せせらぎせらせら

日々思うこと

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夜話

2015-07-19 | せらせら

たまりにたまった仕事を後送りにする言い訳を探していたところに、友人Iが大量のビールを持って押し掛けてきた。
普段からお世話になっているH夫妻からお中元として頂いたそうで、それをお裾分けしてくれるということだった。

Iは先日『砂の女』を読み終えたばかりだった。そのため、話題は“砂の流動性”から“年齢ごとの性意識の在り方”などから始まり、何の転換点だったかを経て、humorousという英単語について論じることになった。

まったく、会話というのはどこにどう転がるか分からないが面白い。たいていの話題は何かしらイメージのリンクを伴って次に移行していくものだが、例えば或るイメージを言葉にして発する前に次のイメージへリンクしてしまうことも多々あり、一聴すると唐突な話題の飛躍のように聞こえる。
しかしその実は、発言者の中でイメージのリンクが何段階か行われているだけ場合がほとんどのはずで、実際には話題が突如として空から降ってきたような非連続的であるようなことはほとんどない。
それが起こるのは、その発言者は直前の話題を聞いていたふうでいて、実は適当に相づちを入れながらすでに別のことに思いを馳せていた場合だろう。
それにしたって、こちらが提供した話題が、相手にとっては一聴にも値しない退屈だったということだし、さらにそれにさえ気付かずに話題をさらに展開してしまっていたとすると、果たしてY2Kは一体どちらかということになる。・・・Y2K? 違う。正しくはKYだ。Y2Kはジョン・タイター的なあれだ。
まったく、一世を風靡した言葉というのは、突然持ち出すとそれだけで滑稽に見えるのが面白い。

僕らの話はいくつかそんな非連続的な飛躍を見せながらも、頂き物のビールのお陰で嫌な気分にもならず【humorous】に辿り着いた。
humorousというのは見たとおりhumor(滑稽)とous(…の特性を有する)からなり、wiki先生の話ではこのhumorがhumanにルーツを持っているという説もあるらしい。google先生と一緒に言葉のルーツを探る行為は、ちょっとした宝探し気分で手軽に楽しめるし、言葉遊びの延長で思索の引き出し作りにもなるので、是非オススメしたい。

もし、本当にhumorのルーツがhumanにあるならば、人間存在が根源的に滑稽であっても不思議はない。少なくとも昔の人は、そう感じたのだろう。
このところの民意と国政のちぐはぐさなども、 見ようによっては十分に滑稽だ。もはや笑っていられないレベルに達しているが・・・。

さらに興味深いことに【滑稽】を調べると、補説の項目に次の記述が出てきた。
ー「滑」は「乱」、「稽」は「同」の意で、弁舌巧みに是非を言いくるめること。ー
これを見て、すぐに政治経済の世界に横行する詭弁のイメージとリンクした。 

男は、食べ物がほしいと言う。その男は食べ物の代わりに紙切れをやるという。
金という概念を持たない知的生命体が見たら、いかにも滑稽なやり取りに違いなかろうが、事実、世界はそういうふうに成り立っている。
紙切れと紙切れをタイミングを見計らって交換していくと、紙切れは増えたり減ったりする。
しまいには、紙切れがあるものとして交換するふりをしたりもする。そして、紙切れは実際の量以上にあることになってしまう。
一体なんの手品だ。
一体なんのユーモアだ。
夢が醒めそうになると、足りないからなんとかして補わないと・・・!とあたふたする。

田舎に移住して農業でもやろうかという動きは、そういうhumorousな世の中の動きに嫌気というか胡散臭さを感じる人が増えて来てるってことなんだろうなぁ。
 
紙切れなり、木切れなり、ドロ団子なりにそれなりの価値を持たせてトレードしようというルールそのものはゲームとしては、面白いと思うし、そういう価値の転換なくしては成せないことも多いとは思う。
しかし、そのプレイヤーたちが、ゲームに無理矢理参加させられた人たちの命を容易に左右できるようなことになってくると、正直たまったもんじゃないというのが本音。


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行き詰まって頭が痛くなってきたので、久々にブログでも書いて気を紛らわせるか

2014-10-23 | せらせら

農音パンフレットを刷新するにあたって、ヴィジョンを明確にする必要があるのではないか?ということで、これまで漠然としたままでおいていたことを文章化してみることに。

久しく真面目な文章を書いていなかったせいか、書くと言うことのチューニングができなくっているようで、まったく筆が進まない。
筆が進まないという表現は時代にそぐわないね。まったくキーボードが進まない。

