せせらぎせらせら

日々思うこと

IN THE GROOVE

2009-06-29 | せらせら
「俺ってケツまわりの筋肉に締まりがないと思わねー?」
突然、何を言い出したのだ、この男は。そう賢次は思った。
「知らねーよ!お前のケツなんて見たことないし、見たくもないから」
「俺さぁ、自分で言うのもなんだけど、結構セクシーなんだよ。胸板だって厚いしさ、腕だってこんなだろ」
そう言って、響介はさらりとご立派な力こぶを作って見せた。
「な?服のセンスは勿論、顔だって悪くないだろ?もちろんあっちだって・・・」
「あー、はいはい、分かったよ。頼むから自慢話は俺以外のヤツにしてくれよ」
と賢次は言ったが、内心は酒を飲みながら、こうやって響介の自慢話を聞かされるのは嫌いじゃなかった。
軽薄な言葉で綴られる彼の馬鹿話を右から左へ聞いていると、賢次は不思議と気分が落ち着いた。
ついさっきまで、響介は今付き合っている彼女とその他にねんごろにしている(つまり、浮気中の)三人の女の話を順番に話した挙句、仕舞いには、何がどこでどうなったのか自分のことをすっかり棚に上げて、どうも女ってやつは信用できない、などと真顔で豪語した。
賢次は響介のあまりの理不尽さに唖然としたが、彼の潔いまでの愚行をどこか清々しくも感じた。
賢次は、彼が女を信用できないのは、きっと自分自身が信用に値するだけの誠意をもたない人間だからだろう、と考えたが、あえてそれを口にはしなかった。
賢次はかわりにゴクリと大きく一口、ビールを口にした。
梅雨の重く低い空も、肌に纏わりつく鬱陶しい湿気も、響介のテンションの高い空回りも、喉を滑り込んでくる炭酸の刺激の前に、しおらしく肴になる。
賢次が一人、悦に浸りながら隣に目をやると、響介は自分の尻の辺りをさすりながら、何か納得いかないといった風に顔をしかめて、んん、と唸っている。
その光景を黙って眺めながら賢次は、やっぱりこの男ことがたまらなく好きだ、と思った。同時に一週間かけて凝り固まった肩の力がすうっほぐれていくのを感じた。
「で、何が問題なんだ?ケツの筋肉に締まりがなくたって、生きるのには大して差し支えないだろ?そんなことで悩むのは馬鹿みたいだぞ。人生はさ、いかに悩まずに生きるかってことが最も重要なことだと思わないか?俺が『あぁあ、今日も仕事がキツかったなぁ』なんて言うのはビールを美味く飲むための合言葉みたいなもんでさ、本当に辛けりゃ、あんな仕事とっくに辞めてるよ。そうだろ?お前の女だってそうさ、面倒臭いとか信用できないとか言っても結局4人とも好きだから、ネンゴロなわけだろ?天秤はいつだって重い方に傾いてんだよ」
そこまで言うと、響介がキラキラと目を輝かせて賢次を見た。
「俺さぁ、賢次のそういう話、聞くの大好きなんだ。なんつーの?人生テツガクみたいなやつ。俺、頭わりーからさ、賢次みたく、ものを考えるってことをあんまりしないだろ?だから、賢次の話聞くだけで勉強してるようなもんなんだ。なあ、もっと聞かせてくれ。なんかない?」
「もっとって何だよ」
「なんかあるだろ、テツガクだよテツガク!」
いきなり何か哲学めいたことを話せと言われて、スラスラと言葉が出てくる人間もそうはいないだろう。
賢次は最近の生活の中に何か良いネタはなかったかと考え込んでしまった。
考え込んでから、会話を止めてしまっていることに気が付いて、この間が自分の弱点だな、と思った。
人の思考のタイプには二種類ある。
一つは芸人のように自分に向けられたフリに対して即座にボケられる瞬間的思考、もう一つは漱石のように山路を登りながらじっくり世の不条理を分析し打開すべく熟考に熟考を重ねる長期的思考。
賢次は後者を得意とし、それを自覚した上で逆に瞬間的思考力を持つ響介にある種の憧れを抱いていた。
「そういや、哲学ってこともないけど、こないだまたグルーヴについてずいぶん考えたよ」
「グルーヴ!いいね」
「響介はグルーヴって、詰まるところ何だと思う?」
「何ってあれだろ、学校の遠足とかで何人か人が集まってさ・・・」
「それ、グループね!」
