Che bello!

わぁ~すごーい!

健康こみち

2007年05月24日 | その他
会社のとなりにあるマンションの敷地内に、公園があります。
あまりの眠さにお散歩していたら、ステキなこみち(?!)を発見してしました。
でも、健康こみち・・・って・・・

健康こみち


靴を脱いで、ここからスタートです。

スタート


激しいいぼいぼがいっぱい

いぼいぼ


あいたたたっ、と言いながら、とりあえず、無事、いぼいぼ脱出。
最後は、心臓、肝臓、腎臓、胃のツボでリラックス。

ポイント


あー気持ちよかった♪

そら豆がいっぱい

2007年05月20日 | ベジフル
昨日はV&Fクッキングサロンの『旬』の野菜コースStep2に行って来ました。
テーマ食材は、そら豆とビワです。
この時期のそら豆は出始めの頃よりも、でんぷん質が多くなって、ホクホクした感じになっていました。形が崩れやすいので、ポタージュなど加工するメニューにぴったり。
さやごと茹でて冷ましたそら豆を試食させていただいたら、薄皮から茹でたものより、香りがふわぁ~ってお口の中に広がってとても美味しかった!!!
ビワは大好きな果物のうちの1つです。皮をむいてしまうと、すぐに変色してきてしまうので、むいたらすぐいただくか、レモン汁などでマリネしておくといいようです。

『旬』の野菜コースStep2、5月のメニューは、そら豆のサラダ、そら豆のポタージュ、そら豆のフリカッセ、ビワのプティパイの4品です。
そら豆の優しい緑色と、ビワのオレンジ色がとってもキレイで、目にも優しいメニューです。

5月の春夏「旬」2野菜コース


そら豆のサラダ。タコとパプリカ、セロリも入っています。

そら豆のサラダ


次は、冷製のそら豆のポタージュです。
ブイヨンなどはいっさい使っていないのに、この美味しさは、なに?!

そら豆のポタージュ


次は、そら豆のフリカッセです。
フリカッセというのは、白いソースで仕上げるお料理のことです。
玉ねぎ、セロリを蒸し煮にしているので、お野菜の甘みやうま味がいっぱい引き出されています。
生クリームが入っているのに、あっさり味で、パターライスとぴったりぃ!
クリームもの、あまり好きではないkaruですが、とっても美味しくいただきました。

そら豆のフリカッセ


デザートは、ビワのプティパイ。
ビワを半分に切って、パイシートにのせて焼くだけ!
焼き上がり、おいしそーでしょぅ!!!

ビワのプティパイ1


他の3品でお腹がいっぱいだったのに、プティパイも全部いただいてしまいました・・・。

ビワのプティパイ2


6月のテーマ野菜はズッキーニと大好きなメロンです。

お稽古日誌(2007年5月17日)

2007年05月18日 | 茶道/お稽古日誌(裏千家)
1ヶ月ぶりのお茶のお稽古。季節は炉から風炉に変わっていました。
先々週くらいから、お茶のお稽古に伺いたい気持ちがいっぱいになっていて、先生のお宅のお茶室に座らせていただいている様子を思い浮かべながら、昨日やっとお稽古に伺うことができました。
お床には、めずらしいクロユリが飾られていましたよ。黒というよりは、深い深い紫色とでもいいましょうか。とっても上品な色で、しばらくじっと見つめてしまいました。

クロユリ1


クロユリ2



ところで、利休七則のひとつに、「炭は湯の沸くように置き」とあります。
昨日のお稽古では、その、「湯の沸くように置く」Sさんの炭手前のお稽古を見せて頂くことができました。
お茶のお点前は、なんとなく、TVで見たことがある、こんな感じだろうなぁ~とイメージができると思います。
が、炭手前と言われても、なんのことでしょう、という感じですよね。
お茶を点てるには釜の湯がよく煮えるように、風炉や炉に『炭』をついで、湯を沸かす準備をします。このときの作法が炭手前です。
お茶を点てる時ように、炭をつぐのも、お客様の前でお手前するのですね。

