね。自分の体の基礎を知って、ライフスタイルを変えることです。でもこれは、自分で思わないとできないよ。

 孫の姉の方は、痒かったり、擦り傷などは、直ぐに枇杷エキスを塗って!と言う。枇杷の種を焼酎に漬けているのを、少量容器に入れて、新しい焼酎を注ぎ足したものだ。スプレーしてやると、にこっとして遊んでいる。治りも早い。枇杷葉のエキスは、外科用的処置に、花芽や種は美白効果があるので、ローションで使うのです。化粧水で使うと、一日潤っています。サラ艶効果があります。

 枇杷ローションで使った場合、夏場の汗が出ても、さしてベタつきません。かといって潤いを取ってしまうのでもない。とても保湿効果があります。角質を剥すのですが、ざらつきもなく、ぱさつきもないのです。市販の物は、幾分高めですが、使ってみればその良さがわかります。ローションの作り方は、枇杷の種を焼酎に漬けるだけ。但し、1年から2年の摘出が必要です。早すぎると、肌に馴染みません。

 枇杷苗。発芽して、2ヶ月から3ヶ月経った頃です。移植は、その年の12月か、次年度の寒中にします。慌ててすると、折角伸びた根を切ってしまいます。旧暦を参照してください。
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奈良のお寺の枇杷葉・・・

2010年07月30日 | Weblog
 Aさんのご実家はお寺です。Aさんの姉に当たる方が、跡を継いでおられる。其処の娘さんになられる方の子ども。即ちお孫さんは、アトピーがひどくて難儀をされている。先日、井戸水で沸かした枇杷茶を持って行かれたら、何でも奈良の方に親しい方がいて、屋敷の中には(お寺)大きな枇杷の木が2本あるのだが、活用方法はどうすればいいのか。と、聴かれたらしい。Aさんのご実家も、以前は枇杷の木があったそうです。

 で。Aさんは、ネットでの検索を薦められたそうだ。奈良のお寺の名前は存じませんが、枇杷茶のいいことを伝え聞いてのことらしい。この時期の枇杷葉は、できれば採らないのがいいのですが、止む無くであれば、硬くてゴワゴワした葉を、取ってください。決して軟らかい葉を採らないように!この新芽の所には、10月中旬頃から、薄茶色の苞が現れてきて、次第に育ち花が咲きます。

 12月から1月にかけて、白い可憐な花を咲かせ、その匂いは馥郁としたものです。枇杷葉は、バラ科に属しますから、とても香りがいいのです。また寒中の時期に、お茶にするべく採るのは、自然乾燥でき、腐らず傷まずで保管できるからです。但し、春先から秋までは、蟻に充分な注意がいります。缶での密封か、冷凍庫での管理をしましょう。蟻の嗅覚は素晴らしく、あっという間に持ち去られます。

 旧暦をご存知の方なら、寒中の作業の大切さは、云うまでもないこと。また、潮の満干潮や、月の満ち欠けも考慮しての、採取をされますように。枇杷葉の効果も、大きく異なるような気がします。神仏の教えの元は、宇宙そのものでしょう。生きとし活けるもの全て、宇宙の中にあるのです。奈良には、光明皇后のなされた、施薬院が実際に残って居る、枇杷葉の発祥の地です。薬湯を入れての治療は、文献にも残っているとか。

 奈良のお寺の方が、上手く私のブログまで、たどり着いてくれればいいな。と思いつつ、サンタさんのお知り合いの方も、快方に向かっているアトピーが、枇杷葉茶での効果の現われだという真実で、Aさんのご実家の方も、枇杷葉茶を飲んでくださるとうれしいです。近くですから、井戸水を汲みにおいでになるとよろしいのですが。tikoさん、心尽くしの梅ジュースを、どうもありがとう♥

 枇杷葉をお茶で飲まれるのに、注意しておくことは、煮出さないでください。弱火で小1時間程度煎じて、枇杷葉は1度で捨てたりしません。せめて5回くらいは煎じましょう。またその後は枇杷湯にしたり、排水口に入れたりして、環境にやさしい使い方をします。そして最後には、土に還してやります。自然の物を生かす方法は、最後まで使い切ることですよ。

 ねじ花です。これって、種が風で飛ぶんです。我が家のがあちこちに行って、可憐な花を咲かせています。
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百日紅咲く

