仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

No.2真如(宇宙の英知)に全て任せる絶対他力の祈りについての考察2

2019年12月22日 11時19分48秒 | 祈りの科学的研究

No.2真如(宇宙の英知)に全て任せる絶対他力の祈りについての考察2

 

4. 仏教ヨーガ=自灯明・法灯明(仏知見、一仏乗)の現実

 

(1)我々は真如の絶対他力により存在させられ生かされている

 

仏教やアダムスキー氏の宇宙の英知に関する解説やイエス・キリストの教えによれば、

空=真如=宇宙の英知=天の父=万物の創造主は、全宇宙の万物・森羅万象・自然を創造し、今も動かしており、我々人間に命を与え、存在させ、生かし成長させている存在です。

つまり、我々人間の「命の親」「魂の親」であり、子である我々を成長させ幸福を与えようとしている存在です。

 

我々の過去・現在・未来のことを知り、現状も全て把握し、これからどうするのが最善かを全て把握している存在です。

そして、我々が必要とするものを全て与える智慧と力を持つ存在であり、仏教では大慈・大悲・大智を備えていると言われ、キリスト教で「神は愛である」と言われているような存在です。

 

宇宙の英知は、我々人間を護り導き進歩させ、我々に宇宙の英知の意思を縁起・現象相で実行させることを目的としており、その導きは全て善と幸福を目的としています。

我々人間は、本来、宇宙の英知の全宇宙に渡る壮大な計画の一部であり、宇宙の英知の意思に従って活動するために存在させられているのです。

 

我々が生きて行く上で遭遇する様々な問題・課題に関して、宇宙の英知=真如=天の父に対して祈れば、その願いをかなえてくれる存在であるとイエス・キリストは教えています。

我々人間は、ほとんど全てを宇宙の英知に依存しており(人間の自我の自由意思は除く)、宇宙の英知の絶対他力により生かされているのです。

 

このことを忘れないように、「真如の絶対他力により生かされている」「真如の絶対他力により全て与えられる」と唱え続けることも良いと思います。

簡単に「真如の絶対他力、真如の絶対他力」と唱えても良いと思います。

 

 

*自然災害について

真如は、宇宙・自然界を作り動かしており、春の芽吹き、花の開花、豊かな実りなどの恩恵をもたらします。

しかし、同時に我々が自然災害と呼んでいるものも起こします。この自然災害をうまく説明することは難しいものがあります。

過去の地球の歴史を見ると、大規模な自然変動が何度も起きたことが科学的に解明されています。伝説では、アトランティスやムー大陸は、海に沈んだと言われていますし、旧約聖書にはノアの大洪水のような神話もあります。

これらの自然変動は、全地球的な変動であり、恐らく何らかの理由と目的があって起こされていると思われますが、地球の科学は未発達ですから解明できていません。

 

アダムスキー氏の著書には、

(a)地球の地軸の傾斜と大陸の沈没・浮上は、約2万6000年毎に周期的に起きる現象であること、その目的は使い尽くされて老朽化して役に立たなくなった土地を海に沈めて休息させて栄養素を蓄積させて回復させ、その後再び浮上させて陸上生物が利用できるようにすること、

(b)太陽系が崩壊期に差し掛かっており全惑星に変動が起きていること

が説明されていますが、地球の科学ではこれらのことは把握されていません。

 

今現在、地球という惑星全体で起きている大規模な自然災害の原因は、現代科学では明確になっていませんが、恐らく地球は大規模な自然変動の時期に入っているのだと思われます。

 

我々が、自然災害に巻き込まれて人体が破壊される場合には、真如は次の新しい人体を用意して、新しい人体に我々は生まれ変わることができます。

生まれ変わりは、地球上だけではなく、太陽系内の他の惑星や近隣の太陽系の惑星への生まれ変わりも行われているとアダムスキー氏は述べています。現時点で私にわかることはこの程度です。

 

 

(2) 仏教ヨーガ(加持)により、真如を求め、真如により導かれて生きていくこと

 

現状では、我々凡夫の心は、宇宙の英知=真如と結合していないため、宇宙の英知の意思を具体的には知ることができていません。

常時、完全結合していれば、如来です。

 