言葉を置こうとしても、水に刃物を入れるが如く、斬っても斬っても形が見えてこない。
そうしているうちに、逆に見えてきたのは自分の性質。

やはり水や火や煙のように、形が定まらずゆらゆらもわもわと流動的であることが自分の本懐なのだろう。

インストの音楽や抽象画、舞踏みたいなのがいいねぇ。
刻むにしてもちょっともたり気味に揺れるくらいのビートがいいねぇ。


先に進んでいるようで、停滞しているようで、時間ばかりが過ぎて行くようで、ただ眠いようで……焦っているのか満足しているのかすら分からない。
しょうがないので、2本だけ取っておいたビールを片方開ける。

こんなときに飲むビールは別に美味くもないが、気分は少し落ち着く。
ドーナツが好きなのは丸いからかな?

それとも実体をともなわない穴をアイデンティティとして持っているからかな?
そうだとするとチョコファッションだろうとオールドファッションだろうと構わないはずだが……
都会が好きじゃないのは直線が多いからかな?

それともただノイズに満ちてるからかな。
今朝はイノシシを2頭撃った。
耳元で聞く銃声はノイズなのか。
ノイズの定義って何だ??
夕方、イノシシの足音を探しているときの虫の鳴き声、木々が風に揺れる音はうるさい。

今、外で鳴いている虫はうるさくない。
今、寒いけど、 真冬だったら同じ温度でも暖かいと感じるだろうしな。

こんなときに飲むビールは少し気分を盛り上げるが、美味くはない。
しかもマイッタ。眠くなくなってきた。 
 
明日も忙しいのかぁ…って考えてる時点で、今日はもうオフモード。

さっさと寝るのが得策だろうに。
無意味に言葉を連ねてるとだんだん自分が見えてくるってのに、意味のありそうな言葉を並べ立てても農音のヴィジョンは見えてこない。
いや、見えてはいるんだけど、それっぽい形=人に見せるようなにならないだけか。

岩上くんは言う。
自己満なら人に見せる必要ないんじゃない?

みんさんは言う。
見せるんじゃないんだよ。見られているということのほうが強くなきゃダメだと思うなぁ。 

いろんな考え方がありますなぁ。
なんでgenesisが好きなんだろう?
Phil Collinsの声が好きなだけならソロでもいいハズなんだけどねぇ。
いろんな好みがありますなぁ。

いろんな自分がありますなぁ。
今朝はイノシシを2頭殺したのに、今は自己探求などしている。
笑うしかないね。
寝るしかないね。 

 

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こころのかたち

2014-09-17 | せらせら

何かとやることが多い日々。

昨夜は珍しく早めに夕食を取り、寝た。

朝早くに目が覚め。草刈りに行っても良かったのだが、物思いに耽ることにした。

季節はいつの間にか秋。

少し肌寒いくらいの風。蝉の声はもう聞こえない。


数週間か数カ月か。とにかくしばらくぶりに自分と向き合いながら、表現ということについて考えた。

このテーマが自ずと湧いてきたのは、おそらく今の自分に必要なことだからだろう。

そういうことはいつも意図せずとも、自分の中に沸き起こる。

自浄の種は内在していると信じている。

それを見過ごすのは、何かに追われているときだ。

どんなときも、こころのどこかに逃げ隠れする場所は、確保しておかねばならない。


かつて芸術と表現を同義のように捉えていたが、今はそこに違和感を感じるようになった。

今の自分の行いは芸術というにはあまりに稚拙なところまで後退してしまっているように思う。 

そのありのままを文章にして、音でもつければ曲になるかと、書き綴ろうと試みたが、人の目、人の耳を意識するとありのままではいられなくなるので、やめた。そしてここに書き捨てることにした。


表現ということは意識せずとも、24時間やっている。
存在が他者に認識され続ける限り、死ぬまで続く。
寝ていても、誰かに見られればそれは無意識の表現とも捉えられる。
(むしろ、無意識の表出こそ芸術に近いとさえ思う)
先日、仮眠中の動きを他者に観察され、分析された。呼吸や鼓動などの生理的な動きを除外して、まったく意識せず体が動いているということは自分でも不思議だ。
なんのためにその動きをしていたのだろう?
ハトはなぜこんなリズムの鳴き方をするのだろう?