2010年07月29日 | Weblog
 白の百日紅が咲いた。花木店で求めた時には、僅か10cm程の丈であったのが、今は1m位になっている。昨年は、花があまりつかなかったよ。今年は、早くから蕾ができて、土用辺りから咲き出した。薄桃色のも咲いているが、これは直径が20cmの小さな苗木。北側の白枇杷の根元にあるのは、薄紫の百日紅。これもほんとうに小さな苗だった。巨木になるのだが、このくらいが丁度いいな。と水遣りをしながら眺めている。

 休みの日には、孫たちが押しかけて来る。赤ん坊ではないので、各々したいことをさせている。しかし、口争いをしている。初めての時には、猫被りでおとなしかった妹も、家とは違って好きなことができるとあって、思う通りにしようとする。そうなると、これまで誰の邪魔も受けなかった姉は、気に入らない。衝突が起きる。同じようにしなくてはならず、それだと食事などは残す。バランスの加減が難しい。帰ってくれるとほっとする。

 10時には梅ジュースとシューアイスを。お昼にはご飯とハンバーグ。デザートにはメロンを食べさせ、お八つには、桃を丸ごと出してやった。勿論、皮を剥いて、一口大に切ってだが。これで夕飯は食べれないでしょう。贅沢なことです。知人の家まで行って、はずれを分けてもらったのだが未だ硬い。我が家の枇杷の方が美味しい。と思う・・・。でも、大きさが違うし、やはり旬の果物ですからね。

 リエさんに、直接食べてもらいたいのだが、仕事の関係で休めないらしい。枇杷も桃も、保存は効くんだけど、味が違うからね。缶詰の味では、味気ない。今年は、少し多めに送るよ。頼んで来ましたから、待っていてくださいね。枇杷葉を少し採って、焼酎に漬けよう。腰痛にはこの湿布が効くんだ。手拭に包んで、肌に当てておくと、じんわりと浸透するのです。腹巻も離しませんが、調子がいいからとしなかったら、足が疼きます。

 この時期の枇杷葉は、2回目の新芽を出していますから、特に硬くてごわごわしたのでします。葉の先と軸はお茶にします。或いは、枇杷湯に使います。冷房で体が冷え切っていますから、温めの枇杷湯、半身浴が最適ですね。湯舟に浸からないと、角質が剥がれません。強く擦るのではなく、温めたら緩くマッサージするだけで、面白いほど取れます。枇杷茶を飲んで、枇杷湯に入るのは、理に適った方法です。

 勤務先のスタッフにも、直接寒さが当たらないようにする方もいて、仕事がやり易いですが、何かと言えば冷房を付けたり、温度設定を低めにする者も居て、その調整にはとても気を使います。年寄りの冷や水。と言うのも、満更なことでもないのですね。夏は、暑い!!湿気があるのは、日本の特徴です。体にはある程度の雑菌がなかったら、抗体や免疫もなくなってしまう。快適さには、そういったマイナス面もあります。

 我が家には、クーラーがない。って言うか、設置していません。夏は、木々の葉が繁って涼しく、冬は地熱で温かい。そんな風に思えだしたのは、此処が異質な感じがするから。この箇所だけが、何となく違っているような・・・。宇宙の摂理に逆らわないで、自然のままでいるのがいいらしい。誰かが困っていたら、其処に手を差し伸べてあげ、必要とあらば馳せ参じる。全て、神のお導きだ。

 サンタさんのお知り合いの方は、いろいろされているようですが、こういったことは、何事も自然体がいいのですよ。枇杷茶をたっぷり飲んで、季節の野菜や果物をたっぷり頂き、素材を生かした料理をしてください。調味料は、できるだけシンプルにしましょう。その基本は、塩ですよ。目安は、深海塩ですが、200gが¥800くらいします。体にいいものを、少しだけ頂けば、価格としてはあまり変わりませんよ。

 私は、命の元は、水と塩だと思っていますから、近くに天然水があれば、それを求められることをお薦めします。これだけでも違います。せめて枇杷茶にだけ使えばいいので、探されては如何でしょう。自分の体、と言うより、家族皆のことです。早く言えば、地球のためです。この青い星を保っていくためにも、自然の中で暮してください。我が家の近くに、仕事があれば、引っ越して来てもらいたいですが・・・。

 仕事から帰った途端、自分のご飯の催促をする銀河。ちょ、ちょっと待ってよ。と、あんまり知らんぷりしていると、怒って廊下をダッシュする。
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馬の背を分ける・・・