スピンドリフトの実験やラリー・ドッシー博士、そして仏教関連の人の見解によれば、

人の心(自我)が、宇宙の英知=真如の方向を向いて、真如に対して祈りを行わないと、真如は、人を助ける方向に動いてくれないようです。

人の心(自我)が、宇宙の英知=真如を求めて祈ることが最大のポイントであると思われます。

 

 

十二因縁の最初に登場する「無明(むみょう)」の状態にあり、真如と自我の心が結合していない我々、

つまり自分の周囲や未来の様子を完全には知ることのできない我々のような凡夫が、

全知である存在(真如、宇宙の英知)に対して、

「南無宇宙英知」「主のみ心がなされますように」「オンアビラウンケン(南無大日如来)」「南無阿弥陀仏」

と祈っても、

 

「凡夫の悲しさ」と言いましょうか、

今現在の自分に対する宇宙の英知の意思とは、

・具体的に何なのか、

・具体的に何が起きるのか、

・具体的に何をすれば良いのか、

に関しては、我々にはすぐには分かりません。

 

宇宙の英知に対して質問しても、音声では答えてくれません。

これは実際にやってみれば直ぐにわかります。

 

 

宇宙の英知の意思を知らない「無明(むみょう)」の状態にある我々人間は、

具体的なことはすぐには知らなくても良い、

先のことは詳しく分からなくても良い、

ただひたすら

「南無宇宙英知」「主のみ心がなされますように」「オンアビラウンケン(南無大日如来)」「南無阿弥陀仏」

と祈り続ければ、

真如は、真如の意思を、我々が生活している日常生活の場である縁起・現象相に実現させてくれる、

今の「無明(むみょう)」の状態が変化して、

次第に、日常生活の場である縁起・現象相の結果・現象として、主のみ心(真如、法)が現われ始めて、徐々に変化していくのだろうと思われます。

 

 

「無明(むみょう)」の状態にある我々のような凡夫には、自分の日常生活の現象として現われ始めるまでは、宇宙の英知(真如、法)の意思を明確に認識することはできないようです。

 

要は、「南無宇宙英知」「主のみ心がなされますように」「オンアビラウンケン(南無大日如来)」「南無阿弥陀仏」と祈ることは、真如に対してこれからどうすれば最も良いかを質問することであり、

我々の質問に対して、真如は最善・最上で最も神聖な答えを出してくださるのだと思います。

 

 

我々のような凡夫にできるのは、自然界に現実に存在して作用・機能している知性と力を持った根源的存在(根源的原理)である「宇宙の英知・万物の創造主・真如」を信じ、

「南無宇宙英知」「主のみ心がなされますように」「オンアビラウンケン(南無大日如来)」「南無阿弥陀仏」

とひたすら祈りながら、

真如により生み出されてくる現象を観察し、

その都度、その都度、様々な社会的な常識を踏まえて評価・判断をしながら、

必要な行動・対処を取るしかないのだろうと思われます。

 

しかし、そのような生活は、「宇宙の英知・万物の創造主・真如」の意思に導かれ、それに従い、それを縁起・現象相の自分の人生に実現させる生活ですから、「宇宙の英知・万物の創造主・真如」が意図する最も望ましい幸福な人生であると考えられます。

 

 

(3)誰でもできる仏教ヨーガ(加持)

 

仏教ヨーガの実行は、非常に単純・簡単です。

要は、真如を聖音化して、その御名をひたすら唱え続ければ良いだけです。

誰でもできます。

高野山真言宗の織田隆弘大僧正も、「絶対他力の易行道(いぎょうどう)」と呼ばれ、「易行道(いぎょうどう)」即ち、誰でもできる簡単な行であると言われています。

要は、エミール・クーエ氏の自己暗示と同じ形式ですから、3歳の子供でもできます。

特別な肉体的苦痛を伴う修行(荒行)は必要ありません(お釈迦様は苦行を否定されました)。

真言宗の僧侶だけができるのではなく、一般市民も誰でもできます。

 

 

(a)Wikipediaの「加持」には次のように書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81

 

加持(かじ)とは、仏教用語の1つ。  (出典 Wikipedia)

元はサンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語で、他にも所持・護念などと訳される場合もある。