他者を意識して生まれる表現は、ほとんどの場合、認められたいという欲求バイアスがかかっている。
社会の中で在り続けるために最低限ならばそれもありだが、過度なものは見るに堪えない。
あらゆる他者の目を逃れ、認識されないところで滲み出す表出。真実という言い方も妙だが、経験のすべてから形作られるこころの形が、一切の影響を受けず物質としての体に現れることこそ、その人間の真実といっていいと思う。
そういうものを感じ取る感性こそ審美眼だと思う。

こういう解釈をすると、表現と芸術と真実との言葉の重なる部分と異なる部分が明確になってくる。
頭が醒めすぎて、思考が明確になってきたので、もうだめだ。今日はこの辺で切り上げることにする。



日々、社会性とその対極にあるものとの両立を模索している。
NPOとはいえ、代表という立場。ともすると社会性ばかりに気をとられてしまいがち。
一表現者として、そんなもの糞喰らえと公言しておこう。
政治屋や権力者、団体としての動きにとってプラスになる人間と嘘臭い笑顔で取り繕って話しはするが、本音では外交などどうでもいい。芸術至上主義であることが自分の本懐だ。

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本気の不知火

2014-04-02 | ぎらぎら

不知火という柑橘をご存じだろうか?

不知火にはデコポンという別名もあり、むしろそちらが一般化しているのではないかと思う。 

wikiには「流通果実としての『デコポン』は熊本県果実農業協同組合連合会が所有する商標登録であり、全国の柑橘関係農協県連合会を通じて出荷された不知火のうち、高品質を保つ一定の基準(糖度13度以上、酸度1度以下)をクリアしたものだけがその名を使用することができる」
とあるので、つまりデコポンが正式な品種名と思っている人が多いのは熊本の農協がブランディングに成功した証なのである。


それは素晴らしいこと。優れた品種が広く知られるようになることは一柑橘生産者としても喜ばしい限りだ。


……ところが、だ。

そのユニークな形で広く知られるようになった不知火。すなわち、ヘタの周りがボコッと凸状に突起したその形状が、のちに柑橘業界に思わぬ誤算を招いた。
 
そもそも、一部の柑橘(晩柑類)は成長の過程で二次肥大を起こし、ヘタの周りがデコッと突起するのである。これは柑橘栽培に携わる者なら誰でも知っている常識だか、一般の消費者はそうではない。

厄介なことに「デコポンという名」は知っているが、「一部の柑橘が二次肥大によってデコがデコッと突起する」ことまでは知らない人が多すぎるのである。
その結果、柑橘初級者はデコッとした柑橘を見ると「あ、知ってる!これデコポンでしょ?」と得意げに言う。

彼らにとっては…
これも!

 

これも! 

これも!
デコポンなのだ。

柑橘は形状よりも、果皮のキメや油胞のパターンなどで見分けるベシ!ということを知っていれば、これらが、『いよかん』や『はるみ』であることは一目瞭然なのだが……。

 


そんな初歩的なミステイクが日常茶飯事になっている昨今。
いよいよ怒り心頭に発したのは、柑橘生産者……ではなかった。

「俺が不知火だ!」と言葉で主張できぬ彼らは、なんとその身をもって、他の追随を許さない“高み”を目指した。

 

この堂々たる姿は、どうだ。

瓢箪に似た瓢柑という柑橘もあるが、この不知火はもはやだるまに近いレベル。
平均的にこの形になるなら、もうだるま柑という名で売ってもいいくらいだ。

「男なら、四の五の言わずに態度で示せ」という白州次郎ばりのダンディズムを、僕はこいつから教わったよ。
ありがとう!だるま柑!!





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新しい角度

2013-07-29 | せらせら

どこかの島だったと思う。
もしかしたら山際の町だったかもしれない。
とにかく集落の外れに古い洋館があった。
4、5階建ての外観は灰色の石詰みで、黒い窓枠から曇ったガラスを覗くとかつて使われていたであろうソファやテーブルがそのままの位置でホコリを被っていた。

ある日、洋館の前を車で通ると、3人の男たちが中で何やら作業をしている。
取り壊すための片付けか、あるいは改装して何かに使うのか。
いつかカフェにでもできないかと密かに狙っていた僕は、ちょっと残念な気持ちになったが、同時にその洋館がどうなるのか興味が湧き、男たちに話かけてみることにした。

