『・・・なんすか、これ。 教授。 』
不機嫌な獠がふんぞりかえって座ると、重そうに古いソファが軋んだ。
『見てわからんのか? 獠。 』
かずえが入れた緑茶をすすりながら、サラリと教授は答える。
見事な日本庭園が、開け放たれた窓の外に広がるココは、教授の屋敷だ。
今日は、3月31日。
桜が咲き始め、特に日当たりのよい場所の桜は見事に咲き誇る。
ソファテーブルには、薄い書類や、厚いバインダーが置いてある。
正面に座る教授は、湯飲み茶わんを両手で持ったまま、慈しむように獠を見ていた。
獠は、仕方なく、書類やバインダーを手に取る。
なんだって、こんな意味深な日に呼び出して、意味深な書類を提示してくるのか。
今日は、香の誕生日で、同時に彼女の兄・槇村秀幸の命日だ。
秀幸の墓参りに行くのが毎年恒例で、今日も午後には香と二人で行く。
なのに、朝っぱらから突然呼び出され、今は教授邸の応接室で意味深な書類を挟んで教授と対峙中である。
『簡単に用意できるシロモノでないぞ? 納税記録や、株式売買の記録、転居履歴付の戸籍謄本に住民票、歯医者の通院歴に保険証の使用履歴。 どうじゃ、さも健康的で、ろくに仕事をしない、せこい資産家のような精巧な書類じゃろう? 』
そう、教授が獠を呼んだのは、この書類を渡す為である。
戸籍のない獠が、あたかも普通の家庭で生まれたように、戸籍だけでなく、存在を証明できるよう数々の細工をしたのだ。
『なんですか? その、せこい資産家、って? 』
獠も薄々、教授が自分の為に戸籍を用意したのは感づいていたが、ここまで細かい細工がされているのは流石に驚きで。
苦笑いが、更に引きつった。
『当然じゃろう。 会社員や、公務員は、柄じゃなかろうし、放蕩ドラ息子の設定が適任じゃわい。 』
ほっほっほっ、と笑う教授に、バインダーの中を見ていた獠は、やれやれ、と息を吐いた。
『おまえさんの自由に使うがよい。 たまたま、今日が香くんの誕生日だっただけだ。 』
再び緑茶をすする教授は、どう考えても確信犯だ。
そして、教授邸に付いた時から、感じていたのだが・・・。
『何分、ここまで状況証拠を固めるのも大変でのう。 ミックには、ダークサイトで随分動いてもらったわい。』
“・・・やはり” と獠は思う。この屋敷にミックの気配がする上に、今はどうもドアを隔てた廊下にいるようだ。
何でも面白る上に、面倒くさいミックに知られたどころか、協力者とは・・・。
まるで進展しない俺たちを、ミックが面白がっているのは一目瞭然だ。
『何も獠、お前の為だけでもないぞ。 ミックのやつも、香くんの為ならと、引き受けてきれたんじゃよ。 』
ニコニコと教授は続ける。
通院歴やら、保険証のあたりは、かずえも参戦したのであろう。
女性らしい発想だ。
昨秋、奥多摩の湖畔で香に想いをつげた。
でも、香はクロイツ兵に撃たれて重傷を負った美樹の看病に、キャッツの店番、たまに入ってくるXYZの依頼で冴羽商事も忙しくて。
獠が二人の関係を次のステップに進めようにも、うやむやになって、いつの間にやら季節は春になっていた。
“カチッ”
ドアの向こうで、ライターの着火音がする。
気配も隠そうとせず、ミックがタバコを吸い始めたのだろう。
問い詰めても、ミックのことだ、
『オレは、カオリのためにしたたけだ! オマエは関係ないもんね! 』
こんな返答が来るのは、分かりきっている。
ミックの気配が消えた。
アパートでは、香が待っている。
獠は仕方なさげに書類とバインダーを掴んだ。
『ま、善処します。 』
教授に背中を向け、バインダーを肩まで上げると、バイバイのサインの代わりにバインダーと書類を振った。
昔の獠ならば、こんな書類に見向きもしないであろうに。
“まぁ、及第点じゃのう”
老人は無愛想な獠の背中に、微笑んだ。
