加藤則芳さん(ジョン・ミュア・トレイルの)の体調不良を朝日新聞で知った(2012.2.4)

2012-02-04 11:11:22 | Weblog

 *朝日新聞夕刊、2012年1月30日~2月5日

 今週ずっと朝日新聞夕刊に、加藤則芳さんがコラム<人生の贈りもの>に登場されていました。執筆された原稿でなく記者の聞き取りです。ワタシは、加藤則芳さんの書かれたものをほとんど読んでいましたから、この連載も<旧知の人>の紹介記事気分で軽く読んでいました。

*<アパラチアン・トレイル>は読んでいません。

 ワタシも大昔、高校時代から山に登りたい気持ちを持ち続けていました。1970年代初めになって、山好きがそれまで伝統としていたヨーロッパ・アルプス登山の精神が、アメリカ人流の精神に代ってきました。ワタシもその流れにのっていました。芦沢一洋さんからの影響があったでしょう。加藤則芳さんは、その延長線上にある人です。

 といっても、ワタシは年一回、子どもらの夏休みに北アルプスを歩く以外は、常に<どこか行きたいなあ>と思っていながら、通勤電車往復3時間に本を読んでいただけです。10年前ぐらいでしょうか。加藤則芳さんが、アメリカ西部シェラ・ネバダ山系のジョン・ミュア・トレイルという、ワタシが憧れを持っていた340㎞の長い山道を歩かれたのです。分厚い本を出版され夢中で読みました。その後、2005年には、アメリカ東部のアパラチア山脈の踏み跡、アパラチアン・トレイルを187日かけて歩かれました。

 ワタシには、そんな長い休みが持てません。

 

 昨日(23日)の朝日新聞、連載最終回の見出しには、<残された時間 体験を伝えたい>とありました。

 <(今は車いすの生活をされています)・・・20106月に筋委縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。その数か月前にロッククライミングをした後に、尋常でない筋肉痛に襲われ、おかしいと感じたのが始まりでした。>

 <(昨2011年夏はヨセミテに行かれました)・・・・仲間や家族14人で10日ほど。そのうち23日で「ジョン・ミュア・トレイル」に行きました。仲間3人が15分おきに交代で僕を担いでくれました。何回も行っている場所ですが、透き通るような青い空と湖。山に囲まれ、泣きっぱなしでした。・・・・僕の場合、病気の進行がすごく早く、いま握力はゼロ。首を持ち上げるのも大変です。機能の低下は想定のこととはいえ、つらい。・・・・>

 <でも僕はまだ話すことはできます。残された時間を使って、自分が積み重ねてきたことをできるだけ多くの人に伝えたいと思います。>

 加藤則芳さんは、62才です。まだまだ、お若いのですが・・・・。

*息子が、加藤則芳さんのお話を聞きに行って、サインをもらってきていました。オヤジ=ワタシの名前も書いてもらって泣かせてくれました。ワタシはお会いしたことはありません。(2000年7月2日の日付)

 

 ワタシ自身、ガン持ちでもあり、もうどこにも行くことは出来ないだろうと思って暮らしています。このような文章を読むと涙ボロボロなのです。

 

【おまけ】

*息子のハーフドームのスケッチ*ヨセミテ・ハーフドームに登った翌日です。左;息子Aはカメラを向けています。その右;息子Bは、スケッチしています。前日15時間歩いてのハーフドーム往復を終えて、気持ちが休まる2001年夏休みの一日です。

*わが家5人の年一回の北アルプス登山も、子どもらが大きくなって途絶えていきます。それで<今年は、米国シェラ山系・ハーフドームを登るぞ>といったのが、2001年の夏休みのことです。まだフィルム・カメラが中心の頃です。↓

http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20070810

 

*このブログのタイトル<シェラ・マンダラ・しょうわ町>の<シェラ>は、ワタシの<シェラ好き>からきているのです。

 

【追加;2月6日】

*<おじいちゃんと森へ>という、ジージーが好きな絵本があります。翻訳は加藤則芳さんです。森につれていこうと思っている孫は、興味を示しません。↓

http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20070211