男たちはみな外国人だったので、カタコトの英語で話しかけてみたところ、帰ってきたカタコトの英語から、どうやらドイツ人であることが分かった。
この建物は銀行として使われていた、自分たちがこの建物を作ったわけではないんだ、作ったのは友人の女性で、自分たちはただ友人の手伝いをしているんだ、というようなことを言っていた。
もし捨てるもので使えそうな物があれば譲ってもらおうと思い、少し中を見せてもらうことにした。しかし、ソファもテーブルも壁に掛けてあった絵画も譲り受けるほど好みの物ではなかった。


そうこうするうちに、上の階から一人の女性が下りてきた。
30歳前後の日本人のようだった。特に紹介されることもないうちに、この女性が例の“友人”だな、と思った。

女性は言葉少なに差し障りのない挨拶をし、荷物運びの作業を続けた。
無愛想ではあるが、感じは悪くない。
ただ、興味本位で仕事の邪魔をしにきた男に興味を持てないだけという感じだった。

去り際に残すべき言葉を考えながら、作業を続ける人を眺めている間に、ついでだから上の階も見せてもらおうと思い付いた。

「どうぞご自由に」と、そっけない回答をもらって階段を上ったものの、上の階は吹き抜けの部分がほとんどで、家具の一つもない。

2階、3階、4階と区別の付かない空間が続いたが、続く最上階に着くと景色は一変した。
意外にも、そこには生活空間が広がっていた。

ホコリもなく、奇麗に掃除されたそこはまるで今の今まで誰かが住んでいたかのような状態だ。

なぜ銀行の上に人が住んでいたのか? 考えるほどに奇妙だが、前に住んでいたM市には商業施設の上に公民館があったし、世の中には奇妙なことなんて例を挙げればキリがない。

見てしまった以上、疑う余地はなかった。

広い空間が薄い壁で4部屋に分けられ、書斎、寝室、客間、居間に分かれているようだ。
階段を上がってすぐの客間らしき部屋は、和とも洋ともつかない雰囲気で、それまでの階とは打って変わって庶民的。
すべてがDIYといった様子で、壁や窓枠など細かいところに粗が見て取れる素人作業ではあるものの、置いているオブジェや壁などセンスは僕好みだ。
自分の家もこういう風にしたいものだと感心し、学べるアイデアがあれば盗んで帰ろうと、俄然興味が湧いてきた。

続いて寝室を覗いたところで、驚いた。
雑然とした雰囲気の中に一人で寝るには少し大きめなベッド、冴えない柄のカーテン、手作り感を全面にたたえる机、ホームセンターにでも売っていそうな安っぽい本棚……。
それらのほとんどすべてが、配置から色調に至るまで僕が幼い頃に住んでいた部屋と酷似していた。
こんなことがあるんだなぁと思った。

下の階から上がって来た女性に、なんだか懐かしいなぁ~という言葉を皮切りにありのままの感想を伝えると、女性も驚いたように僕の言葉に耳を傾けた。
「そうそう! 僕はここに置いていた水槽に熱帯魚を飼ってたよ、ここのは金魚だけど」「ここも似てる! ここに同じように工具箱を置いてて……」「このステッカーの位置に、僕も似たようなステッカーを貼ってたよ~」
女性は相槌を打つばかりで、自分からはなにも話そうとしない。
ただ興奮気味に僕の口から飛び出す言葉を微笑み交じりに聞いていた。
少し好き勝手に喋りすぎたと感じて言葉を止め、それとなく彼女の話に話題を切り替えた。
芸術家だが、職業にするほどではなく、今はまちづくりのプロジェクトを進めているということだった。
以前はこの部屋に住んでいたが、最近は忙しく海外を飛び回っていて、ゴミを減らす活動に特に力を入れていると語った。
「タバコも、巻きタバコに換えるとそれだけでゴミが減るんですよ」と、絵まで描いて説明してくれた。 

最初はそっけないと感じたが、自分の本懐の話になると驚くほど熱っぽく喋る。
そして内容はどうあれ、その姿には好感が持てる。 
話をしながらかける音楽も昔、僕が聞いていたようなものばかりで、話の途中に「うわ、これも懐かしいな~」などと挟みながら、彼女の話をたくさん聞き出した。
机の引き出しからおもちゃの拳銃を取り出し、「実はこういうのも好きなんです」と言い始めたときには、名前も聞いていないこの女性に、もはや他人とは思えない親近感を覚えた。
「ならホンモノの鉄砲も持っちゃえば? 僕は猟銃免許を取って、狩猟もしてるんだ」と話すと、すでに持っていると言って、別の部屋へ案内され、猟銃も見せてくれた。
まだ実際の狩猟はしたことがないとのことだったが、僕の猟銃にはまだ付いてない肩掛け用のベルトが付いていた。