本来の意味は仏あるいは菩薩が不可思議な力によって衆生(人々)を守るという鎮加護持(ちんかごじ)・神変加持(じんべんかじ)を指す。

仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏に伝わることでその効果を発揮するとされる。

 

密教においては、仏が大悲・大智[1]によって衆生に応じることを「加(加被)」、衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し、双方が相応一致することで仏と衆生の持つそれぞれの三密[2]が入り混じて他を己におさめ持ち、死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させることから、これを「三密加持」と称する。密教では三密加持を実現させるために、修行者が手に仏の印契を結び(身密)、口に仏の真言を唱え(口密)、心も仏の心境(心密)になることが必要とされ、そのために各種の修法が行われる。それらの修法のために必要な呪禁[3]の作法のことも加持と称した。

 

更に衆生が仏(場合によっては神)の力の助けを借りるために衆生自身あるいは仲立ちである僧侶が行う祈りのことも「加持」と呼ばれ、祈祷と同一視され、両者を組み合わせた『加持祈祷』とも呼ばれた。

 

参考文献

総合仏教大辞典編集委員会 編『総合佛教大辞典』(2005年、法蔵館) ISBN 978-4-831-87070-4

中村元『広説佛教語大辞典』(2001年、東京書籍) ISBN 978-4-487-73153-4

石田瑞麿『例文仏教語大辞典』(1997年、小学館)) ISBN 978-4-095-08111-3

(引用終わり)

 

 

一般民衆(衆生)自身が祈っても、仏(真如)の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏(真如)に伝わることでその効果を発揮するとされると書かれていますから、要は、僧侶や密教に頼らなくても、誰でもできるのです。

 

 

(b)アメリカのキリスト教徒の加持

 

仏教の真言宗の修行をしたことのない、そして仏教のことは何も知らないアメリカのキリスト教徒(クリスチャン・サイエンス)のスピンドリフトの人たちや、敬虔なキリスト教徒の医師のラリー・ドッシー博士でもできています。

彼らはキリスト教の形式で「主のみ心がなされますように」と英語の日常語で祈っており、サンスクリットの真言「オンアビラウンケン」を唱えてはいませんし、真言密教の密門会の加持の講習も受けていません。

仏教ヨーガ(真如加持)は、誰でも、どの言語でも、どの宗教の信者でもできるのです。

毎日、毎日、ひたすら唱え続けるのです。

 

詳しくは、ブログ記事を参照

「どのように祈るべきか スピンドリフトの実験」

https://blog.goo.ne.jp/gadamski/e/72b792ba1469edc7a4bc79e99dee22c1

 

 

 

(c)イエスの一般民衆に対する教えも加持

 

ドイツのフライブルク大学で神学と教育学を修め、宗教史分野での著作を多数持ち、20年にわたってイエスの歴史的問題に取り組むケルステン,ホルガー等による

『イエスは仏教徒だった?―大いなる仮説とその検証』

という本に、学者たちによりイエスの福音書の原福音書と考えられているものがあることが書かれています。

これらはQ資料と呼ばれ、Q1, Q2, Q3の3種があり、「イエス本来の言葉」を反映しているのはQ1であろうと学者たちは述べています。

 

Q1資料には、次の「イエス本来の言葉」も収録されています。

 

『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。

魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。

このように、あなたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。

まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。』

 

これは、我々の願いの祈りを「天の父=宇宙の英知=万物の創造主」がかなえて下さることを教える有名な教えです。

この教えは、学者によると、イエスの本当の教えのようですから、私がこれまで般若心経の大明呪やエミール・クーエ氏の自己暗示や真言密教を研究して、万物の創造主に祈って願いをかなえていただく方法をブログに書いてきたことは、間違いではなかったと思っています。

 

このイエスの教えは、2000年前のパレスチナに住んでいた名もない民衆(農民、漁民、商人など、多くは読み書きもできない人々)に対する教えであり、何も特別な修行をしない人でも、真如=天の父に祈れば、願いをかなえていただけること(加持が実現すること)を示しています。

このイエスの教えは、誰でも加持が可能であることを示しています。

 

 

(d)エミール・クーエ氏の自己暗示と大明呪も加持

 

