ガラスの御伽噺

ガラスの仮面、シティ-ハンタ-(RK)、AHの小説、BF
時代考証はゼロ
原作等とは一切関係ございません

透明な雫 «続編» 〜 君を抱いて 〜

2017-11-01 07:54:24 | AH

明け方に近い深夜、玄武門の裏口が開かれる。

外には、ファルコンただ一人と、彼のランクルだけが二人を待っていた。外灯の明かりが遠くからほの暗く周囲を照らすものの、特に外灯も用意はされていない。

香の蘇生が新宿に広まるのは、今は、まだ、早く。極力、目立たないよう各々が行動していた。

それに、裏口とはいえ、新宿である。獠にとっては、外灯をわざわざ用意しなくても、街から漏れ出る明かりで光源は充分であった。

そこへ、香を両腕に抱え抱き、階段をゆっくり上がってきた獠が出てきた。慎重に、裏口から外に出る。

獠の腕の中の香にとって、八年ぶりの新宿だ。場所はキャッツの隣だから彼女の瞳に映る外の景色は見慣れたものと思われるが、もし彼女の記憶が“17歳”のものなら、まだ知らない光景である。

けれど、獠には香を外に連れ出す事にためらいはない。

例え、今の新宿が香の記憶と違う姿でも、ここが香が愛する唯一の街である事には変わりないからだ。

遠くから聞こえる喧嘩のような怒鳴り声も、酔った若者の集団の騒ぎ声も、遠ざかる救急車のサイレンの音も、歩道を散らかすファストフードの包み紙さえも・・・。

新宿のすべてが、香の宝物だ。

こんな街で拾われた、野良犬の獠。

今、香はその彼の腕に抱かれたまま、何も言わず外の空気を感じている。

『獠、早く乗れ。』

ファルコンがランクルの後部座席のドアを開いて押さえたまま、獠に搭乗を促した。

香はファルコンを覚えているのか否なのか。何も言わない。まるで全てを獠にゆだねているように見えた。

ファルコンも余計な言葉は発しない。あくまで、いつも通りの彼だ。

『サンキュー、海ちゃん。』

獠もいたって普通に返事をすると、腕の中の香を水平に保ちながら、するりと後部座席に乗り込む。既に玄武門の裏口は閉ざされ、まるで元々ここには3人しかいないようだ。獠はとにかく大げさにしたくなく、この方法を選んだのだが、選択に間違いはなかったようだ。

この水入らずともいえる空気の中、香は新宿に舞い戻る。そして、あっというまに、この喧騒の街にシンクロしていくのだろうから。

ランクルの後部座席で、獠は羽根布団に包まれたままの香の肩を右腕で包むようにだき、その逞しい胸に、彼女の背中をもたれさせかけると、新宿の光景が見やすいように獠は靴を履いたままの右足をシートに乗せて、あたかも香の肘掛のように彼女を支える。

まるで、獠の体が彼女を守る番人のような。そして、彼自身が香だけの椅子のような。

獠自身無意識なのか、ファルコンは獠が気配を消して香に尽くしているのを感じる。その情景があまりに切なく。前を見るファルコンの眼から一筋涙が落ちた。

だが、ファルコンは早々に気持ちを切り替える。

『いくぞ、獠、少し新宿見物だ。ゆっくり走る。』

何も言わない事が、獠の肯定のサインだ。ファルコンはエンジンキーを回した。

-------------------------------------------

獠と香を乗せたファルコンのランクルは、歌舞伎町の周辺を掠めるように走る。このあたりは、新しいアミューズメント施設やホテルが立てられ、ずいぶん変わってしまった場所もあるけれど、歌舞伎町の入り口のネオンがギラギラと輝くゲートは不変だ。