「いつか一緒に猟に行きましょう」と誘いはしたが、どうやらそれが実現しないであろうことはその時点で確信していた。

遠くでピピピと電子音が聞こえる。
さすがにそこまで来ると、一連の出来事が現実ではないことを僕も悟る。
目を覚ます前に、もう少しだけ……という思いで、部屋の中を見回すと、机の開いた引き出しの中に色褪せた1枚の写真を見付けた。
そこには若かりし頃の僕の両親と小さな子どもが写っていた。
なんでこんなものを持っているの?と問う僕に、彼女は「最近知り合った女性からもらった」と答えた。
他人にもらった他人の写真なら、引き出しに仕舞う意味がまるで分からないが、たぶん嘘なのだろうし、どうせ夢なのだから嘘でもいいと思った。

覚め際に、彼女が口にした最後の言葉は「ありがとう。今日は会えて良かったです」だった。

扇風機の風を足に感じ、PCの前で寝落ちしてしまったことを自覚し、目を開ける前にこの夢を忘れるまいと、夢の記憶を早送りでリプレイした。
そして、思った。
たぶん、あのコは僕の孫とか、もしかしたらもっとあとの世代の子孫だったんだろうなって。
いろんな人からよく言われるけど、なんとなく自分が早死にするような気がした。
(もちろん、それを望んでいるわけではないが)


恐らく、あれは何の意味もないただの夢。
どう解釈するかは自分次第だし、そもそも意味なんてないだろう。
洋館からは使えそうな物は何一つ持ち帰れなかったけど、一つだけ確実に手に入れたものがある。

それは僕の中にこれまでになかった角度。
男であれ女であれ、何世代かあとの子孫の視点から、こんな人の子孫で良かったと思えるような生き方も面白そうだ。


続々と友人に子どもができている。
親になり、新しい立場に立った友人たちと生き方や死に方について、酒を飲みながら語り合いたい。
20代の頃に、よく夜を明かしたように。
それらが、ひどく自分勝手な美学に満ちたものなら、なお好い。

 

 

余談だが、目覚ましは僕のものではなかった。

そして、夢を打ち切りにしてくれた目覚ましの持ち主である同居人からは「きっと未来の子どもが『先祖と話せるチケット』を手に入れたんでしょうね」と冗談めいた感想をもらった。
本当にそうだったらいいな、と思った。

でも、そんなものがあるなら、むしろ『子孫と話せるチケット』が欲しいね。
なんにせよ、「ありがとう」と言われるような生き方をしよう。
 

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忙しいときほど、ちょっと一服。

2012-12-23 | ぎらぎら

国を1つの生命体としてみると、国民感情と政治との乖離が激しい今の日本は、いわば大規模な自律神経失調症のような状態。

その程度は早急に投薬を要するレベルでしょうねぇ。

ところが国には、通うべき医療機関もなければ投与すべき薬もない。

なので、僕らはこの巨大にして過度な複雑系が持つホメオスタシスに期待するしかない。

でもそれってのは、個人レベルでどうこうできる問題じゃあないわけです。

じゃあ、救世主は地方自治体? 国家政府?

 


おそらくすべてハズレで、すべて正解。

生体の恒常性が何重もの調整メカニズム(フィードバック)によって保たれているなら、個人、家族、地方自治、国家、それらあらゆる大きさの活動が、それを維持・構成しているフラクタルを意識し、階層を越えて同時多発でその健全化に努めなければ解決にはならないと思う。

国民が思想や生活スタイルを変えないまま政権をひっくり返しても快方に向かうことはないってのは、もう十分に分かったでしょ。

なんとなく分かっちゃった人たちが、厭世して山奥で隠遁生活をしても同じ。

 

冷静に考えれば、実はそう難しいことでもないと思うんだよね。

こんなに恵まれた国に生まれて、みんな基本的な学力や思考力は持ってるんだから。日々に忙殺されて思考停止に陥り、言い聞かされた価値観にのみ従って生きる日常を少し離れて、ちょっと木陰で一服しながら「本当に大事なことってなんだろ?」て考えてみるくらいでよいと思います。

年末年始は無理にせよ、少し落ち着いたらでいいと思います。

「どこに入れても変わんねーよ」とか思いながら、とりあえずの一票を投じるより、まずは僕ら自身の生き方を変えてみるほうが良さそうじゃない?

