一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

位討たれ?

2009-07-09 | まつりごと

東国原知事の衆議院出馬問題については一昨日のエントリの自民党による「位討」ではなく、単に「勘違い」(言うなれば「位討たれ」?)なのではという意見がこちら

大前研一の「産業突然死」時代の人生論 知事連合で地方から国政を変えられる(2009年7月7日)

中央集権の国において地方自治体の首長が持っている権限は小さい。一県の知事として「できること」はきわめて小さなものなのだ。その小さな実績をもとに自分の能力を過信し、国政に身を転ずる政治家が出てくる土壌が地方政治にある。いわば「勘違い」を育ててしまうのだ。  

わかりやすい例をあげておこう。全国の人気知事・有名知事の中で、県民所得を平均より高めて経済的な復興を果たした人物はいないのである(埼玉県や神奈川県は近年県民所得が上がっているが、それは東京都の経済があふれ出して流入してきたための経済成長であるのでここでは考えない)。大した実績がなくても人気を集めてしまうのが知事職(あるいいは政令指定都市の市長職)なのだ。  

では、なぜ人気が出るか。中央に逆らうポーズのためだ。国に抵抗する姿勢を見せると「お、この人勇気がある。期待が持てるかも…」となってしまうわけである。   

で、勘違いしないためにはどうするかといえば、 昨日のエントリのチェ・ゲバラではないですが、自分が「頭をとる」ことでなく「数をまとめる」ことが大事で、それは知事のままでもできるではないかということを、大前氏の持論の道州制実現をモデルに語っています。

知事連合という仕掛けをうまく使えば、地方の政治にかかわりながら国政にもかかわることができる。県知事と国務大臣との二足のわらじを無理やり履く必要もなければ、県民を袖にして政権政党の総裁になる必要もない。本当に道州制をめざすのであれば地方自治体のほうで十分できるし、道州制移行を実現するための議員を地方から中央に送り込むことからまず始められるだろう。何も知事自ら中央に乗り込んでいくことはないのである。同じ考えで仲間となる首長の数を増やすだけで自動的に国会の多数が握れるからである。

結局、位が上になることより視座を高く・視野を広くすることのほうが大事(上の位を求めるとしても必要なことですが)だということですね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『チェ 28歳の革命/39歳別... | トップ | 違和感のある事件(報道) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

まつりごと」カテゴリの最新記事