中の方を良く見ると、路上で胸元を大きく露出した女が客引きをしているのが見える。ずいぶん年をとったようだが、香がたまに獠のツケを支払に行ったキャバレーの女だった。

---なあ、香、覚えているか? オレ達の街だぜ・・・?---

獠は彼自身の体全体で、背後から香を抱きしめるようにしたまま、香の瞳にうつる光景の数々を共にする。

そのうち、花園神社の入り口に近づき、真っ暗だけれど、香が好きだった木々に囲まれた小道の前も通過した。

そして、新宿東口に差し掛かる。

香は新宿東口駅の前から、電車が通過していく高架線路を見るのが好きだった。流石にこの時間では、通過していく電車はないけれど。

それでも、ファルコンはホームレスと数名の酔っ払いしかいない駅前を、ことさらゆっくりとランクルを走らせる。

香はまだ記憶の宇宙をさまよっているのかもしれない。

だから、ゆっくりでいい。

唯、唯・・・、お前が愛した街を、またお前が愛せるようになれ、と。

それだけ願い、ファルコンは界隈を抜け出す。

3人を乗せたランクルは、ゆっくりと冴羽アパートに向かって行った。

                                             «完»


透明な雫 «続編» 〜 新生活は大混乱! 〜

2017-10-31 09:55:00 | AH

『信宏、ブラインドきっちりおろして!!』

『あ〜、隙間! 信宏の部屋のカーテン、リビングに張って〜!!』

『え〜と、香媽媽の服・・・、う・・・、防虫剤のにおい・・・、洗っておちるかな〜??』

今は、明け方前の冴羽アパート。

こんな時間にも関わらず、徹夜でも元気な香瑩と信宏の二人は奮闘していた。

洗濯機も掃除機もフル稼働で。

洗濯機では、かつて香が着ていた服や下着が香瑩によって洗いなおされている。

信宏は、香瑩の滅茶苦茶な指示に混乱し、てんてこ舞いしながらも、何とか対処していく。掃除は彼の得意分野で、掃除機担当は彼だ。

そんな信宏に、香瑩は気が付いた事を全く遠慮なしにポンポンとオーダーする。信宏は、とりあえず、日光の問題があるので、キャッツの自分の部屋のカーテンを外してココに持って来ようと出かけていこうとした。

『あ!信宏!』

香瑩は、冴羽アパートを出ようと窓を開けた信宏に気づいて声を上げる。因みに信宏は面倒くさいので玄関ではなく、窓から出ようとしている。まだ外は暗く、人の目もない。今日は行儀よりも時間が優先なのだ。

『キャッツのコーヒー豆、分けてもらってきて!』

『オッケー、香瑩、ついでにサイフォンも一基、借りてきてやるよ!』

香瑩が、香の為に飲みなれたキャッツの珈琲を用意したいのだと悟って、気をきかせてサイフォンまで調達する事にする。信宏だって、香の帰還が嬉しくて浮き足立っているけど、ココは香瑩に己の点を稼ぐ見せ場でもあるのだ。

