New Horizon

~紆余曲折の日々の中で...

ETV特集;「世界から見た福島原発事故」

2012-04-30 | 報道/ニュース
ETV特集で、「世界から見た福島原発事故」という番組を報じていました。世界的に大きな衝撃を与えた事故からすでに1年以上が経過しましたが、各国で行われている、この事故からどのような教訓を汲み取るべきか、安全性はどうか等の分析や議論についての一端を知ることができました。

番組では、主にスイスと米国の動きに触れていました。スイスでは、「福島の教訓」というレポートが公表され、シビアアクシデント対策(安全対策)が分析・議論され、できるところから実施に移されているようです。専門家の話では、昔から日本とも技術的な情報交換をしている。何度か案全対策について提案をしてきたが、日本側の反応は、「日本では必要ない」ということだったとか...それほど、日本の原発関係者は、安全に自信を持っていたのか、それを念頭におくことさえタブーだったのでしょうか?いざ、事故が実際に起きてみると、安全対策は論外だったとも言えるわけですから、マネジメント責任、技術者倫理などが厳しく問われるべきだし、それなしに安全性の確保はないと思われます。

米国では、アメリカ合衆国原子力規制委員会(NRC)のタスクフォースが報告書を作成し、安全対策を巡って議論が行われているということです。また、3.11以降、米国では新たに原子力発電所を建設するという決定をしています。技術的にも安全性・信頼性を高めて、世界をリードしていくという意気込みを示していました。米国では、NCRの議論を公開にし、議論から決定に至るまでのプロセスを透明にしています。国民は情報にアクセスして、ことの推移を見守ることができる仕組みがあるようです。原発の推進に当たっては、考えられる全てのリスク(ハリケーン、竜巻、洪水、火災、津波、テロその他)を検討する、中立な立場で検討するとも...

透明性・中立性の確保、リスクコミュニケーション、パブリック・アクセプタンスについては、日本とは歴然とした違いがあるので、日本政府、企業も積極的に取り入れて欲しい思った次第です。



自動車運転過失致死傷なのだろうか?

2012-04-24 | 報道/ニュース
京都府亀岡市で発生した自動車事故。府警は、少年が無免許で一晩中車を運転し、その挙句、居眠り運転をしたまま左カーブに気づかず突入し、児童ら10人を死傷させたと判断、その少年に対して、自動車運転過失致死傷と道路交通法違反(無免許運転)の疑いで身柄を送検した、ということです。

「自動車運転過失致死傷」ということですが、本当にそうなんでしょうか?「危険運転致死傷罪」に該当しないんでしょうか?ある弁護士によれば、「危険運転致死傷罪」は、飲酒で正常な運転が困難なことや、赤信号を故意に無視したことなどが立証されなくてはならない、といった説明が報じられていました。今回の事案は、「自動車運転過失致死傷」という取り扱いが妥当であると...

この議論の前提には、運転免許を持っていて、車の運転が法的に許可されているということがあるように思われます。その上で、飲酒や赤信号を故意に無視して突っ切るという行為が原因で、歩行者を死傷させてしまった場合でかつ、それを被害者の側から立証できた場合のみ、「危険運転致死傷罪」に問うことができる、と。そうした無謀とも思える行為によらず(例えば、今回のような居眠りなど)、また立証ができない場合は、「自動車運転過失致死傷」という取り扱いということらしいのです?

今回の場合、第一にこの少年は無免許でした。法的には車の運転が許されていないのです。大変危険だということができます。また、この少年はバイクについても無免許で運転をし、やはり交通事故を起こしていました。その事故の後で、また無免許である身で、性懲りもなく車の運転をして事故を起こした。この事故は過失ではなく、悪意(全て知っていて)の上での行為であったように考えざるを得ません。おまけに、前の日から一晩中運転し続けていたと報道されています。その結果の当然の居眠りなんでしょう。大変危険極まりない行為だと思えます。事故に至る行動と結果としての悲惨な交通事故が蓋然性高く結びついてしまいます。それを過失と判断していいものでしょうか?

飲酒運転、居眠り運転、無謀運転...これが原因のやり切れない事故が繰り返されてきました。身近な家族を突然失った被害者の苦しみの大きさ・悲惨さに比べて、加害者であるドライバーの罪は軽いのではないでしょうか?!法制度、社会制度、教育などの見直しが急務でしょうし、技術的にも何か講じることができないのでしょうか?





中国へ渡る熟年技術者...

2012-04-23 | 報道/ニュース
「中国へ渡る熟年技術者...」という何か気になる話が出ていた。

定年を迎えた乃至は真近にした熟年技術者が、日本で職場がないために、環境の全く違う中国に出稼ぎに行っている。第二の人生を中国で、そういう人が多いという話である。

少し前は、「勤めている日本企業に内緒で、日本人の技術者が週末韓国に飛び、韓国の企業に技術指導やそれ以上の技術サービスを提供している、しかも結構な報酬を貰って」というような話を聞くことがあった。それが基礎となり蓄積して、現在の韓国の技術的優位を形成する一因となった、という話である。多分、そうなんであろうことは推測が行く。サムソン系の企業のヘッドハンティングもごく当たり前に行われている。自分にも何度か話はあったが、100人といった単位で取次ぎを行ったという話であった。

それが、今度は中国なのか?

