一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ゴミの山

2009-02-17 | よしなしごと

かんぽの宿についてtoshiさんのブログで錚々たる方々と並んで言及いただいて恐縮至極でございます。

そのエントリの中で、Diamond Onlineの「ネットはゴミの山」という発言に言及されていたので調べてみました。
「かんぽの宿」騒動で分かった! 賛否両論なき日本のネットはゴミの山という岸博幸慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の記事のことのようです。
一部を引用すると  

 皆さんもグーグルやヤフーで“かんぽの宿”を検索してみてください。検索結果の最初の数ページを開いてみると、驚くまでに同じような内容、具体的にはオリックス政商論、小泉?竹中?宮内陰謀論、日本郵政不正論のオンパレードです。それも、評論家と称する一部の人たちの意見の引用と礼賛ばかりが目につきます。もちろん、丹念に探せばそれと反対の意見もネット上に出ているのでしょう。しかし、検索の上位に来なければ埋もれるだけです。  
 民主主義が貫徹されるためには、どんな事象についても賛否両論が健全に展開されるべきです。そのためには、トーマス・ジェファーソンの言葉からも明らかなようにジャーナリズムが重要な役割を果たすのです。ところが、“かんぽの宿”から明らかになったのは、日本のネット上は同じような一面的な評論とその安直な引用ばかり、情報のゴミ溜めとなっており、今のままではマスメディアに代わってジャーナリズムを支え、民主主義を強化する器にはなり得ないということです。スキャンダルやゴシップの集積場でしかないのです。  
 それに比べると米国では、ネット上で様々な問題について検索すると、大抵の場合は検索上位で賛否両論が見つかりますので、ネット上でも民主主義とジャーナリズムがある程度根付いていると言えるのでしょう。もちろん、ネットは基本的にゴミ溜めになっているという点では日本と同じですが。  

ネット上での議論が賛否両論が並行で展開されていない原因が、一方に流されやすい(冷静な議論になりにくい)日本人の国民性なのか、ジャーナリズムの取り上げ方が一方的なのか、どちらに主眼を置いているのかよくわからないのですが、引用した最後の一文で総括されてしまうとちょっと身も蓋もない感じがします。  

ネット上の意見は当然のことながら玉石混交、実際は「玉石石石・・・・石」というあたりを「ゴミの山」と称されているのでしょう。
しかし素人考えでは、検索エンジンは「玉」と「石」をよりわけないのはその性格上仕方のないことで、その中から「玉」を選びだすリテラシーをどう身につけるかというところが大事なわけで、「かんぽの宿」という大雑把なキーワードで検索した結果を云々するが適当か、という疑問があります。
(ちなみに「かんぽの宿 一方的」だとtoshiさんも紹介されていた木村剛氏のブログが一番上位に出ますが、この岸教授のコラムへの意見もいっぱい引っかかってくるので、やはり検索にもコツがいるようです。)

さらに、ネットはあくまでも情報や意見を取捨選択したり自分の意見を表明する場であって、それと「民主主義」の政治過程とは別物だと思いますし、もしも岸氏の理想とするように日本社会に「民主主義が十分に根付い」て、かつ「本当の意味でのジャーナリズムが存在」するとしても、ネット上での言論が検索エンジンの結果からは無秩序で混乱したものになる可能性は高いと思います。 
(さらに素人考えですが)ネットがいきなり理想郷になるということはないからこそ、RSSリーダーなど個人による取捨選択のツールが漸進的に発達してきているのではないでしょうか。


せっかくの専門化が「かんぽの宿」ごときで捨てばちになってしまうのはちょっともったいないと思います。


<追記>
岸博幸氏の記事について、別の見方のコメントをつけました(参照

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