風月庵だより

都会の雑踏に埋もれて生きている老庵主です。消えゆく前の雑音です。

休眠お知らせ

2012-05-29 09:28:13 | Weblog

5月29日(火)曇り【休眠お知らせ】

皆さん、もうすぐ6月ですね。お元気でしょうか。このところブログをあまり更新できませんので、いつもご訪問くださる皆さまには申し訳ございません。

6月の末まで恐縮ですが、休眠させて頂きます。宜しくお願い致します。

気候不順な折、くれぐれもご健康にはご留意くださいますよう。

 

 

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爽やかな五月はどこに

2012-05-25 10:00:33 | Weblog

5月25日(金)曇り【爽やかな五月はどこに】(ドウシタノ、とルナ)

今年は五月を感じませんでした。あまりに忙しくしすぎているからでしょうか。

忙しくしているのは、自ら招いたことです。すべてに「ノー」と言っていれば、火中の栗も拾わなくてすむものなのです。

少々気が萎えている状態です。こういう状態は、一日おきに数十キロを運転してかなり体力が消耗しているからでしょう。体力の衰えは、気の衰えを呼びます。

我が事ながら、お気を付けを。

今、風邪を引いて、長引いている人が私の周りに二人ほどいます。皆さんもどうぞお気をつけください。

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猫のお泊まり

2012-05-12 20:02:33 | Weblog

5月13日(日)晴れ【猫のお泊まり】

この2日ほど、キヨちゃんとタローちゃんが、我が家にお泊まりに来ています。キヨとタローのお家の人たちは、2日ほどお出かけです。

それで我が家のルナちゃんは、たぶん大喜び?か? 猫の気持ちは正確にはわかりません。

 

私はタローもキヨも可愛いので、大歓迎です。ただ、朝、3時半には3匹の鳴き声に起こされます。キヨとタローは外にでる習慣があるので、おそらく朝のおつとめでしょうか。

タローはすぐに帰ってきます。キヨちゃんは、しばらく帰ってきません。今はキヨは押入で寝ています。昼間、活動してくるので疲れたのでしょう。この可愛いキヨとタローとお別れするのが、一番辛いです。でも、気になっていたお施食の随喜と、法事が終わりましたので、これからいよいよ引っ越しの準備にかかります。

定年後は、自分の好きな人とだけつきあえばよいのですし、私もこれからはある程度そんなつもりでいましたが、これからは多くの方々とおつきあいしなくてはなりませんので、少々細い神経は疲れるかもしれません。キヨとタローそしてルナの心配だけをしていられたら、悠々たる日々だったのですが。

乗りかかった舟から降りることは、もはやできません。

「波も引き風もつながぬ捨て小舟、月こそ夜半のさかいなりけり」

これは道元禅師の和歌です。この解説は、来月平凡社から『別冊太陽』の 道元禅師の特集が出ますので、お読み頂ければ幸甚です。私は道元禅師の詩歌を担当しました。

私も気弱にならないで、僧侶としてもう少し頑張りましょう。

皆さま、お互いにそれぞれ大変なことと存じますが、お体お大切にお暮らしくださいませ。

 

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枯れた紅葉は本当に枯れたのか

2012-05-08 19:11:10 | Weblog

5月8日(火)曇り【枯れた紅葉は本当に枯れたのか】

昨年、紅葉を移植しました。プロの植木やさんに頼みました。プロに頼みさえすれば、移植してもきちんと根付くと思っていました。勿論多額の費用も使いました。

しかし、紅葉は芽吹いてはきません。葉が枯れないうちに移植したら駄目なのだ、という人がいました。そんなことはプロならば元より承知の事と思っていました。

プロの仕事に信頼をおいていたのですが、残念です。

立ち枯れのままおいておくわけにもいきませんので、仕方ないので片づけてもらうことを同じ植木やさんに頼みました。こういうとき、職人さんは詫びるということはないのですね。枯れちゃったね、の一言でした。そういうものなのでしょうか。

でも、まだもう少し様子をみましょう、生きかえってくれると思う、という意見もあり、しばらくこのままにしてあります。なんとか生きかえって貰う方法はないものでしょうか。植木に詳しい人がこの記事をお読みでしたら、是非アドバイスをお願い致します。

 

 

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宗教の風光(九)二途にわたらぬこと

2012-05-02 11:54:10 | Weblog

5月2日(水)雨【宗教の風光(九)二途にわたらぬこと】

本師余語翠巖老師の『宗教の風光』(中山書房仏書林刊)より、宗教の風光という表現を使われて、道を説かれている箇所を、時々ご紹介していますが、この頃はご無沙汰していました。それで、何回目のご紹介かも忘れていましたが、今回で九回目でした。

私の解説を付けずにご紹介させて頂きます。お読みくださいます皆さまの心の世界にお任せしたいと存じます。

「人はせっかくこの世に生まれたからには、意義ある人生を送らねばならぬと考えるのが当然であるように思っているが、どのようなことが意義あることなのか、定かにはわかりはしない。

