一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『不連続変化の時代-想定外危機への適応戦略』

2011-01-26 | 乱読日記

著者は国際政治のジャーナリストとしてタイム誌を経て、現在キッシンジャー・アソシエイツ社の戦略アドバイザーをしている人で、2009年の金融危機を受けて書かれた本。

金融危機に限らず、テロやパンデミックなどの、予想できないタイミングでしかも想定外の方法や規模で起こる危機に対して、危機の発生の態様から、なぜ従来の組織はうまく対応できずに被害を広げているか、そして対応の方向性はどうあるべきかを説いた本です。

乱暴に言ってしまうと『ブラックスワン』の系統にあたるのですが、本書は経済危機を乗り越えたブラジル企業からイスラエルの攻勢にもかかわらず逆に勢力を広げたヒズボラまで、著者の豊富な取材に基づいた対応の事例(成功例と、それ以上に多くの失敗例)の分析があります。

その対応策として著者が唱えるのが「ディープ・セキュリティ」。
これは「危機に立ち向かう/危険を排除する」というアプローチでなく

  • 危機の多くは単純な対応ができるものではなくシステムやネットワークのようなものであることを認識する
  • 脅威となりそうなものをすべて攻撃の対象にするのでなく(そうすれば相手はさらに危険になる)、自らが復元力を獲得できるように努める
  • 理解可能な範囲で間接的な「効果重視」のアプローチを忍耐強く行う

というものです。
これらについて実例をあげてわかりやすく説明しています。

他になるほど、と思ったフレーズをいくつか。

  • 結びつきが強くなればなるほど、われわれは弱くなる。
  • システムの大きな変化を誘発するものは、早く動く変数ではなく、遅く動く変数である。
  • このような激動の時代にあって、もっとも大きな影響力を持っているのは、内的な要因だ。
  • (複雑に絡み合った世界を分析し、深いところを見通す力をつけるためには)物事をあるがままに見るのをやめることだ。・・・それはいまそこにあるものを無視しろということではない。大事なのは、いまそこにあるものがこれからどうなるかわかるような見方をするということだ。

ただ、こういう発想を平時の心構えとして持ち続けることはけっこう難しいですし、何か具体的なアクションとしてどうするか(と考えがちなこと自体がいけないのかもしれませんが)のイメージがわきにくいところが、やはり「事が起きてから右往左往する」原因なんだろうなとも思うところが僕の小市民たる所以であります。


余談ですが興味深いエピソードとしてこんなものもありました。
ソ連の崩壊についての研究した研究者が、当時権力の中枢にいた数百人の高級官僚にインタビューを行ない、ソ連の崩壊は民衆の力によるものではなくエリートたちが持っていた権力とゴルバチョフの誤算によるものだと結論付けたという研究。

民衆の力なら簡単に圧殺できた。しかしソ連は革命以来ノーメンクラトゥーラと呼ばれる軍人や大学教授、官僚が国の実務を支えて来たとともに既得権益も大きかった。ゴルバチョフが彼らの既得権益が改革に手をつけた結果、彼らは国家を存続させるよりなくしてしまったほうが自分たちの利益になると判断し、国の崩壊を食い止めるために動くことはなかったのが国家の崩壊を早めた原因と分析しています。

「驚くほど平和的に、そして急速に国家が消滅したのは、最終的にエリートたちの大半に見限られたからである」

日本の官僚の既得権というのは所詮「天下り」や「渡り」程度で「国営企業の支配権」のような派手なものではないのでここまで極端にはならないでしょう。
ただ、民主党政権(や他の政党も)「脱官僚」を進めるとしても、官僚は全部悪としいて切って捨てるという子供じみたことをしてしまうと、同様のことは起きかねない。

「脱官僚」を唱えるにあたっては、現在官僚が担っている実務をどうするか、またそのしくみに移行する際において現在の官僚(の少なくとも枢要なうちの半分くらい?)はを味方につけるような政策である必要はあるのではないかなどと想像をたくましくしてしまいました。
    




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