『あ!信宏!』

そんな信宏の気持ちをしってか知らずか・・・、香瑩は本当に彼には遠慮をしない。

『水も!!』

『水う〜???』

『あはッ、ミネラルウオーター切れちゃって。コンビニで買ってきて(^_^;)』

まあ、水なら香も入用だが・・・。なんだか、関係無い、かさばり系のお使いまで増えそうな気配である。

『わわったよ・・・(汗)、んじゃ、行ってくるから。』

カーテン、コーヒー豆、サイフォン、ミネラルウオーター・・・。だんだん荷物が増えてゆく。

このままだと、トイレットペーパーや洗剤まで頼まれそうなので、とっとと出ようと窓枠に手をかけた。

『あ!信宏!』

そんな信宏の心配をぶっちぎり、また香瑩は声をかける。今度は何を言い渡されるのかと思いつつ、信宏がコワゴワ後ろを振り向くと、

『気を付けてね!』

香瑩は、彼に向かって笑顔でそんな事言う。信宏は、思いがけない香瑩の優しい一言に嬉しくて心がトキメいた。

しかし、

『サイフォン、割らないようにね!アルコールランプも忘れないで!』

信宏はずっこけそうになりながら、ようやく冴羽アパートを出た。歩道に、“トンッ”と軽々と着地すると、キャッツに向かって走り出す。

今、獠と香を乗せたファルコンのランクルが、慎重にゆっくりとここへ向かっている。

多分、八年ぶりの新宿の夜景を香に見せながら走っているので、到着はもう少し遅くなるだろう。

香を驚かせない為に、香瑩と信宏は、獠の妹・弟分で、獠の為に香の世話を買ってでたという事にしている。さすがに、28歳の香に23歳の娘の香瑩じゃ混乱するだろうから。

・・・でも・・・

信宏は思う。

50歳近い冴羽獠を、香がすんなり受け入れたように、23歳の香瑩も受け入れるのではないかと。

槇村香。

彼女には、何故か計り知れない懐の広さと、愛情の深さを感じるのだ。

きっと、人を愛するのに垣根の無い人だと。

じき、夜が明ける。

信宏は暗闇とネオンに彩られた新宿をひた走って行った。

                                    «完»

 


透明な雫 «続編» 〜 光陰 〜

2017-10-31 09:18:22 | AH

獠は、優しく香を覆うように抱きながら目を閉じていた。

香の匂い、呼吸、鼓動・・・、かけがえのない数々の現象が獠の動きを止めていた。

--獠爸爸・・・。--

マジックミラーごしに見える、獠と香の姿は香瑩の心を震えさせる。香瑩の心に、獠の心が注ぎ込まれてくようで。それは、温かい涙となって、香瑩の頬を伝って流れ落ちていくのだ。

そんな香瑩を、信宏がそっと肩を抱く。

そして、信宏は病室のドア付近で待機している父親分のファルコンの変わりに医師団に尋ねた。

『お尋ねしてもいいですか?』

信宏の声に、彼の隣に座っている白衣の医師が振り向く。

『その、・・・香さんは、退院できるんでしょうか?』

信宏に抱かれていた香瑩の肩がピクリと反応する。

香の容態は今朝のうちに獠に聞かされていた。

肋骨の未結合以外はほぼ完治の状態である事を。でも、香の症例も状況も、前代未聞のもので。今の心境は、安心とは程遠い。

信宏と一緒に、香瑩も医師の方を向いた。医師が返答する間が、やたら長く感じる。

だが、医師は穏やかに微笑んだ。

『今の状況で、特に心配な事はありません。むしろ、我々が心配していたのは、香さんの心臓移植を受けた香瑩様の体調だったのですから。でも、香さんが目覚めても、香瑩様に変化は見られなかった。香瑩様も、香さんも、・・・科学では証明できない事ですが、きっと、この新宿が守っておられるんでしょう。』

その医師は、信宏にというより、まずは後ろに控える彼ら医師団の大スポンサー・李堅強に語りかけるように話す。

李堅強は何も言わず、その医師の言葉を聞くと、少し顔をうつむかせた。

冴羽獠と同じ苦しみを、彼も今、乗り越えたのだ。

愛する一人娘、香瑩。

彼は、このプロジェクトで香が目覚めたら香瑩が消えてしまうような気がしてならなっかたのだから・・・。

信宏は少しだけ振り向き、そんな李堅強を切ない思いでチラと見た。自然、香瑩の肩を抱く手に力が籠る。

そんな微妙な空気を感じながら、また医師が話出す。

『外科的に取りあえずの問題は、日光だと思っています。8年間、香さんの目に光が届く事はなかった。いきなり、日の光のもとに彼女を連れ出せばひどく眩しがる可能性があります。そこで、我々も香さんの蘇生の時間を日没後に合わせたのですよ。』