バーカウンターの向こうから、さっきまで他の客を接客していたマスターが鋭くツッコミを入れる。まるで響介がボケることを知っていたかのようなタイミングで。
賢次と響介と神谷(マスター)とは小学校からの付き合いで、出逢った当初から互いにタイプの違う人間だということを感じていたのだが、不思議と、いや、だからこそ妙に魅かれ合うところがあった。
部活も勉強も程々に青春を浪費していた中学の終わり頃、歌の上手かった響介を中心にしてにわかにバンドを組もうという話が持ち上がった。
高校で三人とも別々になったが、バンドという形で残った繋がりは強まって、ついに高校卒業と同時に夢を抱いて上京したのだった。
BIGになろうぜ!などという根拠もない自信と勢いだけで田舎を飛び出したものの、ゴマンといるバンドたちの中で、ようやく少しばかり名を知られるようになったあたりで、神谷が抜け、賢次が抜け、ついにバンドは夢半ばにして解散してしまった。
いや、本当はそのだいぶ前から、それぞれのタイミングで、夢はあくまで夢だということに気が付いてしまっていたのかもしれない。
とは言え、響介だけはいまだに歌で食って行くという夢を捨てきれず、ボーカルレッスンに通いながら、レコード会社のオーディションを受け続けていた。
神谷はバイトで始めたバーテンダーの仕事が性に合ったらしく、20代半ばで独立して小さな店を構え、間もなく結婚し、すぐに子供もできた。
賢次は賢次で、大学を6年かけて卒業したものの、音楽以外にこれといって興味の沸くものも見当たらず、リハーサルスタジオで働きながら、幾つかのバンドを掛け持ちして趣味で音楽を続けていた。
「それで、グルーヴがどうしたって?」
神谷がすかさず話題を修正し、話題に参加してきた。
「グルーヴってあるだろ、あの音楽のノリとか空気感とかの総称みたいなやつさ」
「ああ!そのグルーヴね、知ってる知ってる」
響介が白々しく頷く。
「お前、ホントに知ってんのかよ!」
神谷と賢次の罵声じみた言葉が殆んど同時に響介に浴びせられた。
「おいおい、俺をなんだと思ってんだ。歌を歌うのにだってグルーヴは欠かせないんだぜ。一番大事だって言っても過言じゃないぜ、グルーヴはよ」
「お、それっぽいこと言うようになったじゃない。ま、伊達に音楽続けてるわけじゃないみたいだな。確かにそうだ。俺もそう思う。実際、グルーヴって音楽には欠かせない“何か”なんだよ。自称バンドマンたちが言ってるようにね。スタジオで働いてりゃ、一日に一度は耳にするよ。『いいグルーヴだ』とか『グルーヴが足りない』とかさ」
「・・・確かに俺たちもよくそういうこと言ってたよな」
「俺なんか今でも言ってる」
神谷は懐かしむようにハーパーのボトルに目を落とし、響介は無駄に胸を張って無知を晒した。
「でも、じゃあグルーヴって何なの?って訊くと皆、途端に黙っちゃうんだよな。考えてみたら可笑しくないか?皆、それを求めてるのに、それが何かなんて誰も分かっちゃいないなんて!わかったような顔しやがってさ」
賢次が今にもカウンターを叩きそうな勢いで声色を強めた。
「いや、わかってると思うんだけど、なんかこう、上手く言葉で説明できないんだよ」
響介は自分が責められていると感じたのか、弱々しい口調になって答えた。
それを見た神谷は逆にしっとりとした力強い声で言う。
「それで、賢次はどう思っているんだ?そこまで言うからには上手くグルーヴを説明できるんだろうな」
「まぁ、聞いてくれ。俺は最近ジョン・スコフィールドが大好きなのさ。響介か神谷か、ジョンスコって聴いたことある?」
「名前ぐらいは知ってる。ジャズ系のギタリストだよな、確か」
と神谷は言った。
「そう。さすが、元ギタリスト」
と賢次は言いながら響介に目をやった。
響介はムスッとしたまま口を閉ざしている。
拗ねた子供のようになった響介を見て、賢次は声を荒らげてしまったことを反省した。
「悪かったよ、響介、デカイ声だして」
「だって、キョウくん、怖かったんだもん」
賢次が柔らかい声で慰めると、響介は調子に乗って甘えた声で応えた。
「出た。キョウくん。お前、相変わらず酒を飲むと甘えん坊になるのな」
