『あっつーい! 麗、麦茶おかわり〜』
あまりにスケジュールを詰めすぎるマヤに、マネージャーーから出された強制オフ。とにかく、しっかり体を休めろと指示を出されたが、行くとこもやることも思いつかず・・・。
マヤは朝から白百合荘の元居住先、麗の所に来ている。
タンクトップと短パン、裸足という出で立ちで、部屋に敷かれたゴザの上にひっくり返り、扇風機にそよがれ・・・。
マヤの首には景品でもらった会社の名前入りの白いタオルが巻かれていて、格好は完全にオジサンで・・・。
『バカな子だねえ。大都のマンションにいりゃ、エアコン使い放題だってのに。』
麗はあきれながら、マヤのグラスに良く冷えた麦茶を注いだ。ついでに、だらしなく寝そべるマヤを見やる。
『だって〜、、麗マンションに遊びにこないんだもん。』
マヤは寝ころんだまま、両手でタオルの端を持って首筋に吹き出す汗を拭いている。これが、あの“大河ドラマ弓姫”の悲劇のヒロインの実態かと思うと、麗は絶対に外部にばれてはいけないと改めて心に誓う。
『あたりまえだろう、あんた。あんな豪華なマンションに行っちまったらかえれなくなるだろう?』
元々、麗は裕福な家の出だ。でも、劇団月影に入った高校生の時、自分の意思と力で生きていく事を選択し。今も決心は揺るがない。
最近では、劇団の人気は上々で収入も上がり、たまに深夜ドラマの脇役に顔も出るようになった。でも、麗は、堅実な生き方を貫き通している。
最も、本人に言わせれば住み慣れた場所を出るのが面倒臭い、という事らしいが・・・。
『ねえ、麗?晩御飯、ハンバーグ食べたい❤』
どんな酷暑もマヤの食欲は妨げないようで・・・。
昔から部屋にかけてある古い水銀の温度計は33.5℃を指している。湿度は図れないものの体に張り付くような暑さは相当湿気があると思われる。麗は性格柄、どんなに暑くてもダラダラするタイプではないし、マヤが麗お手製のハンバーグを食べたがるのは予想済なので冷蔵庫に材料は揃えていた。それでも扇風機しかないこの部屋でコンロに向かってハンバーグを焼くのは気がめいる。
でも。
今日はマヤにハンバーグを食べさせるだけが麗の本題ではない。
マヤは完全にスルーしているが、麗は女性週刊誌の最新号をさりげなくちゃぶ台においてマヤの様子を観察していた。
表紙の見出しは、一番大きく太い文字で、
“弓姫、現実の恋の行方”
とタイトルが書いてあり、少し小さい文字が横に並んで
“北島マヤと二人の本命。運命の三角関係と切ない真実”
とご丁寧にサブタイトルも施されている。
当の本人であるマヤはすごい格好でゴロゴロしていて、とてもラブストーリーのヒロインに見えないが・・・。
麗は、あの小雨の夜、速水真澄と対峙し、マヤに対する彼の気持ちはしっかりと受け止めていた。今だって、二人きりで会うことがなかなか叶わないものの、二人は絆がしっかり結ばれていると思っている。
でも・・・。
もちろん、麗だって世間が騒ぐ内容に便乗するわけではないけれど。流石に、ちょっとだけ、心配で。
『ちょいと、マヤ、なんなの、これ。』
麗はちゃぶ台に左手で頬杖をついて、右手の指はツンツンと週刊誌の表紙をつついている。
マヤとて、週刊誌の表紙が部屋に入ったとき目に入らなかった訳ではない。
でも、撮影に入る前から“三角関係問題”は週刊誌のみならずネットニュースのエンタメコーナーでも騒がれていたので、どうしようもなくて。放置するしかない状態なのだ。
実際、桜小路優とも、里見茂とも、現場で顔を合わせるだけの間柄で。プライベートでは時々桜工事とメールするくらいが関の山。里見茂にいたっては個人的に連絡を取る事すら皆無だ。
そもそも。
大河ドラマ弓姫の配役が元で、勝手に世間が“切ない純愛の三角関係”とあおっているだけで・・・。
当然、大都芸能も里見茂の所属エージェントも公式に三人に世間で騒がれているような状況は無い事を公表している。
でも、ネットニュースというのは恐ろしいもので・・・。
昨夜、つい読み込んでしまって麗はなかなか寝つけなかった。
例えば、昨日付で掲載のものは・・・
«私は北島マヤが高校生の時、大河ドラマ天の輝きでセンセーショナルなデビューを飾ったときから、今までずっと彼女を追跡していたが、今ほど里見茂の存在を意識したことはない。»
ここまで読んで麗は盛大に突っ込みをいれる。心のなかでだけど・・・。
“ったく!マヤが芸能界失脚してから、マスコミなんて影もなかったじゃないか!”、と。そして、続きを読むと・・・。
«北島マヤがスキャンダルで芸能界を追われたあと、里見茂は表面的には恋人宣言を解消しアメリカにとびだった。でも、彼は今やハリウッドでも通用する国際派役者になり、北島マヤのそばに戻ってきている。今回の大河ドラマ弓姫の相手役オファーも、紅天女女優北島マヤの強い意向を大都芸能サイドで汲み取り、働きかけたというのが、この筋では有名な話だ。»
“・・・おいおい。そんなオファーの仕方あるわけないだろう・・・。”、麗は脱力する。でも、続きを読まずにいられない。