一時期、「技術者にも営業力が求められる時代」とか言ってたけど、それはつまり分業や細分化に寄りすぎる弊害が顕在化してきたってことだったわけでしょ?

木を見て森を見ずともいいます。

教員は教鞭をのみ、音楽家は楽器をのみ、農家は鍬をのみ執っていればいいなんて考えはどう考えても古い。

さらに古くは、高度経済成長期に席巻した「勤勉こそが美徳」だとか、ついでに正体不明の「楽しむことへの背徳感」とかも、もういいでしょーよ。

そんな旧世代のパラダイムは全部取っ払って、みんなでちょっとずつ、みんなが楽しいことしましょーぜ。

 

 

今年もこの国は、どんよりと重苦しい欺瞞に満ちたまま年の瀬を迎えていますが、そんな時代は早く乗り越えたいですねぇ。

 
「来年こそ新しいこと始めます!」とか思ってる人も多いと思いますが、去年から田舎でこんなこと始めてるヤツらもいるので、よかったら参考までに見てやってくださいまし。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
http://noon-nakajima.com/ 
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どすこい!

2012-11-18 | せらせら

30歳になる直前に「夜明け前」をパロって「三十路はすべて闇の中である。」とブログだかSNSだかに書いたような気がするけれど、ここにきて1日のスケジュールさえも闇の中です。
人生はインプロヴィゼイション。
あらゆる瞬間にときめいちゃいますね。

ふは

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本来どういう形だったか

2012-09-21 | せらせら

本来どういう形だったのか分からないけど、愛おしいものとかくだらないものとかに複雑に、かつ狡猾に絡め取られていった、あるいは削り取られていった結果として今があるとして、それはそれですごく気に入っている。

 

本来どういう形だったかわからないけど、それを模索する行為がすごく気に入っている。

 

本来どういう形だったか。

音に埋もれながら、友に囲まれながら、酒に呑まれながら、言葉で遊びながら。

たまには本と末が転倒して、手段が目的になってもいいのかもしれないね。

 

とりあえず、ありがとうございます。

生きることが楽しいのは、愛おしいものとかくだらないものとかのおかげだと思う。

 

 

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くま

2012-08-26 | せらせら

自分の子を愛せなかったらどうしよう、とか考えてた頃が懐かしい。

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見せるということ 見られるということ

2012-08-22 | せらせら

このタイトルは舞踏家・田中泯さんの言葉を引用したもの。

おそらく、ご本人の解釈とは大なり小なり異なるとは思うが、自分なりにこの2つを意識していこう。

 

人と関わり合う部分とは、自分という存在の一部分に過ぎない。(同時に、全てとも言えるわけだが)

あ、ドーナツを冷凍庫に入れてたの忘れてた!

過去を顧みながら、食べよ。

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開けゴマ

2012-08-22 | せらせら

かつて「僕は今、開いているよ」と歌っていたボーカリストがいた。

ほぼ間違いなく彼は今、閉ざしているだろう。(彼はそういうヤツだ。)

 

昨夜、海のそばのコンクリートの上でバタ足をしてみた。

足の甲が痛かった。

 

そしたら開いた。

 

自分でも気付かないうちに、しばらく閉ざしてしまっていた部分があったらしい。

そこに閉じ込められていたものが吹き出した。

 

そしてどっと疲れた。いや、そもそも疲れていたのだろう。

そのことに気が付いただけなのだ。

 

そういうの大事。

とっても大事。

 

いろんなことを試そう。

自分を、そして世界を知るために。

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分けることで明確にするのは下世話ではあるが……

2012-08-22 | せらせら

お~。久々に家に大友さんと2人っきり。

なにか静かだ…(笑)。そして、なぜか特に好きでもないシアターブルックの動画などを見ている。

バンドっていいなぁ。

 

 

農音のHP用に島生活ブログってのを新たに開設したので、このブログの意味がより明確になった。

エネルギーを外へ向けようと思えば、それと同量のエネルギーを内へも向けねばバランスが保てない。

さて、久々に、ぼちぼちとりとめもないことを書こうかね。

 