「しかし『キョウくん』って、俺たちもう30だぞ」
「まだ29だよ」
「かわんねーよ」
「いや、この一年の差はデカイ」
「この三人で話すと話題が進まないな」
「そのへんも変わらないな」
「なんか、歳ばっかとってくな、俺たち」
「ああ」
「な」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「あ~あ」
しばらく沈黙が流れた。
三人はそれぞれに、過去の何かに思いを巡らせていた。
誰もそれについて言及しなかったが、そこには不思議な一体感があった。
しばらくして、響介が口を開いた。
「なんか良いよな、こういうの!ノスタルジィっていうの?あの頃は良かったなぁ、みたいなやつ。・・・で、そのジョン万次郎がどうしたって?」
「ジョン万次郎って誰だっけ?」
「・・・馬鹿野郎共。まぁ、万次郎は万次郎で凄い人だったんだろうけど、スコフィールドも凄いグルーヴなんだよ。俺は彼の2007年のライブ映像を見ながら気が付いたんだ。グルーヴってさ、ビートとかタイム感とかアーティキュレーションなんかよりも上位に位置する概念なんじゃないかってね」
「全くわからんが、それで?」
さすがの響介も、賢次の真剣な口調から、ここはボケどころではないと判断したらしい。賢明な判断だと神谷は思った。
「シンクロニシティって言葉知ってるだろ?意味のある偶然の一致とかって言われるけど、同時多発的に一つの現象が起こるっていうアレ。そのシンクロニシティがジョンスコの体に見て取れるんだ!彼の両手が巧みに表現するギターの音は、確実に彼の表情と一致しているんだ」
賢次の声が再び興奮してきた。
響介は賢次の話す内容を理解しているわけではないが、その目はキラキラと輝いている。
神谷はやたら冷静にこう賢次に尋ねた。
「そのシンクロニシティが、グルーヴとどういう関係があるって言うんだ?」
賢次は勝ち誇ったように笑って答えた。
「それがね、大有りなのよ。俺がグルーヴを上位概念だと考えた理由がまさにそこにあるんだ。いいか?ギターを弾く手と弾いてるときの顔が、実際に同じ動きをしているわけではないにせよ、自然に全く同じものを表現しているということはさ、そこに何らかの同一の力が働いているってことになるだろ?それは恐らくジョンスコのクリエイティビティのエネルギーだと思うんだ。」
「ちょっと言ってることが、分かりづらいな」
神谷が少々困った顔で賢次に詳しい説明を求めると、黙りこくって聞いていた響介がいきなり、
「風だ・・・」
と言った。
神谷と賢次は驚いて響介を見た。
「風?」
二人の視線を集めて、響介がゆっくりと喋り始めた。
「ちょっと、目を閉じてみ。いいか、ここは野原だ。ずぅっと、どこまでも広がる野原。空は青い。雲は・・・、まぁ雲はあってもなくてもいいや。草がそよそよ揺れてるだろ?背の低い草も高い草も、遠くの木の葉も揺れてる。みんな同じ方向に揺れてる。それぞれは違う動きなんだけど、全く同じ様に揺れてんだ。それらを揺らしているのは何だと思う?」
「風だ。」
神谷がハッと目を開いて答えた。
賢次はもうすでに目を開けていて、キラキラした瞳で響介を見ていた。
「草原に吹く風か。その説明は凄く分かり易いな。そう!その感じだよ。きっとジョンスコの体の中には一陣の風が吹いてたんだ。いや、ジョンスコだけじゃない、ステージ上にいたメデスキやマーティン、ウッドの中にも一陣の風が吹いてた。もしかしたら、観客全員の中にも」
「それがグルーヴってことか」
そう言った神谷の中で何かが氷解した。
響介は二人があまりにも納得してしまったことに逆にドギマギしていた。
それっぽいことを言ってやろうと思っただけのつもりが、予期せず正確に的を射抜いてしまったのだ。
そのことには全く気付かず、賢次はさらに興奮の裡に言葉を続けた。