2010年07月28日 | Weblog
 気流が上昇して、耐え切れなくなった。蒸せる一方の天気に辟易し、なかばヤケクソになりかける。そこに雨が降る。水遣りをしなくていい。夕立は3日続く、と言うが、あまり当てにはならない。夕立は、馬の背を分ける。と言うくらい、降る様が際立っている。たいしたものですね。自然の法則には、一切の無駄が無い。ほんとうに理に適ったものです。人間は、自然に援けてもらっているのですね。

 サンタさんのお知り合いの方は、枇杷茶を飲むようになって、痩せた?と言われたらしいです。枇杷葉茶は、浮腫みを取りますので、贅肉が付かない。いろんなサプリメントを、いくらたくさん飲んでも効き目はありませんが、枇杷葉茶はてき面効果が出る。五臓六腑の腫れを引かせ、血液を浄化し、細胞を活性化する。これは、枇杷葉と本来持っている、自然治癒能力とが惹きあったことにもよる。

 枇杷葉茶も、花芽茶や種茶、更に白枇杷には、枇杷葉茶の数十倍もの威力がある。従って体質的に合えば、それだけ早く効くのです。また、我が家からの枇杷葉ですと、驚くようなことが加わり、私の気を送り込んだものなので、何百倍にも数値が上がる。本人が感謝してくれたり、心からの感謝の念を出されると、更なる効果が現れます。

 人間の業というのは、私利私欲に絡んでおり、同時に自分の相性にもよるのです。理由はどうであれ、人間が人を差別するのはいけません。そのしてはならないことを、外面ではしていないような顔で、内面の心では、平気でしているのだ。見えないことだからこそ、してはならない。枇杷葉茶を飲みだすと体質が変わる。そうして感じる心が伝わってくるのだ。

 花芽茶は、私のオリジナルだと言いましたが、枇杷葉を詰めた物が、一般には枇杷茶、と言われています。種茶も粉末にして売っています。私の差し上げるのは、そのままの状態が多い。だからと言って、効果が悪くなるのではない。むしろよくなるのである。但し、並みの努力ではない。人格が替わるくらいの決意が必要だ。そういった気が、巣くっている病気を追い出してしまう。

 この何とも謂れの摂理が、理解できないと、枇杷葉の効果が出てきにくい。また枇杷葉の力を信じる、という最もたる真実は、迷信ではなく、確約とした自然の摂理にも値するようです。この先は、枇杷葉パワーを疑うことは止め、注いでもらえることを感謝すればいい。月の力を与えてくれるので、月齢による変化を活用すればいいのである。

 昨年12月の花芽の状態。びっくりするくらい、1枝に花芽がつきました。
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天災は忘れた頃に・・・

2010年07月27日 | Weblog
 朝、ロイズのアイスクリームを、持って行ってあげたのが間違いだった。一日、汗だくになって、部屋の掃除や、お八つ作り、雑巾かけに、湯冷ましとフル回転で仕事をして、帰宅して愕然となった。冷凍庫のドアが開いていたのだ!!銀河の歓んだことは言うまでもないが、食品が全滅でした。あきゃあぁ~!!!閉めたはずだったんだが、きちんとできていなかったらしい。しかしいいこともあった。掃除ができた。

 天災、というのは、忘れた頃に来るから、記憶に留めておけるのである。天才も何人も居る訳ではない。少ないから覚えてもらえるのだ。猫も杓子もでは、ああ、またか。となる。面白みに欠ける。1年の中には、こういったアクシデントもなければ、冷凍庫の意味も、役割も認識してもらえない。これはひょっとして、冷凍庫の氷河期への警告であろうか。それとも何か、大イベント的な催しを開催したのであろうか?私の留守に!?

