平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

9条世界会議でのベアテ・シロタ・ゴードンさんのお話

2008年05月08日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
写真は9条世界会議・関西の会場で見かけた展示物 アメリカ、イスラエルどちらもならず者国家、アメリカの支配階層は産軍複合体の代表、麻薬ならぬ戦争中毒患者

 午前中、平田荘園自治会関係者と市役所との話し合いに参加。住民要求が一刻も早く実現できればと願っています。

 以下のメールが届きました。「押付け憲法」だから、憲法を変えようという主張がいかに根拠のないものかよくわかります。
 また60年前のものだから古い、時代に合わないとも言いますが憲法の原理は平和、民主、人権です。この原理よりも、絶対天皇制の下で戦争を行い、領土拡張によって財閥が巨利を得た明治憲法の時代、そして人権よりも国家に郷愁を感じているような人たちが古いといって憲法を変えようとするのは支離滅裂、こっけいそのものです。

以下届いたメール
 参加しているMLでいただいた、「もぐら@9条さん」によるベ
アテさんのスピーチの書き起しを転送します。

メールでの転送・転載は上記の発信者情報をつけてください。
印刷物への転載はベアテさんの許可が必要かもしれません。

> 大阪の9条世界会議で ベアテ・シロタ・ゴードンさんのス
ピーチを聞きました。(幕張会場でのスピーチと同じだと思い
ますが)感銘を受けました。ユーモアのある話ぶりに 拍手の
ほか笑いも何度も起こる素敵なスピーチでした。
> 一緒に聞いた友人が、テープ起しをしてくれて 転載許可も
くれましたので、ここに転載します。
>
> =====以下転載==================

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、ご存知のように、元GHQで
日本国憲法の創案に関わり、人権条項を、特にアメリカ憲法に
さえなかった24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平
等)を、日本国憲法に入れてくださった人です。


ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ
(2008.5.6 舞洲アリーナ)

~~~~スピーチ(ベアテ・シロタ・ゴードンさん)~~~~

今日は、ここに平和のために活躍している多くの人たちが集
まっている事は本当に素晴らしいことです。(拍手)
私は「第9条」の専門家ではないです。
私は「男女平等」のことを憲法の草案に書きました。(拍手)
私はシロタといいますが、本当はシロウトです。(会場、笑い

しかし私は、お母さんでもあるしおばあさんでもあるので、わ
たしはむしろ第9条に興味をすごく持っています。

マッカーサー元帥は、本当には日本の政府がちゃんと民主的
な憲法を書けばそれが一番いいと思いました。
そしてマッカーサーは松本烝治に頼んで、松本さんはどうして
も民主主義的憲法を書く事ができませんでした。
二三回やって見たんですけれども、いつでも明治憲法と同じも
のが出て来たのです。
(会場、笑い)
だから、マッカーサーは憲法を創ることを自分のスタッフに命
令したのです。

私はちょうどそのときに1945年の12月に日本にいまし
た。
なぜならば、戦争中ずっとアメリカの大学で勉強していたので
、お父さんとお母さんは日本にいましたので、私は親に会いた
かったのです。
占領されていた日本にはアメリカ人は行かれなかったのです。
アメリカ軍属の仕事を探してそれを見つけて日本へ飛んで行き
ました。
日本についてすぐ親を捜しに行きました。大変だったです。
ジープに乗って、破壊された東京の中で、乃木神社のそばの赤
坂区檜町十番地にあった私の家を探しに行きました。
残っていたのは一つの石の柱だけでした。隣の家も焼けていま
したので、本当にがっかりしました。
パパとママが、戦争中ずっと軽井沢に住んでいたので、私は
軽井沢に行って燃料の不足、食料の不足、よく解りました。
軽井沢に冬に行った事がなかったので、十二月の寒さは恐ろし
かったです。皆様の戦争中の状態がよく解りました。

私は仕事のために東京へすぐ帰らなければならなかったので
マッカーサー元帥の司令部、第一生命ビルへ行きました。
そこには民政局という事務所がありました。
その民政局は日本の政府と一緒にいろんな占領規則を創りまし
た。
私は、そこに入って最初の仕事は女性政治運動、そして小さい
政党の運動のリサーチだったのです。
その時には小さい政党がずいぶんあったのです。
だから朝から晩まで忙しかったです。そして一ヶ月そこで務め
たあと1946年の2月の4日の朝、十時に民政局部長ホイッ
トニー大将が私と他のスタッフメンバーを呼んで次の事を発表
しました。
「あなたたちは、今日から憲法創案・制定会議のメンバーにな
りました。これは極秘です。あなたたちはマッカーサー元帥の
命令で新しい日本の憲法の草案を創るのが任務です。」
これを聞いたのは20人くらいだったです。もちろんみんな
でずいぶんびっくりしました。
発表が終わったあと、???代表者ケーディス大佐が憲法創案
の仕事を振り分けました。
人権に関する創案は三人に与えられました。
男性2人女性1人、その女性が私だったのです。その時には私
は22才だったのです。(会場、ほぉ~っ)

その後3人で相談して、人権の草案については誰がどういう
を権利を書けばいいかとか、二人の男性が「ベアテさん、あな
たは女性ですから、女性の権利を書いたらどうでしょうか。」
私はすごく喜んでもちろん賛成しました。
女性の権利の他にも、学問の自由についても書きたいと言いま
した。
みんなで賛成して、わたしはジープに乗っていろんな図書館へ
行って、いろんな国の憲法を参考に集めました。
この仕事は極秘だったので、私は1カ所の図書館だけに行った
ら、図書館司書がなぜ司令部の代表者はこんなにいろんな憲法
に興味があるのかを疑うといけないから、私はいろんな図書館
に行きました。
事務所へ帰って来たら、みんながこの本を参考に見たかった
ので、私は引っ張りだこになりました。
マッカーサー元帥の命令ではこの憲法を早く書かなければなら
なかったのです。
一週間、7日間で草案を創らなければならなかったのです。
それで、私は朝から晩までいろんな憲法を読んで、何が日本の
国に合うか、または自分の経験で日本の女性にはどういう権利
が必要であるかを、よく考えました。
私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。
配偶者の選択から、妊婦が国から補助される権利まで、全部入
れたかったのです
。そしてそれを具体的に詳しく強く憲法に含めたかったのです


民政局の他のメンバーはもちろん私と同じようにいろんな憲
法を参考にしました。
そしてまた、日本にあった憲法研究家、社会党、共産党と他の
組織もGHQにいろんな草案を送りました。だからこの新しい憲
法にはいろんな国の歴史的英知が入って来ます。

日本の国民は新しい憲法を喜んで受けました。しかしその時
の政府は、あんまり喜ばなかったようです。(会場、笑い)
保守的な政府だったので、デモクラシーに興味がなかったので
す。
国民は日本の新しい憲法がマッカーサー元帥のスタッフによっ
て書かれたということを知りませんでした。
しかし、1952年に占領軍がアメリカに帰った時にある日本
の保守的な学者と新聞記者がそのことを知ってこの憲法が日本
に押し付けられたのであるから、改正すべきだと主張しました


マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押し付けたというこ
とが、言えますでしょうか。
普通、人が他の人に何かを押し付ける時に、自分のものよりい
いものを押し付けませんでしょう?(会場、笑いと拍手喝采)
日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい憲法ですから(拍
手)押しつけという言葉を使えないと思います。(拍手)

特にこの憲法が日本の国民に押し付けられた言うのは正しく
はありません。
日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世
紀から国民の権利を望んでいました。(拍手)
そして、女性は特別に投票権のために運動していました。
この新しい憲法は、国民の押さえつけられてきた意志を表した
ので国民に喜ばれました。(拍手)
ある方は「この憲法は外から来た憲法であるから改正されなけ
ればいけない」と言います。
日本は歴史的にいろんな国から、ずっと昔からよい物をいろん
な国から日本に輸入しました。(拍手)
漢字、仏教、陶器、雅楽、他の国からインポートしました。
そしてそれを自分のものにしました。
だから、他の国から憲法を受けても、それがいい憲法であれば
それでいいではないですか。(拍手)

憲法創案に参加したわれわれはこの仕事について永い間黙っ
ていました。
一つの理由はこれが極秘の仕事だったからです。
もう一つの理由は次のような私の気持ちから出たものです。
憲法を改正したい人たちは、わたしの若さをたてにとって第2
4条の改正を進める事を恐れていました、私は。
だから黙った方がよいと思って、私は日本の新聞記者のインタ
ビューを受けませんでした。
十年前まで親しいお友達にも何にも話しませんでした。

本当は、デモクラシーの観点から見ると、誰が書いたかと詮
索するのは意味がありません。(拍手)
いい条項であればそれでいいのです。(拍手)
しかしその時代の者の考え方は封建王権的だったので私は黙っ
ているのがいいと思いました。

私は4年前からしょっちゅう日本へ来ました。
日本はどういう風に変わったか、そして女性はどういう風に変
わったかを見て来ました。
ま、今は日本の女性は私の目で見ると、昭和21年から憲法が
公布された時からずいぶん進歩したと思います。(拍手)
60年は長い間ではないです。
皆様はまだまったく満足していないかも知れませんです。
けれども戦争前の女性の状態と比べると女性の地位がずいぶん
上がりました。(拍手)
大阪と東京といろんな街を歩くとそれがすぐ解ります。女性の
顔と動き方に自信があります。(場内、笑い)
前みたいに奥さんは夫に従っていません。(場内、拍手と笑い

女性はいろんな職業を持っています。
会社の会長になった女性があります。新聞記者、TVアナウンサ
ー、ドキュメンタリーフィルムを作る女性、議会の代表者、女
性はそういう役割を今持っています。

もう60前から憲法を改正したい政治家が現れました。
日本の多くの女性たちは最初から憲法の改正に反対しました。
そして、今まで60年の間に改正がなかったことは世界で初め
てです。(拍手)
私は、この憲法が非常にいい憲法であるから改正されなかった
と思います。(拍手)
この憲法を改正しないで、他の国々に宣伝すれば、いろんな国
に9条がモデルになる可能性がありますね。(拍手)
そして、平和をみんなで手をつないで作ることができると思い
ます。(拍手)

~~~~~スピーチオワリ~~~~~~~

今日のyoutube(しばらくは洋楽・オールディーズ中心です)

Tom Jones - Green,Green grass Of Home

 山下けいきHP「お元気ですか」はここです。新鮮さに加え、写真の多さ、1000を越えるリンクなど、ボリューム充実です。

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