医師の返答が信宏と香瑩には歯がゆい。でも、焦ってはいけないと医師の言葉を丁寧に記憶する。じっと耳を傾ける二人の若者に、医師は続ける。

『香さんは、元の場所に戻ってよいでしょう。ただし、夜が明ける前に移動になります。一応、夜明けの弱い朝日にも警戒して下さい。ここは香瑩様と香さんの為に、念の為、医療設備を維持したまま365日体制でずっと稼働させます。生活面については、既に選任された者が待機していますが、この様子なら冴羽さんや香瑩様の助けで、香さんは徐々に依然の暮らしを取り戻せるでしょう。』

思った以上の医師の返答だった。

注意深く手さぐりの新たな生活ではある。

けれど、

体中の血液が喜びに沸き立つ。

誰だって、その命の長さも儚さも、図ることはできない。

だから、今、この時を、愛する人とともに。

---『香瑩、ファルコンに香さんの事を伝えてくる。』---

信宏は香瑩にだけ聞こえよう小さな声で、そう言うと、その手を彼女の肩からそっと外し、廊下に出ていく。

そして、モニターから、聞こえる少し掠れた優しい声。

『『・・・獠、・・・連れて・・・行って。私を、・・・家へ。』』

マジックミラーの向こうでは、最上の喜びをたたえた獠の瞳が、香を見つめている。

そして・・・、

『『ああ、かえろうぜ、香。ただし、お前は、まだ病人。おとなしくしてろよ?』』

香の表情が急に豊になる。彼女の顔は、満面の微笑みだ。

獠は、ソファベッドの羽布団で香をそっと包むと抱き上げる。

獠には香の容態が手に取るように感じられた。まるで、自分と香が一身胴体のような感覚で。

どうやら、彼に、医師達の退院許可は必要もないようだ。

信宏から、医師による退院許可の件を聞いたファルコンが、香を抱き上げた獠が出やすいようにドアを大きく開く。

まだ、香瑩はマジックミラーの向こう側だ。ミラー越しに“両親”を祈るような気持ちで見つめている。

---“おめでとう、獠爸爸、香媽媽・・・!”---

だれもいなくなった白い病室は、香瑩には希望への待合室のように思えた。

                                       «完»

 

 


透明な雫〜16〜«完»

