吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

音楽における「きめこまやかさ」

2017-07-24 | 音楽制作覚書
音楽における「きめこまやかさ」という問題。

普通は芸術的な音楽というものはきめこまやかなものだという認識を我々は持っている。
しかし、本当にそうなのだろうか?

芸術的な音楽にもいろいろなものがあって良いのではないだろうか?

例えばテレマンの二重協奏曲ホ短調(リコーダー、トラヴェルソ)の最終楽章。これなどきめこまやか、というよりはどこかの民族音楽の語法をそのまま持って来たようにも見える。少なくとも主題部分を見るかぎり非常に単純な作りになっている。こういうものはバロックの作品のなかにはかなり良く見られる。

それでは具体的にどんなチカラが働いてそれらの曲が最終的に「芸術的」なものに仕上がってるのだろうか?

単に演奏するだけではなく作品の背後に潜むチカラの在り方を探る。
こういうアプローチを伴いながら演奏することが出来ればまた面白い展開が生まれるのではないだろうか。

芸術的な作品をただ今までのように演奏するだけではないひとつのアプローチ、あるいはまたこれから新しい音楽(必ずしも、通常の意味できめこまやかな外見がなくても良い)を作るためのひとつのヒントとして。

p.s.
答えのひとつは形式にある。
ロンド形式。
主題と主題の間にはさまっているエピソードの部分の作りは普通の意味で芸術的。ポリフォニックでもあり、声部と声部との間のダイアログもある。

ということは主題そのものはかなり素朴かつ単純な作りのものであっても、エピソードにあたる部分をある程度まで作りこむことが出来れば最終的な音楽的強度は保証されるということになるのでは。
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