吉嶺史晴のブログ

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「のり」を出すこと

2016-09-27 | 思うこと
「のり」。くっつけるのりじゃなくて、音楽の「のり」。

最近、このことの重要性を感じるのである。
「のり」が良いとか、「のり」が悪いという表現があるけれども、これは主にその場の雰囲気とか、リズムとか、そういうようなものに、うまく「乗る」ことが出来るのか、どうか、というところから来ている。

で、その場の雰囲気とか、リズムが周囲の環境によって、あらかじめ準備されている場合には、それに乗れば良いだけのことなのだけれども、無伴奏の曲みたいなものをやる時には、自分ひとりで「のり」を作って、しかも自分が作り出した「のり」に自分で乗らなければいいけない。

そんな状況なのである。
なんの楽器でも似たような状況だと思うのだけれども、やっぱり、こういうことをあらためて考えてみると、自分自身で楽譜を書くことが出来るのか、どうか、というのはかなり大きな違いを生むことがわかる。

多分、このあたりの利点は作曲あるいは編曲をする人は十分、承知しているはずで、多分、専門の演奏者の方々はとりあえず楽譜に書いてあるものを尊重しながら、その枠の中で「のり」を作り出さなければいけないわけで、これ、実はかなり大変な仕事だ。

あまりにも滅茶苦茶にピッチが狂うとか、そういうのはもちろん良くないのだけれども、「のり」というのはかなり、その音楽の時間的な枠組みを決定づけるチカラがあるだけに、「のり」がよくなければどんなに良い音程でも音色でも、なかなかうまい表現に到達するのは難しいのだ。

なんだか、あたりまえのこと書いてしまっていて申し訳ない。

でもやっぱり、「のり」の良さということに関して考えてみると、全般的にクラシック系の奏者はちょっとこのあたり、弱い傾向があるのではないか、と感じる。楽譜に規定される度合いが強い音楽、と言ってしまえばそれまでのことなのだけれども、楽譜は楽譜。音楽は音楽。それらは別のものだ。

クラシック系の音楽であっても楽譜に全部、演奏に必要な情報が書いてあるということはない。歴史的な背景とか、様式のことが全部、楽譜に書いてあったら、楽譜が細かい字で真っ黒になってしまう。

「のり」の良さ。
これ、ちょっと抽象的な概念で、レッスンみたいな場でわかりやすく伝えるのは難しい感じがする。
でも、音楽を表現するためには、かなり大事な要素で、これ抜きでは、どんな名曲も名曲らしくならない。

ああ!
ここまで書いて思いついた。
「のり」はやっぱりくっつけるチカラがある。
それは演奏者と聴き手をくっつけるチカラ。
まだどこにいるのか、わからないけれど、これから出会うかもしれない大切な人と、自分を引き寄せあうチカラ。
いろんな事情で今は会えないけれど、好きな人に少しなりとも近づくことが出来るように自分自身の方向性を定めるチカラ。

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Rives de l'Yrill, le soir 現代フランスのリコーダー奏者・作曲家ミルヒベルグ氏の新作

2016-09-27 | weblog
現代フランスのリコーダー奏者・作曲家Marcelo Milchberg氏の新しい録音。素晴らしいです。
短い曲ですが、無伴奏リコーダーでどのように「のり」を表現するのか、というヒントが秘められています。
それは単にリズム的な事柄だけではなく、主な旋法が確立された後に、他の旋法をどのような方法で提示するのか、というようなことも含まれます。
Milchberg氏の作品はそのことを実に興味深く示してくれます。

Rives de l'Yrill, le soir


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これはMilchberg氏の作品を吉嶺史晴が演奏した録音です。
"Busqueda1" , "Algunos lugares1" , "Isla de Xolu,4h04" M. Milchberg

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人間の物理的な動く速度には限界があるけれども「のり」の良さには限界がない

2016-09-26 | 音楽制作覚書
人間の物理的な動く速度には限界があるけれども「のり」の良さには限界がないのではないだろうか。
今日、ひとりで練習しながらそんなことを考えた。
ある奏者はトランペットのような楽器で「のり」を出すのが一番得意だし、ある奏者はピアノ、また別の奏者はまた別の楽器。

ただし、専門の楽器だから「のり」を出すのが一番ラクということでもなさそう。
あまり技術的には高くないかもしれないけれども専門の楽器以外の楽器のほうが「のり」を出すのがラクな場合もありそう。

で、しかも、やっぱり「のり」の良さには限りがない。
で、「のり」の良さというのは必ずしも、その音楽がポリフォニックに出来ているのか、それとももっと簡素な作りなのか、ということも関係ないみたいだ。

「のり」の良さは楽譜には書き表すことが出来ないほどの微細なものなのでやっぱりこのあたりは録音ではなく生の演奏のほうが有利な感じは否めない。

ココロから出たものは多分、まっすぐにココロに伝わってゆく。


*補足
クラシック的なアプローチ、あるいはポピュラー的なそれであっても、いずれにしても音の数は少ないほうが「のり」を出すのには有利なのでは。
つまり、無駄な音は極力、なくしてゆく、という考え方。

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今日は

2016-09-26 | weblog

今日は昼間の用事を済ませた後は、ヴィオラ・ダ・ガンバの練習をしておりました。
11月の発表会では生徒さんとガンバの二重奏をする予定なのでそのための練習です。

練習の合間にはピチカートだけの弾き方で「ダニーボーイ」と宮沢賢治の「星めぐりの歌」の練習をしました!