2017-09-01 09:40:19 | AH

『こんにちは、看護師さん。』

獠が、香にかけた第一声だ。

病室に入った獠は、まず香のソファベッドの脇にパイプいすを広げると、背もたれを香側にして置いた。

背もたれに両腕を重ねておき、左手で右ひじをつかんで姿勢を固めると、長い脚は、椅子をまたいで放り出した。

マジックミラーの裏の部屋では、獠以外の人間が固唾をのんで見守っている。ファルコンは病室のドアを少しだけ開き、廊下で中の様子を伺いながら待機していた。

獠は、椅子を置くときに、意識的にソファベッドと少し距離を取った。

香の視力が元のものかどうか分からないが、彼女の記憶の獠は30歳前そこそこか、それとも40歳近い自分。なのに、今の獠は、既に40代後半にさしかかろうとしている。

いきなり老けた自分が至近距離で現れれば、ショックを与えるかもしれない。香の気持ちを考慮しての距離だ。

声は、老けていないと獠は思っている。香が17歳の時に出会ったあの頃から。だから、思い切って声をかけた。

香は、少し頭を獠の方へ傾けて、穏やかな表情で彼を見ている。

その視線は、とても柔らかで、現実と夢の堺を漂う白い羽のように幻想的だ。

獠は、少し間を置き、香を見つめる。

香は28歳のとき、そのままで。

薄茶色の透明な瞳も、肌の白さも肌理の細やかさも、うっすらピンク色の唇も、獠の恋しい香はそのままの姿でここにいた。

獠は、リモコンを取るとモーツアルトのBGMを消す。途端、病室は、何も聞こえない静寂の世界になった。

『・・・だって、モーツアルトは趣味じゃないだろう?』

獠はBGMを止めた理由を話す。何もしゃべらない香と、まるで対話しているかのように。

このセリフを聞いた香の表情が、一層緩んだように見えた。

『そうそう、紅茶よりもコーヒー。それに、お前は、花より団子ってか。』

“だろう?”、と獠は香に同意を求めるように、おどけて首をかしげて見せる。それは香が大好きな獠の表情の一つで。

ほころぶように香の唇がほんの少し開かれた。

そして・・・

『帰ろうぜ、オレ達の家に。』

そう言うと、獠は椅子から静かに立ち上がり、ゆっくり香に近づく。

そして、ひざまずくように身を更にゆっくりとかがめ、そっと触れるだけのキスをする。

それは、

あのときの、

--酔っぱらった獠を迎えに来た香にした、路地裏での最低な初キス。--

あの時のキスのように、想いのたけを込めて、どうしようも無いほどに優しく。

香の表情を見つめていて獠には分かった。

香が年齢を重ねた自分を見ても、何も動じていない事を。

獠が獠であるかぎり、香も香であることは揺るがないと。

二人の関係は永遠のものと。

   『『・・・獠・・・』』

小さいがしっかり、香が獠を呼ぶ。視線は、夢から覚めたように、しっかりと獠を見つめている。

香は微笑んでいた。

後になって獠は、この時の香の声はまるで幻聴のようだったと回顧する。

獠は両腕をソファベッドに身を完全に委ねたままの香の背中に回すと、彼女に覆いかぶさり、守るようにふわりと抱きしめた。

そして、さきのキスより、三秒だけ長い触れるだけのキスをすると、香を見つめる。

『おかえり、香。』

それは、暖かい花びらのシャワーのように香を包み込む獠の声。

香瑩はスピーカーから聞こえる、獠と香の声に、包まれてくような暖かな感覚に抱かれていた。

眩い光で照らす、でも穏やかな太陽のようで、海のように広くて、深い、例えられない安心感とともに。

きっと、これからも続いていく感覚。

そう、

新しい、家族とともに。

  «完»

 


透明な雫〜15〜

2017-08-31 10:38:23 | AH

『“野良犬さん”、獠爸爸のこと。』

香瑩が言葉を漏らす。

獠は相変わらずの姿勢で香を静かに見つめたままだ。不思議と、手に取るように香が感じられ、その心が浸み込んでくる。

白衣の医師が、そっと席を外して退室していった。すると、肌の黒い大男が、廊下のコンクリートの冷たい壁にもたれて一人、立っている。

『君は?・・・さっき、冴羽さんをなだめたのは、君か?』

医師は質問した。ファルコンはそれには答えず、逆に医師に質問する。

『先生、どちらに行かれるのですか?』

ファルコンには有無を言わせない何かがある。医師は答えざるを得ない。

『調べものだ。患者の話す内容の意味が不明で。患者の過去のデータと照合する。』

再び、ファルコンは質問する。

『患者はなんと言ったのですか?』

壁から背中を離し、ファルコンは仁王立ちになった。答えなければ廊下を通す気はなさそうだ。足止めされた医師は仕方なく続ける。

『“みつけた、野良犬さん”だよ。おまけに聞かれて答えた年齢は17歳だ。』

ファルコンの心が震えた。

香は変わっていない。

無償の愛は永遠で。

今も香の心の中には、傷ついた獠が住んでいるのだ。

ファルコンは決心した。

『先生、獠、一人だけ、患者のそばにいかせていただけませんか?』

さっき、あれほど取り乱した獠をこの医師も見ている。正気のさたかと疑いの眼差しでファルコンを見た。

  «続»


透明な雫〜14〜

2017-08-31 10:02:20 | AH

松本とジェシカ、二人の医師は香の泣く様子を見ていた。

それは、とても美しくて儚い涙で。

一筋ほど流れると、小降りのにわか雨のように、すっと途絶える。

ここで、またしばらく間が取られた。

しばらくして、松本医師が、ずっと彼が持っていた問答集に、手の力を込めた。内容は暗記しているので、それはウオーミングアップを再開しようとする無意識の行動だ。ここから、質問の内容が重要になってくる。