お茶のお点前の時に茶入や茶碗、建水を運ぶように、炭手前の時にも炭斗(すみとり)に炭手前に必要なお道具を入れて運びます。
これが、炭斗(すみとり)です。
中には、火箸(ひばし)、釜の上げ下ろしに遣う鐶(かん)、炉縁などを掃く羽ぼうき、香合、炭が入っているんですよ。

炭斗(すみとり)


風炉にはすでに、赤々と光る下火の炭が入っています。
そこに、胴炭、丸ぎっちょ、割ぎっちょ、丸管炭、枝炭をつぎ、止め炭をついでいきます。
胴炭?丸ぎっちょ?割ぎっちょ???それぞれ、炭の形のようです。
胴炭は太くてずんぐりした炭に見えました。丸ぎっちょは中くらいの太さで短め、割ぎっちょは丸ぎっちょを縦割りにしてある状態のもの・・・と、お茶席でお茶を点てる時間に、お湯がちょうど良い温度になるように、これらの炭をついでいくのですね。
そして、炭をつぎ終わると、最後に香合から、3枚のお香のうち、2枚を風炉の中に置きます。これは、炭のにおいを消すことにもなるのだそうです。最後に灰匙で風炉の正面に月形を切ります、今日のお客様のために炭をつぎました、という意味があるのだそうです。
お稽古の後、風炉の中を拝見させていただきました。

風炉1


風炉2


karuのお点前のときには、ほのかに白檀の香りが立ち上っていました。
はじめて、炭で湧かしたお湯で薄茶平点前のお稽古をさせていただきました。が・・・
半年ぶりの風炉でのお稽古・・・せっかくSさんがついでくださった炭だったのに・・・あれほど風炉の時は、お茶を茶碗に入れたらお水指の蓋を開けるの忘れないように!と思ったはずなのに・・・
ところでみなさん、お気づきですか?お茶を点てる作法は「お点前」、炭をつぐ作法は「お手前」なのだそうですよ。

下鴨神社

2007年05月17日 | 
鴨川と高野川に挟まれた場所に下鴨神社があります。
この場所にチャリを置いて、糺の森(ただすのもり)の中を進んでいくと、そこが下鴨神社です。

糺の森入り口


この入り口を入ると、すぐに別世界。日の光が新緑に反射するのか、森の中はキラキラ輝いています。

糺の森の中


キラキラきれいなので、空を見上げてみました。

糺の森の空


澄んだ空気の中をのんびり歩いて行くと、正面に下鴨神社の鳥居が見えてきます。

下鴨神社の鳥居


鳥居をくぐってもうすぐ楼門というとき、突然巻き上げるような風が吹いて来ました。
木々のざざざぁ~というざわめく音に、わぁ~~~と空を見上げると、沢山の木の葉が舞い上がっていました。
んんんーーーっ、何だったのでしょう・・・不思議な感じ。

巻上がる木の葉


楼門をくぐると本殿や平安の様式を今に伝える社殿が建ち並んでいて、荘厳な雰囲気に包まれています。
東西に並び立つ国宝の本殿には、建角身命(たけつぬみのみこと)と玉依媛(たまよりひめ)の男女二神が祀られています。

本殿


境内の末社・相生(あいおい)社には、2本の木が幹の途中で1本に合わさっている木、「連理(れんり)の賢木(さかき)」があって、縁結びのご利益があると書かれていました。
この連理の賢木は今4代目だそうなんですが、不思議なことに老木になると糺の森の中に跡継ぎが出てくるんだそうですよぉ~。
さすが下鴨神社。縁結びの神様が本当にいそう!!!
また、糺の森を抜けて戻ってきました。
境内に湧き出す「みたらしの池」は瀬見の小川として流れ出し、神域を不浄なものから守っているのだそうです。

本殿



今宮神社と大徳寺の塔頭

2007年05月15日 | 
鷹峯からバス通りを下って来て、千本通りとの交差点を左に曲がると今宮神社があるんです。

今宮神社楼門


今宮神社と言えば!一和さん、かざりやさんであぶり餅ぃ~♪ですが、「阿保賢さん」と呼ばれる石も祀ってあります。
この石を三回叩いて持ち上げ、次に願い事をしながら三回撫て持ち上げて、後の方が軽く感じたら、その願い事が叶うという言い伝えがあるんですってぇ。
後の方が軽く感じ・・・たことにしました。