【完】
不機嫌な獠がふんぞりかえって座ると、重そうに古いソファが軋んだ。
『見てわからんのか? 獠。 』
かずえが入れた緑茶をすすりながら、サラリと教授は答える。
見事な日本庭園が、開け放たれた窓の外に広がるココは、教授の屋敷だ。
今日は、3月31日。
桜が咲き始め、特に日当たりのよい場所の桜は見事に咲き誇る。
ソファテーブルには、薄い書類や、厚いバインダーが置いてある。
正面に座る教授は、湯飲み茶わんを両手で持ったまま、慈しむように獠を見ていた。
獠は、仕方なく、書類やバインダーを手に取る。
なんだって、こんな意味深な日に呼び出して、意味深な書類を提示してくるのか。
今日は、香の誕生日で、同時に彼女の兄・槇村秀幸の命日だ。
秀幸の墓参りに行くのが毎年恒例で、今日も午後には香と二人で行く。
なのに、朝っぱらから突然呼び出され、今は教授邸の応接室で意味深な書類を挟んで教授と対峙中である。
『簡単に用意できるシロモノでないぞ? 納税記録や、株式売買の記録、転居履歴付の戸籍謄本に住民票、歯医者の通院歴に保険証の使用履歴。 どうじゃ、さも健康的で、ろくに仕事をしない、せこい資産家のような精巧な書類じゃろう? 』
そう、教授が獠を呼んだのは、この書類を渡す為である。
戸籍のない獠が、あたかも普通の家庭で生まれたように、戸籍だけでなく、存在を証明できるよう数々の細工をしたのだ。
『なんですか? その、せこい資産家、って? 』
獠も薄々、教授が自分の為に戸籍を用意したのは感づいていたが、ここまで細かい細工がされているのは流石に驚きで。
苦笑いが、更に引きつった。
『当然じゃろう。 会社員や、公務員は、柄じゃなかろうし、放蕩ドラ息子の設定が適任じゃわい。 』
ほっほっほっ、と笑う教授に、バインダーの中を見ていた獠は、やれやれ、と息を吐いた。
『おまえさんの自由に使うがよい。 たまたま、今日が香くんの誕生日だっただけだ。 』
再び緑茶をすする教授は、どう考えても確信犯だ。
そして、教授邸に付いた時から、感じていたのだが・・・。
『何分、ここまで状況証拠を固めるのも大変でのう。 ミックには、ダークサイトで随分動いてもらったわい。』
“・・・やはり” と獠は思う。この屋敷にミックの気配がする上に、今はどうもドアを隔てた廊下にいるようだ。
何でも面白る上に、面倒くさいミックに知られたどころか、協力者とは・・・。
まるで進展しない俺たちを、ミックが面白がっているのは一目瞭然だ。
『何も獠、お前の為だけでもないぞ。 ミックのやつも、香くんの為ならと、引き受けてきれたんじゃよ。 』
ニコニコと教授は続ける。
通院歴やら、保険証のあたりは、かずえも参戦したのであろう。
女性らしい発想だ。
昨秋、奥多摩の湖畔で香に想いをつげた。
でも、香はクロイツ兵に撃たれて重傷を負った美樹の看病に、キャッツの店番、たまに入ってくるXYZの依頼で冴羽商事も忙しくて。
獠が二人の関係を次のステップに進めようにも、うやむやになって、いつの間にやら季節は春になっていた。
“カチッ”
ドアの向こうで、ライターの着火音がする。
気配も隠そうとせず、ミックがタバコを吸い始めたのだろう。
問い詰めても、ミックのことだ、
『オレは、カオリのためにしたたけだ! オマエは関係ないもんね! 』
こんな返答が来るのは、分かりきっている。
ミックの気配が消えた。
アパートでは、香が待っている。
獠は仕方なさげに書類とバインダーを掴んだ。
『ま、善処します。 』
教授に背中を向け、バインダーを肩まで上げると、バイバイのサインの代わりにバインダーと書類を振った。
昔の獠ならば、こんな書類に見向きもしないであろうに。
“まぁ、及第点じゃのう”
老人は無愛想な獠の背中に、微笑んだ。
【完】