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愛好家の方からリンク送っていただきました

2016-09-26 | weblog
インターネット経由でリコーダー愛好家の方から所属しておられるアンサンブルの演奏風景のリンク送っていただきました。
早速、クリックして聴いてみました。
良い演奏でした!
アーティキュレーションを工夫するともっと良い演奏になる印象でした。

愛好家の方々の演奏を聴かせていただくと、きちんと楽譜通りに演奏できているのですが、アーティキュレーションが単調になってしまっているものがあります。

参考にできるものはいろいろあるのですが、例えば、バロック期のオルガン曲やチェンバロの曲の演奏など聴いてみると良いです。
楽譜上は同じ4分音符でも、ぎりぎり一杯まで保った4分音符もあれば、とても短い4分音符もあります。

練習する際には、全部の音を「長く保つ」「短く切る」の2種類に分類してみます。なるべく極端な状態でそれなりに音楽的に意味の整ったものが出来れば最終的にはその中間段階を様々に工夫しながら豊かな変化のある演奏が可能になります。

考え方のこつはまず最初にとりあえずポルタート、そしてスタカートに分類してしまうこと、そして最後にノンレガートを混ぜる、という方法です。スラーのかかっている箇所はその途中でタンギングが関与できる余地がないのでアーティキュレーションに関しては主に最初の音のタンギングの硬さと最後の音の長さということになります。

音の長さの変化にタンギングの硬さの変化を加えると音量変化がそれほどなくても豊かな変化のある演奏が可能です。
うまくゆき始めると楽しいですよ!

鹿児島市の吉嶺音楽教室ではリコーダー、音楽理論(和声・対位法)、音楽大学受験生のためのソルフェージュ・楽典のレッスンをいたします。
どうぞお気軽にお問い合わせください。

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独奏楽器としてのテナーリコーダー

2016-09-26 | weblog
独奏楽器としてのテナーリコーダーにもっと焦点があたるのも面白いのではないか、と常々考えています。
バロック期にはアルトリコーダーのために多くの曲が書かれたのですが、現代ではアルトと並び、独奏楽器としてのテナーリコーダーの特性を活かした曲が増えてゆくのも興味深いことです。

もともとアルトリコーダーのために書かれた曲をテナーリコーダーで演奏してみるとまた別の面白さが生まれます。すでに1960年代には日本の篠原真によって「フラグメンテ」という作品が生まれました。これはテナーリコーダーの特質をよく活かした曲で今でも現代的なリコーダー作品の定番としてよく演奏されています。

また同じく1970年代には廣瀬量平によって名曲「メディテーション」が書かれました。これはもともとアルトリコーダーのために書かれているものなのですが、テナーリコーダーで演奏しても面白いです。

テナーリコーダーの場合、楽器がアルトに比べてひとまわり大きく、重たくなるのでどうしても奏者にかかる物理的な負担が大きくなりますが、その点を除けばアルトに劣らない性能を備えています。また、テナーリコーダーを楽に演奏できるようになると、アルトリコーダーはより楽に感じられることが多いようです。
(ただし、アルトの曲をテナーリコーダーで演奏すると楽器が大きいために人によっては無意識に無駄なチカラがはいってしまうことがあります。悪い癖につながりかねません。この点は要注意です)

私自身もテナーリコーダーのための独奏曲をいくつか書いています。
そのひとつ「ララバイ」(子守唄)です。

"Lullaby" for tenor recorder version2016 F.Yoshimine

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中西覚、廣瀬量平、篠原真

2016-09-25 | weblog
中西覚、廣瀬量平、篠原真、各先達の作ったものの素晴らしさに頭が下がります。
今日は中西覚のピアノソナタ第1番の楽譜が届きました!
早速、音を出してみます。
もう絶版になっているようですが、音楽の友社から出ていた「日本和声」という本を参照しながら中西覚作品をみてみるといろいろなことが明らかになって来るようです。

中西覚のピアノソナタ第1番、第2楽章がSenza Mussuraで小節線が全くない記譜が採用されています。これをみながら廣瀬量平の合唱曲「海の詩」を思い出しました。この世代の作り手、複数の楽章がある際に異なった様式のものを入れることを全く躊躇していません。それでいて全体は確固たる統一感があります。
本当に素晴らしいです。

私も後塵を拝しつつ、前進します。

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ヴィオラ・ダ・ガンバ二重奏

2016-09-25 | weblog

今日は高校生のソルフェージュ・楽典のレッスンもありました。
レッスンの後はヴィオラ・ダ・ガンバの二重奏をしました。
普段ヴァイオリンを弾いている子で、ガンバにもすぐ対応できてしまうのです。素晴らしいです。
11月の発表会ではヴィオラ・ダ・ガンバ二重奏も予定しています。

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焦点ばっちり定まったレッスン

2016-09-25 | weblog
焦点ばっちり定まったレッスン、良いものです。
今日のレッスンのひとりの生徒さんにはとにかく左手薬指のチカラを抜くということに焦点をしぼったレッスンをすることが出来ました。
最初は簡単なエクササイズ、そして楽器を使ったエクササイズ、そして簡単な曲を演奏しながらもやはり焦点は左手薬指をリラックスさせるということに焦点をしぼったレッスンでした。

実際は左手薬指だけに注目するのではなくて、それ以外のところに原因がある場合もあります。
今日のレッスンではそれ以外の原因にも注目して具体的な改善策をとって、最終的な目標にもってゆくことが出来ました。

楽器を演奏しはじめて最初は面白くてどんどん進歩しますが、ある時点で進歩しなくなることがあります。
原因は様々ですが、この場合はある特定の指にチカラがはいり過ぎるということでした。
ただし、これは目に見える症状。
症状が出るためにはそのもとになる理由があるはずなので、それを突き止めることが大事です。

リコーダーのレッスンなのですが、時として身体の使い方のレッスンになる場合もあります。
小さな進歩が大きな進歩につながります。
11月24日には教室の発表会。
生徒諸君、着実に進歩しています。

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