 一人一人の絵模様を、意義あるものと意義なきものとに分けるのは、人間の妄想のはなはだしきものである。つまらぬことに精を出すことをやめて、もっと意義あることに精を出すと考えることが、分別の所産というべきである。

 二途にわたらぬ、とういことが安楽の法門と言われる所以である。それが至極の道理というものであり、「菩提(ぼだい)を究尽(ぐうじん)するの修証(しゅしょう)なり」と示される。宗教の風光とはそういうものである。」(『宗教の風光』第二章「普勧坐禅儀のこころ」より)

*妄想(もうぞう、と仏教的には読みます):とらわれの心によっって、真実でないものを真実であると誤って考えること。またその考え。(『大辞泉』の訳)

*絵模様:老師はよく絵模様とか綾模様とかの言葉を使われましたが、その意味は老師自身の言葉から「坐するすがたが目当て自身だとする信は、人間の生涯が何かの手段でないと同じように、何十年かの人生のカンバスの上に描き出す一人一人の絵模様は、それがどのようなすがたであっても、そういうすがたをした天地のかざりである」

*二途:二つの道、二つの方法。

*菩提:さとり

*解説はしないつもりでしたが、少し解説をつけますと、この文章は、道元禅師の〈普勧坐禅儀〉という、坐禅についての教えを、老師が説いてくださっている箇所です。ですから、安楽の法門も、至極の道理も、「菩提を究尽するの修証なり」も、つまりは坐禅のことを言っているわけです。十分にお分かりの方には、不要の解説で恐縮ですが、仏教の学びにはあまり縁のない方も、お読みくださっていますので老婆心ご容赦。

*お互いに他と比較することなく絶対の安心に生きることを、老師は常にお説きでした。

 

 

 

 

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猫たち

2012-05-01 20:39:16 | Weblog

5月1日(火)曇り後雨、夕方雨上がる【猫たち】

荷物を運ぶこともあり、車が多いのですが、修理に出しましたので久しぶりに、電車に乗りました。代車はやめました。運転が下手ですので、慣れない車で、事故を起こしては大変です。

電車ですと、やはり体の疲れが違います。それで、久々に三匹の写真を撮りました。

タローです。

 

キヨです

 

ルナです。

みんな元気です。でも、もうすぐタローとキヨとお別れです。それが辛いです。

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事故

2012-04-29 22:54:18 | Weblog

4月29日(日)晴れ【事故】

痛ましい自動車事故が、このところあまりに多すぎます。ドライバーのコンディションに、安全運転はかかっています。亀岡の痛ましい事故も、藤岡の事故も居眠りによるものです。

ハンドルを握る者は、自分の状況に責任をもたなくてはならないですね。

私も、このところ、疲れの限界を経験しています。あまりに話が違うことや、複数の人々を説得したり、問題を解きほぐしたりなどが、通常の仕事以外にさらに加わりますと、精神的な疲れが身体的な疲れを呼び込んでしまいます。

こんなときは、事故を起こさないようによくよく気をつけなくてはなりません。昨日は、サイドミラーが粉々になったくらいですんでよかったと思っています。

皆さんもくれぐれも運転にはお気をつけください。

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未熟な運転

2012-04-25 09:44:53 | Weblog

4月25日(水)曇り【未熟な運転】

このところ、未熟な運転によって、悲惨な事故が引き起こされています。京都の青年による事故も、亀岡の無免許の18歳の青年による事故も、あまりの痛ましさに言葉がありません。

18歳を少年ということはやめよう、といいたい。18といえば立派な大人です。少年という言葉に甘えていさえするのではないでしょうか。少年といえるのは、せいぜい15歳までです。大石主税が赤穂浪士として、立派に戦いに出たのは数えの16歳(満15歳)、楠木正行が湊川の戦いにいく父正成から後を託されたのは数えの14歳(今の13歳)、あげれば限りなく日本男児は、13,4歳で、元服し、立派に大人として生きてきたのです。

なにより道元禅師が出家を決意なさって、比叡山の良顕法眼を尋ねたのは数えの13歳(今の12歳)です。今満年齢で数えていますが、数えで数えるのが、本来と思っています。因みに韓国では今でも数え年齢です。満18歳は、昔風に数えれば19歳ですよ。(*しかし、50歳を過ぎたら満年齢のほうが良いかもしれませんね。冗談ですが)

とにかく社会が子どもをスポイルしすぎています。それは人間をかえって駄目にしてしまってるのではないでしょうか。もう一度、根本から教育や制度や法律も考え直す必要があります。

無免許運転と18歳の少年扱いに対してとは、話がずれてしまいましたが、ちょっと、一言。

さて、全く違う話ですが、私は免許を取得してから25年、20万キロ以上運転しています。ところが、いまだ信号のない道で右折したり左折するのに、右を見て、左を見て、また右を見て、また左を見て、というように全く臆病です。

また矢印のある信号の見方が昨日までわかりませんでした。四面道の交差点で青梅街道から環八に入るとき、信号の見方にいつも迷っていました。環八千歳台というところの信号を右折するときも、直進の矢印で停止線の先まで出て良いのか迷っていました。いけないそうですね。そのうち警察に聞きに行こうと思っていましたら、昨日教えて下さる人がいて、よく分かりました。