「つまりね、俺が言いたいのはこういうことさ。風は一体何処からやって来たのか?まさか草が風を起こしたわけじゃないだろう?草がそこに無くったって、風は吹き抜けたはずさ。ってことは、ここが一番重要なポイントだ。グルーヴはもともとそこに在るってことなんだ。優れたミュージシャンはそれを第六感のようなもので感じ取って、卓越した表現力でそれを音に変えるんだ。表現という点に限って言えば、そこに吹く風は絵でだって表現できるはずだし、土方巽なら体で表現するだろうし、松尾芭蕉なら言葉で表現するだろう。ロダンなら彫刻で表現するかもしれない。とにかく『場』という空間の概念、そこを満たすクリエイティヴなエネルギー、それがグルーヴの正体なんじゃないかってことなんだよ。まさか響介も同じことを考えていたとは驚いたよ!」
響介は賢次の言葉に乗った方が得だと気付いてわざとらしいほど深々と頷き、それを神谷が訝しげな眼差しで見ていた。
賢次の言葉はそれでもまだ止まらない。
「インプロヴィゼーションとかジャムセッションとか、音楽に限らずともライブペインティングだって、場踊りだって、とにかく即興性の強い表現をやる人は皆、そのエネルギー、音楽用語でいうところのグルーヴを全身に受けてそれを体を通じて音や形に変えていくんだ。極端な話、夜道を歩くとき、その足の運びや足音、腕の振り方、姿勢や息づかいにだって、ちょうどそこに過不足なくピッタリとハマる適切な具合があるんじゃないかって思うんだ。なぁ神谷、一つ即興でカクテルを作ってくれないかな?」
と言って、賢次は空いたビールグラスを指で少し前に押し出した。
「俺は時々、心底、お前のことを恐ろしいと感じることがある。まさか、今までの講釈は全部、俺を困らせるための前振りだったんじゃないだろうな。響介とは違った意味で厄介なヤツだよ、お前は」
賢次の無茶な要望に呆れたように答えた神谷だったが、すぐに何かのリキュールのビンに手を伸ばして、カクテルを作り始めた。
響介と賢次は食い入るように神谷の動きに見入った。
神谷の手つきはダンスのようだった。
そこに漂う空気を縫う様に滑らかに、音も無く力強い。
スッスッと素早く動いて円を描くような手つきでシェイカーのキャップを閉じたかと思うと今度はハードシェイクで心地好いリズムが狭い店内に響く。
キンキンキンキンキンキン・・・
氷と金属がぶつかる甲高いバロンシェイカー特有の衝突音に混じって、砕けた氷の欠片がシェイカーの中でシャリシャリ音を立て始めると、神谷の腕の動きが次第にスローモーションになっていき、やがてゼンマイ仕掛けの玩具が止まるように切なげに、そこに在るべきと思われる位置に収まった。
シェイクの余韻がまだ耳の奥に残っている間に、手際よく目の前のカクテルグラスに注がれた黄金色の液体の表面には、中央にうっすら浮かぶ薄氷と目に見えるほどの冷気が漂っていた。
賢次がバースツールを引き、背筋をしゃんと伸ばして、妙に紳士的な口調になって
「頂く前にタイトルを聞いておこうか」
と言う。
「古き良き日々」
そう言われるのを待っていたとも思えるタイミングで神谷が応える。
「カッコよすぎだろ」
響介が横から茶々を入れる。
その言葉の全てが、そこに放たれるべき言葉であったかのように心地好い。
おもむろにグラスを手に取り、二口で半分ほど飲んで、賢次が目を瞑った。
賢次の頭の中を様々な感情が駆け巡って、やがて一つの暖かい塊になってどこか奥の方へ消えていった。
入れ替わるように賢次の瞳の奥に熱いものが込み上げてきたが、賢次は今そいつに出て来られちゃマズイと思って、無理矢理奥に押し返した。
そうすると、今度は口元が引きつっていくのを感じた賢次は、隠すように手で頬をさすりながら、
「ふん、お前の腕前も大したことねぇなぁ」
と言ったあと、賢次はその声が震えていなかったかと不安になった。
「あれ、残念。お口に合いませんでした?」
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて神谷が賢次の顔を覗き込む。
響介はひどく真剣な面持ちで、
「おい、賢次ぃ。こういう場面では、とにかく美味いって言っとくほうがいいぞ。それともお前、彼女の手料理とか、普通に不味いって言っちゃう人?」
響介は賢次のグラスを奪って味見し、
「なんだよ、全然、美味いじゃん、これ?」
などと神谷にわざとらしくアピールするように不思議がって見せた。
神谷はただ笑っていた。