香は、鏡に映る自身の姿に狼狽を見せない代わりに、今の自分をどう認識しているのかは、つかめていない。

ゆっくり、次の質問が行われた。

--『槇村さん、僕は実は今日、誕生日なんです。31歳になりました。』--

松本医師の誕生日はフェイクだ。

--『槇村さんは、今、おいくつですか?』

スピーカーから聞こえる医師の声は、病室に彼らが入室して数時間たつにも関わらず、相変わらず穏やかだ。上手く緊張感を隠していると言えよう。

そして、香は表情を変えないまま答える。視線は鏡にあり、先ほどから身じろぎもしない。

--『・・・17歳・・・』--

香が答えた年齢は、19年前の年齢。

鏡に映る大人びた香の年齢とは明らかに異なる。

でも、香は取り乱す事なく鏡を見つめる。

まるで、ゆっくり、ゆっくりと、大切なものを探し拾うように。

それは獠にとって、香がキラキラとした星粒たちを拾っては掌で愛でているように映る。

大切な、彼女の何かを。

そして

香が手をゆっくりと動かす。

両手の掌を胸元まで上げると、視線を鏡から自分の手にひらに移した。

その姿は、獠には見える香の探し物が、彼女の手中にあることを伺わせる。

香はふっと表情を変えた。いまにも消え入りそうだけど、まぎれもない彼女の微笑み。

--『・・・みつけたわ・・・、野良犬さん・・・。』

彼女を見つめる二人の医師は面食らっている。

槇村香と、周囲の人間関係など、彼女を取り巻くデータは膨大な量を確認済であるが、その中で彼女はペットを飼った事がない事も含まれていて。“野良犬さん”は、とても大事なキーワードとは考えられない。

思わず、二人の医師は目を合わせあい、視線で疑問をぶつけあっている。

そんな周囲の困惑の中。

獠と香瑩だけが、その言葉の重みを知っている。

その言葉は。

初めて香が獠にかけた言葉だった。

   «続»


透明な雫〜13〜

2017-08-31 09:32:26 | AH

取り乱した獠のせいでざわついた部屋に、獠、香瑩、信宏が戻ってきた。周囲は気を利かせると、三人分の椅子を開けて、香瑩に座るように目くばせする。

三人は、獠を挟むようにマジックミラーのまえに並んで腰かけた。

香は、そんな騒ぎをしってか知らずか、先ほどと変わらない様子で、二人の医師に挟まれたまま鏡を見つめている。

美しいベージュのネグリジェを着て、羽毛とレースのソファベッドに身を委ねる香は、ほぼ無表情だ。でも、そんな香を見ているうちに、獠の心は穏やかになっていく。

見つめてあっている訳ではない。ただ、一方的に獠が香を見つめている。それでも、じわじわ何かが心の中に注ぎ込まれる。

それはまるで、温かい血液を入れられているような未体験の感覚で・・・。

事態が収まったのを悟ったのか、また医師達は香に話かけ始めた。

--『槇村さん、鏡に映るあなたはとても綺麗ですね。』--

セラピストの女が切り出す。鏡に映るのが自分自身と香が認識できているか軽く伺っているのだ。

そして、松本医師が、もう一度同じ質問を行う。

--『槇村さん、気分はいかがですか?』--

スピーカーから医師達の声が聞こえる。

先ほどまで、獠は身を固くしていたが、今は通常の筋肉の張り具合になっている。軽く握った両手を膝に置き、ほんの少しの前傾姿勢で椅子に座ったまま、只々香を見ていた。

そして

聞きたかった、あの声・・・

--『鏡の向こう、・・・温かい・・・』--

初めてスピーカーから聞こえる香の声。

少し掠れているけれど、はっきりと聞き取れた。

香の言葉は、獠の感じた温かさをピタリと重なり、そして、寄り添う。

ジェシカが自身の両手を重ねて、香の片側の肩を温めるようにそっと置いた

--『あの鏡の向こうに、槇村さんを愛している人達がいるの。』--

香の瞳に、温かい涙があふれる。

それは透明で、光を反映して輝きながら彼女の頬を伝い落ちて行った。

 «続»