 某サイトの編集長さんは、すたすた坊主とか、おにのののがみ、とか呼ばれておられますが、何でも甚く枇杷葉茶をお気に入りで、飲んでくださっているようです。そのすたすた坊主さんが、枇杷葉茶のお礼にと絵本を送ってくれました。水木しげるバージョンです。孫たちのよろこぶ顔が見えます。特に、下の孫はこういったのが好きです。我が家の枇杷葉を飲んでくださるのは、とてもありがたいことです。

 某作家さんは、私の手に触れるから、効果が違うようにも言われました。そうかもしれませんね。手あてというのは、元気を送り込んで、病気を吸い出しますが、どうも私の手は、そういった摩訶不思議なことができるらしい。それだけに誤魔化しが利かない。枇杷葉はいろんな効果と手あてがある。自分の手あてを見つけて、繰り返すことが大切です。

 我が家の猫の額ほどの庭には、所狭しと緑を並べている。帰宅すれば先ず、水遣り。そうしなければ、どうにも落ち着かない。けれどもこの水遣りには、とても大切な意味がある。我が家だけは、冷房を物ともせず、暑いには違いないが、我慢することができる。午前0時を回ると、一気に寒いくらいになり、布団を引寄せる。

 毎年、例年の如くである。今後、温暖化していくのか、反対に氷河期が訪れるのかは、真っ二つに意見が割れているが、自分の体の基礎をしっかりと創るのは、至極当然のことであるような・・・。日本列島もそうなってしまうと、電力が足りませんから、今の内に暑さに慣れておくのもいいかも。と一人悠々自適な生活を愉しんでいます。

 梅雨の一時、晴々と咲いた薔薇です。
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満月・・・

2010年07月26日 | Weblog
 真夏の満月。月が明るいと、昼間のように思えて、暑っ苦しい。これが冬だと、寒いのだが、人間の思いの我儘に、ちょっと呆れる。風が凪いで蒸せる。これでは幽霊が出て来れないのだ。柳の枝もソヨとも揺るがずでは、情緒に欠けるというもの。落語に、『牡丹灯篭』というのがある。SFでは、『ボタン道路』である。ボタン1つで、何処にでも行ける。しかしそのボタンを掛け違ったら、パラレルワールドが生じて、基の場所には還れない。

 とても面白みがあって、楽しい分と、彷徨い続ける危険性を孕む。けれども私は、その使命に対して、如何なる結果になろうとも、進まなければならない。と、書くと随分とおこがましいような感じだが、プラスとマイナスで共鳴しあうことがある。心地好い空間への誘いがわかるのは、説明できることではない。其処に往けるのだ。望むと望まぬに限らず。其処はとても寒いのだ。凍てつく寒さしか存在しない。

 物の道理。この世の始まりで終り。存在事態がなく、同時に存在する不可解な空間。とらえどころのない時間。頭の良し悪しでなく、第六感の働きがあること。然し尚、往っても還れず、絶えず移動する物。ほら、あなたの頭の上に、それとも真後ろで、ぽっかりと闇が開いていく不可思議、見ようとしても、視えないモノなり。

 朝顔につるべ取られてもらい水。俳句の良さは、紙と鉛筆で出来る手軽さ。しかし物事を知っていなければ、語句が浮かばない。情景が想えない。年齢を加えていようが、若き者であろうが、教養の深さが物をいう。知らなければ聞けばいいが、その聞くことさえ解らない有様。こうなるとお手上げ。会話が成り立たない。ももの哀れというのが理解できない。

 そろそろ夕顔が蕾を付けるか?この暑さで、水遣りを忘れたら悲惨な状況。即死状態である。でもって、日々の水遣りは怠らない。それでもこの暑さに、悲鳴を上げている。息子の家の鉢植えの枇杷が、葉を黄色にしていっている。地植の方は青々としている。引越しを言っておいた。置いているのが、コンクリートの上だ。いくら水を遣っても意味がない。

 夜間の冷房は、程ほどにしましょう。寒いくらいに設定しては、風邪を引いてしまう。特に高齢者には辛いです。これで就寝など問題外です。せめてドライか、眠るまでです。血管が目詰まりを起こしたり、皮膚呼吸をしなくなります。夜風でも体に悪いのに、人工の寒さは論外です。機械を使うのではなく、機械にコントロールされている。そのことに気づかない。命を軽々しく考えないことですね。

 春先の芽吹き。もこもこと持ち上がって、新芽を覗かせています。小さな命の誕生です。
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窮鼠猫を噛む・・・

2010年07月25日 | Weblog
 Aさんちの猫は、私がAさんの手当てを終えた、と感じるや、姿を現す。昨日も、何処からか姿を見せ、じっと私を見上げる。そして、此処でしてちょうだい。とばかりに誘い、寝転がった。腰に手を当ててやると、喉を鳴らして、気持ち良さそうにしている。私の手が熱を帯びて堪えられなくなったら、ついと離れる。利口である。暫くすると近寄って来、もう一度当ててちょうだいな。とじっとしている。尻尾の調子が良くなると、飛び上がって見せ、瞳をあてて見つめ、まるでお礼を言うように頭を下げた。