阿保賢さん


かざりやさんであぶり餅をいただいたら、今日最後の拝観先、大徳寺の塔頭(たっちゅう)へ。
まずは、龍源院(りょうげんいん)。大徳寺山門の前に建つ、1504年に創建された大徳寺の塔頭の中で最も古いお寺だそうです。
「一枝坦」、「龍吟庭」、「ご沱底」、「東滴壺」という小さな四つのお庭をじっくり見てまわりました。
この方丈前の一枝坦(いっしだん)は、白砂の海に苔の島と岩を配した枯山水です。

一枝坦(いっしだん)


こ沱底には、右に口を開けたような「阿の石」、左に口をぐっとむすんだような「吽の石」があり、阿吽の石庭とも呼ばれます。

吽の石


こっちが「阿の石」。口を開けているように見えますか?

阿の石


次は瑞峯院(ずいほういん)。キリシタン大名の大友宗麟が創建した塔頭です。
方丈前にある独坐庭は、大海の荒波が絶え間なく打ち寄せてきても雄々と独坐する大自然を表している枯山水だそうです。
どんな苦境に陥っても、自分を見失うことなく平常心で、いつも笑顔でそこに存在できる、独坐庭のような人になれるでしょうか・・・。

独坐庭


方丈裏には「閑眠高臥して青山に対す」という禅語から銘じられた庭の「閑眠庭」があります。
この枯山水の砂利の庭には、斜めに縦4個、横3個合計7個の石が置かれていて、縁側の東の端からよーく眺めてみると大きな十字架が浮かび上がってきます。
昭和36年(1961)に庭園研究家重森三玲氏によって造られたものです

閑民庭


大徳寺北派の本庵である大仙院(だいせんいん)は、永正6年(1509)古嶽宗亘(こがくそうこう)(大聖国師)が開祖で創建されたものです。
ここは、写真を撮ることが禁止されていたので、参道の写真です。

大仙院


蓬莱山というお庭は、鶴島と亀島の間に蓬莱山があり、刈り込みや美しい砂で滝が流れ落ちる様子を表現していました。
そして、最後は、大徳寺塔頭のメインイベント!のはずだった、高桐院。
終了時間が16:00、大仙院の方にあと20分というところで早く行きなさいと言われ小走りで目指したのですが、なかなか遠く、かつ、途中、迷ったり。
写真で見たことのある参道までは辿り着いたものの、もう終わりです・・・と、障子をぴしゃり。身も蓋もない・・・。
こんなに利休が好きなのに、あこがれの人にはそうそう簡単には辿り着けないのかもしれません・・・しょんぼりぃ。
高桐院は慶長6年(1601)に、利休七哲の一人と言われた細川忠興が、父の藤考(幽斎)の菩提所として建立しました。
客殿北には庭を挟んで、千利休の屋敷の広間を移築したと伝えられる書院の「意北軒」が、また、細川三斎が建てた利休風の茶室「松向軒」があります。
この茶室、2畳台目の小さなもので、北野大茶会に用いたものを移したといわれ、名茶室として名高いものです。
客殿の西にある庭は細川家代々の墓所となっていて、そこに建っている石灯篭が三斎とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔となっています。
これはもともと利休秘蔵の灯篭だったのですが、豊臣秀吉と三斎公のふたりから請われて、利休はわざと裏面三分の一を欠いて疵物と称して秀吉の請を退けました。
のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈されたもので、墓塔銘を「無双」といい別名「欠灯篭」というそうです。
さらに蕨手・灯口・横が欠けているのは、後日完全を忌む公自身が欠いた、という記録が残っているそうです。
茶室と石灯籠、見たかったなぁ~~っ。次、いつ見ることができるかなぁ~♪

高桐院



京都、鷹峯

2007年05月14日 | 
鷹峯は紅葉が美しい場所なんです。
けれど、源光庵の「迷いの窓」と「悟りの窓」、本阿弥光悦が営んだ芸術村だった光悦寺、吉野太夫のお墓のある常照寺が見たくて、鷹峯に行ってみました。
オフシーズン(?)なので、あまり人がいず、のんびり、しっとり拝観しました。
桜の見ごろは過ぎていましたが、新緑も美しい場所ですよ♪
ところで今回、ただ行ってみたい場所をピックアップしたつもりだったけれど、前日の南禅寺を筆頭に、なぜか禅寺がとっても多くて不思議な感じぃ♪
源光庵は、禅寺曹洞宗ならではの質素な境内でした。