 

 


透明な雫〜12〜

2017-08-31 08:12:34 | AH

“ボスッ・・・”

コンクリートの廊下に、鈍い音が響く。

『・・・うう・・・。』

獠が腹を押さえてうずくまった。

『獠さんッ!!』

信宏が獠に駆け寄る。

『獠、落ち着け。』

ドアの外にいたのは、ファルコンだった。取り乱した獠を香瑩が抑えきれない事態を想定し、関係者が入室したあと、信宏と二人で待機していたのである。

ファルコンは、周囲の心配をよそに、なんとなく香瑩は何の問題も起きない予感がしていた。理由はないのだが、香瑩も目覚める香も静かに事態を受け止めるような気がしている。

だから、一番の懸念は獠だ。案の定、香の病室に飛び込もうと、なりふり構わず部屋を出てきた。今の取り乱した獠は、ファルコンにとって雑魚を抑える程、簡単に捕まえられる。

獠は何の防御もない腹を、ファルコンの鉄拳で殴られ、うずくまりながらファルコンを見上げた。その眼は、涙は止まっていたが、明らかに泣いた跡が見て取れる。

『獠、香の心の声を聴け。部屋に戻るんだ。』

信宏は獠に肩を貸し、起き上がらせる。たたずんで獠を見つめる香瑩に信宏は微笑んでみせると、香瑩と二人で獠を支えながら、部屋に入っていく。

ファルコンは一人、廊下に残った。背中を壁にもたれさせ、逞しい両腕は胸の前で組まれている。ぞして、病室につながるドアを心の目で見つめ、中の様子を感じていた。

香が、覚醒したことが感じられる。

そして、その気配の穏さ。

槇村香。

世界ナンバーワンスイーパーが唯一愛した女。

  «続»


透明な雫〜11〜

2017-08-31 07:29:20 | AH

松本医師は問いかけた後、なぜかマジックミラーの方に顔を向けた。その表情は、“何かあったのかな?”とでもいうように意表を突かれた様子だ。

香は大きな鏡に視線を移している。四方の壁のうち、一方だけ鏡張りになっているのだが、何故か香の視線に先は鏡だ。

体の、不調を訴えるわけでもなく、ここがどこなのかでもなく、何故に自分がここにいるのかでもない。なんの、不安を漏らすでもない様子で視線の先は鏡だ。

鏡を気にかけている香を、二人の医師は慎重に観察する。

そして、セラピストのジェシカが優しく声をかけた。

--『大きな鏡ね。おかげで、この部屋がとても広くかんじるわ。』--

香に負担をかけないよう、彼女はまるで独り言をつぶやくように話す。

そして、キャスター付きのソファベッドをゆっくりと、鏡の方へ向きを合わせるように動かす。松本医師も椅子から立ち上がり、香の傍らに立った。

鏡の前に、香を挟むように二人の医師が立つ。

マジックミラーの部屋に、初めて香の姿が見せられた。

ガタンッ!

獠がいきなり立ち上がった。

座っていた椅子も、彼の腕を抱きしめる香瑩の存在も、彼の中には今、存在していない。

今の獠には・・・。

ガラス越しの香、それが獠の世界の全てだ。

『香いッ!!!』

獠はマジックミラーのガラスに両手と額を貼り付け、その喉からでる悲鳴のような、音にもならないような声で、その名を叫んだ。防音ガラスで、その声は病室に届かない。それでも、獠は何度も香の名を叫ぶ。

獠の両目からは、涙があふれ、いつもの余裕は全くない。そこにいるのは、優しい父親でも、シテイーハンターでも、何もない。

ただの、一人の男。

“香!”

“香!”

“香!”