 その様子をみていたAさんは、まぁ!効いているのね。とうれしそうに目を細めておられた。私の指先から出る電気(気・波動)が、勢いよく入っていたもの。人間に効くのだから猫も同じです。他の猫も、思いなしか、私を見る目が違ってきた。ほんとうに物言う猫はいるのですね。猫は、淋しがりやですが極端な構われは嫌う。私は猫が近寄って来ても、抱き上げたりしない。勝手に膝に上がるのは、そのままにしている。

 夏休みの自由研究に、ラップの芯を使って、銭太鼓を作れば?と孫に言ったが、暫し、考えている様子。玩具や他にも、家では散乱している。同じような品物が、あちこちにあって必要なのか、そうでないのかわからない。今時の状況と、どちらがいいのだろう?豊かさに隠された弊害はどうなのだろう。質より量なのか?個人的には、少しでいいから質のいい物を使いたい。

 料理もシンプルがいいですね。味は塩だけ。素材を引き出す旨みには、ごちゃごちゃと入れないのがいい。最近は特に塩だけ。というのや、カレーも野菜だけを入れてのものが多いです。夏の時期には、体の要求としているのは、旬の物を頂くことのように思えます。それに枇杷葉茶を飲んでいれば、バテることもないかな?何も特別なことでなく、心を静めて自分を見つめることができますね。

 真夏日が続いていましたが、帰宅する途上で、時雨があった。お湿り程度なので、余計に暑く感じる。その後には蒸せるばかりです。夕立にはなりませんでした。蟻んこ軍団をやっつける方法に、塩を撒いた。道筋を変更したらしい。めっきり少なくなりました。蟻にとっては、ありがた迷惑でしょう。しかし本能の成せる技ですね。

 リエさん。種はありますか?私は、我が家の白枇杷を使っています。赤枇杷とのブレンドですが、さっぱりしていて美味しいです。サンタさんのお知り合いの方は、花芽茶に反応されたらしくて、ひどかったアトピーが、とてもよくなられたらしい。こういう方は、髪の毛が首筋に触れるだけでも、痒みが生じてくる。従って、私は殆どひっつめていますが・・・

 トルコ桔梗の苗を買って植えた。何とか花が咲きました。
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枇杷葉と気の働き

2010年07月24日 | Weblog
 枇杷葉に含まれている効力が、人間の持っている治癒能力に応じて、反応するのだが、中には私のように、そういった気が視える者が居る。若干の違いはあるものの、枇杷葉の力を牽きだし、気の方向を換えて、病から離す。然しながら、こういった療法は体力的にも、誰にでもできるというものではない。荒行して出来るかと言えば、強ちそうとも云えないが、外れているとも思えない。

 人間には、火事場の莫迦力、というのがあって、まさか!?という事態に、全力が湧いてきて、信じられないことが起きる。この時のコツを掴んでいて、同じ事を繰り返せばいいのだ。そんな、何回もできない。とか言う前に、やってみればいい。案外なことに出来ることがある。また、やっている内に出来てしまうこともある。心配は無用だ。

 私の場合は、援けてあげられるものなら、自分の命と引き換えてあげよう。と無心になったことによるが、途中から、私の助言を効かなくなって、亡くなられた。枇杷葉の欠点は、心変わりを容認しない。信じてくれる者には、如何なることも耐えてくれるが、そうでなかったり、邪心の気持ちや、疑う心があれば、たちまちにして曳く。

 枇杷葉の民間療法は、手軽にもできるが、物の基本を違えば、更に悪化すること夥しい。このやり方に、私は旧暦と潮の満干潮、月齢を当てててあてをしている。新月から始め、満月が欠け終えると止める。人間の体のリズムも、月齢も略似たような働きがあって、これに基づけば、殆どが間違わない。女性は特に、そのリズムを大切にしましょう。便利である。

 夏は暑いので、体を冷やす野菜を食べ、しっかり汗をかく。冬は寒いので、温まる食べ物を頂く。これらを繰り返していると、体調は維持され、アトピー性皮膚炎に困らなくてもいいし、花粉症に手こずらなくてもいいのだ。自分の心をしっかり持っていて、情報に惑わされることもなく、大地にしっかり根を張ってほしい。自分の体は、あなた自身の者です。