源光庵


本堂内部には、四角い「迷いの窓」と丸い「悟りの窓」があります。
「迷いの窓」は、人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表しており、転じて悟りが開かれていない状態、迷いのある心を表しています。

迷いの窓


「悟りの窓」は、「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現しています。これは、一切の苦悩がない安らいだ心を意味します。

悟りの窓


廊下の血天井は、伏見城の遺構で、戦死者の霊を供養しているのだそうです。
源光庵の次に足を運んだのは、道を渡ってすぐの場所にある光悦寺です。

光悦寺


江戸時代の芸術家、本阿弥光悦に、徳川家康がこの地を与えて、光悦の一族や芸術、工芸の職人さんたちが移り住んで、芸術村を営んだのが、この場所だったそうです。
光悦の死後にお寺となって、光悦の墓碑が祀ってありました。
掲題の茶室「大虚庵」は、光悦が晩年に過ごしたお家です。

大虚庵


「大虚庵」にはめずらしい竹の垣根があって、光悦垣、または徐々に高さが変化する姿形から、臥牛(ねうし)垣とも呼ばれているんですってぇ。

光悦垣


三巴亭、了寂軒、大虚庵、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵など7つの茶室を通り過ぎて行くと、正面に、鷹峰三山である鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰が望めるんです。
ちゃんと、どれがどの山なのか、看板もついてます♪

鷹峯三山


鷹峯三山の看板


光悦堂には光悦の木像の他、多くの遺品が残されていました。
鷹峯での拝観最後は、吉野太夫のお墓がある、常照寺です。
この山門は、吉野太夫が寄進したことから吉野門と呼ばれているそうです。

常照寺山門


境内の一番奥にある、鬼子母神堂と桜です。

鬼子母神堂と桜


お薄と和菓子がとっても美味しかったです。

お薄と和菓子



とりあえず、癒されに・・・

2007年05月13日 | その他
海に行ってみました♪
波伝説の波情報によると、今日は片貝漁港がよさげ。
片貝の海岸には、昼顔が咲いていました。

昼顔


今日の海は、こんな感じ。
一応、サーフィンできる用意していったけど、風が吹いていて寒いから見学して帰ってきてしまいました♪
波に乗っている人を見ていると、気持ちよさげーーー。

片貝の海


貝殻も寒そう・・・?!

片貝の浜辺



鴨川と上賀茂神社

2007年05月11日 | 
京都2日目(16日)は雨模様。レンタサイクルで鴨川散策を計画していたけれど、去年、レンタサイクルで走っている時、通り雨にやられて寒さに拒否反応を示したRYOちゃんとkaru。
この日はレンタサイクルは諦めて、歩いたり、電車に乗ったり、タクシーに乗ったり。
早めにホテルを出発して、電車で出町柳まで行き、出町ふたばさんで大福を買って、鴨川堤を散策しながら世界遺産に指定されている上賀茂神社を目指すことにしました。

鴨川堤


鴨川には、いろいろな鳥さん(鷺や鴨や・・・・いろいろ)、犬のお散歩をしている人、通勤途中の人など。
もうすぐ上賀茂神社に近づいて来ると、道沿いに桜並木が。
満開の頃のこのトンネルは、どんなだったのでしょぅ~。

桜のトンネル


満開のトンネルはくぐれなかったけれど、上賀茂神社の一の鳥居をくぐると、こんな大きな樹齢150年の枝垂れ桜を見ることができました。

上賀茂神社垂れ桜


いよいよ、二の鳥居をくぐると、あの!左右対称に並ぶ、円錐形の立砂を見ることができます。

上賀茂神社立砂


ここでとってもかわいい、馬みくじ発見!!!馬さんがお口にくわえているのが、おみくじなの♪

上賀茂神社おみくじ


国の重要文化財だらけの境内。この玉橋と楼門も重要文化財です。桜も一緒に。

玉橋と楼門と桜


境内には、明神川と御物忌川の2つの川が流れていて、境内全体が静寂に包まれています、
境内に立っているだけで、身体がマイナスイオンのベールに包まれている感じなの。なんて気持ちがいいのでしょう。
全く別の世界に迷い込んでしまったみたい。
耳をすますと小川のせせらぎが聞こえてきます。