頭脳・技術の流出が叫ばれて久しい。国賊という非難をする人たちさえもいる。わが身を振り返ってみれば、どうするだろうか?SONYやPANASONICなど、かっては飛ぶ鳥を落とす勢いのあった日本のエレクトロニクス企業の雄も、最近はリストラで1万人を削減するといったことのようで、全く元気がない。働き場所を日本で見つけられない人、特に高齢者は多い。自分たちの技術を日本で吸収してくれない日本の現状。年金が支給されるまでの生活をどのように凌いで行くのかという現実的な生きるか死ぬかの問題。

そこまで切迫していない人はいいが、そうでなければ、自分を受け入れてくれる場所が、それが日本でなくても、見つかれば、家族を日本に残して、単身、大陸に渡る。日本のような生活の質は得られなくても、暮らしていける。人によっては、淋しいと言うかも知れない?いや、逞しいのかも知れない。別れて暮らす家族の支えが必要であろうが...

本当は、日本で雇用が確保されて然るべきかと思う。技術の伝承がうまく行かない、安全についてもそうだ。団塊の世代の経験も伝わっていないなど、ベビーブーマーが定年を迎えることに直面して話題とはなった。現実には、世界的な経済不況などの影響で、根源的な対策が取られてこなかった。この話ばかりではないんだが。。。


大飯原発再稼動について

2012-04-22 | 暮らし
大飯原発再稼動についての政府対応は、夏場の電力不足解消という点が大きく取り上げられているが、判断基準と全体のプロセスに係わる納得いく説明がなされていない。電力不足については、夏場の昼間のピーク電力さえカットすれば不足するような事態にはならない、という専門家の意見も多い。このピーク電力になる時間帯は、夏場X平日X日中X午後2時~2時X気温が31度以上という条件の時だそうだが、1年8,760時間のうち、10時間程度しかない。

ピーク電力をカットするには、①ピーク時の料金を上げ事業者の消費パターンを調整する動機付けを与える ②31度を超える平日は予測可能なので、事業者にピーク電力を避けるような企業活動の協力をしてもらうなどがある。電力料金を11倍に設定している国(フランスなど)があり、米国では、日本にはないユニークなサービスがあるという。そのサービスとは、家庭の送電線を2本にして、1本にはエアコン、もう1本にはそれ以外の全ての電化製品をつなぐ。もし、ピーク時に電気が不足する場合、電力会社がリモコンで他人の家のエアコンを5分だけ消してしまうという。それで、特段の問題もないそうだ。

こうした方策に加え、揚水発電や外部からの買電などをミックスすることによって、電力不足は回避されるとしている。京都や滋賀県知事の話によれば、今年は例年になく寒い冬だったが停電にもなっていない。電力会社の出してきたデータの信憑性も、中立な立場の専門家によって検証される必要がある。

原発のリスク評価を直感的に行うとすると、考えるべきは、①技術リスク ②財政リスク ③社会・コミュニティーリスク ④産業的リスク ⑤安全・健康リスク ⑥環境リスクなどであろうか。リスク評価では、事象が発生する確率と起きた場合の結果の重大性の積でリスクの大きさを評価することが多い。リスク = (確率) X (重大性) と表現することができる。確率と重大性の大きさを数値化して、その積でスコアを計算する。リスクの大きさによって、リスク回避、リスク低減、リスク保有、リスク移転というアクションが必要となる。

検討する境界をどこに設定するかで、評価も大きく変わってくる。発電だけを見るのであれば、リスクはかなり小さくなる。ところが、LCA(ライフサイクルアセスメント)的な見方をすれば、リスクは計り知れないものになる。例えば、技術リスクについては、今回の事故、その後の推移を見ても、水力や火力発電に比べても理解できていないものが多い。さらに、バックエンドに及んでは、放射性廃棄物や廃炉の処理技術・手順すら分かっていないという。他のリスクについても、同じように事象が発生する確率は小さくても、結果の重大性は計り知れない。対応としてはリスク回避となる。

確率は小さいといっても、最近は大地震の発生確率が70%などと報道されている。3.11の原発事故の原因究明さえも明らかとなっていない状態では、発生確率を低く評価することはできないのではなかろうか。産業に関しては、電力不足が産業の空洞化リスクを招くと言われている。その真偽については、信頼性のあるデータをベースに検証すべきかであろう。また、これを契機に、新しいエネルギー観や循環思想を持った産業体系を模索していく動きを始めてもいいのかとも思う。

一方、地球温暖化対策として、CO2の出ない原発に注目が集まり、将来的には50%を賄うという試算が行われていた。LCAの観点からすれば、CO2の少ない(出ない)ステージは発電部分だけで、設計、資材、建設、バックエンドの廃棄物処理、廃炉のステージは、それなりにCO2を排出している。バックエンドについては、技術も未確立なのでよく分からない。

一般的なリスク評価では、非常に発生確率が小さく、しかし重大性の大きな事象については、保険をかけて、リスクを移転するという対応をすることが多い。例えば、大地震などがそれに該当する。この話は、あくまで一般的なプラントや設備に対してのことである。原発については、原発を建設しようとした当初、保険を掛けようとしてロイズからも断られたと聞いている。日本のような地震国で原発を建設すること自体、危険だという判断である。結局、地震などを免責条項として1,200億円の保険を掛けているようだが、命の値段を1億円と考えると、わずかに1,200人分しかカバーされていないことになる。原発の事故は一過性ではなく、その負債を未来永劫に残し続けてしまう。そこが恐ろしい点である。

大飯原発再稼動の前に、基本的な電力業界の体質・体系等を含めクリアすべき課題は多い。関係するステークホールダーに対して、それが納得の行く形で十分に説明されなければ、安易にゴーサインを出すべきではないのではないか?