う~む。久々過ぎて、言葉のリズムが掴めない。。。

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なんてこった……

2012-07-04 | せらせら

僕はいま島の柑橘加工工場で働いている。

柑橘加工工場と書くとカタカナのエが2つ並んでるようで、じっと見ているとナントカ崩壊を起こしてしまいそうだけど、要するにみかんでジュースとかジャムとかを作っているのだ。

この島には若い人が少ないので、パートのおばちゃんはもちろん、パートのおばあちゃんも貴重な戦力。昨日は70歳過ぎのDさんと一緒に働いた。

事は出勤したDさんが、「よう雨が降るな、ササホーサ」と言ったことから始まる。

その瞬間、僕はどこか外国にでも来たかのような錯覚に陥った。目の前のおばあちゃんが何を言ったのか、まったく理解できなかった。

「え、今、なんて言ったんですか?」

「よく雨が降るねぇ、ってことよ」

「違いますよ! そのあと!!」

「ササホーサ?」

このDさんは、早口な割にボソボソとしゃべるので、普段から聞き取れないことが多い。しかし、今回は違う。確かに何か理解不能な言葉を口にしているようだった。

ササホーサとは一体何だ?

まるでメキシコの地名か、ドラクエの呪文のような響きだ。

ワラの丸まったようなやつが風で転がる荒野、ササホーサ。

風でバリアのように全身を包み、魔法攻撃のダメージを軽減する呪文、ササホーサ。消費MPは2といったところか。

数秒のうちに、そんな妄想が頭を駆け巡った。どちらもシックリ来るけど、たぶん違う。

文脈的に考えてメキシコの地名なわけがない。Dさんがドラクエをやるとも思えないし、そもそもそんな呪文はない。

「なんなんです? そのササホーサってのは」

「ササホーサよ、大変!」

興味津々で尋ねる僕とは対照的に、見るからに面倒臭そうに受け答えするDさんは最後に「もう田中さんの前では、うっかりものも言えんな」と加えた。

僕は、普段なら割と空気が読めるほうではあるのだけど、あまりに奇妙な言葉に直面して好奇心を抑えきれず、さらに食らいつく。

「それ、何語? 島の方言ですか?」

Dさんはちょっとキレ気味に「もう知らん!」と言って、そそくさとエプロンをまとう。

さすがにそれ以上は掘り下げられそうもないので、今度は同僚の若者Dくんに「さっきDさんが、ササホーサって言ってたんだけど、何のことか分かる」と尋ねてみた。

「オオガッソウ」「ソバエ」など、彼とは以前から何度となく島の方言ネタで盛り上がっている。今回も期待通り目を輝かせて話に乗ってきてくれた。

「ササホーサ!? なんすかそれ。聞いたことない。それ、うちのばあちゃんでも使わない言葉ですよ」

中島は周囲20キロほどの小さな島ではあるが、地域によって微妙に言葉が違っていたりするので、おそらくササホーサはDさんの住む小浜地区特有の方言だろうということで決着がついた。

 

 

で、今日のこと、試しに「ササホーサ」を検索してみたら、……なんと、出ちゃった。

「無駄に消費する、粗末にする(多摩地方の方言)」って。

なんで多摩地方やねん!!(笑)

しかも「よく雨が降るね、無駄に消費する」って意味が通らんやろ!

 

なんかめちゃくちゃ惜しいけど、たぶん違う。これじゃない。

でも間違いなく近づいてる気がする。

もしかして平仮名?

そしたら、また出た。

ささほうさ [形動]だいなしにするさま。めちゃめちゃ。

よく雨が降るね、(服が)めちゃめちゃ。……キタ、これだ!

しかも、平仮名の「ささほうさ」は方言ですらないらしい。

 

なんてこった……。僕がものを知らなかっただけじゃないか。反省。

今度Dさんに会ったら、ちゃんと謝っておこう。

こないだは気分をささほうさしてしまってごめんなさいって。

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ふらり

2012-06-07 | ぎらぎら

自分のなかに、自分なりの幸福論を構築することは、人生を謳歌するための必須条件だ。

漠然とした幸福を追い求めるから、人生はままならぬのであって、理想がしっかりとあれば、現実をその状態に近づけていくことは案外難しいことではない。

千里の道も一歩から。その一歩を力強く踏み出すために、日々の自己分析と絶え間ないイマジネーションを欠かさぬこと。

とはいえ、あてもなくふらふら散歩するのも、嫌いじゃない。

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アイドルで村上春樹な乖離と共有による確信的肖像画シュプレマティズム風(会話の記録としてのウェブログ)