 2年ほど前に、枇杷茶を飲むように言って、たくさんの種茶をあげたり、アドバイスもしていた人が居たのですが、行方知れずになっています。人間の力、特に自分の力など、及ぶに足りるものではなく、謙虚な心と態度がなければ、何れは神に見放される。この人は、それに気づかなく、傲慢な態度と、自暴自棄になって姿が見えなくなった。神の力を、自分の力と慢心してはなりません。

 今日は、風があって、かなり涼しい。Sさんの月命日なので出かけた。我が家には花がなく、水だけを持って行った。途中に青空市があるので、菊とリンドウを買う。竜胆の鮮やかな紫紺色に惹かれて、2束買った。ブルーベリーも買って行った。焼け付く暑さではあったが、墓掃除もした。来月は本命月です。月日が経つのは速いですね。

 お歯黒トンボが飛び、紋黄蝶が舞う。蟻が根気よく進軍をする。風呂場にまで出没した。雪の下の鉢しかないのに?え~!泳ぎに来たのか?蟻にすれば大海原だ。早朝には、鳶の雛の鳴き声で目覚める。暫くすると、蝉の混声合唱団。のどかなものですね。車の音は暑苦しい。アスファルトが溶け出すようだ。昨日の気温よりも、今日の方が、幾分低い気がする。

 日傘を差そうとしたが、埃がついていたので洗う。車庫に逆さにして干した。朝顔が真っ青になっていた。枇杷葉は、青々と葉を茂らせて、輝いている。とても美しい姿に、それだからして効果があることを感じる。迸る力の放出が視えた。途絶えることもなく、後から後から飛び出している。私は、全身で受け止めている。

 12月の花芽が咲いている枇杷葉。其々の枝には、たわわな花芽がついていた。
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大暑

2010年07月23日 | Weblog
 昨日の更新が消えている!編集で確認した時には、ちゃんとあったのだ。摩訶不思議な出来事である。今日は、オフラインになって、混乱している。天龍が暴れているのか?雨を降らすかな。暑いですね。孫たちが泊まりに来ていたが、昨夜は寝苦しかったらしい。枇杷茶をたっぷり飲ませていたが、暑いのにはへこたれたようだ。午前零時を回ったら、少しは涼しくなった。網戸にしていたのが、やっと風を通してくれた。

 庭木の水遣りも、朝晩である。木には根元にしっかり遣らねば、この猛暑では行き渡らない。孫に水遣りをさせると、上の葉にだけなので、バケツで往復する。水で遊んでいるのが楽しいのであって、水は遣っていないのだ。おだててさせているが、内心は困るんです。あんまり言うとむくれる。小さい内から、物事の基本を教えておきたいのだが、生活様式が違うのか、自分でがっかりする分、言わないようにはしています。

 勤務先へ孫たちを連れて行った。研修があったのだが、昨夜からの泊りである。家でおとなしく出来ない予感があり、止む無く連行?する。約束はしていたものの、不安はあった。ところが、至極静かでおとなしい。研修を終えて行ってみれば、なんとOさんが居るではないか。その上にジュースと、塗り絵までさせてもらっている。このOさんの機転がなかったら、きっと何事かあっただろう。Oさんの介護への基本を垣間見た一時でした。

 Oさん、ありがとうね!!ご迷惑をおかけしました。それにしても、ご自分の仕事はきちんとこなしながらの姿勢には、頭が自然と下がりました。Bさんにもですが、私の目標にさせてくださいね。その帰り道で、油蝉が遊歩道の木に止まっていた。お祖母ちゃん、蝉がいるよ。と言うので、素手で捕ってやった。孫たちは目を見張って、凄い!と叫んだが、姉のほうは、昆虫が苦手なので、怖くて触れない。幼稚園の孫は手に持っていたが、ジタバタした途端に、緩んだ隙を、蝉は逃げていった。

 私が子どもの頃には、網も虫篭も買ってはもらえず、トリモチを棹の先につけて捕るか、殆どが素手であった。息を殺して、足音を忍ばせて近寄り、捕まえた瞬間の、何とも誇らしげな気持ちは、今の孫たちにはない。それが可哀想なのかどうかは、本人次第である。テレビを毎日観ることは抵抗ないが、自然の中での、四季を通じた学びがあることは、あまり関心がないようだ。