・・・

『獠爸爸!』

香瑩は、獠の背中に手をあてて名を呼んだ。

香瑩には冷静さを失った獠の心が、痛いほど突き刺さる。どれほど、どれほど、恋焦がれてきたのか・・・。八年間、どれだけの恋心を抱きしめて生きてきたのか。

香が、今、獠の視界の中にいる。

だが、香瑩の手の温もりも、今の獠には伝わらない。

獠は取り乱しまま部屋を出ようと体をドアの方向に向ける。香の病室に入るつもりなのは明白だが、まだ香の覚醒は途上で、危険な行為だ。

『だめ!獠爸爸!!香、まだちゃんと目覚めてない!!』

必死で止めようとするが、獠は香瑩の声も届いていないのか。

乱暴に部屋のドアを開けると、廊下に飛び出した。

   «続»


透明な雫〜10〜

2017-08-31 06:49:12 | AH

マジックミラーの裏側に、病室の医師たちの表情から、香が覚醒したことが伝わった瞬間だった。

そして、待機していた医師群が香瑩に注意をめぐらす。香の覚醒で、彼女の心臓を持つ彼女に異変が起こらないか最大限の注意が払われているのだ。李堅強は、膝の上の両手のこぶしを爪が掌に食い込む程握りしめた。

冴羽獠、最愛の女、槇村香。

この女を蘇えさせる事は、同時に香瑩に未知のリスクが降りかかる可能性がある。

李堅強にとっても、香瑩は死んだと思っていた娘。冴羽の気持ちは、誰よりも理解でき、それが、また彼を苦しめた。一番前に座っている、獠と香瑩。李堅強はななめ後ろの席から、動かぬ二人の背中をじっと見つめる。

そして、またスピーカーから医師の声が聞こえてくる。

--『あらためて、こんにちは。僕は医師の松本です。』--

先ほどまでの呼びかけとは違い、明らかに、眼を開いた患者に会話している。

--『体、動かしづらいかな?もしかして、ふわふわして、夢を見ているような気持ちかもしれないね。』--

松本は、問答集にあらかじめあったウオーミングアップを始める。優しい声で香、ゆっくりとに語りかけ始めた。

傍らでは、セラピストのジェシカが、ガラスの水差しにレモンの皮をむきながら入れている。恐らく、柑橘の香が広がっているのだろう。その、水差しから、更に小さな経口用の水差しに、ゆっくりと水を注いでいった。

再び、そのまま二人の医師は少し間をおく。

そして、

--『声、でるかしら?少し、レモンの香がするお水はいかが?』--

スピーカーの声は、残酷なほどに穏やかだ。

獠は、生と死の狭間を行き交うような感覚の中で、固まって椅子に座ったまま、前を凝視している。香瑩は獠の片腕を抱くように寄り添った。

周囲の香瑩の医師たちは、その様子にほっと胸をなでおろし、互いにアイコンタクトで確認しあう。香の覚醒で心拍異常を起こしたり、取り乱したりする事を危惧していたが、香瑩はとても落ち着いている。“大丈夫そうだな”、と目を合わせては小さくうなずき合っていた。

病室では、女の医師が小さな水差しを香の顔近くにあてているようだ。小さなハンカチのようなもので、水を飲ませた後に拭っているような様子に見える。

香に水を飲ませた後の、病室は再び静かになった。二人の医師は、先ほどのように香を挟んで座っている。室内の音楽も流れたままだ。

そして、また松本医師が口を開き始める。

--『ここは、不思議な場所でしょう。ここは、新宿なんだよ。安心して。』--

松本医師は、香の瞳をしっかりとらえている。マジックミラー越しでも明らかに分かった。

--『槇村さんは、ここに入院していたんだよ。でも、良くなったから退院できるよ。』--

医師の独白のみが、スピーカーから聞こえる。

そして、いよいよ初めて香の会話を引き出す言葉をかける。

--『気分はどうですか?』--

   «続»