20世紀始めにフランス、ヨーロッパ、アメリカなどで活躍されたエミール・クーエ氏の無意識(潜在意識)に対する自己暗示(想念の反復による祈り)により、非常に多くの病気が治る実績が報告されています。

(『自己暗示』、C.H.ブルックス, エミール・クーエ著, 河野徹訳, 法政大学出版局 を参照)

 

この中で、クーエ氏の自己暗示を詳細に調査したC.H.ブルックス氏は、p.108で次のように述べています。

 

『キリストが、治療の奇跡を行わせようとして使徒たちに与えた力は、数人の選ばれた個人に授けられた権能ではなく、全人類共有の遺産であると考えよう。

キリストが指し示した我々の内なる天国は、我々の日常生活を清めるとともに高め、よりすこやかな肉体と美しい精神を得るために、誰でも利用できるものと考えよう。

このように考えてくれば、クーエの一般公式に含まれた言葉は一種の祈りといえないだろうか。

自我の意識を超えたあるもの、われわれの背後に横たわる無限の力、何かこういうものに対する訴えとはいえないだろうか。』

 

 

ブルックス氏は、クーエ氏の自己暗示は「一種の祈り」であり、「無意識」=「自我の意識を超えたあるもの、われわれの背後に横たわる無限の力に対する訴え」と述べておられます。

 

 

クーエ氏とブルックス氏の解説には、宇宙意識(宇宙の英知、真如)という言葉は出てきません。

 

クーエ氏とブルックス氏は、人間の脳により生み出される潜在意識(無意識)は肉体内に限定されるという19世紀末から20世紀初頭の当時の地球の科学的常識に基づいて、その効能の説明は人体内の現象に限定されたものであり、全宇宙の万物を作り動かす宇宙意識に関しては全く考慮されていませんので、肉体の外部にまで及ぶ縁起の現象界の全ての苦に対する効果は述べられていません。

 

クーエ氏とブルックス氏の解説では、自己暗示とは「無意識」=「自我の意識を超えたあるもの、われわれの背後に横たわる無限の力」に対する祈りとされていますから、ここで言う「無限の力」とは、キリスト教の神、天の父、近頃の言葉では宇宙意識のようなものと解釈することも可能です。

 

恐らく、クーエ氏とブルックス氏は、無意識は、キリスト教の神、天の父を意味している部分があることに気づいておられたが、宗教色を前面に出すと医学として扱いずらくなるため、自己暗示を医学として扱い一般に広めるために、このことを前面には出さなかったのではないかと推定しています。

また、欧米で強力な支配力を持っていたキリスト教の教義との対立や教会による反発・拒絶・攻撃を避ける目的もあったと推定しています。

 

 

私の理解する範囲では、その人の顕在意識が気づいていないもう一人の自分である無意識(潜在意識)には、次の2つの部分があるように思われます。

①個人の想念・行動・習慣(癖)などを記録し身体と心に影響する「個人的な無意識の心」の部分(個人的潜在意識)

②宇宙全体の万物を作り動かしている「宇宙の心」の部分(「宇宙的無意識(宇宙意識、宇宙の英知)」、この部分が人体を制御)

 

 

ただし、クーエ氏が活躍された19世紀末から20世紀初頭のあの当時の科学も、21世紀の科学も、宇宙意識の存在を公式には認めていないのです。

しかし、一部の科学者は、宇宙意識のようなものの存在を研究しています。

ここでは、宇宙の万物を作り・動かす宇宙意識(空、真如、宇宙の英知、天の父、万物の創造主)が、物理的に実在して機能しているとして論を進めます。

 

 

人体を作り・動かしているのは宇宙意識ですから、クーエ氏の自己暗示により各種の疾患を治癒させているのは、意識(心)の言葉(思い)が、個人的無意識(潜在意識)と宇宙意識に作用していると考えられます。

恐らく、クーエ氏の自己暗示で実際に治癒を行っているのは、人体を作り・動かし、人体のことを全て熟知し、知的な判断能力を持っている宇宙意識という宇宙の知性体(Universal Intelligence)だと思われます。

