大学時代前半に3LDKのマンションを男3人でシェア。これが家族以外では初めての住まいのシェアとなった。物件はキレイだったが、野郎どもの生活は清潔とは言い難いものだった。
大学生活が後半に差し掛かると4LDKの古屋を借り、男3人女2人の共同生活。米ドラマ「フレンズ」ばりの青春劇を繰り広げる。
その後、1DKのアパートでの1人暮らしを経て、結婚。
3DKのマンションで夫婦2人の生活の後、子供と3人で暮らす。
……のはずが、今は5DKの一軒家に同居人・大友氏と2人で生活している。(経緯は省略)
我ながら、目くるめく生活スタイルの変遷。素敵だ。
さて、シェアの概念が改めて見直される昨今。僕的には今さらの感もあるが、やはり人と何かをシェアするのは経済的であり、現代的な生き方だと思う。
それが身内であれ、他人であれ、人と生活を分かち合うということは、心のゆとり無くしては難しい。
誰にだって、“自分ルール”や“やり方”ってものがあるから、他人のやり方を許容できるだけのキャパシティが必須ということ。
ルールということでもないが、僕の場合、歯ブラシは2本常備している。硬さや毛先の違う歯ブラシを気分によって使い分けるのが、僕の“やり方”ってわけ。
ある朝、洗面台に立つと歯ブラシが1本消えていた。
当然僕はその行方を同居人・大友氏に問う。
すると帰ってきた答えは「あ~、2本も要らんと思って、1本ひげ剃りの掃除に使わしてもろたで」。
マジか。
人の物を勝手に捨てたのか!? しかも愛用歯ブラシがひげ剃りごときの掃除道具にプルート(格下げ)されてしまった!??
でも、僕は怒らない。彼は彼のルール(歯ブラシは1本で十分)に従って行動したのみ。2カ月も経つのにこうしてブログでチクチク責めはするけど(笑)。
それが共同生活をうまくやる秘訣だ。考えてみりゃ、僕が当然と思ってやっていることのなかには、彼の気に障ることだって多いはず。ならば、お互い様だろう。
器の小さい話から一気にスケールアップするが、今この世界は70億人でシェアしている。それだけでも天文学的数字だが、人間以外の動植物まで含めるとさらに跳ね上がる。
それだけの数の生命が地球をシェアしているという事実。
不毛な争いを避けるために、今、僕らが持たねばならないものは、時代に即した許容力ではなかろうか。
相手のルールや価値観をどれだけ認められるか、それには心のゆとりと相手を敬う気持ちがカギとなりそうだ。