春日部市にも、水塚(みずか)という観光資源・まちおこし資源が(2012.10.5)

2012-10-05 20:11:44 | Weblog

*朝日新聞2012年10月5日付
 今日10月5日は、ビートルズ・デビュー50年の記念日です。NHKラジオも、朝っぱらから、♪ラブ・ミー・ドゥをかけてはしゃいでいました。こちらも今日のブログは、ビートルズと思っていたら、朝日新聞の埼玉東部面に、水塚(みずか)の話がありました。

 <利根川などの河川の近くで水害に備え、江戸から明治にかけて建てられた水塚(みずか)。久喜市内に唯一残る商家の水塚で、2008年に、旧栗橋町の文化財に指定された「吉田家水塚」が利根川堤防強化事業に伴って同市伊坂の栗橋文化会館脇に移築・復元され4日から一般公開された>、<・・・65年前にカスリーン台風で堤防が決壊したときは、約20人がここに何日も避難したという>
 カスリーン台風のときは、わが春日部市の旧庄和町は水びたし、2階までの水だったようです。
 洪水、堤防決壊は、茶飯事だったのかもしれません。お百姓さんは、敷地の一部を盛り土し、蔵を建てて備えたのです。それが水塚です。古いはオウチは、水塚をお持ちなのです。この地には、たくさんあるでしょう。

*庄和総合支所の近くの水塚のあるオウチ。
  つい先日、ある人に、水塚を観光資源・まちおこし資源にしようという話を聞いたばかりでした。そんな時に、今日の朝日新聞の記事です。

 <今や、水塚は無用の長物で、持ち主は平地にすることを考えています。まもなく無くなるでしょう><保存だけでなく、水塚を活かしたビジネスにつなげていけないだろうか。旧庄和町には、屋敷林に囲まれた古民家があります。自転車でめぐるコースを広めたい。蔵、石蔵・・・観光資源に使えないだろうか。美術作家さんに工房として使ってもらたり、ショップやレストランにできないだろうか。東京都心から遠くはないし、長期滞在の外国人の宿には、どうだろうか。>
 といったようなお話でした。ワタシは、感心してうなずくだけでした。

 久喜市の、移築された吉田家水塚の蔵には、栗橋地区の水塚などの説明パネルも展示してあるようです。一度でかけてみましょう。
 そして春日部市、旧庄和町の龍Q館・市民ギャラリーででも、庄和の水塚を説明するパネルや探訪マップを
展示するところから考えてみよう。町には、研究者もいるに違いないでしょう。

 【おまけ】

*この2枚の地図は、最近、別の知人からコピーさせてもっらた、粕壁エリア(粕壁驛)の地図です。明治の初年の地図です。正確には、田んぼの区分けを地図(地分図)です。これを、じっくり見ると、明治のわが町の様子がわかります。
*この写真2枚で、A2判です。上の写真の左隅が、粕壁宿(今の春日部中心部)です。その写真の真ん中部分がワタシのウチの位置です。住居は、ごくわずか、田んぼ、田んぼです。川が三本、太く見えます。右から、江戸川、中川、古利根川です。
*しばらく、これで楽しんでいます。知人は、この左側(西側・岩槻方面)も持っています。コピーをさせてもらおう。


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