「さて、と、そろそろ店閉めるけど、賢次の働いてるスタジオ、確か24時間だったよな?どう、数年ぶりに三人で何か演ってみようぜ!」
「何かって・・・、別にいいけど、俺は趣味レベルとはいえ、まだ一応現役よ?」
「おいおい、言っとくけど俺だってケツ筋はたるんだけど歌は前よりか、断然上手くなってるぞ!ふはは!」
「は!?ケツは関係ないだろ!実は俺も最近またこっそりギター練習してんだ」
「え、嘘!?やってんの?なんだよ!やってるんなら最初から言えよ」
「あーだー、こーだー!」
「どーした、こーした!」
「・・・・・・・!」
「・・!?・・!」
「・・・!!」
「・・」
「・」




おわり

概念記法

2009-06-27 | ぎらぎら
たった今、初めてゴットロープ・フレーゲという名を知る。
「概念記法」という著書、非常に・・・気になる。
記号論(Semiotics)、記号学(Semiology)あたりと絡みそうだなぁ。
結局、パースさんやエーコさんの話を聞かなければならないのかぁ。
ウィトゲンシュタインさんとか、聞いてもわかんなそうだもんなぁ。

自分なりの概念記法(用途が違うかも知れないが)を小説風にやってみたのが先日の、煙の擬人化という試みだが、結果は惨敗。
道程は果てしないのである。

しかし、難しいのは苦手やで~。
誰か、もっと噛み砕いて喰わせて下さいませんか。

もっと、身近に思想家とか哲学者とかいっぱいいて欲しい!
酒でも呑みながら、がなり合いたい!
言い聞かされたような陳腐な倫理観など易々と切り捨ててしまうくらいの大馬鹿者たちと、胸ぐら掴んで「てめぇ、コノヤロー!」とか言い合いたいぞッ!



Neither Black Nor White.

2009-06-26 | せらせら
朝一、ネットニュースに目を通して、マイケル・ジャクソン死去のトピックが目に飛び込んだ。
とっさに、なんのことだろう、と思った。
先日、三沢さんが亡くなったことを職場で耳にしたときもそうだった。