明神川


百人一首、藤原家隆が詠んだ、「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」のならの小川。

ならの小川


ここは、上賀茂神社の門前を流れる明神川沿い一帯で、社家の道といいます。
上賀茂神社の神官たちが住む社家が並んでいて、今も30軒ほどが残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているそうです。

社家の道


ちなみに、すぐき漬けのお店なり田さんは、この道を挟んだ反対側。
お茶漬け豆がとーーーっても美味しかったです♪

八坂の塔

2007年05月09日 | 
春の日の夕方、二寧坂、産寧坂辺りをふらふらしていたら、八坂の塔が見えてきました。

散策


一番いいポジションはどこ?とポジションを探しながら五重塔の写真を撮ってみました。いまいち?

八坂の塔


八坂の塔がある法観寺は、拝観が16:00まで、karuたちが到着したのが、17:00ちょっと前でもう終わってしまっていたの。
八坂の塔のとなりのお家のミカンの木の写真を撮っていたら、こっちの位置からのほうが、塔がちゃんと写るよ、と、向かいのお家のおじさまが声をかけて下さいました。
ミカン撮ってたんです・・・といったら、え?ミカン?と、笑われてしまいました。
その後、聖徳太子によってこの塔は建てられたんだよなど、いろいろ教えて下さって、なんだか心がほのぼのしちゃった。
窓を開けたらそこに八坂の塔があるなんて、毎日どんな気持ちでこの塔を見上げるのかな・・・と、想像を駆り立てられました。
春は、高台寺のライトアップがとてもきれいです。
高台寺から見た、夕暮れ時の八坂の塔、ステキでした。

高台寺から見た八坂の塔



京都の初日、永観堂と南禅寺

2007年05月09日 | 
今年の桜は例年に比べて1週間くらい見ごろが早かったかな・・・。
4月15日から京都に行ってきたのに、食い倒れ日記を書いてすっかり満足しちゃっていましたが、写真を見ていたらとってもいい感じだったので、やっぱりちゃんとブログに記録しておくことにしました。

最初に、南禅寺横のインクラインを歩いて、永観堂を目指しました。
インクラインの桜は随分散ってしまっていたけれど、風が吹くたびに花びらが舞っていて、とってもきれい。
それでも、永観堂近くの住宅街には、まだまだこんなにきれいな桜が。

永観堂近くの桜


永観堂には、秋に来たときに会えなかった、みかえり阿弥陀さまがいらっしゃいます。
「永観、おそいよ」と、左肩ごしに振り返ってるんですねぇ~。
本来、みかえり阿弥陀さまがいらっしゃる阿弥陀堂が10月まで修復工事をしているので、瑞紫堂にご遷座されていました。
永観堂は、紅葉がきれいなお寺なので、この季節、青々とした紅葉がとてもきれい。

永観堂


永観堂の次は、臨済宗 大本山南禅寺
三門を近くから撮ってみました。おっきぃ~っ。四季それぞれを、ここで感じてみたい!!!

三門


ここは、方丈、清涼殿のお庭。小堀遠州作と言われる、「虎の子渡しの庭」が、ここ。

方丈の庭


清涼殿の隣のお部屋でお薄をいただきました。

方丈でお薄


そして、ここが疎水の水道橋です。よく、ドラマの撮影に使われている場所ですよねぇ。
この疎水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、1881年に竣工、1890年に完成したそうです。今も上水道の水源となっているんですよ。
710年に開宗された大本山南禅寺と煉瓦造りの水道橋、同じ場所にあって、全く違和感なく、そこに存在しています。

疎水の水道橋


水道橋の横の階段を登ってみると!今も水源として働いています。

疎水


水の流れる音と鳥のさえずり、上を見上げてみると!スピリチュアルっ。

疎水の空


疎水を登って行くと、琵琶湖疎水記念館、そして、最初に歩きはじめたインクラインに戻って来ました。

インクライン