2012-06-04 | ぎらぎら

U「大友さんと同居するようになってから、知らぬ間にiTunesにアイドルソングとか入れられてるんだけど、これは聴いとけ!ってことなの?」

W「主にアレンジを聞くべし」

U「ごめん、ふつーに飛ばしてる(笑)」

W「いいさいいさ。俺なんか自分で入れて全く聞く気になれないからね。」

U「どっちかっていうと、理詰めの音楽よりインプロ系のほうが好みだから。ファイアよりメラって感じ?」

W「例えがわかりづらい(笑)。理論を構築した上でのアドリブ満載→JAZZ。言いたいことはわかる。」

U「いや、たぶん想像してるよりフリーな。原初的な感覚をそのまんま音にした感じの。舞踏みたいに、表現対象に輪郭を与えず、伝達しようと努める感じの。更に分かりづらいか。動物的な、なら分かる? フォービズムを押し進めたような音楽。音楽に限ったことじゃないが、そういう表現が好きなのよ。」

W「そうなるとリズムにフィードバックしちゃわない?」

U「リズムはアタックがあるじゃない?どっちかっていうとアンビエント系っしょ。」

W「なるほど。それはファイアよりメラだわ。音像を捉えさせるような捉えさせないような。」

U「でしょ? どうも輪郭というやつが苦手で……。というか、心底求めてるものは音楽じゃないのよ。荒木さん風に言うと(代弁したのは「東方大弥」だけど)『共有』なんだと思う。より直接的な。」

W「ほうほう。たゆたうがゆえの掴み処のない感じなのかな。鼓動よりも悠久。でも人間は鼓動を打つ生き物だから、それとの乖離感か。」

U「さすがです。鋭い洞察。さて、この欲求を突き詰める俺の人生の行く末は……?」

W「まあ答えは出ないだろうね。出す必要性すらあんま意味がないような気もするし。100%の共有は、今までの見てきた風景がホンノ少しでもずれていれば出来ないし、する必要すらないよね。例えそこに摩擦が生まれようとも刺激になればヨシ!っていうね。」

U「必要性というなら、『そうしたいから』じゃ不足? 自己分析をさらに掘り下げると、他者との共有を深めることで、自己存在をクリアに捉えたい欲求ではないかと。『明確に』ではなく『クリアに』。輪郭をではなく、そのものを。」

W「うん、俺は欲求に必要性はいらないって思うんだよね。他者との関わりをもって自己分析はするよ。そして正にクリアにしたいとも。ただそれはあくまで自分がしたいことであって、必要か?っていわれたら、う~ん…ってなるの。」

U「……客観的にこのやりとりを見ると、オトナ思春期真っ盛りだな、俺。一児の親としてこんなでいいはずはないのだが。こんなやり取りを礼奈が見たら、『もう、あんたには付き合いきれないわ』ってメモとともに離婚届が送られてきたりするのかも。そりゃ困るので、今夜の話はなかったことにしよう。アイドルソングもなかったことにして削除!」

W「あら?それを踏まえた上での結婚じゃないの?知ってるって。Uさんの隠しきれるもんじゃないもん(笑)。アイドルソングはとりあえず一回聞いてみるのも時間の無駄だよ!」

U「モンキーなんだよジョジョォォォーーー! ハッ!! 無駄って言葉を聞くとつい……」

W「最後に。村上春樹の言葉を借りると、説明しなくてはわからない事は説明してもわからない、共有ってこういう事はだと思うんだよね。概念的過ぎるけど。言葉ではなく感覚で理解したっ!っていうのかな。寝ようとしたタイミングで始まった深夜の討論。有意義な寝不足を抱えて月曜を始めよう。」

U「ウィ、ごもっとも。間違いなく概念的な人間だと自覚してます。だから最近の目標は『より現実的に』。遅くまで付き合ってくれてありがとう。感覚的なものを共有できる人間を友と呼ぶなら、わたるんは間違いなく友の1人と確信した。」

W「もはや病気(笑)。結局最後のシメはジョジョになるっていうね。こちらこそいい頭の体操になったよ。Uさんは言っても、会ったコトあるのそんな多くないよね。でも未だに繋がってるってことは、こういう事なんだなって思ったよ。いや、確信した!」

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