僕は仙台に行ったことがない。
宇都宮にも行ったことがない。
「そういう町って、ほんとはないのかも」
「どういうこと?」
「牛タンとか餃子とか、名物の話を人づてに聞くけど、ほんとはみんな架空の町のことを見てきたかのように話してるだけじゃないのかなぁって思うことがある」
とレイナは言う。
現実感とは何によって得られるものなのだろう、と僕は思う。
現実にはそれを現実と感じるために必要な決定的な要素があって、それは自分の目で見たりだとか、肌で感じたりだとか、香りを嗅いだりだとか、いろいろだと思うのだけれど、そういうことが出来ない場合、実際に起こった出来事に対してそれらのリアリティが得られないまま、僕はただ困惑するしかなくなる。
だがリアリティを感じられないからといって、それが現実じゃないわけでもない。

宙ぶらりんの出来事。

マイケル・ジャクソンが自宅の隣にネバーランドを作ったという話を思い出すと、50にしてようやく忘れ物を取りに帰ったのかなという気もしてくる。
確かに、僕はマイケルのファンではないし、プロレスだって見に行ったこともない。もしかしたら彼らの死が僕に与える影響は、昨夜食べ損ねたパスタよりも小さいのかもしれない。
それなのにそこはかとなく「なんだかなぁ」という気持ちになっていることが自分でもとても不思議だ。
悔やむでもなく、悼むでもなく、YOUTUBEを眺めたら、軽快な打ち込みビートもご機嫌なシンセベースも哀愁漂うバラードだ。

Possibly, he must have known that it is Neither Black Nor White. 

青春をド真ん中で送った兄たちの世代はマイケルの死に何を想うのだろう。

随想

2009-06-25 | せらせら
瞬間の中に長い時間がある。
そういう瞬間には過去が現在に接続されて一つの作品となる。
それが一つの物語の終わり。
それは文面化されない物語。
その瞬間がまたいつか新しい物語の完結に接続されて、その繰り返しの中で物語は次第に深まる。

短編の終わりの形にはいろんな可能性がある。
大抵、それは時々の美学に基づいて完結される。
別々のテーマに沿った短編が結果として、一大巨編を構成するのであれば、一個人の物語は短編を繋ぐ見えない部分に表れる。それこそが、彼が何者であったかを知る手掛かりなのだろう。その作業は微視的に言えば行間を読むことであり、巨視的に言うと物語間を読むことだと思う。

最も核心に迫る部分は恐らく表面には表れてこない。
表出するシンクロニシティを目敏く読み取り、その上位からそれらを支配している意思を察することが巨視的な意味での理解と言えるのかもしれない。

メタファーが共通性の解読によって為されるならば、僕はメタファー観を磨き、意味の世界に移住しよう。
そのためには、形や流れや運動などの物質に依存する要素が重要な鍵だ。
矛盾をアウフヘーベンするためには、矛と盾を凝視し細かく観察、考察する必要がある。
よりメタ的な世界へ。


彼女が何者であったか。
本当は、僕はもうそれを知っているのだろう。
いや、いつだって知っていた。

僕は思う。
僕を知る者は、僕の何を知っているのだろう。
僕は、僕の何を知っているのだろう。
彼女は、彼女の何を知っていたのだろう。

あの日、プラットフォームの隅で29年に及んだ一つの物語が図らずして完結してしまったことは疑う余地もない。
その意味を深く味わいたい。
どうかして、その物語を僕の物語に接続したい。
そうやって僕は僕のシナリオを深めるしかない。
人生を愉しむという唯一つの目的に向かって。

一所に留まることなかれ主義

2009-06-24 | せらせら
苦痛の多い時は、俯瞰に次ぐ俯瞰。そのことが生活を安らかにする。
安らかなる時は主観に徹し、世界を凝視するそのことが生活を豊かにする。
バランス感覚と自身の視点を扱うスキルは重要な要素だ。
それから、最も重要なのはそのどちらかを突き詰め過ぎないことだ。