 先日、蜂に刺された顔。右側の頬だが、熱がしてしんどかったのは翌日で、顔がパンパンに腫れたのは、その翌日でした。と、言っても、見た目はさほど酷いものではなく、自分での感じ方だけであった。蜂に刺された時点からの、枇杷葉エキス湿布を繰り返し、就寝時もパックで眠った。連日のエキスが効いたらしく、今日は顔のざらつきが消えた。蜂の毒素で硬くなっていた頬が、柔らかくなり、芯が取れてしまった。

 枇杷葉エキスの威力は凄い。病院に行った訳でも、薬を飲んだのでもない。ひたすら枇杷葉エキスの湿布に徹し、何がなんでも治す。との想いが治したのだ。今日の状態は、頬から角質が剥がれ落ちた。つまりは蜂の毒素が抜けた。ということになろう。孫の日焼けも同じです。こちらは、枇杷ローションを塗ってやったのだが、ひんやりとして気持ちがいいばかりでなく、てき面の効果がある。ヒリヒリが引き、汗が染みなくなった。

 枇杷ローションは、日焼け止めにも効果があるのがわかった。香りもいいし、文句のつけどころがない。それどころか大変優れた効果に。びっくりしている。枇杷葉エキスでも同じでしょう。但し、デリケートな肌には、種のエキスを摘出した、枇杷ローションの方がやさしいようです。化粧水になるようなので、無論の効果でしょうね。アトピーの方には、優れものです。東京の自然食品の店、ガイアに置いてあります。

 半夏生の日に。大山れんげの、咲く前の一瞬です。この後、刻々と変化して咲きました。清々しい香りです。梅雨の一時に感じる、清涼剤のようですよ。毎年、Aさんの家の坪庭で観賞させてもらっています。
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夏休みの付録

2010年07月21日 | Weblog
 明日は休みだが、孫達が泊まりに来る。朝のラジオ体操があるので、早起きをさせなくてはならず、プールの特訓があるため、夜更かしはできない。私の頃の夏休みとは格段の差が生じている。えらい進歩です。でも何だか自由がないような気がする。宿題はあった、ラジオ体操も同じだ。しかし、午前10時まで外に出てはいかない。と言う以外は、プールの特訓などと言うものがなかった。

 家の中に居り、動くと暑いので、日陰の風の通る場所を選んで遊んだ。友達は、蟻や女郎蜘蛛や、ヤモリやイモリであり、川を堰き止めてのたまり場で、半ば裸で水しぶきをあげていた。池は深いし、命の危険があったから入れなかった。其処には人間だけでなく、爬虫類も来ていて、暑さも吹っ飛んでしまったものだ。石の上で甲羅干しをしていた。井戸水に吊るした西瓜にかじりつき、瓜を食み、干瓢の種を飛ばして遊んでいた。

 季節を肌で感じ、至極つまらないものにでも、興味を示し、世界を知ったような錯覚に陥っていた。遊んでいて、どんなに面白くても家に駆け込んだ夕立と雷。祖母の吊った蚊帳に布団を並べ、聴き入ったお伽噺。牛若丸、金太郎、桃太郎、鉢かつぎにかぐや姫。夕餉の後での、縁台に寝転んで眺めた夜空の美しさ。蚊遣りを燻らせての展望には、祖母の扇ぐ団扇しかなかった。

 にぃにぃ蝉を捕らまえての騒ぎには、蝉の地上での命の短さを、蛍が山に向かって飛ぶのは産卵をしているのだとか。祖母の知っている限りの知識を、教えてもらっていた。今思うと、雄大な自然に対する、尊厳と畏怖とを感じ取らせていたのだろう。祖母の想いとは反対に天真爛漫であったことか。怖いもの知らずだった。けれども不思議と、守られていたようにも思う。

 交通機関は、バスや汽車。その殆どが徒歩であった。自転車は平地では便利であったが、坂道には不便を極めた。走る方が早かった。土埃の立つ道に、夕立があると、小川が出現した。泥団子を練り上げた。蜩が一斉に鳴くのであった。あの故郷の一コマは二度と見られない走馬灯。梟の声に、慌てて目を閉じ眠りに着いた。懐かしい想いだけが募る。

 枇杷葉の花芽。11月くらいの状態。その殆どが、未だ薄茶色の苞を被っている。
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