«紅天女の相手役として一気にブレークした桜小路優だが、北島マヤが中学生の頃から親密な付き合いである事は業界で有名で・・・»
“それは、本当だけど・・・” 嘘と真実を一緒に並べて作り話をドラマテッィクに畳み掛けていく記事にめまいを感じながら読みすすんでいく。
«ドラマ制作サイドとしては、ドラマをよりリアルに視聴者に提供するために、実際の三人の関係を脚本に反映させたとしている。»
“なに断言してるんだ!” 麗はインチキニュースのひどさに呆れかえった。おまけにこの記事の反響は結構大きく、コメントは既に400件越えの状態だ。
一応覗くと・・・
--天の輝きの沙都子役の時からマヤちゃんの大ファンでした。卑怯な事件で降板になったとき、大泣きしました。--
“へ〜” 麗は関心する。ちゃんと、世間は事実を把握しているのだ。更に読み進めていくと・・・。
--マヤちゃんと里見くんは永遠の恋人です。二人は大人ですから障害もないし、いいニュース期待しています。--
“・・・・・(-_-;)”
麗のこめかみから暑さのせいではない嫌な汗が一筋流れ落ちる。それに、こんなコメントを読んでしまえば他のコメントも読まないわけにはいかない。
結局、関連ニュースやらコメントやら手当り次第読んでしまい、本日の麗は少し寝不足だ。そんな延長で、週刊誌の表紙をコツコツつついて、マヤに尋問するみたいな体制になっている。
さすがに、マヤだってこのニュースを本気で気にしていないわけではないし、麗の心配ごとも思い当る。背中や肩に汗で張り付いた黒髪を気にもせず、マヤは起き上がりちゃぶ台のお茶の残りを飲み干した。
『ごめんね、麗。いつも心配かけて。・・・私と速水さんの事、世間からみたらセーテンノヘキレキ?みんな、私が桜小路くんか里見さんと結ばれるのを期待しているんだよね。』
以外な程にもの分かりのいいマヤに麗は二の句が出ない。
自分もこの事態を心配しているけれど、当事者や速水真澄の秘書の水城、マヤのマネージャーは綱渡りのような気持ちでいるに違いなく。マヤもそんな周囲の心配ごとは肌身に沁みているはずなのだ。
『・・・あやまんないでおくれよ。あんたの状況はでっち上げだし、ちゃんと事務所から否定のコメントの公式にだしているんだ。でも、・・・ね。あの鷹宮家の紫織さんと社長が別れたってのは・・、なかなか世間から消えないだろうし。・・・いつかあんたと速水さんの事が公になれば蒸し返されるだろうし・・・。』
ここまで、言うと麗の口から自然とため息が漏れる。
マヤはその様子を見て、改めて麗がどれほど自分を心配しているのか感じ、同時に抱えきれないほどの感謝を覚えた。
『あの、ね、麗。私と速水さん、二人きりで会うことはちっとも無いの。この間、会えたけど、歌舞伎の役者さんのパーティーだったし、一緒にいれた時間も少なくて・・・。』
マヤのグラスの中で、溶けかけた氷がカラン♪と涼しげに音を鳴らした。
麗はマヤを見て、またため息がこぼれる。
本当の純愛は、肩に汗ふきタオルをかけている紅天女女優北島マヤと、紫のバラの送り主である速水真澄。これがただ一つの真実だ。
でも。
こじれて、こじれて今となっては、ようやくこの二人の気持ちが通じ合ったのに、それを許さない空気が世論に感じられる。
麗はもう何も言えない。マヤの話を聞くことにした。
『こないだ、ね? 水城さんと二人で大都の応接であった時に、紫織さんの事聞いたの。』
『え!!』 思った以上に大きな声になってしまい、麗はあわてて頬杖を外す。
『今、紫織さんヨーロッパにいるんだけど、ガーデナーを目指しているんですって。この間、速水さんが海外出張でパリに行ったとき、紫織さんと会って聞いたんだって。これからは、速水さんと紫織さん、ビジネスしていくそうよ。』
マヤはマキロイ教授や鷹宮グループと大都グループが起こしている経済戦争の事は全く知らない。マヤが知る、唯一の速水真澄の“近況”の話がこれだ。でも、これだけでも麗は衝撃で。なんたって、あの病弱そうな紫織だ。ビジネスなんて、一番縁がなさそうな人種なのに。
マヤがにっこりと笑顔で話す内容に、呼吸も忘れそうになる。
『ねえ、麗、私、おもうの。今は色々大変だけど、・・・、でも色々変わっていくと思うの。だから、今は目の前のやるべきことが最優先!もうすぐ大河ドラマがクランクアップだけど最後まで全力で演じる。そして、次も、その次も全力で演じるの。』
相変わらず雲をつかむような要領を得ないマヤの話方に麗の心配は払拭される所か、この事態の厳しさをマヤが思った以上に感じている事に心苦しささえ覚える。
でも、マヤの表情は晴れ晴れとしていて。
『ねえー、麗、私のハンバーグ、特大ね❤』
またまたニッコリと笑うマヤは、窓の外で照りつける太陽のような強さで。
そう。悩んだって仕方ないのだ。
『マヤ! 作るの手伝いなよ!』
麗も笑顔でマヤに返す。
この二人、伊達に険しい人生を歩んできた訳ではないのだ。
行動あるのみ!
やるしかない!
«終»