ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「短歌」

2017年08月24日 | 旅の豆知識
 万葉人は旅先で三十一文字の短歌を詠み、妻や恋人に贈ったと言われています。「万葉集」の中にはそんな歌がいくつかあります。愛する人と別れている気持ちを短歌に託すなんてロマンチックだと思いませんか?旅先でそんな歌碑に出会った時、まわりの風景を眺めながら、歌人の気持ちに浸ってみるというのも悪くないのでは‥‥‥。
 古来から短歌によく詠まれる風景があります。それは歌枕と呼ばれ、日本全国にあります。平安貴族は自分は行ったこともないのに、それを歌に読み込んで、叙情あふれるものを作っています。また、歌枕を巡る旅に出て、全国を放浪した歌人もいました。江戸時代の俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で歌枕をまわったと言われています。あなたも、旅先で歌枕を訪ねてみて、一首詠んでみるなんていかがですか?思い出になりますよ。
 
〇「短歌」とは?
 広辞苑によると、「和歌の一体。長歌に対し、五七五七七の五句から成るもの。上代に始り、古今を通じ最も広く盛んに行われ、普通、和歌といえば短歌を指すに至った。」となっています。
 今でも、いたるところに歌碑が建っていて、旅先でその思いをうかがうことが出来ます。あなたもいくつかは思い浮かべられるのでは‥‥。

〇「歌枕」とは?
 広く考えると、和歌に詠み込まれる歌ことばを指し、狭く考えるとその歌ことばのうち、和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡などの地名を指します。これは、古来から文人墨客の旅と不可分にかかわり、『土佐日記』『伊勢物語』などから、それらを旅した紀行文的な書物が現れるようになりました。その後の阿仏尼著『十六夜日記』や松尾芭蕉著『おくのほそ道』も歌枕を取り入れた紀行文学の趣があります。近世・近代にもいろいろと書かれました。

☆「短歌を感じられる場所」のお勧め

(1)旧渋民村(岩手県盛岡市渋民)
 石川啄木の故郷で、追われるようにして去りながらも、強い郷愁を持っていたところです。教鞭をとった小学校校舎や住まいが残され、記念館もあって、『かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川』の歌とともにふるさとのなつかしさがよみがえります。

(2)暮坂峠(群馬県吾妻郡中之条町)
 若山牧水が1922年(大正11)の旅の途中で、雪景色の中を弟子と2人徒歩で越えたところです。この時の旅は『みなかみ紀行』として発表され、牧水の代表的な紀行文として知られていますが、文中、旅の途中で歌った多くの短歌が散りばめられています。草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端にはその歌碑がたくさん立てられ、自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です。別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、1957年(昭和32)峠に立ちました。牧水が通った10月20日には毎年ここで、盛大な牧水祭が催されるといいます。

(3)鶴ヶ丘八幡宮(神奈川県鎌倉市)
 承久元年(1219)正月に鎌倉幕府の第3代将軍源実朝が階段脇の大銀杏の前で、甥の公暁に暗殺された所です。実朝は、万葉風の力強い歌を詠み、「金槐和歌集」を残していますが、境内の鎌倉国宝館右手壕端にこの歌集末尾の歌『山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心われあらめやも』の歌碑があります。また、鎌倉市内の寿福寺に母政子と並んで墓が残されています。

(4)祇園の街並み(京都府京都市東山区)
 茶屋などあって、最も都らしい風情を残している所です。その街を散策していると、与謝野晶子の『清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人皆美しき』なんて歌が浮かんできませんか。北部の新橋通から白川沿いの地区は、1976年(昭和51)9月4日に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定され、昔の町並みが保存されています。

(5)大和の東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺などや飛鳥地方の古寺(奈良県)
 多くの文人墨客が訪れていますが、特に、大和を愛した秋艸道人・会津八一の平仮名ばかりの歌集『鹿鳴集』を見ながら、巡ってみると万葉風ののどかな気持ちになり、旅情が深まります。「よをそしる まづしきそうのまもりこし このくさむらの しろきいしずゑ」

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