サブジェクティヴな真実

2009-06-24 | ぎらぎら
「僕はね、普くすべての存在の無意味を嘆いているんじゃあないんだ。それよりもむしろ、人間が無意味の上に意味を見出すだけのイマジネーションを持っていることが嬉しい。ま、どっちにせよ、意味なんてものに捉われるのは人間だけだけど。僕の華やかさなんかからは程遠い、夢と現実、本音と建前の間で揺れ動いているようなごくありきたりな庶民の実物大の生活、その中に僕が思わず「That's it!」と叫んでしまうような真実が見い出せればそれでいい。誰かとそういう経験や感覚を酒でも呑みながら語り合えればさらにイイね。深夜に穴の中で交わされるような蚊のまつげが落ちる程度のヒソヒソ声でね。そういう真実には、天啓のようなある種の偶然性も必要だけれど、何よりもまず、それを手に入れようとする貪欲さが必要なんだ。下らない嘘で塗り固められた心ってのは、鍵穴をコンクリートで塞いでしまったみたいに真実がはまる隙間もないってわけよ。何かを失って、その欠如が再び満たされる時に、ああ、これだ、これなんだっていう感覚があるよね?その感じがまさに僕の求めるもの。それが僕の生きている意味なんだ」

死後の世界

2009-06-23 | せらせら
知人の夢の中に、亡くなった彼の友人が出てきたという話を聞いた。
彼の友人は夢の中で「外国とか、もっといろんな場所に行ってみたいのだけれど、行ったこともないし地図もないから行き方が分からない」と言ったらしい。

この話はとても興味深い。
もし、僕らの死後が夢を見るのと同じように、生前の記憶をごちゃごちゃに組み合わせて成るものだとすれば、生きているうちに多くを知り、多くを感じるほど、僕らの死後は豊かになるということになる。

ま、そんなものがあるならば、の話だけど。

ヒソヒソ

2009-06-23 | せらせら
今夜も穴蔵の中にはヒソヒソと言葉が飛び交った。
そういう場所では、時々、ヒソヒソ声でしか伝えることのできないものが、あたかも麻薬でも取引するようにやりとりされる。
静寂の中から取り出したようなものは繊細なので、どうしてもヒソヒソと扱わなければならないのだ。
ペンギンがインド人の弟(僕は彼の名前を知らない)を連れてやって来た。
僕は彼にいつかのおとぎ話を話し、彼は僕に人間の大きさについて教えた。
彼によると、人間には固い殻に包まれた核の部分(彼のそれは黒っぽいと彼は言う。それは人によって色が違って見えるのだろうと僕は思う)と、その周りにふよふよした部分があって、その両方を併せた大きさが人間の実寸の大きさなのだそうだ。
それから、また少し完成に近づいた僕は、危険を冒さない冒険というものがあるだろうかと彼に尋ねた。
彼は町の周りをぐるぐるすることを冒険というだろうかと答えた。
インド人の弟は黙りこくって、時々、コソコソと携帯をいじりながら飛び交う言葉を聞いていた。
そういう場所には、やはり苦い珈琲と煙草の煙がよく似合う。
穴の中にはヒソヒソ声がよく似合う。
彼らが家に帰っていった。
それからまた、穴蔵の中は静寂で満たされた。

煙の形を擬人化する

2009-06-21 | ぎらぎら
色彩のない町を歩きながら2人で観察したことを発展させようということになった。
「1年を均等に91分割してみようと思うんだ」と彼は指を折りながら言った。
なるほど、確かに生命体ではないから、どういう形に分解しても死ぬことはないだろうな、と僕は思った。
加えて彼は、そうすると、この町はもっと美しくなるはずなんだ、と断言した。
今日の彼の髪型は冴えないが(もちろん彼には内緒だが)、言うことは一々もっともだ、と僕は感心した。
「どうだい、今度は川づたいに海の方まで歩いてみないか?」と僕が提言してみた。
彼はにやりと笑って「なるほど、海と川の境に線を引こうってわけだな」と言った。
深々と頷きながら、僕はいつだったか、あなたは何でも勝ち負けで判断するのね、そういうのって、きっと女には解らない性(さが)なんだわ、と言って冷笑を見せた女のことを思い出していた。
結局、女と僕は相対的にしか形容できない関係だが、彼と僕とは本当の意味で仲間なのだ。
夕方、僕らは海に辿り着いて、予定通り、境界のところに滑らかな線を引いた。
それは沖の方に向かって優雅に膨らむ曲線だった。
彼の提案で、近くのコンビニでビールを買ってきた僕らは、少しずつ変化していく曲線を眺めながら、したり顔で乾杯したのだった。