ですから、クーエ氏の自己暗示は、別の言葉では、自我意識(意識)をはるかに越えた、宇宙意識に対する訴え・祈りであると考えられます。

 

クーエ氏の自己暗示の本を読む際には、「無意識・潜在意識に対する自己暗示」としてとらえるのではなく、「宇宙意識に対する祈り」としてとらえながら読むのが効果的であると思われます。

 

 

想念(人の思い、言葉)の力を使用して病気が治るメカニズムは、般若心経の大明呪もクーエ氏の自己暗示も同じであると考えられます。

なぜなら、大明呪もクーエ氏の自己暗示も、これら2つの方法では、治るという言葉=想念を繰り返すことにより、人間の人体の病気が治るからです。

2つの方法は同じことをやっているのですから、そのメカニズムも同じです。

 

クーエ氏は、想念の反復を、20世紀初めの科学的知識に基づいて、「潜在意識(無意識)に対する自己暗示」であると述べています。

しかし実は、クーエ氏は、般若心経で説かれた大明呪を独自に発見されていたのだと私は思います。

 

ただし、クーエ氏の場合は、人間の脳により生み出される潜在意識(無意識)は肉体内に限定されるという地球の科学的常識に基づいて、その効能の説明は人体内の現象に限定されたものであり、肉体の外部にまで及ぶ縁起の現象界の全ての苦に対する効果は述べられていません。

 

宇宙意識は、無意識の個人的な部分を包含するものですから、クーエ氏の説く無意識に対する自己暗示と大明呪は、実は宇宙意識に対する祈りであり、その祈りの内容を実現させるのは宇宙意識(空、宇宙の英知、真如、法、ダルマ、天の父、万物の創造主)であると考えられます。

 

つまり、自己暗示=大明呪は、宇宙意識に対する訴え、祈りであり、祈りをかなえるのは宇宙意識です。

この宇宙意識は、人の意識(心)と人体(分子とイオンで構成)に存在して動かしており、同時に全宇宙の万物に存在して、これらを作り動かしています。

小さな自我に過ぎない「自分」が願いをかなえるのではなく、全宇宙の万物を作り・動かす宇宙意識が願いをかなえるのです。

 

 

 

自己暗示=大明呪のコツは、無意識(宇宙意識)を信頼すること

 

『自己暗示』(C.H.ブルックス, エミール・クーエ著, 河野徹訳, 法政大学出版局)のp.73には次のように書かれています:

 

信頼をこめて唱えることが大事だ。

唱え終わったら意識の役割は果たされたわけで、後は無条件で無意識に仕事をまかせる

改善のきざしはまだかまだかとたえず気をもむなど無益である。

種子が芽をふいているかどうか調べるために、毎朝土を掘り起こす農婦などいないだろう。

いったん種を蒔いたら、若草が芽ぐむまでほうっておくよりほかない。

暗示の場合もこれと同じで、種子を蒔いたら、無意識がそれを実らせてくれることを確信して待つことだ。

あなたの意識が甘んじて無意識を放任するならば、結実の日はそれだけ早く訪れるだろう。

 

信頼を込めよ!

誘導自己暗示の力を奪うものはただ一つ

それは、こんなことをしても効き目はあるまいという不信の念である。

不信の念を抱くかぎり、まさにその事実によって、暗示の効果は消滅するであろう。

信頼が大きければ大きいほど、それだけ結果は根本的となり、かつ迅速に訪れてこよう。

もっとも、朝な夕なに、公式を20回ずつ唱えるだけの信頼をもてば、その結果は、やがてあなたの身の上に、御自分の望んで折られる証拠となってあらわれるだろう。

そうなれば、後は事実と信頼が互いに補強しあっていくであろう。』

 

 

クーエ氏とブルックス氏は、『信頼を込めよ!』と言われ、無意識(宇宙意識、宇宙の英知)に対して信頼を込めて自己暗示を実行することがコツであると述べています。

これは、言葉を変えれば、無意識(宇宙意識、宇宙の英知)に対する『信仰』を持つことがコツであると思われます。

 

クーエ氏の自己暗示も、祈りを実現させるのは宇宙意識=宇宙の英知=真如ですから、これも加持と呼ぶことが可能です。

 