青信号だけのところなら、曲がるときに停止線よりも出てよいそうですが、赤信号に矢印の場合は、右折矢印が出るまで、停止線で待っていなくてはならないそうですね。私は本当に運転に未だ未熟であり、無知です。こういう人間も運転しているのですから、歩行者も自転車の人も、車を運転している人も、お互いに、皆気をつけたいと願っています。

 

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大家族

2012-04-22 22:34:17 | Weblog

4月22日(日)曇り後雨

今日は、大家族の家の法事でした。

今日の法事の主人公は、12年前に85歳で亡くなられた婦人です。20人くらいいるひ孫の中、今日は15歳から1歳までのひ孫11人列席、孫は15人くらいいるそうです。お子さんは、この家の主人が長男で他に3人の息子と2人の娘に恵まれた婦人です。

この婦人がこの世に存在してくれたからこそ、多くの子孫が命を継承できました。あっぱれ、といいたいほどです。そんな気持ちで、法事をつとめました。5歳の坊やも、「般若心経」をおとなえしてくれました。お経をとなえる子どもさんの声ほど、聞いていて嬉しいものはありません。その合間には、ときどき赤ちゃんの泣き声も合いの手のように入ります。いいですね。

幼いときから、お経をとなえたり、お焼香をしたり、合掌をしたりして、いいですね。

大人たちも、子どもたちの真剣な姿勢に、かえって学んでいるほどです。いいですね。

今日は、そんなご法事でした。こうして、人々が亡き人を偲び、手を合わせる供養のお手伝いをできることは、いいですね。そうして、そんな折に、仏の教えを伝えられること、いいですね。

感謝の一日でした。気候不順な日々です。皆さま、体調にはお気をつけくださいませ。

*中には、お子さんに恵まれないご夫婦もありますし、命を継承することのない人(例えば、私)もいます。それぞれですので、この記事はこの記事としてお受け取りください。

*子どもたちが犠牲になる事故が絶えません。こんな可愛い子どもたちが、無事に成長して欲しいと願わずにはおれません。

ルナとキヨです。

 

 

 

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福島からの移住

2012-04-12 09:57:44 | Weblog

4月12日(木)晴れ【福島からの移住】

昨日11日に、フジテレビで、知人の家族が紹介されました。(時間が間違っていまして、お詫び致します)。住み慣れた故郷を離れる辛さは、多くの方々が味わっていることでしょう。ことにこのご家族にとって、福島の住み慣れた家は、2年前に亡くなられた、子どもたちにとっては優しい父親との思い出が一杯につまった場所です。その父親のお墓もある土地です。

この父親は、大雄山最乗寺という南足柄市にある僧堂に安居していた頃の私の法友でもありますが、一昨年、山の畑仕事中に不慮の事故でお亡くなりになってしまいました。大変な子煩悩でしたので、この度の原発事故による子どもたちの健康についての影響を、生きていたなら一番に心配したことと思います。

福島を離れることについては、福島を捨てるのかといった反対もあったりで、子どもたちのおかあさんは、本当に大変なご苦労をされたようです。しかし、山の麓という家のある立地条件にもよるのでしょうが、放射線量がかなり高いので、幼い子どもたちの事を考えれば、移住せざるをえないのです。

この一年の心労はいかばかりだったかと思います。ようやく母子共に、長野県に移住することができ、新たなる一歩を踏み出すことができたようで、一安心致しました。しかし、だからといって、安心ばかりしてはいられません。三人の子どもを抱えて、女手一つで、住み慣れない土地で暮らす苦労はさらなるものがあるでしょう。

一箇所の原発事故がもたらした一家族の姿を、テレビを通して見せて頂きました。しかし、氷山の一角、いや一点の姿であります。他の多くのご家族も、言葉では言い表せないほどの、それぞれのご苦労をなさっていることでしょう。

昨日はスマトラ島沖で、マグニチュード8.7の大地震がありました。また今朝はメキシコでも震度7の大地震がありました。(津波は大きくなかったそうで、被害は少なかったようです。)あっちとこっち、日本ははさまれているように、素人は感じます。また日本に大きな地震が来ないとも限りません。もしまた原発事故がどこかで起きたら、どうなることでしょう。経済のことも政治のことも、二の次にして、命優先、生活優先の電力供給を考えては頂けないでしょうか。できない相談ではないはずです。

子どもの頃、偉人伝で読んだキュリー夫人は、ラジウムの研究などで、放射線障害によって、フラフラになって路上で倒れて亡くなったそうですね。そういうことは子どもの本には書いてありませんでした。都合の悪いことにはフタをして、都合のよいことだけは公開している現状と同じですね。

たった一度のこの人生、誰しも、できれば一日でも長くこの地球にいたいのではないでしょうか。5年後、10年後、放射能汚染による人体へのダメージが出てきたとき、私たちは「やっぱり」ということだけしかできないのでしょうか。

 

 

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