耽美派

2009-06-21 | せらせら
外の雨に濡れた道路の音を聞きながら穴ぐらの中で思うことは、言葉や線では輪郭の取れないひどく抽象的な概念。
何物にも置き換わらないが故の、何者とも共有できない(共有したつもりにさえなれない)宝石のような。
それは静寂を安堵にし、また、孤独を自由に、そして、死を生にするものである。
そうして、全ての運動は眠りにつくように静物の世界は意味の世界へと滑らかにグラデイトする。
その境に入り、なおも、幽かな頭痛によって物質とかろうじての繋がりを持つ贅沢。
自らをオブジェ化することによって起こる反転的なデペイズマン。
次はそこからさらなるアン‐ウント‐フュール‐ジッヒを狙う。
自己存在の最小値を狙う。

見誤れば死。

山を見る者 鹿を追わず

2009-06-19 | せらせら
何度も言うようだけれど、僕は本を読むのが(決して嫌いというのではなく)苦手だ。だから、毎日のように本を開きはするのだ。実際に読み進むのは日に数行だったり、数ページだったり、時には数十ページだったりする。また翌日は少し前のページから読み始めたりすることもある。何日も何日もかけて本を読むと、不思議と、その内容というよりも、むしろその本という物理存在自体に愛着が湧いてくる。その愛着と反比例して、残りページは減っていき、やがて寂しいような気持ちが込み上げることも多いが、その気持ちに反して文字はさらに加速する。
それから、お別れだ。
読書のあとにはたいてい僕の中に穴が残る。ぽっかりと。
そこで初めて、ああ、そうか、この本は面白かったんだな、と僕は思う。

硬貨に描かれた八重桜を裏返すと100平成○○年となるように、存在は裏返すと悉(ことごと)く穴になる。
そういう穴の大きさは存在の大きさとまったく同じだが、ドーナツ的な方法論でしか穴の大きさ(つまり存在の大きさ)を認識できないということが、目下、僕のクリアすべき課題だ。それには注意深く貪欲な観察が欠かせないというわけである。
そういう観察眼は、何かに追われて逃げるように生きる者には手に入れられないのではないだろうか。

ときどき、僕は自分が誰かわからなくなる。
ときどき、僕は自分が誰なのか、わからない者であると気が付く。
ときどき、僕は自分が誰なのか、わからない者であると気が付いた自分である。
ときどき、僕は自分の知らない自分を知る。

ゆとる、ということが僕にとって生きるということとほとんど同義になってきた。最近、生きることが社会的な死と重なる部分が多い。理想を追う者にとって、社会が居心地の悪いものになってしまったのはいつの時代からだろう。国家とはなんだろう。社会とはなんだろう。経済とは、人とは何だろう。実体無き複合体がそんなに大事かい?鰯の群れはあれで一つの生命なのだろうか。そこにはもはや個を凌駕する意思があるのだろうか。僕はそれを考えると、また自分が誰かわからなくなる。

自分になる

2009-06-19 | ぎらぎら
確かに、ネガティヴに見れば自分からは逃れられないとも言えるが、逆を言えば、自分は一生の友ということになる。
自分と親しむために、自分を楽しむために、折に触れて自分と向き合うこと。
そうして人はようやく自分になれる。

多芸は無芸という言葉もある

2009-06-19 | せらせら
意味もまた味の一種なのだから、理解するというより味わうように味覚で楽しむのが正しい在り方ではないだろうか。
そのように曖昧なものを曖昧なまま深く感じることは、決して一朝一夕では成し得ない。
永く時間をかけて向き合うことが大切なのだと思う。
それを思うと人生はやはり短く、その間に真に親しめるものはそう多くはないに違いない。