大敵は、「そんなものはダメ、効果はない」と決めつけることで、このような決めつけが自己暗示=祈りとなって実現してしまい、願いがかなわなくなります。

 

 

(4)誰でもできる仏教ヨーガ(加持)に金はいらない

 

真如は、自然界に存在する無為・無相・空の存在であり、肉体を持った人間ではありませんし、僧侶ではありません。

従って、真如に対する祈りには、お布施や物質的なお供えは必要ありません。

仏教ヨーガには、僧侶による祈りや読経は必要ありません。

つまり、仏教ヨーガには、お金は一円もかかりません。

真如は、金を払え、供え物をしろとは言わないのです。

我々人間や自然界に対する真如の働きは、全て無料奉仕です。

例えば、太陽の放つ日光、雨、空気、涼しい木陰、これらは無料で与えられているものであり、真如は料金を払えとは言わないのです。

人間は、真如の御働きに対して、感謝の言葉を述べ、真如の意思に従って生きる誓いを新たにすれば良いだけだと思います。

祈る人にやる気さえあれば祈り続けることができます。

 

 

仏教ヨーガには、密教のサンスクリット、印、密教用具は不要

 

密教では、サンスクリットを使用し、手指で印を結び、様々な密教用具を使ってオンアビラウンケン(南無大日如来)という真言を唱えています(祈っています)。

しかし、本来の仏教ヨーガには、このようなものは使用されていません。

釈尊は、サンスクリットは使用されず、当時の日常用語であるマガダ語を話されていましたし、印や密教用具は使用されていません。

これらは、釈尊が地球世界を去られてかなり時代が経過して、バラモン教の風習に染まっていた人たちが仏教に入って来たときに持ち込んだものです。

このようなバラモン教由来の形式や風習は、釈尊の時代にはなかったことです。

バラモン教は、もともと六師外道の一つとして、釈尊が排斥されていたものですから、バラモン教由来の形式や風習の混入は、本来の釈尊の教えから逸脱したものですから好ましいものではありません。

 

参考: Wikipedia六師外道

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%B8%AB%E5%A4%96%E9%81%93 

 

私が南無宇宙英知などと祈る時は、全て日本語ですし、印を結んだり、仏器用具や密教用具は全く使っていません(合掌することはあります)。

パソコンで、パワーポイントに祈りの対象者の写真を貼り付けたり、ネットで見つけた自分の好みの仏像の画像を貼りつけて、それらを見ながら祈っているだけです。

また、近くの川土手の散歩、車の運転などの日常生活のほとんど全ての場で口ずさんでいます。

祈りを特別のものと考えるのではなく、日常生活のあらゆる場で口ずさめば良いだけです。

私はこれを「口ずさみの祈り」と呼んでいます。

不必要な形式にとらわれて、無意味なことに手間・暇・金を使うことは、お釈迦様の本意ではないはずです。

 

 

自然界に存在する真如と自分の心を結びつける仏教ヨーガには、基本的には、宗教・宗教団体・宗派・寺院・僧侶・儀式・密教用具・仏具・仏像・仏画・経典・サンスクリット・金は、必要ないのです。

自分と空・無相の存在である真如の間の結びつきがあるだけです。

これが全ての宗教の祈り(加持)の基本原理です。

 

 

娑婆である地球世界の現実では、加持をする僧侶へのお布施を払う金のない人も多いのです。

また、様々な理由(時間、お金など)で織田隆弘大僧正の密門会の講習会に行くことができない人も多いのです。

加持をやる僧侶は、加持により金を稼がなければ生きていけないので、金のない人を全く相手にしませんが、真如(仏)は、金がなくても対応して下さるのです。

金のない人でも、仏教ヨーガ(加持)をやる気さえあれば、自分一人でもできるのが、仏教ヨーガの良い所です。

 

例えば、普段の仕事や生活に関しては、自分で仏教ヨーガをやる、生きるか・死ぬかの極限的な病気や事故に出会った時には、織田隆弘大僧正の門下の方の所に行く、という考え方もあります(ただし高額なお布施は必要です)。

このような場合にも、自分で仏教ヨーガをやることも必要です。

 

 

織田隆弘著 『如来の不思議―真言易行道の奇跡』(1991/12) p.295には、

妻の肝臓癌に対して僧侶の加持が行われ、快方に向かっていたが、会社の倒産騒ぎに巻き込まれて、妻の加持の依頼の金を夫が用意できなくなって加持ができなくなったため、妻が亡くなった人の実例が書かれています。

この場合、僧侶に頼るのではなく、夫の男性が仏教ヨーガ(加持)を身につけていれば、救うことも可能であったかもしれません。

 

このように、僧侶に加持を依頼するには金がかかり、究極的には、僧侶が行う真如(仏)の本願力による加持の場合も『地獄の沙汰も金次第』になってしまいます。

 

 

織田隆弘大僧正や門下の方の加持に対するお布施の相場は私には分かりません。

織田隆弘大僧正の東京の真成院 http://www.shinjoin.jp/index.html

は、新宿区の四谷付近(東京都新宿区若葉2-7-8)にある比較的大型のビルで、慶応病院や国会議事堂や官庁街にも近く、政財界の要人からの依頼も多いそうですから、かなり高額なお布施の場合もあると思われます。

 

大僧正の青森の青龍寺(青森市大字桑原字山崎45) http://showa-daibutu.com/

には、日本一の大きさの青銅製の大日如来像、金堂、五重塔なども次々に建てられており、かなり羽振りの良いお寺のようです。

YouTubeの次の動画を見れば、寺の全容を見ることができます。

https://youtu.be/w4yIHjx5whY?t=105

(真成院と青龍寺のサイトをご覧になって確認してください)

 

 

俗世で平凡なサラリーマンとして生きている私から見ると、

こんな豪華で大規模な宗教施設は本当に必要なのか、

このようなものに加持のお布施をつぎ込むくらいなら、お布施をもっと安くして、もっと小規模な施設にしておいた方が、加持の依頼者も喜び、宇宙の英知の意思にもかなうのではないかと思ってしまいます。

 

仏教では、次の言葉がよく使用されます。

貪・瞋・痴(読み)とん・じん・ち

仏教用語。人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つで,人を毒するから三毒,三不善根などとも呼ばれる。

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 

 

*備考:

人間の苦の原因を貪・瞋・痴だけに求める人が仏教関係者には多いのが現状ですが、それは誤りです。

現実には、愚かな人間が作り出している社会制度が人を苦しめていることが非常に多くあります。例えば、戦前の徴兵制により多くの国民が戦場に狩り出されて殺され、大日本帝国の支配階級はその苦しみの上に莫大な利益を上げていました。また、有毒物質による公害が多くの被害者を出していますし、医薬品による薬害の被害者も数多く出ています。このような事例は数多くあります。

また、栄養不足が各種の体調不良や疾患を起こすことも医学的に確認されています。仏教の精進料理や、菜食、玄米菜食、果物食、粗食を推奨する人もいますが、これらの食事は栄養不足による各種の体調不良や疾患を起こすので有害です。

このように、貪・瞋・痴だけを強調する仏教のやり方は、根本的な欠陥があります。

(備考終わり)

 

 

織田隆弘大僧正の著書には、煩悩のない人間はいない、人は煩悩がある状態、つまり貪・瞋・痴がある状態で救われると書かれているものがあります。

偉そうな顔をして高説を垂れるくせに、実際には何も役に立たない仏教学者や高い階級の僧侶よりも、織田隆弘大僧正の言葉の方が真実のように思われます。

青森の青龍寺の数多くの建物を見ると、織田大僧正は、仏教に関連したご自身の好みのものを求めてかなりの出費をされていますから、相当な欲願を持っておられたことは間違いないようです。

大日如来(真如)の絶対他力であれだけ豪華なものが実現していますから、我々のような一般市民の普通の願いもかなえていただけると思っても良いと思います。

 

このように、真如は、仏教ヨーガの加持の依頼者の願いをかなえると同時に、僧侶に多大な利益をもたらしているのは確実です。

地球世界の生活は、全てお金で動いていますから、加持の世界も同様です。

このように、僧侶と加持の依頼者に対する真如の対応は、地球世界の現実、つまり金銭によるやりとり『地獄の沙汰も金次第』という形に沿ったものとなっています。

 

 

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